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九十年前の震災記念綴り方帳

 九十年前の震災記念綴方帳     朴 貞 花
           十二月号(十二月集に)二〇一三年 

(横浜・南吉田尋常小学校と壽小・石川小・磯子小も)
 ()()()

    鉄棒や刀で武装した朝鮮人狩り

合言葉を決め

味方の目印は赤と白

お巡りさんが来て言いました

「朝鮮人が来るから

来たら殺してください」

僕は兄さんと竹やりを作りました

朝鮮人を橋の上で

大勢の人たちが

刀で切ったり鉄棒でぶったり

槍でつつき川の中に放り込みました

道のわきに二人殺されていた

頭は割れ血みどろになっていた

みな唾をひっかけていった

牧師の李誠七さん

荷車で遺体を拾い集め

供養をしてくれる寺を捜し歩いた―――

李誠七さんの作った教会に       (横浜市中区)

孫の通う打越保育園

多国籍の幼子達の笑顔満ちて

電柱に荒縄で縛られた

血まみれの遺体の朝鮮人を見た

小学校二年の石橋大司さん

彼は震災五十年後

私財を投げ打ち建立した

「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」   (横浜市西区)

「関東大震災朝鮮人虐殺」劇

上演を続ける荒野座

妨害の中を三十一年

客席に溜息と私の溢れる涙と―――

☆昨日、病院の帰路に散歩がてらに、かねて行ってみたいと思っていた「信愛塾」に行った。女性の方が一人居られてしばらく話をしたので、23年も続けているという「ハギハッキョ」が、今日ある事を知り参加した。在日の朝鮮・韓国人の子供達や最近増えている外国人の子供達を理解し仲良く共存するようにとの願いを込めたものである。
「ハギハッキョ」とは朝鮮語の「夏季学校」の事だ。色々な遊びや楽器の体験があった。幕開けに関東大震災の朗読劇があった。今日のメニューは子供向け、大人向けのものが多種そろえてあった。私は『フィールドワーク』に参加した。これは、関東大震災の時にこの地域で実際にあったことを追うものであった。2004年9月に、すぐ側の横浜市立南吉田小学校から見つかった10冊の「震災記念綴り方帳」の事も学び、その後を辿るものでもあった。最近の世相を見ると昔の事と軽く流すことは出来ない。
最後に話し合いの席も持たれた。子供たちの素直な目で見たこと体験したことが綴られていると思う。大震災後に再開された学校で書かれた綴り方には、朝鮮人が暴動を起こしたことはデマであったことがはっきりしている筈なのに、そのことには触れられていない。デマは信じられていたのであろう。大人達は真実を教えてないのだろう。

砂の彫刻展
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by pcflily | 2014-08-30 21:18 | アリランエッセー | Comments(2)  

関東大震災の記憶

  • 関東大震災の記憶   九月号  二〇一二年    朴貞花   

駐車場の片隅の小さな石碑

大震災殉死者供養塔

セメントに埋もれ文字も薄れ――
   

国家を信じた民衆

官憲の意図的に流した流言蜚語

警察は自警団に

チョーセンは殺してもよい――

天下晴れての人殺しだから

豪気なものでさ――

俺達はため(肥)かつぎをやっていても

十六人も殺したぞ

社会主義の本を懐中に忍ばせていた

労働者塚本重蔵を追いつめて

自警団は刺殺した

「朝鮮人は皆殺しにしろ――」

嵐のように湧き上がる

万歳歓呼の中

軍隊の白刃と銃剣に倒れていった朝鮮人――

流言蜚語は海軍船橋送電所からという

戒厳令下の軍隊の朝鮮人狩り

軍隊の命令による民衆の朝鮮人虐殺

秋田雨雀は書いた

朝鮮人は

日本人民衆の敵ではない

日本人の支配者が

日本人民衆の敵なのだ

 

