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悲しみに暮れている私

七月号原稿

悲しみに暮れている私         (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    宮田哲夫選 


アジア蔑視、女性蔑視

民衆蔑視を主導の

「福沢諭吉」が一万円の顔


「渋沢栄一」は

第一銀行の支店を

1878年、釜山に開設

元山にも仁川にも漢城にも


貸出金は高利貸しを育て

朝鮮の山野、田畑を

日本人の所有とさせた


巨利を得た山口太平衛

輸出税を免れようと

「日本刀を彼らの面前に突き出して大喝一番」

したと誇らしげに話した


米穀と綿製品の買い占め

金銀の吸収に努めた

渋沢の顔を紙幣に載せーー


略奪品を運ぶ為に、

戦争時の利便の為に、

鉄道を敷いたーー


朝鮮侵略の鼓吹者

福沢諭吉の言を実践躬行の

「渋沢栄一」


明治の栄光を思うのか

命令に従う大和人か

元号「令和」と

「渋沢栄一」にはしゃぐ人々

 

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by pcflily | 2019-06-24 08:04 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

奇怪な現実に戸惑う

六月号原稿         選者  奈良達雄 

奇っ怪な現実に戸惑う         (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    神奈川


ニューヨーク州

柳寛順の3・1独立運動を

人権記念日とした


少女像を建立の

カリフォルニア州

性奴隷被害に

「功労賞」を送った


天皇家を崇め奉り

軍隊を持たない国――

戦犯旗の旭日旗を閃かせる


あの戦争の

『日の丸』を守り続ける

ドイツとイタリアは

国旗も変えた


ロシア革命を恐れ

シベリア出兵強行

抑留者の悲劇だけを語る


米国に真珠湾攻撃

世界唯一の被爆国と

被害だけを訴える


歴史の真実を

過去の過ちの真相を

隠蔽し忘却する日本


搾取と侵略の

「明治」の回帰に

歴史改竄のアベ首相

追従し擁護する輩ばかり



☆6月号の選者は、奈良達雄さんだった。選のあとにを読んで、私はびっくりしてしまった。この驚きは、言葉では表せない。

◎朴さんの作品を読むと、日本の支配者たちが過去の侵略戦争や植民地支配に心からの反省がないことを痛感させられる。今日の日韓関係をぎくしゃくさせている最大の原因もそこにある。


ニューヨーク州

柳寛順の3・1独立運動を

人権記念日とした


「朝鮮のジャンヌダルク」とうたわれ、十六歳で拷問による獄死を遂げた柳寛順をたたえる歌。事実だけでなく、例えば朴さんの心からの呼びかけなどを詠ってほしかった。

◎ 名古屋大学名誉教授安川寿之輔氏からの手紙によると、朴貞花さんの「近代日本の「賢者」福沢諭吉を読む」と「福沢諭吉の公言」(ともに『新日本歌人』に掲載)に共感し、日本帝国主義の戦争犯罪・植民地支配犯罪を告発する「在日歌人・朴貞花歌集」の編集・出版を応援したいとある。協会としても名誉なことであり、援助を検討してほしいものである。


◎10センチ程の枝を挿し木したら、五年もたたないのに一階の部屋の高さにまで成長して葉を茂らせ、部屋から、外が見えない状態になったヤマアジサイ。
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〇うまく映せてないが、ドクダミと深山金鳳花が仲良くなって不思議な花を咲かせた。ドクダミは一重なのに八重咲きの姿形の花だ、共生の花の姿だ。
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〇雪の下の花とブライダルベール。いずれも強い花だ。
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by pcflily | 2019-06-20 15:20 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

金福童さん、天上界へ

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五月号原稿

金福童さん、天上界へ          (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川

従わねば家族に

害を与えると脅迫された

十四歳の金福童さん


日帝は戦場を引きずり回した

兵士の性奴隷の幾年月

過酷な記憶は決して消えない


駐韓日本大使館前の

「水曜デモ」

病む日も継続参加

謝罪も賠償もなく逝ったーー


女性人権賞の賞金の全額

紛争地帯の

子供と女性の為の

基金とした           (東日本大地震の被害者への基金もしている)


