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歌集『身世打鈴』

1999年6月号 未来 (原稿依頼あり)CROSSTALK

  歌集『(しん)()()(りょん)』                     朴貞花

 儒教の国、朝鮮では還暦を迎えれば父母への孝行の責務は果たしたことになるという。心身共に虚弱児であった私は、三十歳まで生きられたなら儲け物だと言われた事を忘れる事が出来ない。それ故に、思い切った行動に出ることがある。

近藤先生のお言葉があったにしても、自分の未熟さを顧みずに歌集『身世打鈴』を上梓することに踏み切れたのはこのことも一つの遠因になっていると思う。

 上京して間もなくのことであったが、在日朝鮮人の存在にすら気が付かなかったという人に幾度か会った。

 一人が一人を理解することから始めようと思って、私流の草の根運動のようなことをしていた。けれども、暖簾に腕押しの状態ばかりで挫折して、短歌に救いを求めて、近藤先生に師事することになった。

 近藤先生に巡り会えたことは、私の人生にこの上ない幸せを運んでくれた。

 歌集を出せば一人歩きをするのよと、先輩の歌友から言われた事をしみじみ思っている。歌を詠み続ける自信もなく、生涯一度のこの歌集『身世打鈴』を十年、二十年かけて知り合った方に読んで頂こうと思っていたのだが、瞬く間に、減っていく。もっと驚いたことは多くの方々が心を込めた感想文を送って下さるのである。福島民友新聞は「ひと社会面」で取り上げて下さった。多数の同胞や親族からは感謝の言葉をたくさん頂いた。

 『身世打鈴』は、私ばかりでなく、私の親族や同胞の喜怒哀楽を背負って歩いていく。未熟な歌集を読まれることを恥ずかしいと思っていたのだが、今は一人でも多くの方に読んで頂いて、朝鮮人のことを理解する人が増えて欲しいと思っている。

 昨年の『世界』十月号の金石範氏の“いま「在日」にとって「国籍」とは何かを読んだときには、私の思いを代弁してくれていて涙を抑えることが出来なかった。

『身世打鈴』は同胞にとって、その様なものであったのかもしれない。

☆「身世打鈴」を上梓したお蔭で、この歌集を読んだ福島県の日刊新聞「福島民友」の記者が、お話を聞きたいと連絡があったが、私は幼い時の事は、何も覚えていないと、実家に行って頂いた。
「ふくしまの100年」の連載記事になり、後『20世紀ふくしまの100年』として267頁の豪華な本が出版されている。
子供の時に言われた「30まで生きられたらもうけもん」の言葉が大人になってからも私を支配していた。(或いは、この言葉に逃げることで、現実の辛さに耐えていたのかもしれない、現状は長く続かないと――)朝鮮人の青年の集まりで裏磐梯に一泊で参加した時に、誘われてボートに乗り、降りる時に全員が一度に立ち上がったせいか、ボートがひっくり返り湖に沈んだ。泳げない私は「その時が来たのだ」と水に身を任せたら、自然に浮き上がり助けられた。助かろうともがいた人たちは、翌日の登山に参加できなかったのに私は参加できた。
女の厄年と言われた33歳の頃に顔面をプロパンガスの炎で火傷した。目・鼻・口だけをわずかに残して包帯に包まれた。その日も「いよいよ、その時」と思ったが、奇跡的に全治した。プロパンガスに点火出来ない時期がしばらく続いた。その後の私は春夏秋冬、帽子を離さなくなった。お洒落で帽子をかぶるようになった訳ではない。
この火傷の半年後に子供を連れて家出をし上京できたのも、遠因はここにあるのだろう。
刹那主義が身に付いているらしい。思い切ったことを度々するのだった。明日はないかもしれない、「今」しかないと思うのだ。

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「未来」        1999年4月号  原稿の依頼あり

鳳仙花

1999年4月号    未来  朴貞花

 夕方から雪になるかもしれないという天気予報を聞いて不安がなお募る。一月十五日「未来」の新年歌会である。入会をしても歌会というものに一度も参加したことがない。

 情けないことであるが、長年の習性で私は大勢の日本人の中に入っていく時には、ちょっと身構えてしまうのである。勿論、相手方がなんとも思ってないにしても当方の気持ちが変わる訳ではない。