朝鮮人は

遺体の捜索も追悼も許されなかった

朝鮮人への

謝罪は未だにない

☆山田昭次先生の著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』『植民地支配・戦争・戦後の責任』『朝鮮人戦時労働動員』等がある。先生は研究を続けられた。次々と著書を出版している。日本人としての先生の良心による研究は現在も続いていて、新書の出版も続けていらっしゃる。

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百日紅がこんなに生命力が強いとは知らなかった。挿し木したものが今年はどんどん空間を求め伸びて花を咲かせている。
愈々私も75歳。就活に励まなければと思う。私も娘も陰暦では同じ8月5日の明け方に生まれた。
夏休みも終わりに近い今週は、会いたいとのことで2度も外出をした。同性の友人には好物の寿司をご馳走になり、彼女の大切なカップを頂いた。異性の友人とは未来を信じようと語り合った喫茶店での長い時間の後に、生ビールを一杯飲み干して別れた。朝鮮の事を同じ気持ちで話し合う機会には、あまり恵まれないことなので有意義であった。


○左前2個が友人に頂いたもの、グリーンのカップはピンクとセットであるものを好きな緑色に替えて貰って購入した。白鳥を思い購入した白のポットと砂糖壺。
これを使うチャンスは残念だが余りない。
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by pcflily | 2014-08-29 22:09 | アリランエッセー | Comments(2)  

すれちがう会話

★すれちがう会話       四月号  二〇一二年     
()()()

金正日が死んだね

死とは明日は我が身のこと

金王朝とは笑っちゃうね

「天皇家」は笑えない

金正日は人民を飢えさせている

天皇は国民を戦場に駆り立て兵士は餓死した

日本軍の侵略による

アジアの犠牲者は二千万以上


北朝鮮は拉致をした、許せない

  少女を拉致し慰安婦にした日本は許せるの?

ハルモニ達の抗議集会は千回を越した

過去は忘れたら良い、過ぎたことだよ

  過去が今に繋がり今は未来に繋がる

  「温故知新」という

北朝鮮は核開発をしている

世界唯一の被爆国が米国と核密約をし

原発を推進してきた

原発は日本の核武装の隠れ蓑だ

北朝鮮が軍備に力を入れているのは間違っている

朝鮮戦争は「停戦」終わってない

「北朝鮮撃滅の大演習」を毎年

米・韓連合軍が強行、日本も参加した

北朝鮮は鎖国主義で開放しないね

北朝鮮は何度も友好関係を提案している

朝・米の「平和条約」提案を米国が無視している

 朝・日の「国交正常化」に応じない
応じないのは日本だ

六十六年経ても嘗ての植民地国と国交を結ばない

宗主国は世界で日本だけだ

朝鮮人が何で日本にいるの?

原爆投下、朝鮮の分断、沖縄の基地、在日コリアン
 日本の植民地支配の産物だ
真実を知る叡智を磨かねば

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大山蓮華・1991年に朝鮮の国花に制定した
終の住処として現在地に越した時に、自分の名字の「朴の木」を探したが苗がないという事で、一番近い花が大山蓮華と教えられて注文して植えた。こうして立派な花を咲かせたのに、この暑さ続きで枯れてしまった。本当に残念。


by pcflily | 2014-08-24 20:39 | アリランエッセー | Comments(2)  

山田昭次名誉教授

★山田昭次名誉教授  三月号 二〇一二年  (ぱっ) (ちょん) 




(ふぁ)


講演を終えた教授に手渡した

歌集『(しん)()()(りょん)