日本の行政と司法の

差別に苦しむ朝鮮学校を

車椅子の身で尋ね、励まし

奨学金を寄金


九十二歳で癌手術

五日後に

引き止められても

雨の中の一人デモ


人権擁護の闘士となった

金福童さんの心は

国境を越えた

追悼式は世界各国で


弔慰金全てが

彼女の遺志により

女性、人権、平和団体等の

十一か所に寄金される


☆金福童さんには、何度もお会いしている。別れの時の法要と頬ずりも忘れられない。写真がすべて消えてしまった。パソコンにすべて入れてあったのに、パソコンが故障したからだ。本当に残念だ。

☆おかしいと思っていたら、私のパソコンは故障していた。

何年もの間、書き溜めておいた文章も詩歌も写真も、全て消えてしまったのだ。自分の不手際の為に、思うように動かないのかとばかり思っていたのに~~~。

前回に買い換えた時には、今まで使っていた、パソコンに入っていたものが、其の儘、そっくり移動出来たのに、どんなに悔やんでも、覆水盆に返らずだ。

花木の手入れの為に、力仕事の出来る友人がが欲しいと、年長の親友と話していたが、毎日、老齢化が進んで行くことを考えると、パソコンの得意な友人のほうが重要性を持つねとの話になった。

☆昨日の19日にこのブログを書いたのだが、偶然、韓国の新聞「ハンギョレ」に、「第2回金ボクトン平和賞」受賞者、コソボ紛争の性暴力を初めて証言した被害サバイバーのバスフィエ・ぐっとマン氏が受賞者として韓国を訪れた記事が掲載されていた。

女性人権闘士家としての金福童さんの遺志が、このように生きているのである


by pcflily | 2019-06-19 17:13 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

「3・1運動独立運動」100周年に 投稿4月号作品

                   

四月号原稿

「3・1独立運動」100周年に    (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川


「朝鮮人は書物、琉球人は地球儀、  1811年   ロシア海軍のゴロウニン

アイヌ人は無欲、欲しがらない

日本人は滑稽なほど武器に興味を持った   磯田道史の「古今 をちこち」             

日本人の兵備への関心は突出していた 

                    

明治の侵略政策の要に潜入盗測     

朝鮮に忍び込み

朝鮮の精密な地図を作った           1872年

不平等条約の

「日朝修好条約」から             1876年


世界に類がない

公使の皇后・閔妃虐殺

明治の意図的な「征韓」政略

朝鮮に二十八の監獄作り、           1908年   

民族独立に立ち上がった

人々を獄死させた


王宮を日本軍が包囲し

銃で恫喝の「韓国併合」            1910年

米、金、古書、陵墓を破壊

全てを略奪した


朝鮮人の独立への意志、

3・1独立運動は               1919年

誰一人武器を持たなかった


日本軍は「三光作戦」

例外なく発砲、銃剣と放火で

虐殺し、鎮圧した


日本軍の無軌道、ヘイトスピーチにー

かいま見える明治への回帰

ドラマ「いだてん」は

ヒトラーのオリンピックをー


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by pcflily | 2019-05-18 09:50 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

生きる意味 『新日本歌人』3月号 投稿作品


  生きる意味      (ぱっ)(ちょん)(ふぁ)     神奈川


あの青い空の月

あの輝きは

己の光でないという


人も独りでは輝けない

いずれも雲に覆われて

隠されもする


わが苫屋の窓

東に真っ赤な朝日

西の燃える夕陽

白雪の富士山


折々の草花

身辺の叙景歌

叙情豊かに詠みたい


既得権者の暴政妄言暴虐

悲しみ傷つき苦難の

人間と地球


詠う事の根底は

人間の「個」であり

「怒り」であるべきだ

師の言葉を反芻する


善意を信じ

未来を信じ

真実をひたすら

今日も追い求める


この広い地球上で

会えるだろうかーー

ひとつの心の人に


☆『新日本歌人』に既定の会費を払う事により毎月、投稿する権利が出来る。けれども、取捨選択は、選者に任される。

作者が、どんなに心を込めても、選者にその心が届かなければ削除される。あまりにも、選者に私の意が届かない事が多すぎるので、失望する。選者に、選者としての力量があるという事は誰が決めるのかは分からないが、今回も、私の意志は届かなかったのか?届いていたにも拘らず、皮肉を言われたのかは、選者にしか分からない。

