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山上憶良を慕う

山上憶良を慕う  2015年 7月号  朴 貞 花
    

相聞の歌より

時代の問題提起

弱者への思いやり

幼への慈愛

貧乏と生活苦を歌い上げた

山上憶良こそ

ただ一人のヒューマン歌人

散文的、解説風、

情趣に欠けようと――

その魂から迸る思索と正義の歌

抒情性なく

韻律なくとも

歌うべきことを歌っている

軽んじられることはない

万葉集に数千の歌

貧窮者の世界と実情を

訴える歌は憶良だけ

老身・重病

死生問い呻吟する

人間の苦悩詠いき

憶良の歌を学びし日

子は馳せ帰り朗誦したり、

オモニを理解できたよ

「金も銀も玉も何せむに――」

亡国の渡来人憶良、吾もまた――

悲しみ苦しみ窮まる日

口遊みきぬ

「飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」

☆東北大震災が起き、原発事故が起きた時、あまりの惨状に驚き、原発を作り続けたことへの怒りで、短歌を作れなくなった。
悠長に、余情のある詩的なものを作っている場合でないと思った。
天災である地震は、人間が止めることを出来ないが、この地震国に原発を安全だと次々と作るとは何事かと思った。私も嘗ては、反対運動に加わったことも有った。
何事も、あいまいにが美徳と言う国。先の戦争責任のけじめを付けずにあいまいにしていることが、このような結果を産んでいると思ってしまった。私には何の力もない事は承知の上であったが、この後に「行わけ作品」を作るようになった。書きたいことを、思うがままに書き始めた。直ぐに批判されるようになった。リアリズムがあると言えるのかとか、文字数が多いとか、批判が相次いだ。
2014年6月には、編集長が編集後記に、今月の「6月集」の朴貞花さんの行分け作品について、選者からの推薦作品とされているので掲載したが、短歌作品としての議論が必要ではないか。忌憚のない発展的な議論の提起をしたい。と書かれた。
これは、私をまな板の上の載せてみんなで捌こう(裁こう)と、言っているのだろう。その意見は、誌上にはまだ載っていない。編集長は、短歌を作っている人だ。
「6月集」に推薦して下さった選者に対しても失礼なことではないかと思った。脱会するべきかと思ったが、三人の選者が何度か「月集」に推薦して下さっており、励まされて、現在に至っている。
その批判に対する答えの作品が今回の「山上憶良を慕う」。

○ジャカランダの一房。

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○ジャカランダ、本当に大きい。
世界三大花木(ジャカランダ、カエンボク、ホウオウボク、)
神奈川歯科大の庭で。
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○足元に、こんなに小さいけれど綺麗な花を咲かせ、私も見て下さいなと言っていた。
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○30年前に御嬢さんがこの大学を卒業なさった、私に優しい友人に誘われて。
最高の美味しいお寿司をご馳走して頂いて楽しい一日であった。
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by pcflily | 2015-06-26 21:28 | アリランエッセー | Comments(2)  

雨に咲く花

1971年、ショッパーに初めての投稿。「ショッパー」は町田市にあった小さな広告専用の新聞、この時に掲載されたことで、その後に私は、投稿するようになたのかもしれない。
◎薔薇二題と同級会

疲労で寝込んでしまった私に一年生になったばかりの娘が自分の小遣いで薔薇の花一輪を買ってきた。花屋さんに買いに行ったら、お金が一輪分しかなかったけれど、病気で寝込んだお母さんに上げたいと言う話を聞いて、花屋さんは一輪だけど、リボンを付けて下さったという話。また、妹の一人が、私の夫が亡くなったばかりだったが、嫁に行ったばかりで葬儀に来れなかったので、せめての気持ちと薔薇の香の天花粉?を送ってくれた話。二十五年ぶりの同級会の事を書いたものも掲載された。けれども、原稿を紛失してしまった。『ショッパー』も廃業した。

1977年5月

◎「雨に咲く花」  町田市原町田 朴貞花

しとしとと降る雨の中でけなげにも美しく咲く紫陽花。熱い太陽の下で、青い空の下で咲く花も見事だけれど、梅雨空の下、雨の中でこそ映えるあじさいは、なんとも言えぬ魅力を感じる。

幼いころ、泣き虫とあだ名で呼ばれたほど泣いてばかりいた私。そんな弱虫の私がこの見知らぬ土地、町田に来てはや七年目。夫を亡くし、二人の子を育てなければならなくなった。その子供たちも兄は高校生、妹は中学生になり、二人とも我が背丈を追い越してしまった。

花の色の変わるのは美しいけれど、人は変わりなく平凡でありたい。及ばぬこととあきらめましたと始まる「雨に咲く花」という歌の雨に打たれて泣いている花は、やっぱり紫陽花でしょうか?私の住むビルの四階の窓から見える紫陽花は、今年も精一杯咲いてくれるでしょうか?