あの日から十余年、再会はなかった


一方的な「年金機構」の応対

書いていない書類を書いたと言い

証拠の書類を見せればコンピューターの故障だ

こちらに責任はないとあやまらない


四面楚歌の日々

山田教授への便りに

『新日本歌人』の投稿歌と

「日本国と闘う力はないから情けない――」


教授は八方手を尽くし

弁護士の紹介も――

確かな答えは出ないと知り

『世界』に投稿を決断


「日本年金機構への問い」

八十路を越えた教授が

一人の朝鮮人の為に書いた文章

月刊『世界』に載る


一人の朝鮮人への真摯な心

『世界』も示す

在日朝鮮人の同感と感動の

投稿文も掲載された


教授は最後の著書になるかも知れない

本の執筆中だった――

「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後」

「朝鮮人虐殺の国家責任と民衆責任」の追及

 著書は十月に出版され

「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」

日・韓・在日市民により発足された

「平和の灯をヤスクニの闇へ」の集会に参加する為に久し振りに一人で都内に出掛けた。なれない外出で横浜から4時間かかった。
「平和の灯をヤスクニの闇へ」の集会は日本から山田昭次立教大学名誉教授・内田雅敏弁護士、ドイツからパウル・シュナイス牧師、アメリカからダグラス・ラミス沖縄国際大学教員、韓国から李錫
兌弁護士・当事者としての李煕子さん、津波古勝子さん等のお話があった。李煕子さんは、町田在住の時、朝鮮語を知っているからと頼まれ一泊二日の間傍にいてお世話をした事があった時の知人だ。
山田名誉教授、内田弁護士は、私が町田市に住んでいた時、公民館の「朝鮮・韓国を知る」講座の講師の方たちである。公民館に出入りしていて、朝鮮問題を扱って欲しいとお願いしたら、「朝鮮」は四年先だねと言われたけれども、それから四年後に「朝鮮を知る」連続講座が始まることになり、私の息子・李淳馹がコーデイネーターを依頼され、この二人の他に「百万人の身世打鈴」や「おきなわ戦の図・命どう宝」を制作した映画監督の前田憲二さん、「金大中の命を守れ」の救援運動をした在日の人に来て頂いた。その時に知り合った方達である。前田監督には、オモニの遺骨を韓国に届けた後に、景福宮に一人で行った時に、撮影をしていて韓国のテレビ局から取材を受けている時に偶然に出会った。ご縁があるのだろうか?日本で何年も会っていないのにとお互いに手を取り合い喜んだ。人間の縁とは不思議なものである。

あれから十年以上が過ぎている今日も、変わらずに、良心的な活動をなさっていることに感動し、何も出来ない自分の無力を恥じた。

경복궁の王座 この建物の中には入れないが写真は自由だ。
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by pcflily | 2014-08-23 14:45 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

ハングル入門講座講師

★ハングル入門講座講師 ニ月号 二〇一二年  (ぱっ) (ちょん) 


(ふぁ)


「街の先生一日体験講座」講師の依頼

日本・朝鮮の二〇〇〇年の歴史

二メートルの色分け年表を創る

百済の王仁が伝えた千字文

江戸時代の朝鮮通信使――

秀吉の朝鮮侵略と

明治維新後の朝鮮侵略

日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦

満州事変・日中戦争・太平洋戦争

地理的に一番近く

歴史的に一番長い国

日本語に一番近い外国語は朝鮮語

科学的な文字

「ハングル」は世界記録遺産

母音は天・人・地と陰陽五行説を

子音は発音器官の図形化

単純な―(せん)を自在に

多種多様な表音文字

促音・撥音を抱き込み

漢字の表音・表記を一字で表す

地域センター副館長から講師の依頼

私の一日体験講座を受講したという

(ちょん)(ふぁ)流」の学習法を認めてくれたのか

六回コースに成人男女二十六名

最終日に振り仮名なしで

「ハングル」を読みあげた

学習グループを作るという

「差別をしない先生」になりたかった

十四の春「チョーセンは先生どころか
看護婦にもなれないよ」
70年前の担任の言葉が蘇る

ハングルを創成した世宗大王の事を伝える為の世宗文化会館には、20万の大軍の秀吉の朝鮮侵略の時に亀甲船を考案し、大活躍をした李舜臣将軍についての展示もあった。後ろは亀甲船の模型。親子連れが多かった。韓国では現在、李舜臣将軍の伝記映画が映画史上初めての記録的な集客力を見せ、話題にっているなっている。偉大な指導者を求めているのだろう。