この作品の「選のあとに」で「素敵な抒情歌届けて下さい」と書かれていた。私の意図は、そんな甘い事ではなかったのである。


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by pcflily | 2019-05-12 16:14 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

安川寿之輔さんの千葉県松戸市での講演の案内

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隠遁生活の私に今年は、楽しい信頼できる人との出会いが続く。
健康な時には、3度しか会ってないのに、何事も通じ合う、心の通じ合う信頼関係が続いていた友人の権星子さん、癌を患っている事を知り、名古屋まで会いに行って来た。励まされて帰ってきた。介護している息子さんの姿に感動して来た。
権星子さんの生きざまをしっかり見て来たのだと思った。
私が、オモニの身代わりと思っている梅の花も元気なきれいな姿を見せている。
帰宅してから、九州の玉井史太郎さんの、仲立ちにより、安川寿之輔さんと直接の連絡を取ることが出来る事になった。上に案内状を示してあるが、千葉県の松戸市で講演をなさるとのことだ。千葉県の松戸市にの近隣にお住まいの方は、是非参加して頂きたいと思う。今月の2月22日、会費は500円、松戸駅西口から徒歩7分です。
ほくとビル4階会議室です。福沢諭吉への間違った観点を、見つけた有能な方です。
素晴らしいお話をが聞けると思う。是非、是非、時間を作って参加して欲しいと思います。日本の歴史観と、真実の世界が大きく変わる事を受け合います。

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〇梅の木の後ろは隣家、枝垂れ梅なのに土地に余裕がないので剪定して、この姿。
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〇名古屋に行く日の天気予報は雪であったが、朝から晴天。
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〇星子さんは87歳、私は80歳、同胞で私の作品を読んで下さる唯一の友の歌人。

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〇白色の金雀枝、野草でいつの間にか住み着いた。
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〇黄色の金雀枝、私の家の周りに咲き盛る強い花、勝手に住み着いた押しかけ花。
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by pcflily | 2019-02-20 15:13 | アリランエッセー | Comments(2)  

権星子さんの短歌

☆夫の急死で短歌を詠むようになったのは1973年、上京して三年目の12月であった。初めて詠んだ短歌が「朝日歌壇」に入選したことから、気の向いた時に投稿するだけだった。「朝日歌壇」に入選した事で、未知の人であった権星子さんから手紙が届き知り合う事になった。

実際に会えたのは三度だけである。けれども、私にとっては無二の親友となった。共に喜び共に泣ける人である。

権星子さんは私よりも早い時期から「朝日歌壇」の入選者として知られた人であった。近藤芳美先生の「無名者の歌」にも権星子さんの短歌は採り上げられている。

「楡」という短歌誌の会員でもあった。その一部を今回送って下さった。同感する歌が続いている。私のこのブログを読んで下さる人はいるのかいないのか、コメントが全くないので、分からないが、権星子さんの歌を読んで欲しいと思って、ほんの一部を抜き書きであるがこのブログに載せた。まだまだ沢山あるのに、書ききれない。

彼女は現在、病と闘っている。七歳年長なので私の記憶にない植民地時代の生活も経験して、確かな記憶として残っている。

今年の文在寅大統領と金正恩委員長の会談の時は電話で楽しいい会話を続けて過ごした。朝米会談の時も喜びを分かちあったのに、最近は声を聴くこともまれになってしまったので、私の心は沈むばかりだ。