 無事に過ごせますようにと、心で祈りながらエレベーターから出たところで、カルチャーの田中さんに会い救われた気持ちになり、ご一緒させて下さいとお願いした。

 会場に入るともう九分通りの出席者が着席していた。全国からこんなに沢山のひとが一堂に会する「未来」の魅力を実感できた。

 普段は印刷されたお名前でしかお会いできない人達に、こうして直接おめにかかれる有意義な日であったのだ。

 一五四名の詠草、五名のパネラーによる十五首選、近藤芳美先生の講演など盛り沢山のプログラムにもびっくりしてしまった。時間内で次々と的確な言葉で指摘されていくことに感心した。時間が少ないせいか想像していたより、優しく簡単に反対意見もあまりないような気がした。それだけ、良い歌がそろっているという事でもあるのだろう。

 一億の地雷の埋まるこの星を美しいとか青いとかって  飯沼 鮎子

 十五首選で二名の方に推されたこの歌に私は同感した。

 予定していなかった懇談会に出席することにした。歌集を出した人には、一言挨拶をしてもらいますと司会の方から言われて、下手の長話はしないようにと思ってマイクを持った筈の私は、初参加の「未来」の新年歌会に興奮したらしく、朝鮮の歌曲「鳳仙花」を歌ってしまったのである。統一朝鮮の再生と私自身の再生を念じていつも、口遊んでいた歌が溢れ出てしまったらしい。

○昨年、挿し木して始めて咲いた連翹、朝鮮語を学び始めた時に出た単語の一つ、実物を見るのは何年もたってからだ。アボジの葬儀の為に訪韓した時には連翹も桜も堂々と広がって咲いていることに驚き、大陸的な陽気な歌の好きな朝鮮民族であったからこそ、数多くの侵略から生き延び、言語も残せたのだと思った。私の連翹をどこまで大きく広がり咲く姿を見ることが出来るだろうか?私の身体の賞味期間が残り少ない。

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○温室がないので、冬の低温から守る為に段ボールを繋いで暖を取っていたが、胡蝶蘭が次々と咲きだして段ボールに納まらなくなった。寒さも和らいできたので夜は窓辺から離して、座卓の上に避難させている。それにしても、花は手をかけることに負担を感じさせない。決して裏切らないからだ。

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○春は黄色い花が多い。横浜に越した時には孫娘の好きな黄色のつる薔薇を植えた。この薔薇が昨日一輪今日二輪咲いた。何時の間にか春になっている。
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by pcflily | 2015-03-31 07:50 | アリランエッセー | Comments(2)  

日本軍第14連隊「陣中日誌」



日本軍第十四連隊「陣中日誌」 七月号 二〇一〇年



オークションに陽の目を見たる「陣中日誌」日本軍の実態明らかとなる


韓国の軍隊を強制解散させ義兵撲滅に日本軍派遣す


軍資金六万円と食糧費不足は民より略奪なすと


見取り図と戦闘模様殺傷者の名前も戦果と陣中日誌は


義兵等は首魁・暴徒と詳細に射殺・銃殺の経過を記す


義兵等を(かくま)う村は焼き尽くし(ひそ)める灰燼と化す


正規軍に一掃せられし義兵等の闘いを知る百年を経て


囚われし義兵と捕えし軍人と「南韓暴徒大討伐写真集」

☆戦艦「武蔵」が発見されたと、喜んでいる人もいる。今度は「旧日本軍の作戦地図」が発見されたと言う。どんな反応を見せるのだろうか?
あの戦争を忘れ様としている人達への警告となれば良いのにと思うのだが。

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早咲きの水仙は散ってしまったが、遅咲きが花を見せ始めた。
通院している鶴見歯科大学病院に、大木の影に「チョウセンレンギョウ」と札のついてる花木を見て、お願いして頂いてきた。一本だけ、挿し木したものが、2年目の今年、初めて花を付けた。枝はまだ2,3本だが来年は連翹らしくなって欲しい。

