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本家の古書の鑑定を受ける

何故・私はこのように朝鮮民族と先祖にこだわるのかと考えていた。七人姉妹の2番娘だが、姉妹の中で本名で暮らしているのは私だけ、表札も本名にしている。
最近、考えが纏まってきたような気がする。姉妹の中でも虚弱児であったばかりでなく心も弱かったので妹達からさえ虐めれ、姉としての待遇を受けられなかった。外に出れば朝鮮人と差別される。何故?朝鮮人は差別されるのかと探し続けて、学び続けて、朝鮮人が日本人がさげすむような劣等民族ではないと理解した。その結果が、現在の私・朴貞花になったのだと思う。
ある人が話してくれたことを思い出す。日本国が日本人が朝鮮人を差別しなかったなら、古代のように皆、日本人になっていたろうと~~~。本当にそうだと思う。
町田市に住んでいた時に、町田では古代史の第一人者だと言う人に、市民大学で講義を受けた。彼は、自分が天皇家を尊敬するのは、1000年を超す家系がはっきりしているからと言った。私は、私の家ばかりでなく、他の朝鮮人も殆どの人が「族譜」というものがあって紀元前から分かっているのですよと。彼は何も答えなかった。市民大学で講義をする時に、彼が教材として渡した年表には朝鮮を「鮮」と記入し、既に国連に入っていた朝鮮民主主義人民共和国は記入されていなかったので、この事に対しても、これは間違っていると、講師に私は抗議をしたのであった。

嘗て、私のアボジが「両班」と言うと、姉妹の中で、一番強くて賢いと言われていた3歳下の妹は「両班」なら、何故、日本に来てこんな貧しい暮らしをしているのかとアボジに詰め寄っていた。
その傍で私は、アボジの言葉をそのまま信じて、朝鮮に帰国した時には、きっと「両班」に戻れて幸せになれるのだと信じていた。
私は自分が弱いから、弱い人には心から優しくしようと努めてきた。反対に強いものには反感を持つ。組織とか団体の役員など名誉を持ったり、資力、権力を持つと、持たない物に対して、蔑み差別することを度々経験して、悔しさを味わってきた。
それでも、何も持っていないし、何も出来ない私だが、助けてくれる人が大勢いたので今日まで生きてこれたのだと、心の底から思っている。

また或いは、先祖の貴重な古書を私が預かるようになったのは、私の名前から来ているのかも知れないと思うようになった。「行列字」と言って朝鮮では一族の何代目であるのかが分かるように、一字が決められる。これは男性にだけ付けることになっているのだが、長女の姉の名には付いてないうえに、7人姉妹の中で他の6人には付いてないのに、私だけに「行列字」の「夏」が「族譜」に記入されていた。
「族譜」に載せてある名前は「諱」と言って普段の生活には使われない。字(あざな)と言う普段の生活には別の名前が使われる。私のアボジも伯父さんも「族譜」にきちんと、二つの名前が載せられてあった。祖父の孫として、本家の二人の息子に、正夏、文夏、そして、私は貞夏と、3人に「夏」が付けられていたが、従兄の二人はすでにこの世の人ではない。祖父の孫の中で「夏」をつけられて生きているのは私だけなのだ。私のこんな話を聞かされた人は、私がおかしいと言うのかもしれないけれど~~~。私は真面目に、無力な私が生きていられるのは、父母に守られ、先祖に守られているからだと、霊魂を信じている人間なのだ。