権 星 子さんの短歌

傷跡 (初期作品) 19719

貧しさに耐え易く身を馴らされて花散らす雨に屑鉄を積む

底ごもる苛立ちに花をむしりつつ不意に来る死を拒まぬかとも

たどたどと朝鮮のうたそらんじて吾が知らぬ祖国愛おしむこころよ

母国語を書かず話さぬ吾が支えうたの幾つは夫も知らざる

夜をしげく飲み帰る夫かわれになき豊かなる匂い身に漂わせ

風花        197111月号

みいくさと疑いわざりし少女期よ雪深き峡に炭を運びて

引綱の肩に食い入る峠越え生木の杖の香にむせびにき

風花は頬をやさしく伝い落ちてふくらみ初めし乳房濡らしき

 汗拭ういとまさえなく積み終えて駐車禁止の区間のがるる

好奇の眼浴びつつ心すでに萎え白バイに鎧うポリスに従きて

力こめて縛りし故紙も幾屯か方にいかつき肉育ちいる

錆色の花        19721

「ソンミの芽はすでに朝鮮にありし」と侵略の惨朝日紙は明らかに載す

「殺される側」たりしは二十年前いまチュチェの朝鮮の子らは豊かに肥る

手の甲の腫れ引かぬまま入荷せし故紙幾百キロにに縄かけてゆく

数枚の千円紙幣に不況見すトラック一車の労賃にして

休耕の谷帰化菊群生し浮遊塵被りて錆色に咲く

醜くも諍えば顔をそむけつつ夕餉の卓に子らは食み居り

「楡」にのりし吾が歌に父は悪役と指摘せる次子のこころ恐れき

いのち燃ゆ        19724

異国語たる日本語にて思考する虚しさに捉われしことも幾たび

幾個所の基地の備えは北を向く吾が祖国をも標的となし

主体思想かかげたゆまぬ民なりき化粧せぬおとめの清しき職場

ハンピラァの力走見したかぶりも阻まれし逢いも淡あわと過ぐ

日本の風土に紛れふたつ()に生き継ぐ日々の根付かぬ理由
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権星子さんの病状の回復を祈りつつ—――。
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by pcflily | 2018-12-04 20:23 | アリランエッセー | Comments(0)  

差別語について

驚くほどの速さで今年も12月になってしまった。

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私も会員になっているいる『新日本歌人』は前月の20日以降に翌月号が届く。

昨年の12月号に「北鮮」と言う言葉を使った作品がいくつも掲載されていた。作者本人にとっては何

の抵抗もない言葉であろうが、一言一句を大切に吟味して歌に詠む込む人が使うとはーーーー。

私の胸が痛み始めた。日本人は私達朝鮮人への差別語であることを知らないのかもしれないと思うよ

うになった。そこで、新日本歌人の編集部に、資料を添えて手紙を送った。

けれども、全く音沙汰がなかった。一年を過ぎた現在でも、編集部からは返事がない。

近藤芳美先生の教室で知り合った梅田さんに、この内容を話し、彼女は編集部の一人に伝達をして下

さった。そのいきさつも話して下さったのだが、編集部からは全く音沙汰がなかったのである。

私は、堪忍袋の緒を切った状態になり、10月号に掲載された「透明人間にされた私」を投稿した。


幸いにも、私の作品を誠意を込めて読んで下さる選者であった為に「選のあとで」に取り上げて下さり、励まされた。


「選のあとで」「民主的団体の編集部」は 無視し放置し 未だに音沙汰無しだ

朴さんの作品のいくつかは、一首独立の立て前をとる短歌形式からははみ出ているかもしれないが、内容上無視できないと思い、あえて選歌した。

何を無視されたかといえば、明治期に国策で造語された差別語ーー「北鮮」「半島」など聞くたびに「肺腑が煮えくりかえる」「朝鮮人全員の思い」である。

問題の第二点は次の歌に歌われている。

朝鮮学校への 「行政の差別を司法が擁護」 痛恨の極みのわが思いを 詩情がないと切り捨てる

「痛恨の極み」が「詩情がない」と切り捨てられたのは、プロレタリア短歌が批判されたのを想起させるが、しかしプロレタリア短歌と朴短歌は同じではない。

プロレタリア短歌は実感がとぼしいスローガン短歌だと言われているが(これとても再吟味が必要である)、朴さんの短歌は民族差別のきざみこまれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう。

