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『もう一人の力道山」李淳馹一族の出版記念祝賀会

毎朝、目覚めて一番の楽しみはパソコンで韓国の新聞を読むことだ。昨日は、力道山の事が、載っていた。その内容は、私の息子が北朝鮮迄行き調べて書いた渾身の力道山のノンフィクションの内容そのものの様であった。

力道山について息子の李淳馹が『もう一人の力道山』として出版したのは、1996年4月だった。小学館の21世紀国際ノンフィクション大賞に応募し、最後の5作品に残ったが副賞さえもらえなかった。再度の応募の朝鮮学校のラグビー選手についての『青き闘球部』も最後の5作品に残ったが、受賞は叶わなかった。息子は、自分の作品の力量不足だと言ったが、私には、そのように思えなかった。息子が応募した時だけ、2名の副賞が選ばれなかったからである。私の知っている限り、副賞がなかったのは息子が応募した時のこの二度だけである。事情は分からないが私の息子は、その後、ノンフィクションに挑戦することをやめてしまった。

それでも、「もう一人の力道山は、小学館で単行本として出版することになった。
小学館の編集部では、原稿を見るまで信じなかったそうであるが、著名な船戸与一さんが「解説」を書いて下さった。「新たなノンフィクション文学の誕生である」と締めくくって下さった。
ところが,内容は良いが【「半島」「半島人」の差別表現あると、関係団体が抗議、第5刷から指摘部分を「韓国・朝鮮人」「在日朝鮮・韓国人」へ改め、巻末で謝罪文を掲載。【「差別語不快語・にんげん出版」より】ことほど左様に理解をしている人たちである筈の人でさえ、事実とかけ離れている。
後に「もう一人の力道山」は文庫本も出版されている。

小学館の出版記念会に『世界』の責任者であった安井良介さんから手紙が届き、小学館から出版記念会の招待状が送られてきたけれど、その日に四国で講演が決まっているので、欠席せざるを得ないとの事だった。そうして、シクラメンの鉢植えがお祝いにと届いた。そればかりでなく別便で手紙も届いた。その後には自著の『自画像の描けない日本』を何冊か送って下さった。「もう一人の力道山」の著者としての息子の李淳馹の新聞記事があったと、お母様に似てらっしゃいますねと添え書きをして送って下さったりした。安井さんの手紙は、巻紙に筆で書かれたものであった。安井さんから頂いた手紙は何時も、巻紙に筆で書かれていた。