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世宗の朝鮮時代に共に活躍したわが朴家の先祖も展示されていた。
朝鮮史5000年の歴史の中の3大音楽家の一人の朴堧
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by pcflily | 2014-08-22 12:15 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

忘れない歌

忘れない歌


☆  お星がキラキラ 夕雁の羽音が サラサラ 鳴る浜で 愛し母さま 呼びながら 落つる涙は 波の上


☆  迷子の 迷子の 小雀は お背戸の宿で かあさん 何処よと 泣いたけど サラサラ 冷たい 風ばかり 風ばかり


☆  優しい母様 お望みの 私が生まれた その日には 雪が チラチラ 降っていた 名を 白雪と つけました
   けど 母様は お亡くなり その後がわりの 母様は 魔法使いの おばあ様 私を 森へ 捨てました   (白雪姫の歌)


☆  青く光った 草の中 シンデレラ姫は 何処にいる  
   優しい 優しい 王子様 一緒に 探しに 行きましょう   (シンデレラ姫の歌)


☆  夕闇こめし 草山に 仄かに咲きぬ 黄なる花 都の友と こぞの夏 手折りくらしし 思い出の 花よ花よ  その名もゆかし 月見草  (月見草の歌)br>


☆  はるかに 海の 見える丘 月の雫を 吸って咲く 夢の お花の 月見草 花咲く丘よ 懐かしの    (月見草の歌) 

☆  勿忘草は 野辺の花 美空の色の 水浅黄 遥かに 遠い 山並みに 続いているよ 茜雲        (勿忘草の歌)

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○ 孫と遊んで、自分の小学生の頃を思い出した。
1945年に1年生になったが、入学式の記憶がない。
炭鉱から、親子で逃亡していたので、山奥に暮らしていた。日本が敗戦を迎えたことを知り、この村に出てきて、私が学校に行くようになったのだと思う。8月15日の敗戦以降に、私は学校に行くことになったのかもしれない。通信簿も2年からのものしかない。

3年生の担任であった玉川キミヨ先生は2学期までであった。お産の為に、3学期はいなかった。
先生がお休みをしている間に、私は玉川キミヨ先生に手紙を書き、ご返事を頂いたのだが、読んだら燃やしなさいと書いてあったので、その通りにしなければいけないと思って、その手紙を燃やしてしまった。何を書き、何が書かれていたのかさえ、何も覚えていない。

この玉川先生は、何時も放課後に、私をオルガンの傍に呼び、歌を歌わせて下さった。その歌を、大人になってからも私は口遊んでいた。歌が好きになったのはこの先生のお蔭だったのだろうか?


歌と言えば、6年生の時、学校対抗の代表が一人選ばれることになった。私は、もう一つのクラス代表の子が選ばれるのだろうと思っていたが、幸いなことに私が朝鮮人であることを認識していなかったのだろう。
新任の音楽の先生の佐藤テイスケ先生は私を選んだ。
汽車に乗って出かけたのだが、会場があまりに広くて自分の声は届かないだろうと、練習してきた歌を急遽変えて、「月見草の歌を」歌った。

学校対抗と言えば作文もあった。
クラス代表に選ばれたことがあり、一緒に選ばれたもう一人の同級生は「今日の題はお母さんだよ、もう家で書いてきたよ」と言った。伯父さんと叔母さんが、教員だったので教えてくれたのだろう。学校対抗の時には、私も選ばれることが多かった。彼女は何位であったのかは教えてもらえなかったが、その時の、2位の賞状が今もある。

オモニが大切に保管していたものを、私の娘が届けてくれた。

又、勿忘草の歌は中学3年の時に学校代表として、遊戯をしたものだった。高校受験の為に、皆が必死に勉強をしている時期だった。私は高校に行く予定がなかったので、もう一人のクラス代表と姉妹役で、白いワンピースを私の姉が作り、大きな白いリボンを後ろで結び踊った。


