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『五行歌』の巻頭言と差別語について

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我家の枝垂れ梅は満開で早いものは散り始めている。梅の花はオモニを思い出させる。厳冬に耐えて春一番に花を咲かせるが、花時が短い。そして梅の実を残してくれる。この家に引っ越した記念に植えた。悲しい事には、狭い場所なので、やむを得ず剪定を繰り返し、枝垂れる姿はあまり見る事が出来ない。
〇枝垂れ白梅
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「新日本歌人」の作品の中の同じ月に三人が、「北鮮」の文言を入れて読んだ歌が選者に選ばれて掲載されていた。作者も、選者も知らないので使ったのか?
そうであろうと、資料を添えて差別語であるので、進歩的な「新日本歌人」で掲載する事は止めてほしい旨の手紙を出した。作者を含め、それぞれの選者が知らないのかと、私としては全く納得がいかなかった。資料を添えて投函したのだが、未だに何の音沙汰がない。友人の梅田さんとの会話で、「横浜歌会」で話してみると言って下さったが、編集部に参加している人に聞いたが、知らないと言われたという。誰かが、読んでいる筈なのに、放置したのか?廃棄したかのどちらであろう。この話を聞いて私は憤懣やるかたない状態になってしまった。
〇夕焼けの富士、雪の富士山もカメラにおさめたのに出てこない。
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気晴らしに出かけた図書館で「五行歌」の月刊雑誌を見つけて、拾い読みをした。最初に驚いたことは『五行歌』は月刊誌であり、400頁以上の分厚い本だが、その中の最優秀作品の歌が、表紙にも載せてある。ところが、1月号の表紙にも印刷されている歌は、朝鮮人にとっては知らない人がいない程、日常的に使われている文言だった。
「行くことば 美しくて こそ 来ることば 美しい」  作者・もといち
「가는 말이 고와야 오는 말이 곱다」 寸分違わぬ、直訳そのものだ。
私の持っている『朝鮮の諺』は、朝鮮で出版された687頁の単行本である。この本にも載っていた、確かめる程ではない位に人々に言い古されている諺である。かつての朝鮮のドラマを見ると子供の会話にも諺が入っていた。
〇月食
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『五行歌』 1月号 巻頭言 草壁焔太 抜き書き。

俳句、短歌は日本短詩の一部である。「風雅の誠」は芭蕉と焦門が、挙げている言葉。日本の文化史をたどっても、求める方向が「風雅」であった。
しかし、五行歌を展開してきて思う事は、「風雅」の中では狭すぎるのではないかという事であった。
私たち五行歌人は、「真実」そのものを表している。一つは世の進歩によって学問的な真実の幅の広がったこともある。うたびとも「知らない」ではすませないことがあまりに多く、それについても、発言の義務がある。短歌、俳句が狭いと実感して来た真の理由は、私たちが表したいものが「風雅の誠」という枠から抜け出した「まこと」そのものだったからなのだ。
そして、そのまことは、真実という意味も強いから「誠」という字を使わない。
五行歌の長い戦いは、気づいてみると、そこにあったのだ。がむしゃらにつかみだそうとしていたのは風雅の誠」を突き抜けた「まこと」だった。
うたびとよ、すべてのまことを詠っていこう。

『五行歌』 2月号 巻頭言 草壁焔太 抜き書き

歌はあくまでも私情であるという態度を打ち貫いた人が良い歌人となったと私は考える。私の勝手な欲だが、どうしてもこうしたいというのが、歌の本質で、他人の歌をもじっていくらか変型してかくというような貧弱なものであるはずがない。しかし、日本の和歌は戦国時代から明治維新まで400年にわたって「我」のない借りもの、教養文芸を続けた。正岡子規はこれをとっぱらおうとした。
五行歌とは、その新しい手がかりをつくったものだ。この詩型では、自由の中で、自己決定せねばならない。ひとのものをなぞって作れるものではない。だから難しいのである。
同感した。本当に嬉しかった。

〇冬の朝
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古い手紙を見つけて会いたいと思った人の消息が分かった。私が、二人の子供を抱えて高卒の人と試験をして合格通知を頂き働いた「朝銀」の同期と言っても、私よりずっと年少の友人(神奈川在住)に電話をしてみた。福島県喜多方で、朝鮮人部落と呼ばれていたところから来て入った同期の人に聞いてみる事にした。我が家で両親が働いていた人の娘とは連絡を取り合っていた。彼女は、直ぐに問い合わせてくれた。二人は同期生としてその後も連絡を取り合っていた。手紙の主は、その彼女の母方の従兄だという。
現在は山形県に住んでいて、男の子は医師になり、女の子は造り酒屋に嫁入りしているということだった。帰化をしているようだという。結婚をして幸せな家庭を築いているというその人に会いたいとは言えなかった。手紙の事を話したら、我が家で結婚させようとした人だったのでしょうと言ったが、その人との結婚の話は、私の記憶には全くない。


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by pcflily | 2018-02-20 20:37 | アリランエッセー | Comments(4)