文字数批判の投稿文 古来の三十一文字を守れと 寄らば大樹・編集長の下

文字数の多さ批判して「古来の三十一文字」を守れという意見に対して、朴さんは不満を述べている。行分け作歌は定型を基準として作歌しているのがほとんどだが、しかし定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している点に注目すべきであろう。


この12月号に、下記の梅田悦子さんの投稿文が掲載された。

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「北鮮」、「北朝鮮」についての一私見      梅田悦子

一九一〇年の韓国併合により「大韓帝国」は「朝鮮」という日本の一地域となりました。植民地「朝鮮」の始まりでした。併合の条約発布の日、日本は勅令をもって「大韓帝国」の国号を廃止して、「朝鮮」と改めました。独立国家の「大韓帝国」から、日本の植民地としての「朝鮮」の誕生でした。各地で強い抵抗運動がおこり、「大韓」や「韓」の語は当時抵抗のシンボルとみなされ、「朝鮮」の呼称の強制がなされました。条約公布の翌日には『大韓民報』は『民報』へ、『大韓新聞』は『漢陽新聞』へと新聞名の変更が行われました。「韓人」が「鮮人」となり、「日韓」は「日鮮」となり、「鮮」の語が植民地政策の進展につれて定着していきました。

韓国併合の祝宴で、初代朝鮮総督・寺内正毅が「小早川 加藤 小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらん」と秀吉の朝鮮侵略に参加した武将たちを忍んだ歌を詠んでいます。日本にとって、韓国併合は、秀吉の「朝鮮征伐」と同じなのです。このような過酷な植民地支配によって、日本人の間で朝鮮民族を見下す目線が急速に広がりました。

「北鮮」という言葉は、韓国併合以降に、日本人が朝鮮北部を指して広く使うようになった言葉で、今の朝鮮民主主義人民共和国を指す言葉ではありません。日本の植民地支配と切り離せない植民地用語です。

一九九一年、広島市で開かれた「国連と軍縮シンポジウム」で、明石康・国連軍縮担当事務次長が、朝鮮民主主義人民共和国の国名を「北鮮」と紹介し、その場で聴衆から「差別語で不適切だ」と批判されました。明石氏に差別的意図がなく、単なる略称として使用したとしても、受け手は略称としてではなく、社会的な文脈の中で理解することになります。「鮮人」などと同じ文脈において、「北鮮」という言葉を差別語として受けとめるわけです。差別表現は、話し手の差別意識の有無の問題ではなく、表現内容の差別性の客観的評価(社会的文脈)で判断すべき問題です。

南北の和解が進む中でも、「だまされるな、核は放棄しないだろう、日本の経済支援を期待しているのだろう」などというマスコミの朝鮮パッシングは続いています。朝鮮半島分断の責任は大いに日本にあるということが、意識の隅にでもあれば、そんなパッシングは出ないはずです。

三八度線は、半島北部は関東軍が、中・南部は大本営が対米戦に備えて引いた分割線でした。そしてそれは、日本の武装解除にあたって、米ソの担当地域を分けるための軍事的分界線とされました。南北分断は朝鮮戦争により起こった事ですが、日本の植民地支配が無ければ起きえなかったことでもあります。したがって、南北和解の動きに対し、日本は、その実現ために協力する歴史的責任があります。しかし、日本政府は真逆の動きをしています。マスコミの報道もこの歴史的責任については言及していません。

あまり深く考えずに、「北鮮」を国名として使うことと、南北融和を冷ややかに見る眼はどこか繋がっているような気がします。そこには、現状認識や歴史認識の甘さが見え隠れします。