 
夏休みという事で、小学1年の孫と、久しぶりに逢瀬を重ねた。小さい頃は、私の所に泊まりたいと駄々をこねて泊まることもあったのだが、だんだんと 自分の世界が出来たのか、一人遊びが好きで干渉されないで遊べる、レゴの組み立てに集中している。


前日にきて、一緒のベッドで眠り、朝食を共にして出かけた。
先ず、バスと電車を乗り継ぎ、洋光台にある「こども宇宙科学館」直ぐに保育園に通っている時に来たと言う。記憶力が良い。
5階建て、地下2階の建物だ。エレベーターもあるのに、孫は階段を使うと言う。
普段の運動不足を補おうと一緒に上り下りを繰り返した。疲れた――。


桜木町に戻り、昼食をと、一人で新しい店に入れない私は、孫と一緒ならと、駅前のビルを探して歩く。孫は結局、慣れている「ジョナサン」が良いと言う。メニューを見て自分で決めたものは、お子様用は拒否して大人用のハンバーグだった。○○?はつけないでと注文する。どうして良いか分からない私よりも慣れている。

帰路予て連れて行ってやりたいと思っていた「砂の彫刻展」、体験教室はあったが、私には手伝えないので止めて、写真撮影をして楽しんできた。係員が寄ってきた二人一緒の写真が写せた。


又、場所を知っているという「ロゴショップ」に連れて行ってくれた。帰宅後は疲れ果て、父親と帰る孫を見送ることも出来なかった。

by pcflily | 2014-08-20 12:54 | アリランエッセー | Comments(2)  

2メートルの高砂百合

背高ノッポの高砂百合
陽の光を求めて伸びて2メートルになって蕾を付けた。朝には蕾であったが昼に近くなって花を見せてくれた。裏の瓦礫の空き地に花を育て始めているところに、何時の間にか、私と会うようになった。昨年、正面玄関の前に移植したが冬になるまで伸び続けたが、花弁を開くことは出来なかった。その前に我が家の車を駐車させているので、この車に遮られて、太陽の光を思う存分浴びられなかったからであろう。
普通の乗用車を置いているときには小さな場所でありながら、いろいろな花を咲かせて楽しむことが出来た場所でる。オリーブの木も見事に大きくなったのだが、それが空間を取りすぎたために、剪定を強くし過ぎて枯れてしまった。
好きなグリーンのインプレッサから、この8人乗りのデリカに取り換えたのは、オモニを呼び寄せた時であった。オモニと私と息子家族が乗れる車にした。30年掛けの生命保険の満期金が期日を迎えたからだ。でも、それだけでは足りなかった。オモニはドライブに出かけると大喜びで、拍手をし、それだけでは足りないと、足踏みまでしてはしゃいでいた。「誰もこんな風に外に連れて行ってくれなかったよ。横浜に来て本当に良かった」と私の肩を叩き、手を握ってくれた。
けれども、妹の一人が「おれおれ詐欺だ、オモニを騙して、オモニのお金で電化製品を揃え、車まで買ったと、私の悪口を書き連ね、私ばかりでなく姉妹にも送りつけた。私はオモニの貯金通帳は、見せられたこともないし、持たされたこともなく、現金を預かったこともなかった。オモニのお金は、他の姉妹が管理をしていたのである。それを知っていながら何故、こんなことをしたのだろう。
子供の頃は優秀で、末は医者か、弁護士かと言われた妹である。このようなことは前にもあった。家業の古物業が嫌で、夫婦鬱病になり、困っているときに、新しい仕事のテレビにも、コマーシャルを出している大企業の(株)東洋羽毛の仕事を紹介したのは私であった。この仕事を始めてから裕福になり、エレベーター付きのレンガ建ての自宅を新築しているのにである。何故?姉の私に対して、このような事をするのか理解できない。私よりも裕福で贅沢な思うままの生活を楽しんでいるのに。妹でさえこうなのだから、他の人間を信じて良いのだろうか?と迷いが出てくるのである。