〇安井さんから贈られてきた『自画像の描けない日本』
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〇安井さんから贈られてきたシンビジュームの鉢植え。花にはご自分の手でお名前がかかれた札が付いていた。その頃のシンビジュームは高価な花であった。
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私の一族が集い、出版記念祝賀会を開き喜びを共にした。私は七人姉妹なのでその結婚式や甥や姪の結婚式などで集う事が多く、最後はカラオケで遊んだが、この日はカラオケの事などは忘れて、朝鮮の未来について遅くまで話し合い盛り上がった。
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〇応募した時の審査員の中に活字にするなと言った人がいたが、若い編集部の人達がせめて2000部だけでも良いから本にしたいと企画し、許可を貰うための書類が上部に行くほど部数が増えて、何万部もにまでなった。表紙は写真のように見えるが油絵で、最初は画家がそんな無名の人のものなど描かせるなと言ったけれど、兎に角読んでから決めて下さいと編集部の人が話して、読んだ後にその画家の態度がすっかり変わって真剣に描いた良い物が出来上がった。背表紙の顔まで別に書いて下さり、その絵を息子にプレゼントして下さった等と、この本が出来るまでの色々な裏話を説明したので、祝賀会は大いに盛り上がった。
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〇左は私の朝日歌壇賞を頂いた私の為に娘が花束を贈ってくれている。
〇右は朝日歌壇賞と、安井さんからの手紙について説明している妹達。
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〇下段、安井さんの手紙を読んでいる私。書道の師範を取ったと言っていた妹が安井さんからの手紙を読むと言って、読み始めたのにあまりにも達筆な草書なので、読めないと言いおりてしまったので、私が読むことになって読んでいる。
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〇安井さんの手紙にはこの「朝銀東京信用組合」の後援会の集いで話をした私の事をはっきりと覚えていると書かれていた朝日歌壇の私の歌も注目して読んでいたとのことであった。でも、この日に会った私が朝日歌壇で見る朴貞花と同じ人間とは知らなかったとのことだ。
朝銀東京の後援会の集いで、講演をなさった安井さんのお話の内容に感動をして、私はお礼が言いたくて、晩餐会の時に安江さんの所に行きお礼の言葉を言って戻るつもりであったのに安井さんが座りなさいと引き留めて下さって、しばらくお話をした。朝銀の支店長などが挨拶に次々と来たのに、私を引き留めて下さった。今、考えると不思議だが、或いはチマ・チョゴリ姿のお陰かも知れないと思うようになった。歌舞を公演する専門家以外ではチマ・チョゴリ姿は何時ものように少なかった。朝銀東京信用組合女性後援会の集いであったので、参加者は女性が多く800名ほどであった。
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〇上の写真は同じテーブルの人達、左は朝鮮高校の校長の奥さん、漢方の医師の奥さん、町田支部の専任職員文局長朝鮮新報の配達をしていた。
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〇下の左は安井さんから、花を贈られた後に、お礼の手紙も書けずにいた時に知らせが届き講演会に出席した時に紹介された人、「世界」に匿名で韓国の様子を知らせて来た手紙が掲載されていた作者。李御寧さんは韓国の文化部長を歴人し、『縮み志向の日本人』や『ふろしき文化のポストモダン』いう本も出版した。安江さんに紹介されてお会いした記念に撮った写真の一枚が送られてきた。そして、左は、当日の「朝鮮新報」から派遣された記者、我が家の嫁さん。
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〇今年も月見草が星降りし如く、裏庭に沢山咲きました。居間に持ち込んでも咲く。
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〇壁を這い上がる定家葛の花を咲かせるために日が当たるように、無窮花の枝を横に倒したのに枝を伸ばし、花をつけてくれた。強い花だ。
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by pcflily | 2018-07-25 18:15 | アリランエッセー | Comments(0)  

『あらくさ』短歌の同人誌

☆就活の為のアルバムの整理を始めたが、遅々として進まない。
中学生の多感な少女時代に、占いで、30歳まで生きられたら、儲けもんと言われた。だから、その前にこの世から消えると信じていたのに、今年の秋には80歳になる。
普通に結婚をし、現在は子供2人孫5人曾孫1人になっている。
ずっと、長生きは出来ないと信じたお陰で、「明日はないかもしれない、今を大切に」をモットーにここまで来た。こんな占いを信じて、それを口にしてきたのは、少女時代の解決されない差別感から逃れられないで、自殺を願っていたのに,その勇気を持てなかったので、占いに身を任せていたのだと思う。結果的には本当に良かったと思う。
ここまで生き延びたのは、沢山の人が私を助けてくれたのであって、自分の力で生きてこられたのではないと、常々私は話してきている。
ある日、短歌教室で受講生の一人が、朝日新聞社発行の『短歌朝日』を下さった。その中には朝日歌壇に入選していた私の詠んだ歌について書かれていたからであった。

「脳内革命」「チョコレート革命」革命の日本の空に米機の轟音
乳飲み子を抱きて集う同胞のここより他に拠りどのなくて

の2首が取り上げられていた。『あらくさ」発行人の武藤雅治さんであった。1999年の事であった。武藤さんの事を始めて知る事になった。
その後、下の写真の短歌雑誌などに私の歌について、度々、書いて下さってその
本を送って下さった。
そればかりではない。私に講演の依頼をして下さった上に、『あらくさ』に私の長い長い話を講演「在日朝鮮人の思い」として文書化して掲載して下さった。そればかりではなく、「評論」を「光としての他者」朴貞花の歌を読んで―を掲載して下さった。1頁に2段を6頁であった。私の姉妹はこれを読んで「一様に驚き、この人は本当に日本人なの」と電話をかけて来た。それほど、朝鮮人を理解した嬉しい内容であったのである。武藤さんは、色々な人、主に歌人に本を送り、帰ってきた感想文を纏めて送って下さった。姉妹にこれも送ったのだが、日本人の読後感は有難い言葉を沢山下さったのに、同胞の有名な歌人の李正子さんの感想に怒っていた。面白いものである。何故なら、要は私の話にケチをつけた否定的なものであったからである。

