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修学旅行生の土産物を没収した日本国

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十二月号原稿 


高校生の土産物を没収した日本の実態とは?

               (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   

烏はカーカーと

鳩はポッ、ポッと鳴く

日本人は日本語で話す


朝鮮人は朝鮮語を話したい

その基本的な事の為に

朝鮮学校は作られた


朝鮮人は、そして私も、日本に、

自由意思で来たのではない

日本の植民地政策の結果だ


米国の覇権と,利権は 

朝鮮を分断させ

朝鮮人の帰国を阻んだ


分断に日本の罪責がある

謝罪を込めた待遇もなく

朝鮮人への法的排斥を続ける


祖国に修学旅行をした

高校生の土産物を

没収した日本国


拉致問題、北の核脅威ばかりを喧伝 

 (米国は休戦協定違反の核を韓国に配備した)

宗主国の支配地との国交断絶は

世界で唯一、日本だけだ


アジアの平和を招く 

南北の和解に反旗を翻し(分断の利益甘受ける為)

軍事費計上は過去最大の

5兆3千億円超という


☆信頼している友人が入院中で、時々電話を下さるのでいつも、励まされていたのに、病状が芳しくなかったのだ。長い事、声を聴くことが出来なかった。唯一の意思の疎通が出来る同胞女性の友人である。誰も信じられないと鬱の状態が続いて、ブログを書く気持ちにもなれないでいた。彼女の声を聴くと、私はもっと努力をしようと言う気持ちになるのであった。大切な人、権星子さんが今日電話を下さった。嬉しくて、しっかりしなくてはと思うことが出来た。思いがけない事に、今日も又、日比さんからの母の愛のように心のこもった贈り物が届いた。8歳年長の彼女は、娘に送るつもりで送って下さるという。本当に有難い人である。今年ももう残り少ないというより、三時間ぐらいしか残っていない。

「終わり良ければすべて良し」と言うから、今年も私にとっては、本当に良い一年であったとしみじみと思う事が出来る幸せな2018年の大晦日の夜になった。


by pcflily | 2018-12-31 18:32 | アリランエッセー | Comments(0)  

1348回の水曜集会なり

この12月5日の1364回目の水曜デーの日に、性奴隷被害者のキムスンオクさんが逝去された。12月5日は性奴隷被害者の公式謝罪と賠償を求める駐韓日本大使館前で行われている水曜デーの日だ。韓国政府に登録された240人は生存者が、わずかに26人になってしまった。

日本の公式謝罪と賠償を求めて、運動の先頭に立って闘って来たキンスンオクさんは、病を得て入院していた病院でなくなってしまった。

日本は、どこまでしらを切り逃げ続けるのだろうか?

世界記録遺産に登録しようとした記録関連文献は2744件だ。ユネスコ小委員会は「唯一で代替え不可能な資料である」と評価した。韓国、日本、中国等7か国の民間団体が集まって、世界記録遺産登録の決定を促す集会をした。日本は2017年にユネスコの分担金の先送りをした。日本の圧力と反対で手続きを止められているからである。


十一月号原稿  (二〇一八年八月詠)

1348回の水曜集会なり  (ぱっ) (ちょん) (ふぁ) 

  

日本軍慰安婦問題解決をと

39度の猛暑のソウルに

1348回目の水曜集会


「私が証拠だ」と名乗り出た

金学順さん

八月十四日はメモリアルデー

国家記念日となった


「日本軍の性奴隷」を

「日韓合意」を口実に

解決したと拒否する日本


慰安婦問題

在日へのヘイトスピーチ

沖縄住民への基地被害等

人権無視の国――


国連人種撤廃委員会の

度重なる解決要望と叱責に

無視を続ける日本国


日本軍の性奴隷だった

人類普遍の女性人権問題と

世界が謝罪と賠償を求めている


安倍政権を支える半数は女性かもーー

日本のMe Tooも進まない

あいまいと忖度の国らしい


沈黙せず正義を取り返そうと

コンゴ・イラクからも参加した

世界連帯集会

1348回目の水曜集会

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by pcflily | 2018-12-10 15:24 | アリランエッセー | Comments(0)  