1960年代に韓国籍の妹達が訪韓しているし、姉や彼女達は何度も自由に訪韓していたし宿泊もしている。なのに、本家の伯父さんは、大切なこの古書を、先に訪韓し、何度も訪韓した姉や妹達には渡さないで、訪韓の自由がなかった私にだけ託したのである。不思議な事だと思う。
1980年の初めての訪韓の時に、本家の伯父さんが私に貸して下さった本を、2014年に本家の長男が私に贈呈した。この本は1914年の発刊であった。韓国には6か所にこの古書と同じものがある事が判明しているが、全巻揃っていない場合もある。この古書が3巻揃っていた家ならば、それ相当の家だから、他の本も見たいと昨年鑑定して頂いた時に言われた。国の方で保存・管理しても良いと言われたので、今年の訪韓の目的が一つ増えたのだけれども、一部しか鑑定に持っていけなかった。韓国では古書ではなく、古文献と呼んでいた。
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左1917年発刊『明心寶鑑』、中央1935年発刊『啓蒙篇』、右1830~1920年未詳。『蜜陽朴氏家蝶」
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この古書は写真を写していた時には三冊と思ったが、改めて見たら4冊であった。
1440年。一番新しい。4巻までを見つけたがその後の本もある筈であると思うが、か弱い90歳と80歳の老女には取り出せなかった。次回は若い人を連れて行きたいと思っている。
また、古書について、私の心が離れないで守ろうと執着するのは、朝鮮が日本の植民地になっていた時代に、日本の総督府が、朝鮮の民族心を壊滅させるために「両班」や「書房」から何十万の貴重な古書を略奪して、「溶解処分」したことを知ったからである。わが朝鮮王朝の世宗王の時代に活躍した先祖の遺した著書20巻が3巻しか残っていないことも、最初に貸して頂いた時に古書を紐解いて知ったことだった。
日本の権力者は侵略に都合の悪いものを溶解処分にして消滅したのである。
現代でも、横浜市の教育委員会は関東大震災の事を書いた副読本を溶解処分にした。日本は書物ばかりか、王の墓までも荒らし続けて、重要なものを略奪している。
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この1年の間に、初対面の人に頂いたもの。ブローチ2個、紫の指輪、紺色のカップ小物入れ、ボールペン。有難い事に、こうして多くの人に愛を頂いて、助けられて生き永らえてきた貞花です。
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漢江・はんがんの傍のマンションの12階に甥は住んでいる。居間から見た夕陽は、横浜の自宅から見える夕陽を思い出させてくれて私を喜ばせてくれた。
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韓国は桜が満開であったが、自宅に戻ったら、蔓薔薇のゴールドハニーが咲き始めていた。ところが、月半ばに「春の嵐に散りゆく花か~~」と思わず歌い出してしまった程に薔薇の花が蕾迄もが沢山落ちてしまった。仕方がないと拾い集めて湯船に浮かべ、薔薇の湯に浸かった。
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温かいので薔薇が次々と咲く。次の花の為に摘んでドライフラワーにすることに。
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千葉から送られてきた鈴蘭、シーラー、キンポウゲ等次々と咲き始めて我が世の春を謳歌してる。
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少し日陰に咲く、野草、去年までは覚えていたのに花の名を忘れてる。
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花韮、どくだみ・十薬と同じく繁殖する力の強さに驚かされる。



by pcflily | 2018-04-22 15:35 | アリランエッセー | Comments(2)  

アボジとオモニの祭祀とお墓詣り,本家の古書の確認、植民地歴博物館への資料。

秋、9月に私も80歳になる。人生の終盤に来た。30歳まで持てば儲けもんと言われた虚弱児が倍以上生き延びている。何時も死を意識して来た。夜、床に就く時は今日も生きたと思い、朝の目覚め時も同様な思いになっていた。だから、今思った事、出来る事は直ぐにすることが、身についていて驚くような突飛な事もしでかしてきたと思う。
実家で50坪の檜建ての家を半年住んだだけで家出をしてしまうと言うような無謀な事もしてしまった。自分の無力さを顧みる事もなく、子どもを朝鮮学校に通学させたい思いからであった。あれから、47年が過ぎたことになる。如何に無謀な事をしたのかとの思いが募る。何時も、心配して下さった両親も他界した。
気にかけていた私の墓所も思いがけず、希望していた通りに両親の傍に設置できた。日本に作られていた両親のお墓にも、遺品を納めたことにより、私なりに両親の魂を、納めたと思っている。実は、韓国でアボジは墓地にオモニは納骨堂に、離れていた。けれど、甥に在日となった私達の思いを伝えて、なくそうとしていたアボジの墓地を守ることが出来た。オモニのお骨をアボジの傍に埋葬する事も出来た。アボジとオモニには7人の娘がいるのだけれども、誰一人としてこの大きな仕事について、手伝ってくれなかった。全員に無視された。
アボジとオモニの祭祀が、韓国で4月5日に行われるので、4日に出かけ10日に帰ってきた。祭祀のほかに、本家の古書を、専門家に見てもらう目的もあった。又、5月に開館予定の「植民地歴史博物館」に資料を届けたいとも考えた。
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祭祀をすませソウルから離れている忠清道迄一人で行き、お墓詣りをして、本家により本を見せて頂いた。本家のお兄さんが亡くなりその妻のお姉さんも90歳を越している。老婆二人では、しっかり包装されていたり高所にあり重くて下ろせなかったりしたが、とりあえず手に取れるものを出して写真を写したが、電池が切れてしまった。専門家に見て頂くので借りたいと話したら快く貸して下さった。やっぱり貴重な古書であることが判明した。土、日は休みで月曜日も休みであったが、電話をしたら、見て下さるとの事で、迎えに出て、裏口から特別に入れて下さり目的を達成することが出来た。
「植民地歴史博物館」も開館準備で忙しいなかを、鄭重に接して下さり食堂にまで案内されて、御馳走になった。
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快く大切な先祖の古書を貸して下さったお姉さん。昨年お兄さんが亡くなり、90歳を越えての一人暮らしだ。
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初対面の私に、自宅を自由に使ってと解放して下さった方は、手作りのブローチを手ずから私の洋服につけてプレゼントして下さった。ソウルへ帰る駅までのタクシーを呼んで下さいと頼んだ方も、一度も使って無いと言いながらブローチを手ずから付けプレゼントして下さった。私が断るので手ずから付けて下さる。韓国では始めて会った人にこうしてプレゼントする風習があるのかと甥に聞いたがそんな事はないと言う。泊まるお宅を紹介して下さった方も自分の母の形見でおそろいだと言って、既に最初に会った時に紫色の指輪を下さったのに、この度も、母の形見という対の指輪の一つを、私の指にはめようとしたが入らなかったので、諦めてくれた。手土産一つ持って行かない私に対して、何故だろうとずっと考えている。
「植民地歴史博物館」では日本の植民地政策による被害。1945年以降在日朝鮮人、韓国人が現在まで、今も猶、被害を受けていることを知って欲しいと思って来日した時に私的な資料を渡したが、理解して下さった。日本に暮らしていても同じ民族であると、今回持って行った資料も、有難いと受け取って下さった。民族問題研究所の皆さんに感謝している。私の死後には捨てられてしまうものであろうから、お役に立てば嬉しいと大切にしていた物を渡してきた。私にとっては生きて来た証である唯一の宝物であるけれど。お役に立てればと思う。