日本の新聞が「北朝鮮」と書くようになったのは、拉致問題の後からです。それ以前の新聞は「朝鮮民主主義人民共和国 以下北朝鮮」と書いていました。今はそんな但し書きもなく、「北朝鮮」と表記しています。ひどいときには「北」と書くときもあります。二〇〇三年に、朝鮮の『労働新聞』は「北朝鮮」と呼称し始めた『朝日新聞』を名指しして「わが共和国の国号を歪曲する」と批判しています。昔からの蔑視感情と拉致問題による「反北朝鮮」の世論などが絡み合い、朝鮮民主主義人民共和国には何を言ってかまわないという認識が広まってしまったのです。『赤旗』でさえ「北朝鮮」と書くこの国名表記は一般的になっています。

朝鮮民主主義人民共和国を略すなら「朝鮮」か「共和国」ではないでしょうか。北という文字は朝鮮民主主義人民共和国という国名の中にはありません。この「北朝鮮」表記に関しては「(朝鮮民主主義人民共和国の略称としては)「北朝鮮」か「共和国」にすべきでしょう」『差別語・不快語』(にんげん出版)と「北朝鮮」を容認する差別語解説本もあります。マスコミもほとんど全部と言っていいほど「北朝鮮」表記です。ですから、『新日本歌人』の投稿歌のなかにも「北朝鮮」表記は散見されます。私もこの問題を調べるまでは差別語という認識がなく、何度か「北朝鮮」表記を使いました。しかし、この言葉で不快になる人がいると知ってしまったからには、今後は使わないようにします。

先日、『「北鮮」も「北朝鮮」も使わない短歌を詠まん墨黒々と』という歌を、反省をこめて本誌に投稿しました。

文章を書くのが苦手な上に不勉強な私がこの投稿文を書く後押しをしてくれたのは、朴貞花さんの「透明人間にされた私」(『新日本歌人』行わけ作品・二〇一八年一〇月号)です。

「鮮人と言われたら

 肺腑が煮えくり返る」

 金石範氏の言葉だ」

(在日朝鮮籍作家「火山島」)

  この言葉は

朝鮮人全員の思いだ

「北鮮」「半島」もー

明治期の国策で

造語された差別語を

今なお使い続ける人々

 「選のあとに」に選者の宮田さんが「朴さんの短歌は民族差別の刻み込まれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう」と書いていますが私も同感です。刻み込まれた実感は詩情を生み出しています。「定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している」も同感です。朴さんの歌は定型には収まり切れないエネルギーがあり、そこが彼女の歌の魅力になっています。

 「鮮人と言われたら肺腑が煮えくり返る」のは朝鮮人全員の思いであるのに、今なお私たちはその言葉を使い続けているのです。侵略という国策で造語された言葉を傷つく人がいるのも知らずに歌に詠みこんでいるのです。

 福沢諭吉は「武力をもって朝鮮を保護し、文明国へ誘導しなければならない」といい、憲政の神様と言われた犬養毅は「世界で一番卑しい朝鮮」といい、新渡戸稲造は「政治的に無力で、経済的にも自立できず、知識欲もない朝鮮民族のような女性的で薄弱な国民」と言いました。明治の日本をリードしたこれら思想家の朝鮮蔑視は国民の中に浸透してゆき、朝鮮侵略の強力な推進力となったのです。

 「今なお使い続ける人々」という告発は痛烈です。侵略戦争への反省も戦争責任追及もほとんどしないまま来てしまった日本人への告発でもあります。

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by pcflily | 2018-12-02 07:16 | アリランエッセー | Comments(1)  