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by pcflily | 2015-03-20 21:00 | アリランエッセー | Comments(6)  

「団成社」

2000年10月   未来

曳かれ行く男の唄う「アリラン」を観衆も歌う朝鮮総督府竣工式の日

軍刀の「アリラン」唄う老爺切り抗日遊撃隊引き継ぎ歌う

バンコクに「アリラン」謡う盧ハルモ二慰安婦にされし連翹咲く十五歳

吹雪く中「アリラン」歌いき帰国の日永田絃次郎は金永吉に還る

「戦争を許さぬ女の集会」俊さんの吹く禱りの法螺貝

貫きし反権力と行動の俊さんの笑み童女のごとし

俊さんを忍ぶ集いに「原爆をみたび許すまじ」の尺八は韻く

☆2015年3月15日の韓国の新聞「中央日報」に「団成社」についての記事が載っていた。
「団成社」が、競売で575億ウオン(約61億円)で落札されたと言う。誰であるかは明かされていない。この「団成社」が解体されずに残ったことが嬉しい。思いの深い人がいたのだと嬉しくなってしまった。
「団成社」とは?
韓国初のフィルム映画「アリラン」の上映。
韓国初の有声映画「春香伝」の上映。
日本でも上映された「西便制」を始めて上映。
2000年10月号の「未来」の投稿歌にこの「団成社」に関わる歌が入っていることを思い出した。


f0253572_20553300.jpg早咲きの水仙は散ってしまったが、遅咲きが花を見せ始めた。










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by pcflily | 2015-03-20 21:00 | アリランエッセー | Comments(2)  

メデイアは自立出来るのか?

四月号原稿 

メデイア自立出来きるのか?   朴貞花    神奈川県

NHK・今年の大河ドラマ

「花燃ゆ」の主役は
吉田松陰を支える妹――

明治の偉人達が慕う

吉田松陰は
尊王討幕と
アジア侵略思想の
先鞭を切った

吉田松陰に

連なる伊藤博文

山縣有朋・木戸孝充等

明治礼賛の「坂の上の雲」を

異例の2年連続放送をした

NHKで政治のネタ

没にされたという

強い日本を作ると

 安倍首相

防衛費3年連続増

先進国上位の

長期債務を抱えながら――

教科書から消す

 慰安婦・強制連行

 大学の軍事研究を許す

権力に追随する社会

関東大震災事の日本各地に
 流言を広めた新聞だ

首相と会食するマスコミ関係者

メデイアは自立できるのか

じわじわと集いの輪から
 外されていた私
右傾化の
 風潮は此処まで来ている

☆新年の新聞を飾ったNHKの今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、私の神経を逆なでた。国を挙げて右傾化に進んでいるのだと思ったからだ。気分の良くない正月であった。
「新日本歌人」の投稿は3か月前だ。上記の作品は1月に投稿している。選者が、どのような判断をするか分からないが、批判をよそに「歌」とも言えない様なものを、書きたいことを、勝手に書いて、投稿している。
今日は3月19日だから、2,3日のうちに「新日本歌人」は届くだろう。会員のうちで、何人が私の作品を呼んで下さるか分からない。けれども、今日はちょっと嬉しい気持ちになっている。タイミング良く、今日の「朝日新聞」の【異議あり】に小島毅さんの(松陰の「行動」への賛美 実は危うい)が掲載された。
私の作品の不足分を補って下さった様で、嬉しくなってしまった。この偶然は本当に、有難くて感謝の思いでいっぱいだ。
☆3月19日の「神奈川新聞」の「論壇、特報」欄には、報じるメデイア側がいかに対峙していくかを考えるシンポジュウムが都内で開かれたたことが掲載されている。
「自主規制こそが危険」「メデイア内部にはびこる萎縮に向き合わなければならない」「権力を持っている人間にやり込められず、立ち向かう。そういった姿勢が日々、求められている」など嬉しい意見が出ている。
最後に「隣の韓国では軍事政権下、投獄される記者も命を落とす記者もいた。彼らの姿を見ていると、権力だ、秘密保護法だと萎縮しているメデイアの姿に恥ずかしくなる」
「何をもって記者人生を歩んでいくか。秘密保護法が問い掛けているものは記者一人一人の職業観、人生観なのだと思う」としめている。
強くなり頑張って欲しいと心中より思う。