権星子さんの短歌

☆夫の急死で短歌を詠むようになったのは1973年、上京して三年目の12月であった。初めて詠んだ短歌が「朝日歌壇」に入選したことから、気の向いた時に投稿するだけだった。「朝日歌壇」に入選した事で、未知の人であった権星子さんから手紙が届き知り合う事になった。

実際に会えたのは三度だけである。けれども、私にとっては無二の親友となった。共に喜び共に泣ける人である。

権星子さんは私よりも早い時期から「朝日歌壇」の入選者として知られた人であった。近藤芳美先生の「無名者の歌」にも権星子さんの短歌は採り上げられている。

「楡」という短歌誌の会員でもあった。その一部を今回送って下さった。同感する歌が続いている。私のこのブログを読んで下さる人はいるのかいないのか、コメントが全くないので、分からないが、権星子さんの歌を読んで欲しいと思って、ほんの一部を抜き書きであるがこのブログに載せた。まだまだ沢山あるのに、書ききれない。

彼女は現在、病と闘っている。七歳年長なので私の記憶にない植民地時代の生活も経験して、確かな記憶として残っている。

今年の文在寅大統領と金正恩委員長の会談の時は電話で楽しいい会話を続けて過ごした。朝米会談の時も喜びを分かちあったのに、最近は声を聴くこともまれになってしまったので、私の心は沈むばかりだ。

権 星 子さんの短歌

傷跡 (初期作品) 19719

貧しさに耐え易く身を馴らされて花散らす雨に屑鉄を積む

底ごもる苛立ちに花をむしりつつ不意に来る死を拒まぬかとも

たどたどと朝鮮のうたそらんじて吾が知らぬ祖国愛おしむこころよ

母国語を書かず話さぬ吾が支えうたの幾つは夫も知らざる

夜をしげく飲み帰る夫かわれになき豊かなる匂い身に漂わせ

風花        197111月号

みいくさと疑いわざりし少女期よ雪深き峡に炭を運びて

引綱の肩に食い入る峠越え生木の杖の香にむせびにき

風花は頬をやさしく伝い落ちてふくらみ初めし乳房濡らしき

 汗拭ういとまさえなく積み終えて駐車禁止の区間のがるる

好奇の眼浴びつつ心すでに萎え白バイに鎧うポリスに従きて

力こめて縛りし故紙も幾屯か方にいかつき肉育ちいる

錆色の花        19721

「ソンミの芽はすでに朝鮮にありし」と侵略の惨朝日紙は明らかに載す

「殺される側」たりしは二十年前いまチュチェの朝鮮の子らは豊かに肥る

手の甲の腫れ引かぬまま入荷せし故紙幾百キロにに縄かけてゆく

数枚の千円紙幣に不況見すトラック一車の労賃にして

休耕の谷帰化菊群生し浮遊塵被りて錆色に咲く

醜くも諍えば顔をそむけつつ夕餉の卓に子らは食み居り

「楡」にのりし吾が歌に父は悪役と指摘せる次子のこころ恐れき

いのち燃ゆ        19724

異国語たる日本語にて思考する虚しさに捉われしことも幾たび

幾個所の基地の備えは北を向く吾が祖国をも標的となし

主体思想かかげたゆまぬ民なりき化粧せぬおとめの清しき職場

ハンピラァの力走見したかぶりも阻まれし逢いも淡あわと過ぐ

日本の風土に紛れふたつ()に生き継ぐ日々の根付かぬ理由
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権星子さんの病状の回復を祈りつつ—――。
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by pcflily | 2018-12-04 20:23 | アリランエッセー | Comments(0)  

差別語について

驚くほどの速さで今年も12月になってしまった。

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私も会員になっているいる『新日本歌人』は前月の20日以降に翌月号が届く。