〇『あらくさ』と私の事を書いて掲載された月刊雑誌を送って下さった。
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〇「あらくさ」の会員たちのバスを貸し切っての「上毛の旅」に私も誘われて参加した。高句麗の里。
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〇渡来人が銅を見つけ「和同開珎」がは行された秩父にも寄った。
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〇群馬県には沢山の古墳がある。騎馬民族の住みついた所だ。



by pcflily | 2018-07-19 17:10 | アリランエッセー | Comments(0)  

念願の平和協定よ

〇目覚めてすぐに今から空を見たら朝日が昇って行く所であった。つい📷を出したが、私のカメラではあの赤い色が出ない。説明書を読めば分かるのかな。
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〇昨夜に咲いた月見草、大松宵草が正式の名前と言うが、この花を見ると、月見草がぴったりだ。2012年の神奈川歌壇に入選の歌は
「この夏の大松宵草の星明り思いて空き地に苗を植えゆく」だった。
この歌の掲載新聞を町内会長に見せて近所の嫌がらせを止めることが出来た。
名札を付けて私が植えた花を全て抜いていた老爺も、何もしなくなったので、瓦礫だらけのこの空き地が現在は花一杯になった。
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〇二つの月見草の歌を知ることが出来て、口遊んでいる。月のしずくを吸って咲くと言う歌詞があるが、この花を見ていると本当にそうだと思える。黄色と言えば少しきつい印象を受け、嫉妬の色だと聞いたことがあるが、月見草のほんのりと優しい黄色を見ると私も優しい心になり優しかった人達の思い出に浸る事が出来る。
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〇我が家の裏にこの小さな坂道がある。道はコンクリートであるが両脇が瓦礫の空き地だ。私にとって最高の贈り物になっている。通行人は、私とマンションに変える時の息子だけだ。10年以上かかったが私の花園になった。空き地を見ると花を植えたくなる。私の病気かも知れない。近所の交番と公園に、許可を得て花を植え、漸く根付いて安心して、ちょっと一休みしたら、何れもごっそりと引き抜かれていた。高齢な私の為に、手入れが大変だと、誰かが抜いてくれたのだろうと思う事にした。

〇足元に広がる冬でも緑の葉が枯れない蔓日草。
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〇息子は車の駐車に邪魔だと言っていたが、今年は小さい車にしたので、日陰にならなくなった花と私はご機嫌だ。訪韓の時に頂いた百日草が今年は家の前も後ろも横にも一杯咲いている。
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〇壁を這う定家葛の為に無窮花の枝を左に引いたので横になった枝に花を咲かせ、玄関前を明るくしている。一日花なので、朝一番に散った花柄をかたずけるのが習いになっている。
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〇急にドドンドドンと大きな音がするので音がする方を見たら、花火が上がっていた。写真にはきれいに映らないが暫し夢の世界に浸った。これは土曜日の写真だが、日曜日にも花火は挙げられた。カメラは出さずにじっくりと、見る事を楽しんだ。何の祝いの花火が挙げられたのか知らないがーーー。嬉しく幸せになった。
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八月号原稿 (五月に詠む)


念願の「平和協定」よ     (ぱっ) (ちょん) (ふぁ

   

米国は休戦協定を

一方的に廃棄し

韓国に核を配備した   

   ( 一九五八年配備・一九九一年撤収)


国際法を無視した

ブッシュ大統領の

核先制攻撃論

米国の暴走は誰も止めない


金大中大統領の訪朝に

歓喜した日々

廬武鉉大統領の訪朝も続き

南北の硬い扉は開いた


李明博大統領は南北の

扉を閉め

朴槿恵大統領は

鍵をかけた


民衆の

キャンドル革命が生んだ

文在寅大統領の

平和希求の「板門店宣言」


「休戦協定」を廃棄し

「平和協定」を年内に

南北民族の共存と繁栄の訪れだ


南北民族の意志を

米国が握り潰す

銃を突き付けられて

握手を出来る筈はない


三八度線の非武装地帯

世界遺産への道が待つ

北東アジアの平和に繋がる


米国の掌中にある念願の南北同胞の「平和協定」




by pcflily | 2018-07-15 22:32 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