○夜に映せば部屋の灯りの反射でうまくいかず、昼は、背後に広がる空が主役になる。横から写してみたが、やっぱり全部は写せず、おかしな形になってしまった。出窓一杯を飾っている実物は本当にきれいで私を幸せにしてくれる。花持ちが良いので胡蝶蘭は育てがいのある花だ。

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○温室なしで、胡蝶蘭を育てているので、夜は、段ボールの中に入れ毛布などをかぶせているが、その時に花が一輪落ちてしまった。捨てられなくて飾っておいたら萎れて来た。可哀そうなので水に浮かせておいたら,また生き返り、もう一ヶ月以上にもなるだろうか。この大皿は一人暮らしになって使うチャンスがないので水を張って何時もテーブルの上に置き、部屋の乾燥を防ぐために働いてくれている。



by pcflily | 2015-03-19 21:05 | アリランエッセー | Comments(2)  

[未来』に入会


1998年10月5日   朝日新聞  島田修二選

  1. 原爆を落としし米国推したりきノーベル平和賞に丸木夫妻を 

1998年10月26日    朝日新聞  近藤芳美選   

◎「脳内革命」「チョコレート革命」革命の日本の空に米機の轟音

1998年11月8日   朝日新聞  近藤芳美選

◎乳飲み子を抱きて集う同胞のここより他に拠りどのなくて


☆還暦の祝いをせずに、自分史をと思っていたのだが、近藤先生の勧めで、思いがけなくも歌集を上梓することになった。良し悪しを見てくれる人もなく、メモされていたものを自分で配分を決めながら足りない場所に、急遽、作歌しながら埋めて行ったものもあった。校正も自分でしたので、不備なまとまりのない歌集となった。

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○胡蝶蘭が次々と花弁を広げてくれて、毎日私に喜びを届けてくれる。


1999年1月号 「未来」    入会の初作品 20人集に選ばれる

◎20世紀の三大悪事を描きたり丸木夫妻は人間の眼に

◎ハングルの説明文をも備えおく丸木美術館「原爆の図」は

◎虐殺されし朝鮮人の「痛恨の碑」詣でるものなく鳳仙花盛る

◎米軍の基地に守らるる日本の北のミサイルの一発に騒ぎ立てて

◎北朝鮮のミサイル発射を特集せり米軍のミサイルに触るることなく

◎ミサイルのニュース流れてその朝を隣家の主婦は黙秘権使う

◎ミサイルが話題になればどうすると同胞の友ら電話かけくる

◎婚家にてひとり守れる朝鮮籍 娘のおゆびの赤き鳳仙花  

☆歌集を出したので、「未来」に入会することになってしまった。何時も、歌を詠んでいたわけではなく、あることがあって、私に怒りや悲しみが起きた時にだけ、短歌を作っていただけなので、「未来」の会員になることは考えられなかった。どこまで、続けられるか不安であった。けれども、欠稿することなく続けられた。恐る恐る提出をした初回の作品が「20人集」に選ばれていたので、本当に驚いたが自分の思うように書けば良いのかとその後の励みになった。

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by pcflily | 2015-03-10 20:12 | アリランエッセー | Comments(6)  

韓国訪問

韓国訪問 一月号   二〇一〇年(一月集に)