昨年の12月号に「北鮮」と言う言葉を使った作品がいくつも掲載されていた。作者本人にとっては何

の抵抗もない言葉であろうが、一言一句を大切に吟味して歌に詠む込む人が使うとはーーーー。

私の胸が痛み始めた。日本人は私達朝鮮人への差別語であることを知らないのかもしれないと思うよ

うになった。そこで、新日本歌人の編集部に、資料を添えて手紙を送った。

けれども、全く音沙汰がなかった。一年を過ぎた現在でも、編集部からは返事がない。

近藤芳美先生の教室で知り合った梅田さんに、この内容を話し、彼女は編集部の一人に伝達をして下

さった。そのいきさつも話して下さったのだが、編集部からは全く音沙汰がなかったのである。

私は、堪忍袋の緒を切った状態になり、10月号に掲載された「透明人間にされた私」を投稿した。


幸いにも、私の作品を誠意を込めて読んで下さる選者であった為に「選のあとで」に取り上げて下さり、励まされた。


「選のあとで」「民主的団体の編集部」は 無視し放置し 未だに音沙汰無しだ

朴さんの作品のいくつかは、一首独立の立て前をとる短歌形式からははみ出ているかもしれないが、内容上無視できないと思い、あえて選歌した。

何を無視されたかといえば、明治期に国策で造語された差別語ーー「北鮮」「半島」など聞くたびに「肺腑が煮えくりかえる」「朝鮮人全員の思い」である。

問題の第二点は次の歌に歌われている。

朝鮮学校への 「行政の差別を司法が擁護」 痛恨の極みのわが思いを 詩情がないと切り捨てる

「痛恨の極み」が「詩情がない」と切り捨てられたのは、プロレタリア短歌が批判されたのを想起させるが、しかしプロレタリア短歌と朴短歌は同じではない。

プロレタリア短歌は実感がとぼしいスローガン短歌だと言われているが(これとても再吟味が必要である)、朴さんの短歌は民族差別のきざみこまれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう。

文字数批判の投稿文 古来の三十一文字を守れと 寄らば大樹・編集長の下

文字数の多さ批判して「古来の三十一文字」を守れという意見に対して、朴さんは不満を述べている。行分け作歌は定型を基準として作歌しているのがほとんどだが、しかし定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している点に注目すべきであろう。


この12月号に、下記の梅田悦子さんの投稿文が掲載された。

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「北鮮」、「北朝鮮」についての一私見      梅田悦子

一九一〇年の韓国併合により「大韓帝国」は「朝鮮」という日本の一地域となりました。植民地「朝鮮」の始まりでした。併合の条約発布の日、日本は勅令をもって「大韓帝国」の国号を廃止して、「朝鮮」と改めました。独立国家の「大韓帝国」から、日本の植民地としての「朝鮮」の誕生でした。各地で強い抵抗運動がおこり、「大韓」や「韓」の語は当時抵抗のシンボルとみなされ、「朝鮮」の呼称の強制がなされました。条約公布の翌日には『大韓民報』は『民報』へ、『大韓新聞』は『漢陽新聞』へと新聞名の変更が行われました。「韓人」が「鮮人」となり、「日韓」は「日鮮」となり、「鮮」の語が植民地政策の進展につれて定着していきました。

韓国併合の祝宴で、初代朝鮮総督・寺内正毅が「小早川 加藤 小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらん」と秀吉の朝鮮侵略に参加した武将たちを忍んだ歌を詠んでいます。日本にとって、韓国併合は、秀吉の「朝鮮征伐」と同じなのです。このような過酷な植民地支配によって、日本人の間で朝鮮民族を見下す目線が急速に広がりました。

「北鮮」という言葉は、韓国併合以降に、日本人が朝鮮北部を指して広く使うようになった言葉で、今の朝鮮民主主義人民共和国を指す言葉ではありません。日本の植民地支配と切り離せない植民地用語です。

一九九一年、広島市で開かれた「国連と軍縮シンポジウム」で、明石康・国連軍縮担当事務次長が、朝鮮民主主義人民共和国の国名を「北鮮」と紹介し、その場で聴衆から「差別語で不適切だ」と批判されました。明石氏に差別的意図がなく、単なる略称として使用したとしても、受け手は略称としてではなく、社会的な文脈の中で理解することになります。「鮮人」などと同じ文脈において、「北鮮」という言葉を差別語として受けとめるわけです。差別表現は、話し手の差別意識の有無の問題ではなく、表現内容の差別性の客観的評価(社会的文脈)で判断すべき問題です。

南北の和解が進む中でも、「だまされるな、核は放棄しないだろう、日本の経済支援を期待しているのだろう」などというマスコミの朝鮮パッシングは続いています。朝鮮半島分断の責任は大いに日本にあるということが、意識の隅にでもあれば、そんなパッシングは出ないはずです。