☆この文章を読んで友人の金美連さんがピンクの紫陽花の花の鉢植えを届けてくれた。アジサイを見ると私を思い出すと言っていた。もう一人の友人の張琴蓮さんは次のような歌を教えてくれた。
 紫陽花の色は変われど君思う 一筋の心とわに変わらじ  

初めての原稿料は5百円、後に千円になった。ちなみに「朝日新聞」の場合は、50円の葉書が10枚であった。

☆結婚した娘が、母の日に送ってくれた花の紫陽花は白色であった。大切に何年も育てていたが、現地に引っ越しをして来たときに大きくなりすぎて掘り返せず、挿し木をしたが、うまく根づかず思い出に残るだけの花になってしまった。牡丹の花もこの家にはなじまず枯れてしまった。

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○一昨年に15センチほどの枝を挿し木したもの、去年は花を見せなかったが、水色の優しい色合いが私の心を穏やかにさせてくれる綺麗な色の花を咲かせてくれた。長身の花形になったので、横からは花を移せないので、二回のベランダから写した、花の色が鮮明に出ていない、本当の色が出ないので残念。


1977年9月1日(木曜日) ショッパー「あのことこのこと」

◎「私のふるさと」  町田市原町田 朴貞花

部屋の壁も、道路も、お隣さんもすべてコンクリート造り‘冷たい顔。土のぬくもりの中、緑の草いきれの中で育った私にとって、どうしょうもなく故郷の山川が恋しくなる日がある。でも一万円の交通費、それに時間等々――。この小さな肩には重荷です。けれども、素敵な所があるのです。百四十円を持って近くのお風呂屋さんに行きます。ゆったりと湯船につかり、さっぱりとした気分で出ると、此処にわが夢の故里があるのです。春には野のすみれ、かたくりの花、ついこの前までは  ピンクのねじ花、今は撫子、釣り鐘草、、、、、、四季折々に咲く野の花の庭です。

カタン、カタンという樋の音、埴輪の馬それにお地蔵さんも。

お庭の持ち主の方に、心の中で「有り難う」と言います。

◎薔薇二題と同級会

疲労で寝込んでしまった私に一年生になったばかりの娘が自分の小遣いで薔薇の花一輪を買ってきた。花屋さんに買いに言ったら、お金が一輪分しかなかったけれど、病気で寝込んだお母さんに上げたいと言う話を聞いて、花屋さんは一輪だけど、リボンまを付けて下さった話と妹が私の夫が亡くなったばかりだったが、嫁に行ったばかりで葬儀に来れなかったので、せめての気持ちと薔薇の香の天花粉?を送ってくれた話と二五年ぶりの同級会の事を書いたものも掲載された。けれども、原稿を紛失してしまったのでない。『ショッパー』も廃業した。

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二階の南側のベランダに、絨毯の様に分厚く生い茂った忍冬、野生の花だから生命力が旺盛だ。金銀花とも呼ばれるように白色から黄色に変わる。優しい匂いと小さな素敵な形の姿の花を沢山咲かせてくれる。
山国育ちのせいなのかと思うが、身辺に、緑が無いと落ち着かない。家の周りばかりでなく家内にも緑が一杯だ。草木を相手にしていると時間を忘れ、疲れも感じず癒される。私の唯一の楽しみである。
麻雀荘を経営していた時には、4階建てのビルに住んでいたが屋上に土を運んで貰い、故郷の思いでの花の藤や月見草など沢山の草花を育てていた。




by pcflily | 2015-06-14 14:03 | アリランエッセー | Comments(4)  

李容洙さんと歴史学者百八十七人の声明

八月号

李容洙さんと歴史学者百八十七人の声明     朴貞花

日本人将兵の輪姦と拷問の

後遺症に苦しむ

李容洙さん

初見の私達に

話題は尽きない

「儀軌」返還に尽くした

慧門さんとの会話に繋がった

五十八歳で大学入学

大学院まで進み

国際法・歴史を学んだ

訪日と訪米の証言

闘い続けた幾十年

先に逝ったハルモニ達の

恨をも抱きつつ――

今年も訪米の李容洙さん

その願いも、会見も、

国内の歴史学者の意見も、

完全無視の安倍首相

スローガンを連呼していた

ヒットラーの姿にダブる

安倍首相の詭弁と欺瞞

「米国合同会議での演説」

七日後の首相への警告状

日・米・欧の歴史家

百八十七名の集団声明が熱い

植民地支配と

侵略の歴史を直視せよ

日本軍の性奴隷の強制を認め

謝罪し責任を取れ
    世界の声は届くのか?


○戦争と女性の人権博物館、前列右から三人目が李容洙さん

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○駐韓日本大使館の前、亡くなる人、病気の人が増えて来ている。此処に来て、抗議できる人が減ってきている。今回は二人のハルモニだけであった。
○右側は金福童さん、過去にマンデイㇻ氏やキング牧師も選ばれた「自由のために戦う英雄100人」に選ばれた。「水曜集会」に毎回出席していた。
(2015年6月1日・朝鮮日報)



by pcflily | 2015-06-01 11:32 | アリランエッセー | Comments(2)