夫が突然死した頃の写真、左下は49日。右は上京した頃、娘と私が同じ月日の同じ明け方に生まれたので毎年記念に写真を撮っていたうちの一つ。
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落合恵子氏が発行している月刊雑誌「COOYON・クーヨン」に取材されたもの
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韓国・中国・の日本の高齢者の文化祭、植民地時代に日本に留学した人と日本人の友好の為の会、着物姿の日比さんに韓国から大勢いらっしゃるからと見に行ったのに、突然舞台わきに呼び出され司会の一員にと頼まれて2日間、手伝いをしたことがきっかけで10年以上過ぎて韓国にも同行し、初めて西大門刑務所に行った。
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町田での平和ミュージカル、私の講演の話も脚本に取り入れられた。感想文が余りに多かったので、監督がこんなに多いのは今まで市民ミュージカルを続けてきたが初めてであると、冊子が作られた。一つは公演当日に渡されたパンフレット。
町田に来て、私の娘のチョゴリ姿を見て、まだ朝鮮人が日本にいたのかと言った人がいた。町田には朝鮮学校があるのにも関わらずだ。私は一人で、たった一人にでも朝鮮人の私を見せる事によって真実を、理解してもらえたら、その人が朝鮮人の真実を他の人に伝えてくれるだろう、それが次々と伝わり大きな輪になり、将来大きな和になる事を願って細々と努力を続けた。「端・はなの会」と自称するようになった。こんな小さな端切れに過ぎない私、「ハナ」は朝鮮語の「一」だ。一人で一から初めて将来は大きな友好の夢の花が咲くことを願った。けれども、夢は夢であって、蒔いた種は芽生えたが,蕾のままに散ったのだろうか?あるいはどこ小さな花になって咲き続けているだろうか?町田で始めたハングル教室「端・はなの会」は今でも続いていると言うが、他のものはどうであろうか?花は小さくとも、咲き続けていることを願うばかりだ。

現在も、この日本に朝鮮人が暮らしている、生きていることを知ってもらおう。
私の名前は朴貞花だ、パッチョンファだ、パクではない。せめて名前だけはきちんと読んで欲しいと言うのが私の願いであった。何の肩書もないが、本名を読んで欲しいと名刺を作り渡していた。集いがある時にはチマ、チョゴリをまとって行った、同胞の集う場所でもチマ・チョゴリを着て行く人は、少なかった。同胞の結婚式があると紙袋に入れて持って行き、現地で着替える人が多かったが、私は、新宿に行く時も小田急線の混雑しているラッシュアワーの中をチマ・チョゴリのままに乗車するのが常であった。他の人はお金を余分に出してロマンスカーに載っていた。

「植民地歴史博物館」に差し上げるつもりでファイルに挟んだものを、思い出すために少しカメラに収めたので、写真が、それぞれ可笑しな状態になってる。また、もっと沢山あるのに出てこない。ブログに載せるつもり等なかったのに、何故かこうして載せている。自分の心がこうして変わるのだから、誰かの心変わりを云々する事は出来ない。
右上の写真は卒業して50年目に初めて参加した県立若松女子高校の同窓会。この日は、緑色のチマ・チョゴリで参加。前回参加した時には、自分のカメラで映したいと仰った方が後に沢山の写真の他に大きく引き伸ばしたものを、額装して送って下さった。高校の名前は変わっていて中高生男女同学の学校になっていた。
下の写真は、江川村立江川中学校の同級会。白色のチマ・チョゴリ姿で参加。卒業して50年以上たってからの同級会の参加であった。

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。神奈川県関東大震災時朝鮮人虐殺の追悼会、一人でチマチョゴリを来た。
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by pcflily | 2018-04-13 23:07 | アリランエッセー | Comments(2)  

挑発を続けているのは戦争が好きなアメリカと日本だ

一月号原稿

挑発しているのは誰か?    (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    神奈川


世界で唯一の被爆国          

日本は賛同しなかった「ICAN」(核兵器廃絶国際キャンペーン・ICAN)