三八度線は、半島北部は関東軍が、中・南部は大本営が対米戦に備えて引いた分割線でした。そしてそれは、日本の武装解除にあたって、米ソの担当地域を分けるための軍事的分界線とされました。南北分断は朝鮮戦争により起こった事ですが、日本の植民地支配が無ければ起きえなかったことでもあります。したがって、南北和解の動きに対し、日本は、その実現ために協力する歴史的責任があります。しかし、日本政府は真逆の動きをしています。マスコミの報道もこの歴史的責任については言及していません。

あまり深く考えずに、「北鮮」を国名として使うことと、南北融和を冷ややかに見る眼はどこか繋がっているような気がします。そこには、現状認識や歴史認識の甘さが見え隠れします。

日本の新聞が「北朝鮮」と書くようになったのは、拉致問題の後からです。それ以前の新聞は「朝鮮民主主義人民共和国 以下北朝鮮」と書いていました。今はそんな但し書きもなく、「北朝鮮」と表記しています。ひどいときには「北」と書くときもあります。二〇〇三年に、朝鮮の『労働新聞』は「北朝鮮」と呼称し始めた『朝日新聞』を名指しして「わが共和国の国号を歪曲する」と批判しています。昔からの蔑視感情と拉致問題による「反北朝鮮」の世論などが絡み合い、朝鮮民主主義人民共和国には何を言ってかまわないという認識が広まってしまったのです。『赤旗』でさえ「北朝鮮」と書くこの国名表記は一般的になっています。

朝鮮民主主義人民共和国を略すなら「朝鮮」か「共和国」ではないでしょうか。北という文字は朝鮮民主主義人民共和国という国名の中にはありません。この「北朝鮮」表記に関しては「(朝鮮民主主義人民共和国の略称としては)「北朝鮮」か「共和国」にすべきでしょう」『差別語・不快語』(にんげん出版)と「北朝鮮」を容認する差別語解説本もあります。マスコミもほとんど全部と言っていいほど「北朝鮮」表記です。ですから、『新日本歌人』の投稿歌のなかにも「北朝鮮」表記は散見されます。私もこの問題を調べるまでは差別語という認識がなく、何度か「北朝鮮」表記を使いました。しかし、この言葉で不快になる人がいると知ってしまったからには、今後は使わないようにします。

先日、『「北鮮」も「北朝鮮」も使わない短歌を詠まん墨黒々と』という歌を、反省をこめて本誌に投稿しました。

文章を書くのが苦手な上に不勉強な私がこの投稿文を書く後押しをしてくれたのは、朴貞花さんの「透明人間にされた私」(『新日本歌人』行わけ作品・二〇一八年一〇月号)です。

「鮮人と言われたら

 肺腑が煮えくり返る」

 金石範氏の言葉だ」

(在日朝鮮籍作家「火山島」)

  この言葉は

朝鮮人全員の思いだ

「北鮮」「半島」もー

明治期の国策で

造語された差別語を

今なお使い続ける人々

 「選のあとに」に選者の宮田さんが「朴さんの短歌は民族差別の刻み込まれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう」と書いていますが私も同感です。刻み込まれた実感は詩情を生み出しています。「定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している」も同感です。朴さんの歌は定型には収まり切れないエネルギーがあり、そこが彼女の歌の魅力になっています。

 「鮮人と言われたら肺腑が煮えくり返る」のは朝鮮人全員の思いであるのに、今なお私たちはその言葉を使い続けているのです。侵略という国策で造語された言葉を傷つく人がいるのも知らずに歌に詠みこんでいるのです。

 福沢諭吉は「武力をもって朝鮮を保護し、文明国へ誘導しなければならない」といい、憲政の神様と言われた犬養毅は「世界で一番卑しい朝鮮」といい、新渡戸稲造は「政治的に無力で、経済的にも自立できず、知識欲もない朝鮮民族のような女性的で薄弱な国民」と言いました。明治の日本をリードしたこれら思想家の朝鮮蔑視は国民の中に浸透してゆき、朝鮮侵略の強力な推進力となったのです。

 「今なお使い続ける人々」という告発は痛烈です。侵略戦争への反省も戦争責任追及もほとんどしないまま来てしまった日本人への告発でもあります。

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by pcflily | 2018-12-02 07:16 | アリランエッセー | Comments(1)