2011서웉国際老人文化藝術祭

☆2011年10月25日から27日にかけて、韓国に行こうとの誘いの通知が届いた。8年前に、浅草で突然司会を頼まれた高齢者日本NGO会議からだった。海外に行くことを何度誘われても出かける気持ちは起きなかった。「朝鮮籍」であると海外に自由には行けない。韓国なのだからと、何度も言われて仕方なく、もしも、許可が出たなら行くと返事をした。横浜の領事館に申請に行くと領事館の部屋に一人、呼び出された。北に親族もいないのに何故韓国籍にしないかと言う。私は、現在の韓国政府を信じないからだ。統一する迄待っていると言った。しばらくの間、会話をした後に「私が許可を下ろさなければ怒るだろうね」と言う。私は「いいえむしろ有難いと思います。私は豊かな生活をしていないので経費もかなり掛かるので、行きたくないけど、韓国と日本の親睦の為の会だからと何度も誘われて、断り切れずに行ってみようかと思っただけです。でも、日本人のこの親睦会に、はっきりと話します。「韓国は民主化されたと言っても、私のような何の力もない人間にさえ訪韓の許可をしない国である」と報告します」と言って帰ってきた。自宅から、近いので、30分もかからないで家に着いた。我が家に帰ってきたら、、留守電に許可が下りたとあった。これも、決して忘れられない経験である。

〇訪韓しての最初の日の夕食は、韓国側からの招待の歓迎で豪勢な晩餐会、記念撮影をし、豪勢な料理に舌鼓を打った。
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〇韓国側の女性が民謡を歌い、踊りだす人も出て来た。朝鮮民族は古来から、歌舞を好むと中国の古い本に出ている。民族の血が騒ぎ、私も踊りだした。
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〇踊るだけでは収まらず、歌も歌ってしまった。
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〇翌26日は韓国全土から集まった人々で一杯の大会場で芸能祭が開かれている会場に行った。日本から参加した人は20名に満たなかったが、壇上で半纏を着て鉢巻をして漁師さんの格好にし、日本の民謡に合わせて、エンヤコラと掛け声をかける単純な踊りと、朝鮮の童謡の우리나라 꼭(私の国の花、無窮花)を歌った。メロデイーも歌詞も単純で簡単なものを朝鮮語で歌うと言う。驚くほど日本語的な発音なので私はびっくりして、ついそうではないなどと意見を言ってしまった。そうして、代表として挨拶をさせらることになってしまった。本日、参加した人は普段は遠く離れて暮らしています。日本の全国から集まって韓国に来ました旨の話をして最後は韓国式の挨拶をしたので、参加者に喜ばれた
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〇次の26日は、観光バスで見学をしたが、韓国側の役員の方が案内をしてくださり、豪勢な昼食もご馳走して下さった。
その上に夕食にも招待された。韓国の人は本当に懐が広いと言うか、太っ腹である。ピンクの衣装の人は韓国の人、実は私は日本人ではないのですと話して打ち解けた。
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〇私の左は日本側の代表、右が韓国側の代表、その隣の人は日本に来た時の元代表。ここに立つ前に韓国側の人が言い争いをしていた。通訳が(観光バスのガイドさん)いるのに何を言うのかと現在の会長と事務局長が双方とも譲らない様であった。後で分かった事だが、事務局長が私を通訳にすると言っていたとのことだった。結局、私がここに立たされ通訳を仰せつかった。韓国側は、来年は日本でやるようにと提案しているのに、日本側は出来ないと断り続けていた。最後に日本側の代表は、日本に帰ってから相談をして、返事をするとの事で収まった。
この後に、韓国側の人は皆で、バスに乗るところまで送って下さった。私の通訳をあんなに反対していた韓国側の会長は、店を出てから、バスの中に入るまで、手を掴んで離さずに最後のあいさつの通訳をするよう言った。この時は私が通訳することを反対していたことを知ったので、断ったのに手を放さないので、言われる儘になってしまった。
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〇参加証として立派な盾が送られた。ずっしりと重い盾だ。
2011서울国際老人文化芸術祭 参如記念碑「日本高齢者NGO会議 上坪陽」