共生ラウンジの輪を広げよう

☆10月25日の近くの中学校の文化祭に参加して、チマ・チョゴリやいつもは家の中で鎮座している人形やタンスの中で眠っているものを、沢山持ち出して展示したが、終えてから、虫干しをしたり、細かなものまでを整理していたら、1日が瞬く間に過ぎてしまった。10月の訪韓の前から決まっていた講演会の他に、決められていた行
事に参加する事になっているなっている事があった。それは、11月11日、日曜日に開催される多文化共生ラウンジのまつりの「みんなのわっフエスタ」に「ハングルを学ぶコーナー」を作る事であった。まだ仕舞い込んでない人形や小物も展示した。男女老若を問わず希望者が多く盛況であったのに場所が狭くて諦めて帰る人も多かった。三度目に漸く、話を聞けた女性は、まだ30代の様だった。中学生は韓国の歌が好きで、言葉を覚えて、原語で歌いたいと言っていた。これは男女を問わずであった。私の知らない歌手の名前や歌を教えてくれた。高齢の男性は、同じドラマを5回も見たと言っていた。現在の政治状況などは、全く関係なく親近感を持っている事が良く分かりほっとした。何年振りかで日本でちま・チョゴリで過ごし、帰路は心配であったが、バスで帰りバスの中では好意的に話しかけてくれる人もいて嬉しかった。
孫の為に買ってきたハングルの勉強に使うこれらの物が、初めてハングルに接する人の為に説明するのに役に立ち成果与えられた場所が狭かったのは残念であった。
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☆翌日からは、毎月、投稿している作品の締め切りを忘れるほど熱心に片づけをしていた。ふと思い出してビックリしたが、集中できない儘に作歌を始めた。それでも、作品の投稿の締め切りになんとか間に合わせることが出来てほっとした。

ところが、今度は、私の病気ともいえる、部屋の模様替えを始めてしまった。家具迄を一人で動かすので、夜になると体中が痛む。でも、気のすむまでやり続ける。子供たちには病気だと言われていた。手伝ってと言えば、小言が返って来るだけなので、言えない。引き出しの中までは、まだ整理出来てないが漸く手を止める事が出来た。
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〇いつの間にか、蔓薔薇のピース・平和も開き始めていた。
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〇これも蔓薔薇のゴールドハニー、忙しくて面倒を見なくとも秋にも咲いてくれた。
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〇伐っても伐っても新しい枝が出る南天、今年も実の大方は鳥が摘まんで行った。
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〇忍冬・金銀花も、伐っても伐っても伸び続けるのは南天と同じ。花が素晴らしい。
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〇寝室からの沈む夕陽、私のカメラでは真の姿を見せられないけどーーー。
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by pcflily | 2018-11-25 15:56 | アリランエッセー | Comments(0)  