高砂百合が今年は、上に上に伸び続けて漸く優しい白百合の姿を見せた。高校生の時に,口遊んでいた歌、「北上夜曲」の百合はこの百合かも知れないと思った。野草の強さを持っている。陽の光を求めて伸びて伸びて2メートルになる。子孫を残すために花をつけた。何事にも逃げようとばかりしている自分を振り返り、頑張ろうねと思わせる。

朝夕の花との会話 気落ちせる吾に励むとまたも独り言つ

2メートルに伸びた茎の先に咲いた高砂百合、後ろの葉は外壁に這わせている定家蔓
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写真では、はっきりしないが中央に薄く映っているのが高砂百合、二つの蕾のうちの一つが開いた。アーチの左の上に蕾がある。朝の姿。
左の木は、無窮花の宗旦、玄関前に横になり、上のキャロライナジャスミンを越え、オーシャンブルーをかき分け乗り越えて咲いている。

by pcflily | 2014-08-20 11:08 | アリランエッセー | Comments(2)  

日本軍i性奴隷

★日本軍性奴隷   2012年 1月号
 
)

「民間業者が連れ歩いた」日本政府が国会で答弁

「慰安婦は商行為だ」と奥野誠享国会議員

「軍は無関係とは許せない」

「従軍慰安婦」だったと名乗り出た金学順さん

日本人に銃殺された金学順さんのアボジ 

生れて百日も経っていなかった――

オモニが一人で十七年間育てた愛娘を

日本の警察は無理やりトラックで連れ去った

将校は日本刀を振りかざし脅し強姦

監視し拘束し輪姦し戦場を連れまわす

獣のような軍人と兵士が獣のように扱い、病めば捨てた

朝鮮・中国・台湾・フィリピン・オランダ等の

娘たちは拉致され――         (八割は朝鮮の娘)

天皇の軍隊「皇軍」の性奴隷に

第一一四兵站病院麻生徹夫軍医少尉は記した

性病を患っている日本人娼婦は皇軍将兵への

 贈り物としてまことに如何わしき物なればなり

 戦地へ送り込まれる娼婦は年若き者を必要とす

軍用特殊慰安所は享楽の場所に非ずして

 衛生的なる共同便所―――

「ナヌムの家」に身を寄せた元「慰安婦」

謝罪と賠償を求め続けるハルモ二逹

駐韓日本大使館への「水曜日集会」

抗議は一〇〇〇回を越える

国連人権委員会は日本政府に法的責任を勧告

米  米下院の決議は慰安婦問題に謝罪・賠償を求める        

国連総会で韓国政府は二〇一一年

「慰安婦への謝罪と賠償」を求めた
             

日本政府の繰り返される答え「解決済みだ」

日本軍は罪を問われないまま

日本政府は罪の償いをしないまま

ハルモ二逹の死を待つらしい

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○2階のベランダに届いた無窮花。敷地が狭いので、伐るのだが伸びるばかりだ。無窮花の様に強くなりたい。これは八重の「紫玉」。町田から持って来て根付いたものは紫系統が多い。白とピンクは枯れてしまった。残念。「宗丹」は横浜で挿し木したもの。

☆今日の「朝鮮日報」の記事の抜粋
生存しているハルモニは53人1992年1月8日から始めた駐韓日本大使館前での「水曜週会」は、1139回目だ。ハルモニ達への日本の謝罪と賠償を要求する署名運動に92ヶ国150万人を日本大使館に届けた。
「国連人権規約委員会は国際社会は日本の慰安婦認識を納得出来ない」と言っているのに、日本は無視しているのだ。
「国」の名前が付けば、殺人さえも無罪なのだ。


by pcflily | 2014-08-14 23:03 | アリランエッセー | Comments(2)  