私は会員でもないし日本人でもないのに、飛行場でこの盾を私に持って行けと言う。いくら断っても持って行けと言う。私が貰わないなら、捨てると言わんばかりだった。韓国側にあんなに心を込めた接待を受けていながら、一体、どういうことなのか?捨てられてしまっては申し訳ないと、預かったが、この時には日本の会はもう、壊れていたのだろう。その後、何の音沙汰もなく、解散されたようだった。
韓国の人たちは、どんなにか、がっかりした事だろうと思う。今でも、胸が痛む。
会長の黄仁漢様はじめ会員の皆様、申し訳ありません。名刺も頂いてないので、お礼のお手紙も差し上げられませんでした。
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by pcflily | 2018-07-09 17:54 | アリランエッセー | Comments(5)  

アジア高齢者文化祭

2003年11月27日・28日浅草公会堂で行われた。アジア高齢者文化祭。
朝鮮が植民地にされていた時代に日本に留学していた朝鮮人、中国人、日本人の学生仲間が仲良くすることでアジアの平和に尽くしたいという意志で作られた人達の親睦の会であった。最初は中國で、二度目は韓国で、三度目が日本でこの親睦会が行われた。お互いの国の歌や踊りを見せあって一緒に食事をして親睦を高める趣旨である。
私は会員ではないのに、短歌で知り合った日比イチさんに韓国から来られた方達の面倒を見て欲しいと頼まれた。少しでもお役に立つならと出かけて行った。浅草で宿所を探し、一泊二日の行程となった。友人が一度はチマ・チョゴリを着てみたいと言っていたので、2着をスーツケースに入れて行った。
韓国から来られた方のお世話をしていたら、突然、マイクで呼び出された。指定された場所に行ったら、通訳をしてくれとのことであった。そんな力はないと断ったのだが、韓国語の出来る人がいないので困っていると言われ仕方なく承諾した。三か国の人が集まっているので各国の演出物の説明をするとのことであった。韓国から来られた人の為に、中国のものと日本の物を説明する。通訳を仕事にしている若い人は日本語と中国語しか出来ない。韓国語は出来ないとのことで、仕方なく引き受けた。二日間の公演と最後の日の夜の晩餐会である。晩餐会では、私は殆ど食事は出来なかった。この会に参加している人たちは三度目の出会いなので知人がいる。言葉は通じなくとも、お互いにお土産などを準備してきており、会話も交わしたからである。人間は、その現場に立ち会うと力が出てくるのだろう。自分でも信じられないぐらい韓国語が出来て皆さんのお役に立てたのだった。それにしても、こんな大舞台で司会の一部分をさせて頂けたことは本当に記念すべきことである。私が話しても、誰も信じない事であろう。オモニにも、ビデオを見せながら話したのであった。

〇誰が何時写したのか分からないが送られてきた写真の中にあった。笑顔がない。
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〇日本の出し物が一番寂しかった。皆さんで歌を歌った。中国の出し物は本職の人かと思うほど、素晴らしく、量的にも圧倒的に多かった。韓国は高齢者の趣味らしくそれなりに充実していた。写真は日比さんから贈られてきたものなので、他の国の出し物はない。
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〇二日目の晩餐会、日比イチさん。彼女はこの会の会員で、中国、韓国、ロシア、
など世界旅行をしていた。国内の各地も一人でも出かけていた。行動力のある人との印象を持っていた。8歳も年長だという事は今年初めて、知る事が出来た。
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〇中国と日本の通訳の人と、日本人の司会は二日の間に4人で交代をした
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〇日比さんの友人と出会いの記念写真
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〇私の同胞は宴会の時は必ず皆で踊りだすが、この時も全員で踊った。
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私が赤いリボンをつけている様に見えるが、この時に赤いリボンはつけていなかった。今回、アルバムにある写真を写した時に、パソコンのマウスが反射してこのような写真になった様だ。カメラの扱いをよく知らない私はビックリする事ばかり。
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〇私を中央にして写せたと何度も喜んで話して下さった。この時が最後でフイルムがなくなったと、今もあの時の驚きを話す日比さん。私が赤いリボンをつけている様に見えるが、この時に赤いリボンはつけていなかった。今回、アルバムにある写真を写した時に、パソコンのマウスが反射してこのような写真になったようだ。ビックリ。
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by pcflily | 2018-07-08 18:23 | アリランエッセー | Comments(0)