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歌集『身世打鈴』出版以降の短歌

歌集『身世打鈴』出版の移行短歌

1998年10月5日   朝日新聞  島田修二選

  1. 原爆を落としし米国推したりきノーベル平和賞に丸木夫妻を 

評 日本人という枠を外して、相対化して見る目が歌を生かす。第1首、原爆の日本への投下を正当とするアメリカにあって、丸木夫妻を平和賞に推した学者を指す。作者が在日であることもさらに暗示的だ。


1998年10月26日   朝日新聞  近藤芳美選

◎「脳内革命」「チョコレート革命」革命の日本の空に米機の轟音


1998年11月8日   朝日新聞  近藤芳美選

乳飲み子を抱きて集う同胞のここより他に拠りどのなくて



1999年1月号 「未来」 入会の初作品 20人集に選ばれる


◎20世紀の三大悪事を描きたり丸木夫妻は人間の眼に


◎ハングルの説明文をも備えおく丸木美術館「原爆の図」は


◎虐殺されし朝鮮人の「痛恨の碑」詣でるものなく鳳仙花盛る


◎米軍の基地に守らるる日本の北のミサイルの一発に騒ぎ立てて


◎北朝鮮のミサイル発射を特集せり米軍のミサイルに触るることなく


◎ミサイルのニュース流れてその朝を隣家の主婦は黙秘権使う


◎ミサイルが話題になればどうすると同胞の友ら電話かけくる


◎婚家にてひとり守れる朝鮮籍 娘のおゆびの赤き鳳仙花



☆歌集『身世打鈴』を出版したのは、還暦の年であった。両親の結婚70周年を祝う筈であったので、私は自分の還暦祝いはしないで、自分史をまとめようと短歌とエッセーを整理していた。近藤先生の勧めで歌集を出版することになった。

アボジは癌と判明してから火葬を嫌い、すでにお墓も作ってあった韓国で土葬を願い、、祖国の土になるのだと、韓国に行って暮らしていた。私は朝鮮籍であったので、韓国に自由に行けないでいた。必ら、ずアボジを結婚70周年を祝うために、日本に連れてきてくれると言った妹はは約束を守ってくれなかった。

結局、歌集はアボジに見せることが出来なかった。

30歳まで生きられたら、儲けもんと言われたことを私は忘れることが出来なかったので、この歌集が最初で最後の歌集であると思っていたが、古希と言われる70歳を迎えた時に、それまでの作品をまとめ始めていた。

けれども歌集に仕上げることは出来なかった。

今年は77歳の喜寿だった。また、整理を始めたが何もできないままに年末を迎えることになったしまった。

17年前は「知らぬが仏」で近藤先生のお薦めのままに、歌集にしてしまったが、現在は、相談する相手もなく応援をしてくれる人もない。

このブログに、少しずつ載せていこうかなと思い始めた。

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○「近藤先生と行く沖縄の旅」誘われて仕方なく参加したのだが、忘れられない良い良い思い出の旅になった。

  過去はすべて、美しい。見えない未来は不安だが~~~~~。


○近藤先生と東北の旅。先生の短歌の歌碑が出来たお祝いに行く。
近藤先生は古代史の話がお好きであった。もっと、早く知り合い、親しくなっていたなら、もっとたくさんの話を心置きなくすることが出来たのにと思う。残念で仕方がない。
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by pcflily | 2015-11-30 21:09 | アリランエッセー | Comments(2)  

青き闘球部 李淳馹・東京朝鮮高校ラグビー部

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●写真は息子の李淳馹が2007年に出版した本である。

92歳になったオモニを姉妹の反対の中で、自宅に連れてきて介護をしていた時であった。
ある日、息子が出来たよとこの本を私に差し出した。一言も、何も聞いていなかったので、本当にびっくりした。東京朝鮮高校の闘球部(テゥグブ)のことを書いた本であった。
以前、『もう一人力道山』が「小学館ノンフィクション大賞」の最後の5作品にノミネートされたが無冠であったように、この『青き闘球部』も最後の5作品にノミネートされながら、無冠であった。息子がノミネートされたときは、何故か二度とも副賞がなかったので私は不信感を持ったものである。(毎回、副賞とすて2作品が選ばれている)

それでも、『もう一人の力道山』は曲折を経ながらも小学館から出版され、増刷もされ、文庫本にもなった。
力道山を知らない人はいないぐらいの有名人であったからでもあったろうがあらゆる新聞や雑誌などに紹介され、内田牧子さんは最近のノンフィクションの中の3本の一つになると褒めたたえたほどである。

「青き闘球部』は出版されるとは聞いてなかった。小学館からではなくポット出版であった。
思いがけなく出版されたことが嬉しくて、オモニの介護をしている多忙の合間に、本を自分で相当数買い込み知人に贈呈を続けた。短歌を詠む友人や知人が多いので、ラグビーの本はあまり歓迎されなかったかも知れない。
けれども、最後の補填の「朝鮮高校を知るために」
--日本に生きた1世の歴史から、次なる世代の未来へーー
については、お手紙を下さった人が異口同音に、知らなかったことを知ることが出来たとお礼の言葉を添えて下さった。今回再読をして私の涙腺が活躍した。
在日朝鮮人のひたむきに真剣に生きる姿が重なったからである。
『もう一人の力道山』も『青き闘球部』も私達が読むときには自分の事、そして、在日同胞のことに重なってくるので、誰もが泣いてしまうのだと思う。