今年のノーベル賞は「ICAN」

     

日本の敗戦による

米・ソの南北分断

米国は七〇年後も居座っている


核大国米国傘下の日・韓と

核大国ロシアと中国に包囲された

小国朝鮮は東アジアで       (南韓国と言わぬので北朝鮮と言わず)

核のない唯一の国だった


休戦協定を

「平和協定に変えよう」

朝鮮は核開発しないと

提言を続けた―――


核超大国米国の大統領ブッシュは

朝鮮への核先制攻撃を

全世界に宣言


海に浮かぶ軍事基地 

原子力空母「ロナルド・レーガン」

艦艇四〇艘等々


朝鮮半島の東西海域で

米韓軍事演習強行           (二〇一七年十月十六日より)

北朝鮮を標的に


春秋恒例の米韓軍事演習

挑発を長年続けてきたのは

米・韓・日である


過去忘れ真実の認識できぬ輩 認知症病み暗闇を行く


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◎花の少ない時期、純白の薄い花びらが優しい
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◎杜鵑草、優しい花色でも長く咲き続ける

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◎八つ手。葉がどんどん増えてこんな花を毎年見せる。
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◎韓国の古宮博物館の売店で、絵柄が朝鮮の民族的雰囲気なので求めたが、水漏れする、不良品と不満を言っていたが、息子に見て貰ったら、私の手力が足りなかったせいだと分かった。始めに締めて貰っても開ける事が出来ないので、私には使えない物となった。
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◎1999年アボジの葬儀の為に訪韓した。朝鮮籍の為に自由往来が出来なかったので、私は、特別に、母方・オモニの親族巡りをした。その時に贈られた。お人形さんや衝立や民族色の強い人形や右前の現代風のもの。これが、展示されていた。びっくりすると共に嬉しかった。我が家に、今もそのまま飾られている物達だったから。

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◎孫は車が大好きだった。我が家のロフトには車のおもちゃ沢山置いてある。この青い車は形が変わっているので、映してきた。沢山の車映しきて孫に見せたが、あまり喜ばなかった。「レゴ」に夢中になっていたが、現在はラグビーが全てになっている。昨年も今年も優勝したと言う。そのクラブのキャプテンを、昨年も今年もわが孫なのだと言う。ところが、息子に言わせると信じられない程、下手なんだそうだ。熱心に練習をするのに、上達しないらしい。下手であるのにキャプテンとは?統率力や人格によるものらしい。孫の入会している指導者が決めると言う。キャプテンとして取材され、抱負等を語っている新聞も見せてくれた。運動を全くしなかった。そして苦手な私の遺伝子のせいかなと申し訳なく思ってしまった。
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◎部屋から見る朝日、何故かいつみても感動する。これを見る為に、寝坊が出来ない。下の写真も同じく右端に朝日。
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◎徒歩3分の場所から見える富士山、この時せっかく見に行ったのによく見えなかった。雲が多すぎた。

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by pcflily | 2017-11-29 20:41 | 『新日本歌人』 | Comments(4)  

親密な米国と日本

☆明治期に米国の手を借りて、朝鮮の植民地、アジアへの侵略を進めた日本が、現在、夢よ再びと米国の忠犬になって欲望を満たそうとしている。トランプ大統領が韓国より日本に多く滞在すると、この国のマスコミは挙って、安倍首相の喜びを共にして燥いでいるようだ。昔から、遠くの親戚より近くの他人と言われているのに、この日本は、遠い他人にしがみ付いて隣国を餌にしてきた明治期の方法を目標とし,蠢いている。

☆アジア侵略の日本軍の性奴隷になって、苦しめられた女性に対してのまともな謝罪も賠償しない中で、ハルモニが、また、亡くなってしまった。今年だけで、6人目である。申し出た239人の女性の中で、生きていらっしゃる方は34人になってしまった。日本政府は彼女たちの死を待って、死亡の知らせを聞いて祝杯でもあげているのだろうか?世界記録遺産の登録も、保留になってしまった。これは、日本と韓国だけの問題ではでない、韓国、中国、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダ、東ティモールの8か国の市民団体が、2700点以上の資料を申請したと言う。日本は、ユネスコへの負担金を分担金を払わずに反対を続けた。圧力をかけて反対していた。良心のかけらもない。他人の不幸を踏み台にして利益を得るのがこの国のかたちなのか?と聞いてみたい。安倍の言い続けている「美しい日本」は天皇を中心にした嘗ての「国体」なのだ。国民は全て神の天皇の為に捧げる、心も、命もだ。その為に、戦争の出来る国へとまっしぐらに進んでいる。東南アジアを支配しようと餌を撒いているようだ。すでに世界最強の軍備力を持っていると言う。この自民党を支持しているのは、若者が多いのだと言う。何をか言わんや。

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十一月号原稿     8月に詠む   

   