吾が母国韓国訪うに許可を得ることの難かり「朝鮮籍」ゆえ

朝鮮と国籍欄に記させしは日本国にて無国籍となる

統一は成さるるものと信じいて「朝鮮籍」を守り続けぬ

チョ―センと囃し立てられ下校して泣きじゃくる吾 抱き締めしオモニ

朝鮮は「朝麗しき国」なりとアボジ言えるに吾泣き止みき

祖国(おやくに)の統一成就のわが祈り隣人(ひと)は笑えど朝鮮籍守る

吾が()れし祖国(おやくに)なれど韓国は自由に訪ぬることを許さず

幾度も足運ばせし領事館 韓国訪問の許可下すとぞ

☆「新日本歌人」に会入会して会員としての初めて投稿した短歌が「月集」に選ばれたことに驚いた。その上にエッセーをも書くように求められて、急遽まとめて送った。この選者は、この後にも「月集」に選んで下さったのに、亡くなられてしまった。入会してから「新日本歌人」の選者には何方にも、一度もお会いしてない。そうして、「行わけ作品」の選者にも逝かれてしまっている。
拙い私の作品をその月の注目歌として「月集」に選ばれて嬉しく思うのは、私の作品の心を読み取って下さるからであると思うからである。
日本の敗戦後に朝鮮人を人間として認め、共に闘いつづけた人々であろうと思う。恵まれた現代に生きる人達が多くなり、朝鮮人の悲しみを慮る人が少なくなってきている。朝鮮人への差別と上から目線は、私の心に傷を付けつづけている。


私の大切な友人のHさんに韓国行を誘われた。この団体は朝鮮の植民地時代に日本に留学していた朝鮮人・中国人とその友人であった日本人が親睦の為に三ヶ国を訪ね歩き、それぞれの国の歌舞を演じ合い、親睦を深める会であった。
10年以上前に、Hさんに誘われ浅草で行われた日・韓・中の親睦の歌舞の文化芸術祭を見に行った。突然、楽屋に呼ばれて、出し物の説明を韓国語で話して欲しいと頼まれた。2日間の日・韓・中の大芸術祭であった。
日本語は日本人の男女が四人で、中国語は通訳を職とする人が一人でこなし、韓国語は私が一人で務めた。一人でコツコツと母国語を独習していた事を心から喜んだ二日間であった。二日目の晩餐の会でも、食べ物を口にする暇もなく、飛び回った。夢のような楽しい二日間であった。

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何度も誘われながら参加しなかったが、今回は韓国だもの行こうと言われて、10年以上も断り続けていたので、許可が下りたら行くことにした。
韓国行の申請をした。最後に領事に面会を求められ、何故、韓国籍にしないのかと質問された。朝鮮が統一するまではしないつもりと言い、夫が北に行き来している友人が、何度も韓国に旅行に行っているのに、何故、そんなことをおっしゃるのかと言ったら、親族が北にいないのに、韓国籍にしないのは可笑しいと言い、自分が不許可にしたら怒るだろうねと言う。
日本人の友人に親睦の為の会だからと誘われたものであり、私はお金に余裕もないけど参加しようと思った。不許可になったら、韓国は民主化されていると言っても、実際は親睦の会にさえ許可を出さない国なのだと話します、と言って帰ってきた後に、間もなく許可が下りた。

せっかく許可が下りたのに、この年は事情が出来て中止になり、2011年に韓国行は実現した。


○2011年に参加した文化芸術祭の舞台で日本から来たと韓国語で挨拶をし、晩餐会では通訳をした。京城監獄(西大門監獄)や、済州島まで尋ね、日本軍の痕跡を見て回った。
韓国の人々のもてなしは勿体ない程の豪勢な心からのもてなしであった。次回は日本で会おうと話し合い、別れたのであったのだが、日本側にはすでにその催しをするだけの力はなかったようだ。未だに、知らせは届いていない。