同胞の中でも、サッカーには関心を持っていたが、ラグビーの方にはあまり関心を持たない人が多かった。今年は五郎丸さんの活躍があり、ラグビーにも関心を持つ人が随分と増えたようである。

大阪朝鮮高校は何度も(7度目)花園に出場したことがあるが、東京朝鮮高校はまず花園に行くことが夢であった。その夢にかけて励んだ高校生が、もう一歩のところで花園出場権を逃した時のことを書いたものが『青き闘球部』であった。
審査員は朝鮮高校はもっと荒れている筈だ、きれいすぎると言ったそうだが、それは朝鮮人は荒いという先入観からくる差別感からの言葉だと私は思っている。

今日の私はテレビにかじりついていた。東京朝鮮高校が今日の試合で優勝すれば花園に行けると聞いたからだ。けれども4度決勝戦に出場できたが、優勝できなかった。今日は5度目の挑戦である。
試合は初めから東京朝鮮高校が優勢に見えた。でも、結果が出るまでは分からない。
何も出来ないままに、テレビの中の試合を見続けた。

朝鮮高校の選手は、殆どが高校からラグビーを始める。少ない生徒の中から選手になるから日本の高校と比べれば、人材不足であることを知らない人が多いと思う。

そんな中で頑張った子供たちの中に私の孫もいた。そうしてラグビーをしていたお陰で帝京大学に合格し、来年は社会人になる。テレビの中に高校生と喜びを分かち合う孫の姿も見ることが出来た。

今日の試合の結果は「29対10」悲願の勝利であった。花園への切符を手に入れた東京朝鮮高校生。創部以来40年目に`初めて花園に行く切符を手に入れた。おめでとう。長い事夢をあきらめずに頑張りましたね。本当に有難う。私も幸せを分けて頂きました。

1988年のソウルオリンピックが開催されても、朝鮮高校は公式戦への出場は許されていなかった。公式戦への出場が許されたのは1994年だという。

東京第1地域の花園出場高校の久我山高校は12対12だったので、籤引きで決められたそうです。
東京都の代表として、東京朝鮮高校と久我山高校が花園に行くことになった。

もし、花園への出場が果たせたならーーーとして、息子の著書『青き闘球部』の最後に、息子は
次のように記している。

東京都民が、いや日本中の人々が、東京朝鮮高校ラグビー部を、東京の代表として受け入れてくれるのか。その事実を事実として素直に受け入れてくれた時、私は、日本に住む在日朝鮮人のひとりとして、日本に生まれ、日本に暮らすことを誇りに思うだろう。多くの日本の友人や知人に囲まれ、在日朝鮮人としてこの社会に生きることを。
私はいま、その日は必ず訪れるという希望を持っている。

8年前の私の息子・李淳馹の希望は叶えられているだろうか?
ヘイトスピーチなる言葉は、8年前には私の耳には届いていなかった。

朝鮮高校生と在日朝鮮人のこの日の喜びの記事は、我が家に配達された朝日新聞には、一行も書かれてなかった。当然のことなのだ。何をか言わんや。

   朝鮮高校ラグビー部のコーチとて子が話しているテレビの中で  佐々木幸綱選
        2003年1月27日  朝日歌壇

 日曜も祭日にも一人暮らしの私の家を訪ねることのない息子に冷たい人間と不満を持っていた。
ある日のテレビの中での息子の姿を見て、初めて東京朝鮮高校ラグビー部のコーチをしていたことを知ることになった。胸のつかえがとれた瞬間であった。中学も高校も大学も日本学校に在籍していた息子が、朝鮮学校のために時間を使っていたことを知り、心からの喜びを感じた日であった。
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by pcflily | 2015-11-08 21:35 | アリランエッセー | Comments(2)  

70年談話の補修

十二月号原稿。

「七十年談話」の補修       朴 貞 花    神奈川県

日・ロ戦争は
アジア侵略に狂奔する
帝国日本の礎を築いた

朝鮮と中国・アジア諸国に
植民地支配と奴隷化
搾取・虐殺・拷問・生体実験
2000万の死者をだした

日本軍は女性を強制的に
性奴隷とし強姦し
ありとあらゆる苦痛を与えた

数多くの資料と証言と当事者の証言、
最高権威の歴史学研究会は
「日本軍の関与の下で強制連行されたことは
確固たる事実」と答えた

日本軍の加害を言わず
被害者慰安婦を
人身売買と侮蔑した

歴史歪曲に固執し
加害の主体に触れないまま
玉虫色の言葉遊びと
欺瞞を繰り返した

謝罪をしない。
後世にも謝罪をさせないと――
安倍首相の七十年談話は
アジア蔑視だ。

過去の蛮行を公式謝罪し
再発防止を誓うべきなのに
戦争のできる国へと
逆走している

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●1センチにも満たない虫が白い蝶を捕まえ運んでいた。蝶はもう死に体であった。
この地球上の生き物はいずれも強者のものなんだなあと思ったことであった。花にも強者と弱者があって、強い花はどんどん子孫を残していく。

今日(11月7日)のNHKテレビに、沖縄の佐喜眞美術館の館長さんが出演されていた。懐かしい人である。送られてきた美術展のポスターを見ても、沖縄まで見に行くことは出来なかったが、麻雀荘のお客さんが一人訪ねて下さったことがある。

長い戦いをなさっていらっしゃるのに、負ける気がしないと仰っていた。
落ち込んでいる私も、この言葉を聞いて少し元気が出てきた。この地球上には、闘い続けている人がたくさんいることを思い出させて下さった。

by pcflily | 2015-11-07 19:50 | アリランエッセー | Comments(2)