親密な米国と日本 

              

日清戦争・日露戦争

真珠湾奇襲攻撃まで

仕掛けたのは日本だ


1905年の

桂・タフト協定で

米国と手を組んだ日本

朝鮮を植民地にした


    1945年8月

敗戦国日本への

厳罰が米国の立場だった


援助していた

反共の蒋介石が敗れたことに

危機感を抱いた米国


アジアの共産化を防ぐ為に

サンフランシスコ条約で

日本の罪業を問わなかった米国


戦争責任を問わず

日本を冷戦体制の砦にーー

昭和天皇は沖縄を

米国の基地に差し出した


1935年の国際連盟と

1963年の国際連合で

韓国併合を不法無効と判定した

   

アジア侵略を奨励した

吉田松陰を尊敬する安倍晋三

侵略の謝罪・反省なく

明治への回帰を模索する



by pcflily | 2017-11-03 20:52 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

アボジの墓地    [新日本歌人』投稿歌 10月号 7月に詠む

◎無窮花に負けじと伸びている薔薇と百日紅、いつの間にかどんどん伸びて、大きくなって剪定しても、そこからもっと勢いが強くなって伸びる。私の手には負えなくなっている。右奥はオーシャンブルー。
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◎オーシャンブルー、隣家の間が狭いので、伐ることが出来ない。雨どいに絡まって、ベランダまで伸びた。ベランダで切ってかろうじて、そこより、上には伸びないようにした。無窮花や百日紅、薔薇の花は散っていく。当然のことだが。

隣家の敷地に花殻が落ちるので、申し訳ないので、道路から1メートルぐらいの場所に入り、花殻を箒で履いていたら、我が家の土地ですから、入らないでくださいと叱責された。掃除させてもらっているのですがと言ったら、再度、私の家の土地です。入らないで下さいと言った。この人は引っ越して間もなく、横長の鉢一杯に咲いたポーチュラカを切って下さいと言われて花を処分したことがあった。
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◎無窮花の紫玉 二階のベランダより高い。剪定できない大きさになってしまった。
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◎無窮花の宗旦。
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◎無窮花の玉兎。狭い場所で、高く高く伸びるので、写真に収めるのが難しい。
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◎高砂百合。野草だから強い、一本咲いたと喜んでいたのは3年ほど前かも、今年は22個も花が咲いた。
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◎昨夜、ベランダに黒いものが飛んできて、胡瓜の葉に留った。暗くてよく見えなかったが、シャッターを切った中の一枚、蝉だった。
訪ねてくる人もなく、訪ねて行く所もない私を、慰めに来たのかもしれない。
1本の胡瓜の苗を、伸びすぎたと5分の1の値が付いていて、100円で買って植えた。このベランダで一度は、よたよたになってしまったが、面倒を見てあげたら元気を取り戻して、10本以上の胡瓜を収穫できた。今日は3本が収穫を待っている。
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◎火鉢に、3本植えた高砂百合、咲いてくれた。緑の葉は、正体不明、枯れもせず、上に伸びるだけだ。生きようとしているので切れないでいる。

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◎ベランダより屋根に迄伸びて行ったカロライナジャスミンと定家葛。

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屋根にまで這い上っていくので、伐ることにした。ベランダから、精一杯の力を出し、半分ほどに切った。終わった後は身動きも出来ない程に疲れ果てた。1日がかりで半分ほどに切り落としたが、落とした蔓に絡んだ葉の量が
あまりに多くて始末が出来ない。翌日に少しずつ纏めようとしたが、蔓が硬くて、小さく切り分けることが出来ないでいる。たとえてみれば我が家の浴室を天井まで埋めても有り余る量である。

これに、凝りて南側で育っていた羽衣ジャスミンを切ることにした。これは、何年か前にベランダより上に伸び始めた時に切り落としたものだが、切っても切っても、伸びようとするので、可哀想になり網をかけてやったものだ。

ところが、鉢が巣を作っていて、私の左手の甲を蜂に刺されてしまった。鉢に刺されて3度目は死に至ると聞いていた。2度目に刺された時には、タクシーを飛ばして病院に行ったのに、三度目の今回は、両親のお墓も整備できたし、私のお墓も準備できたし、「まあ良いか」と思った。
日曜日でもあったので、そのままに、手元の虫刺されの薬を塗った。手の甲は痛いばかりではなく、熱を持ち、どんどん腫れて行った。

月曜日は、骨粗鬆症の注射の道具と薬を貰いに行く日だった。この注射は2年間続ける。しないと寝たきりになると医師に言われていたが、注射の痛さに耐えられないと断っていたのだが、認知症の妹の面倒を見ることになって、妹から長生きして守ってと言われて始めた。
現在、毎日注射をしていて、月に一度、注射道具と注射液を貰いに行っている。ついでに、蜂に刺された為の薬と塗り薬を処方して頂いた。

蜂の巣は防虫薬のスプレーをかければ良いと言われて、1本全部をかけたのに、蜂の巣は、そのまま残っていて、今度は、私の右足を、再び、鉢は刺した。蜂に刺された時の痛さは、口では言い表せない。その瞬間痛さと驚きで動転する。

この8月は、暑さと蜂に刺されたことで、私の体は、瀕死の状況が続いた。
でも、今日も、死なずに生きている。

成すべきことがある人は、その為の寿命があると言われたことがある。
まだ、私が出来る事が残っているのだろうか?