多忙な10月が終わった

◎ある日玄関に漸く入り、二階にはそのままでは運べない大きな箱が届いた。あて名は、きちんと朴貞花様とあるのに、送り主の名前がなかった。あて名に私の名前が有るので、息子に開けて貰った。中身は籐の椅子であった。高齢者向けらしく立ち上がる時に、ひじあてに手を付けて立ち上がると、楽に立ち上がれると使用方法が書いてあった。娘に問い合わせたら、二番目の孫が送ったという。転勤で京都に住んでいるらしい。住所も分からず、未だにお礼も言ってない。
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◎韓国に10月3日に出発して、11日に返ってきた。何時ものように、パソコンで安い航空券を手に入れ、宿泊は、ソウル駅から0,7キロメートルというゲストハウスを探した。両親のお墓詣りをする為にはソウル駅から、新幹線のように早い電車に乗るからだ。もう一つの目的は、韓・日の民間の人達で立ち上げて、公的な援助は受けない「植民地歴史博物館」を尋ねるツアーの一員として参加する為であった。
私は経費節約の為に(航空券)一足先に出かけ、帰るのも遅らせたのである。
最初は両親のお墓詣りをした。ツアーの皆さんんと行動をした後は、一人で博物館に通い、詳しく見て勉強をさせて貰った。また、国立中央博物館には何度か行ったのだが、その近くに、ハングル博物館があることを知り一人で訪ねた。夕方6時には韓国居住の友人が宿所に訪ねて来る事になっていたので傍に居た方に「今、何時でしょうか」と聞いた事で、50代の初めと思われるその男性は、宿所迄送って下さり、そればかりではなく、逢いに来た友人もご一緒にと仰って、夕食をご馳走して下さった。
何という事でしょう。今回も又、見知らぬ人の初見の人に食事をご馳走になってしまった。本当に有難うございました。
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〇植民地歴史博物館の資料集
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〇歴史的土地を探査している時に、ある場所で、5,6人の女性がこの人形を作っていた。皆がアンニョンハセヨと声をかけたので私も、アンニョンハセヨと声を掛けたら、何故か、私にだけ、この人形を下さった。ビックリした。どうして私にだけ下さったのだろう。後ろの刺繍入りの小物入れも今回の訪韓で頂いたものだ。下段のスプーンと箸のセットも頂いたものだ。
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◎両親のお墓詣りをすませて、帰る時に、日本の携帯は使えないので、平地の村に下りてから、近くの村人にお願いをして、昨年も今年もタクシーを呼んで頂いた。
当方がお願いをしたのに、初見のその女性は、去年はブローチを下さったが、今年もまた、生栗と茸を下さった。辛子も。私はどうして頂くばかりの人間なのだろう。
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◎近所の中学校の文化祭に町内の婦人部が参加する。誘われて手伝っていたが、朝鮮の文化を知る為のコーナーを頂いた。手持ちのこけしや人形で風俗を知ってもらう事にした。また、横浜に来てからは、全く身に着ける機会がないままに、箪笥にしまい込まれているチマ・チョゴリも一部を展示する事にした。結婚する新郎新婦の衣装と、現在まで誰にも触れさせていなかった私の寿衣、即ち来世への旅立ちの為の衣装も展示した。その上ハングルのすばらしさを知ってもらうコーナーも作り、簡単に覚えられることを、学生たちに知らせる事もした。中学生からの良い反響があり、充実した日々を送ることが出来た。
折り鶴を作ったのはオモニが入院した時に、看病の為に一か月ほどオモニと病室で共に過ごした時に、作ったことがあり、すっかり忘れていたが、この文化祭に参加する事で、折り鶴を作り、出し物を次々と思い付き、それを実現する為に、毎日を楽しく過ごした。毎日のように、幸せで楽しいと電話をしていたので、その幸せを見たいと、千葉から、友人の日比さんが遠路はるばると見に来て下さった。嬉しい思い出が又一つ増えた。今日は町内会の参加者や、役員さんと食事会があってウイスキーも頂き、楽しい一時を過ごした。当日も、今日も久し振りにチマ、チョゴリで参加した。
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◎上記の講演をさせて下さった先生とその会員の方が、朝一番でお手伝いに来て下さって、私を驚かせた。本当に、嬉しい事であった。

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◎本来は、折り紙アートという事で、折り紙で色々な物を作る筈であったが、折り紙を手伝っているうちに、私は、朝鮮の「統一旗」と同じ色を見ているうちに「統一旗」を作りたくなり、皆さんがその色を下さって作る事が出来た。そればかりではなく「祝」のハングル「축」まで作ってしまった。そうして、植民地博物館に持っていき差し上げた。館内を案内されて出てきたら、驚いたことに、受付のカウンターの後ろの棚の中央に飾られてあった。本当に、嬉しかった。韓国と日本の一般の人が力を合わせて10年近くをかけて、こんなに素晴らしい事を成し遂げたことに感動をして、私の感謝の気持ちを表したいと、生来の不器用の見本みたいな自分を顧みずに作り始めたのだった。あまりに苦労をして作ったので📷に納める事も忘れ、韓国に行く時もカメラを持って行くのも忘れてしまったので、写真が残せなかったのが、返す返すも残念で仕方がない。
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◎婦人会の皆さんと9月から折り紙で折り鶴を折り始めて10月25日に展示した作品群。
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◎希望者に折り鶴等の折り方を教えるコーナー。
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by pcflily | 2018-10-31 19:54 | アリランエッセー | Comments(0)