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短歌との出会い  一月号(原稿の依頼あり)二〇一〇年

白鳥(しらとり)は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 

若山牧水

七人姉妹の次女でありながら姉妹にさえ馴染めなかった位だから学校の中では一人のことが多かった。中学生の時、小学校にピアノが入った事を知り一人で見に行った。

 新任の女の先生が、覗いている私にピアノを弾きながら歌ってくれた歌は教室では習うことのない歌であった。たった一度覚えたこの歌を私は事あるごとに口遊むようになった。

 (いく)山河(やまかわ)越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

 いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふ

るや                     若山牧水

東海の小島(こじま)(いそ)白砂(しらすな)にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

やわらかに柳あをめる北上(きたかみ)の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

              石川啄木 

          新任の先生だったので私が朝鮮人であることを知らなかった事は幸いであった。若山牧水と石川啄木のメロデイーは違うもの。

初めて見たピアノだった。そこで、一人で習えたことは忘れられない思い出となり、この歌を歌うことは私の唯一のカタルシスとなった。

後に短歌の世界に迷い込む遠因になったのかとも思う。

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○啄木や白秋の短歌を歌ったり、ふるさとの街焼かれ(原爆を許すまじ)匂い優しい白百合の(北上夜曲)、紫煙る新雪の(新雪)、どこかで誰かが呼ぶような、そんな気がして旅に出たなどと、歌っていた高校生の頃。
○写真の浴衣と洋服は「家庭」の時間に自分で仕立てたもので記念にカメラに収めた。このスクーターは、我が家で始めて購入した現代の車だ。義兄がこのスクーターで、汽車で1時間かかる、私が通っていた高校に迎えに来た。そのスクーターの後ろに乗せてもらって、舗装のされていない砂利道を家まで帰った。このスクーターを購入できたことが、どんなに嬉しかったのかが分かる。或る日、アボジもこのスクーターに乗ってどこかに行ってしまい、家族に心配をかけたが、アボジばかりでなく、義兄も無免許であった。



by pcflily | 2015-03-04 16:37 | アリランエッセー | Comments(2)  

短歌の世界に戻る

「読者歌壇」---入選作品  「新日本歌人」
二〇〇八年

高句麗の六十代目の裔なれど日本人なりと若き宮司は  十月号


                 

目と手にて高さ確かめ一歳児後ろ向きになり階段下る 十一月号

○初めて、息子が一人で孫を連れてきた日のことであった。息子は無理であると反対したが、階段を上ることは出来ると、一人で登らせてみた。登り切ってから、自分の父親の所に行きたかったのだろうか?(1階は息子の事務所)登り切ってから、その手で高さを確かめ、きちんと後ろ向きになって降りて行くので、ビックリして、その姿を31文字にした。神奈川歌壇にも、形を変えて投稿して入選した。
孫が大きくなった時に見てくれるだろうか?このブログを?
子の孫は、息子が結婚して18年目に生まれた男の子の檀泰であった。子供が大好きな息子は何故か、なかなか子供に恵まれず、漸く、結婚10年目に女の子が生まれた。異常なほどの可愛がりようであった。天雅と名付けて赤ちゃんの時から沐浴は息子の役であった。
それから10年経ってから恵まれた男児に檀泰と名付けた。檀君とは朝鮮の伝説の最初の人間である。その一字の檀を名前に使ったのはそれほどの思いがあったのだろうと思う。その孫が生まれたのは、私が92歳のオモニを姉妹の反対を押し切って、ホームから連れ出して、介護を始めて1年目であった。反対していた姉妹が、檀泰が生まれてからはオモニを介護しているから、神様が褒美を下さったのだと、喜んでくれた。誰よりもオモニが喜んでくれたのが嬉しかった

                

独り居の吾と終日を語り合う お話人形歌も歌いぬ  十二月号


○アボジが韓国で亡くなり、オモニが実家で姉夫婦と暮らしている時に、一人で留守番をしていると、遅い時間に電話を度々かけてくることがあった。その時に、オモニの為に買って送った人形であったが、私の家にオモニを呼び寄せてから、人形も送り返してもらったが、可愛い話し方で、私をも慰めてくれた。

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○梅の花は、私にとってはオモニの象徴だ。厳寒の寒さに耐えて蕾を膨らませて、花を咲かせて春の訪れを知らせてくれる。昨年は見事なしだれ梅の姿を見せてくれたのに、土地が狭いので隣家にまで伸びてしまい、切らざるを得なかった。我が家の方に伸びた枝も、車を入れられなくなるので、切らざるを得なかった。本当に辛かった。2キロの梅の実の収穫があった。
            

二〇〇九年

結婚のためと帰化せる息子いて友は夫と嘆き悲しむ  一月号

○息子が結婚する相手が日本人なので、帰化したと言う。ところが間もなく離婚をして、再婚出来た相手の女性は韓国から来た韓国人という。次男も韓国に行って連れてきたと言った。帰化をしても日本人と認めてもらえず、在日韓国人にも拒否される場合が多くあるのだ。