十月号原稿


アボジの墓地              (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)     


国を奪った日本に

己の骨を埋めない

生地は聖地

終生のアボジの意志


鞭で酷使された炭鉱生活を

口にしなかった憤怒

ひたすら帰国を願い続けた


子孫繁栄祈願の墓地と

土葬の願いを果たす

アボジは民族心を

行動で示した


養子夫婦の早世

アボジの心情は

孫に伝わっておらず

「納骨堂に移そうとしていた」


韓国籍を得て訪韓の私

甥との二度の出会いに

在日朝鮮人の慟哭の望郷を告げる


「お墓を守ります」

甥の英断に、閏月五月二日

納骨堂のオモニは

アボジの傍に移送された

そのかたえに私の墓碑も


父祖伝来の地に

墓碑に刻まれた

    蜜陽朴氏の貞夏乃墓

    族譜に載る私の諱の貞夏

 

       族譜(朝鮮の一族の系譜、家譜)

      諱(生前の実名、生前には口にすることを憚った)

    

  父祖の地に父母のかたえに永眠の床設えき墓碑の輝く










by pcflily | 2017-08-26 11:19 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

好きな色

九月号原稿 (6月詠む)


好きな色 

()() 

(
)

好きな色はグリーン

皆に知られていた

頂いた贈り物は

いずれもグリーン


生地も成長の地も

緑一杯の山村ゆえか

緑に魅入られていた


抵抗の意志の色と知り

ますます好きになって

帽子も洋服も

カーテンも絨毯もグリーン


ふと気が付けば

日記帳も洋服もコートも

いつの間にか

ブルーになっていた


ブルー一色の

南北朝鮮の統一旗

南北の選手が一緒に

行進した日の感激――


統一旗の行進を

直に見たくて

思いを抑えられなくて

アジア大会に参加した


シンボルカラーはブルーの

文在寅大統領の誕生

南北和解の兆しが見える


トレードマークの

グリーンの帽子二十七年を越す

ブルーの帽子を探そう

統一旗の色だ


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◎大統領の官邸・青瓦台の前の道路は長年、通行規制されていた。
文在寅大統領により市民に開放され、その初日に私は訪れたのだった。
景福宮の夜間開放もされた。ソウルの夜の散策スポットとして人気の場所となることであろう。
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◎古宮博物館の展示物。朝鮮王朝の宮中の生活を実感できる。

◎朝鮮王朝実録は1392年7月~1863年12月までの各王代の事績を編纂した古書。編纂は国王の死後に編纂した、全てを事実に即して残すためだったという。清書本一部と活字本3部を作製して、4史庫に文置した。

秀吉の朝鮮侵略により焼失した。日本の朝鮮植民地侵略時には東京大学に略奪し持ち込んでいたが、関東大震災朝鮮人虐殺時に焼失した。
その後何度か再制作している。

日本では李朝実録と呼ぶが、「李朝・李氏朝鮮」とは、朝鮮を独立国と認めないで、天皇家に付属する一介の李氏の王家だという事を意味する。日本側の造語。



by pcflily | 2017-07-30 22:48 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

花と友と

           七月号原稿(4月に詠む)

花と友と

            

しだれ梅の白い花びら

黄色の蒲公英は破顔一笑

春の訪れに紅梅も


桜色の羽衣ジャスミンに

先駆けて咲き盛る

黄色いカロライナジャスミン

塀からベランダまで


金雀枝は花壇をはみ出し

連翹と春の喜びを競う

春は黄色で溢れる


外出嫌いの私の友

最後の一輪が散るまで

語り合う狭庭の花達


独り居の居間を陣取る

胡蝶蘭の鉢十六個

温室もないのに

毎年花を見せてくれた


病を得た妹の為に

飛び回る去年今年

胡蝶蘭は一輪も咲かない


胡蝶蘭が届いた

日比イチさんからだ

昨年の退院の日にも

届いた宅急便


パック入りのお粥

魚と肉とジュースの缶詰

お菓子と果物と手紙

「益者三友」に涙ーー


☆極端に自分の名前が出ることを嫌う日比さんだった。この作品が出てからでは騙したことになると思い、送稿してからすぐに電話をしたら、絶交だと言われてビックリし、このブログにも載せないでいた。けれども、或いは照れだったのかもしれないと思うようになった。絶交されなかった。そればかりではなく、妹の為に苦労したことを知って、慰労したいと熱海のホテルに一泊の招待をして下さった。本当に有難い友達である。