京城監獄(西大門刑務所)

★西大門刑務所(京城監獄)    九月号 二〇一一年   (ぱっ)(ちょん)(ふぁ)

父母(ぷも)でなく同胞(とんぽ)でもなく

日本人に伴われ

西大門刑務所に来る

鵲と鳩も迎えてくれた

日韓併合の弊害となる

独立運動家の収監に

監獄を作った日本国

「韓国併合」前の一九〇八年だ

朝鮮全土に

二十八の監獄を作った

一度入ったら戻れない

拷問と虐殺の修羅場

壁面に並ぶ受刑者

五〇〇〇人の顔・顔

破棄されたものは

四万を越す

高い煉瓦の塀

監視の為に

獄舎は放射状

身動き出来ぬ狭い独房

三・一独立運動の

先頭に立った()(ぐぁん)(すん)

地下独房の拷問は

十六歳の生命を絶つ

処刑場の入口にポプラの木

しがみ付き泣き叫んだ人達

「助けてくれ――」

「殺さないで――」

殺戮死体が多過ぎて

遺棄する為に運び出す
 秘密の通路を作った

☆朝鮮は、まだ併合されていなかった。その朝鮮国に、併合に反対し自分の国を守ろうとする人々を捕まえて殺害するための監獄を朝鮮の全土に「28」も作ったという。にわかには信じられないような話であるが、事実であった。
私は日本人から、朝鮮人は野蛮人だと聞かされてきた。その日本人がこのようなことを国策として行っていたのだ。これは何と言えば良いのだろう。

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○我が家から3分程歩いた駐車場から見た富士山、右奥の雲の影から頭だけのぞかせている。
☆ 2014年8月15日
この作品は新日本歌人に投稿したものだが、全て、3か月前に投稿する事になっているので2011年の6月に作られたものである。
それを、ここに載せたのは2日前だ。
今日の朝鮮日報に「西大門刑務所日本語ガイドたちが見た日本人」という記事が載っていた。その中に「韓国を訪れる日本人観光客は急激にへっているが、ここだけはむしろ増えている」という文言があった。私の周りにいる日本人は、皆、良心的な人々ばかりで平和運動に積極的にかかわっている。日本の右傾化増強の中でこの記事は、私をホッとさせた。


by pcflily | 2014-08-13 14:37 | アリランエッセー | Comments(2)  

柳寛順の三・一運動

  • (りゅう)(ぐあん)(すん)()()()運動 三月号  二〇一三年   朴 貞 花      日本はあらゆる武力を動員し非武装の人に襲い掛かり無差別殺戮を敢行)

一九一九年二月八日

在日朝鮮人留学生六〇〇人は

「独立宣言」をする

絹地に書いた「宣言文」を

服に縫い込み本国に―――

一兵も持たず示威行動をすると

「独立宣言」を発表

三月一日

パゴダ公園に集い、始めた

「独立万歳」の声

国王高宗の毒殺を悲しむ民衆

瞬く間に全土の民衆に波及した

柳寛順は十六歳

梨花学堂の女子学生

総督府は全ての学校を閉鎖した

(ちゅん)清道天安(ちょんどちょなん)に帰郷

村の長老や牧師の

先頭に立ち決起する

眼前で憲兵に撃ち殺された

父と母、牧師と村人

それでも尚 

「独立万歳」とデモを続けた

柳寛順は囚われ、抗議する

裁かれるのは私ではない

国を奪い無差別に同胞を殺した

日本人・憲兵だ

監獄の中で叫び続けた

「大韓独立万歳」
     鉄屑入りの食事と拷問に
     獄死した十七歳
 

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○ 写真は我が家の居間から見た朝日の昇る瞬間
  短い命を熱く、激しく、燃やし続けた柳寛順う思いつつ―――


by pcflily | 2014-08-12 17:20 | 『新日本歌人』 | Comments(2)