                  

オバマ祝う群集の中屈強の黒人男性の涙あふるる   二月号

○屈強の男の涙が、私の胸を打った。これこそ本当の男の涙であると思った。

                  

隠し来し韓国人の父のこと子はクオーターと喜び燥ぐ  三月号

○私のハングル教室に、父親が朝鮮人の人がいたが、子供たちには内緒にしていると言っていた。私の朝鮮人についての話を聞いているうちに、子供に話す勇気が出て、実はお爺ちゃんは朝鮮人だと話したところ、子供たちは「カッコイイ、クオータージャン」と言ったと言う。彼女は、その後に自信を持って、父親の事を役所に行って調べ、韓国の親戚にも会いに行き、大歓迎されたと言う。嬉しい報告をしてくれた。

                  

長男は科学者次男は監督末の子は保父にて未来を語るこもごも
四月号

☆従兄になる私の孫と娘の方の孫は、年齢が離れていた、まだ2歳の小さな赤ちゃんの従弟を可愛がり、5年生の孫は、保父さんになるとっていたのだが、高校生になってからラガーマンを目指し、現在は100キロを越す大男になった。

 
              

「在日」を個性と受け入れ絵の中に意思を貫き個を生きる姪  五月号 

☆末の妹の娘は、私の歌集の表紙絵を描いてくれたが、銀座や大阪、京都で個展をし、光州ビエンナーレに出品するほどの絵描きに成長した。


日本軍の最後の砦と済州島に地下壕あまたあり一九四五年    六月号 

☆歌友の誘いで韓国に行くことになり、日本の悪事の跡を訪ねた。私の親戚は連れて行かない場所ばかりであった。

           

戦死せる朝鮮人も慰安婦も国民にあらずと放棄せる日本 七月号


                  

信じたる大統領は唯一人盧武鉉氏逝く涙止まらず  八月号       

☆自殺をしたのは、政治家でなかったのだろうと思う。政治の世界に身を置ける人でない、純粋な人であったのだろうと思う。金大中大統領よりも、沢山の人々が集まり、その死を悼んでいる。

                  

壊れたる部品を替える心地する歯科と眼科の治療受くるに   九月号


                 

ソウル広場に盧武鉉追慕の五十万の市民集うと韓国テレビは   十月号


☆日本に住んでいる私に届く情報は少ない。それでも、誰よりも、一番に信頼できた韓国の大統領は、盧武鉉大統領であった。彼の葬儀の日の中継を韓国からの生放送で直に見ることが出来た。彼を慕う人々、50万人が列をなしていた。

昨年(2014年)の「三千里鉄道」のブログに載っていた記事がある。

           金大中     盧武鉉     李明博     朴槿恵
南北交流(人)   17879   51158   6349    3155
人道支援(億円)   2422    4397   1163     186
軍事会談(回)      15      29      4       0

 朴槿恵大統領は、統一をする為にと、口先では立派な事を何度も言っている。この数字を見るとはっきりと、その本質が見える。数字を見て事実が認識出来て、嬉しかった。私の思いが間違っていなかったことも分かり、「三千里鉄道」のブログを益々好きになった。

 
             

招かれし集いに詠う吾が歌を吾が母国語の朝鮮語にて 十一月号

 ☆川崎詩人会の「ジャズと詩の朗読会」に招かれた。経験のない事なので、お断りしたが是非にと言われて参加した。その場の即興で、金井英人さんがベース、米田正義さんがピアノで伴奏を入れて下さった。ジャズ界では知られていた人であったらしい。共催は「京浜の詩人」たちであった。
       



☆ 新日本歌人の購読者になり、毎月3首を送るようになった。選者の心に届けば、1首だけ掲載される。1首だけでは、思いが届かないと思い始めた。この後に会員になった。

○12月から花を見せ始めて3月だと言うのに、散らずに厳寒を耐え抜き、未だに咲いている、冬の花は小さいけれども、本当に強くてびっくりする。
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by pcflily | 2015-03-02 19:44 | アリランエッセー | Comments(2)