オモニから送られてくる品物のように、こまごまと心のこもった食料も度々、送って下さるのもこの人である。

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◎紅梅、大きな梅を沢山実らせる。この家に越してから小さな苗を植えた。切っても切っても育つ。

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◎カロライナジャスミン、これも小さな苗をい一本植えただけなのに二階のベランダまで伸びて、今年は屋根に向かって伸びるので、私の手では剪定できずに困っている。
壁に張り付いているのは、定家葛、香りのある白い花も咲く。
その左の木は紅葉、5センチぐらいの苗を裏の空き地で見つけ植えたもの。これも切っても切っても伸びる。狭い敷地にあれもこれも小さな苗を植えて、現在は手に負えないでいる。無窮花、薔薇等々も。
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◎送って頂いた胡蝶蘭が終わるころ、我が家の胡蝶蘭も咲き始めた。
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◎挿し木をして3年目の紫陽花、「隅田の花火」すてきな色と容だ。



by pcflily | 2017-07-30 20:47 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

韓国の大統領

八月号原稿


韓国の大統領 

            

長期軍事独裁の朴正煕

財閥育て励んだ

私利私欲の蓄財は計り知れない


朴正煕の莫大な蓄財制作の大統領

光州の民を銃で虐殺した全斗煥

全斗煥を兄と慕った朴槿恵


日米への追従

国民篭絡の朴槿恵

大統領在職中の

蓄財は四十六億円という


朴槿恵は大統領の娘だった

文在寅は行商人の息子

両親は北からの避難民だ


朴正煕の長期独裁は

文在寅を投獄し軍隊にーーー

除隊後の復学も

就職も許されなかった


独学の弁護士・文在寅

盧武鉉と労働者を守る人権弁護士

貧しい人々に自己を捧げた


厳寒の中で

ともしび集会に一七〇〇萬人

国民と立ち上がった

文在寅大統領の誕生


真の民主主義を願う

非暴力のともしび集会は世界の手本

文在寅の願いは

「誰もが幸せになるべきだ」


文在寅大統領の誕生を待ち焦がれたる幾年月ぞ



☆アボジが終生の念願としていた祖国の土になるための墓地の設営と子孫の繁栄を祈ると信じて土葬に拘り、癌を告げられて帰国し医療を拒み自然死を待ち、逝ってから15年の後にオモニも逝った。日本での火葬を終え、韓国に行った時は、一族の納骨堂に納められた。
甥との話し合いで、この6月にオモニはアボジの傍で安らかに永眠できることになった。私の永眠の場所も設えられた。
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自分の年齢と体調を考え、ゆとりをもって宿所の予約をしてあった。見知らぬ人と同じ部屋で眠ることになるが、朝食付きで、日本円で3泊で4200円である。3人部屋だが初日は二人、2日目は私一人、3日目は二人であった。得をした気分だった。
両親への務めを無事に果たし、翌日からは、一人での行動、楽しみにしていたソウルの独り歩きをした。
景福宮の古宮博物館は前回来た時は、時間が足りなくて、ゆっくる見られなかったので、再度訪れた。上の写真は、朝鮮時代の我が先祖の音楽家の発明した編馨。
ゆっくりと鑑賞した後に、私が訪ねた日から始まった朝鮮の包装芸術展をも見ることができた。今回は日本語で説明をして下さる方がおり、私一人の為に丁寧な説明をして下さった。十分に堪能して、外に出たら男性4人組の人が、チョナデ・青瓦台即ち大統領の住む場所を見に行こうと話しているのが聞こえた。その人たちに便乗させて頂くことにした。ちょっと恥ずかしかったが、頑張って声をかけたのは私である。地方からソウル観光に来た人たちであった。快く一緒に行きましょうと言って下さり、写真を撮ってあげる、記念だからと私のカメラを預けなさいと言って何枚か、取って下さった。今までは、入ってはいけない場所であったのに、文在寅大統領が市民に開放した日から、2日目であった場所に入ることが出来た。誰もが椅子に座って電話を持ち、大統領の椅子で記念写真を撮っていた。彼らに勧められ私も写真を撮った。
有意義で楽しい一日を過ごした。
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案内をしてくれた人と。

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後ろの建物は青瓦台
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大統領の執務机
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途中での民家
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写真を撮りお茶までごちそうして下さった人達
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帰る日を水曜日にしてあった。この水曜日デモに参加するためだ。今回も一人で参加してきた。このハングルは(忘れようとしても忘れられるだろうか?)
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参加者は行くたびに驚くほどに増えてきている。この度はドイツから団体での参加者もいらっしゃった。韓国内の地方からも大勢参加している。小学生も大勢いるのだ。
世界中が注視しているのに、日本は逃げ切るつもりなのか。
アメリカでさえ今月八か所目の少女像が設立された。
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by pcflily | 2017-07-21 21:15 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

山田昭次名誉教授

★山田昭次名誉教授  三月号 二〇一二年  (ぱっ) (ちょん) 




(ふぁ)


講演を終えた教授に手渡した

歌集『(しん)()()(りょん)

あの日から十余年、再会はなかった


一方的な「年金機構」の応対

書いていない書類を書いたと言い

証拠の書類を見せればコンピューターの故障だ

こちらに責任はないとあやまらない


四面楚歌の日々

山田教授への便りに

『新日本歌人』の投稿歌と

「日本国と闘う力はないから情けない――」


教授は八方手を尽くし

弁護士の紹介も――

確かな答えは出ないと知り

『世界』に投稿を決断


「日本年金機構への問い」

八十路を越えた教授が

一人の朝鮮人の為に書いた文章

月刊『世界』に載る


一人の朝鮮人への真摯な心

『世界』も示す

在日朝鮮人の同感と感動の

投稿文も掲載された


教授は最後の著書になるかも知れない

本の執筆中だった――

「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後」

「朝鮮人虐殺の国家責任と民衆責任」の追及

 著書は十月に出版され

「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」

日・韓・在日市民により発足された

「平和の灯をヤスクニの闇へ」の集会に参加する為に久し振りに一人で都内に出掛けた。なれない外出で横浜から4時間かかった。
「平和の灯をヤスクニの闇へ」の集会は日本から山田昭次立教大学名誉教授・内田雅敏弁護士、ドイツからパウル・シュナイス牧師、アメリカからダグラス・ラミス沖縄国際大学教員、韓国から李錫
兌弁護士・当事者としての李煕子さん、津波古勝子さん等のお話があった。李煕子さんは、町田在住の時、朝鮮語を知っているからと頼まれ一泊二日の間傍にいてお世話をした事があった時の知人だ。
山田名誉教授、内田弁護士は、私が町田市に住んでいた時、公民館の「朝鮮・韓国を知る」講座の講師の方たちである。公民館に出入りしていて、朝鮮問題を扱って欲しいとお願いしたら、「朝鮮」は四年先だねと言われたけれども、それから四年後に「朝鮮を知る」連続講座が始まることになり、私の息子・李淳馹がコーデイネーターを依頼され、この二人の他に「百万人の身世打鈴」や「おきなわ戦の図・命どう宝」を制作した映画監督の前田憲二さん、「金大中の命を守れ」の救援運動をした在日の人に来て頂いた。その時に知り合った方達である。前田監督には、オモニの遺骨を韓国に届けた後に、景福宮に一人で行った時に、撮影をしていて韓国のテレビ局から取材を受けている時に偶然に出会った。ご縁があるのだろうか?日本で何年も会っていないのにとお互いに手を取り合い喜んだ。人間の縁とは不思議なものである。

あれから十年以上が過ぎている今日も、変わらずに、良心的な活動をなさっていることに感動し、何も出来ない自分の無力を恥じた。

경복궁の王座 この建物の中には入れないが写真は自由だ。
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by pcflily | 2014-08-23 14:45 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

ハングル入門講座講師

★ハングル入門講座講師 ニ月号 二〇一二年  (ぱっ) (ちょん) 


(ふぁ)


「街の先生一日体験講座」講師の依頼

日本・朝鮮の二〇〇〇年の歴史

二メートルの色分け年表を創る

百済の王仁が伝えた千字文

江戸時代の朝鮮通信使――

秀吉の朝鮮侵略と

明治維新後の朝鮮侵略

日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦

満州事変・日中戦争・太平洋戦争

地理的に一番近く

歴史的に一番長い国

日本語に一番近い外国語は朝鮮語

科学的な文字

「ハングル」は世界記録遺産

母音は天・人・地と陰陽五行説を

子音は発音器官の図形化

単純な―(せん)を自在に

多種多様な表音文字

促音・撥音を抱き込み

漢字の表音・表記を一字で表す

地域センター副館長から講師の依頼

私の一日体験講座を受講したという

(ちょん)(ふぁ)流」の学習法を認めてくれたのか

六回コースに成人男女二十六名

最終日に振り仮名なしで

「ハングル」を読みあげた

学習グループを作るという

「差別をしない先生」になりたかった

十四の春「チョーセンは先生どころか
看護婦にもなれないよ」
70年前の担任の言葉が蘇る

ハングルを創成した世宗大王の事を伝える為の世宗文化会館には、20万の大軍の秀吉の朝鮮侵略の時に亀甲船を考案し、大活躍をした李舜臣将軍についての展示もあった。後ろは亀甲船の模型。親子連れが多かった。韓国では現在、李舜臣将軍の伝記映画が映画史上初めての記録的な集客力を見せ、話題にっているなっている。偉大な指導者を求めているのだろう。

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世宗の朝鮮時代に共に活躍したわが朴家の先祖も展示されていた。
朝鮮史5000年の歴史の中の3大音楽家の一人の朴堧
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by pcflily | 2014-08-22 12:15 | 『新日本歌人』 | Comments(2)