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在日朝鮮人の高齢者無年金運動

 隣人に伝える努力   それぞれの四季 朝鮮新報 2003年5月19日

 北も南もわが祖国であるが、帰れる土地ではない。そして、この日本に3,4,5世の子供たちが生まれ、育っている。「まだ、日本に朝鮮人がいたの」と言われた事をきっかけに、私を知ってもらうことで朝鮮人を理解してもらおうと、私は草の根運動を30年近く続けてきた。
 「アジアと日本を考える会」「日本語を教える会」「町田国際交流会」「戦争を語り継ぐ会」また、図書館での絵本の読み聞かせや、町田市民大学の受講など、あらゆる場所で話をしてきた。

 差別することはなかった 本当は 関心さえももたなかったのだ

 
 この短歌は5年前に歌誌に発表したもの。町田市の朝鮮・韓国人高齢者への福祉金の支給を要請するための話し合いををしている時に「私は朝鮮人を差別したことがない」と一人の日本人が明言した。
それでいて朝鮮人の実態については全く知らないと言う。情報過多の現代に知らなかったというのは通らないし、差別しないと言うなら、まず、関心を持つことから始めなければならない。
 この運動は「無年金を考える会」として10人で始めたもので、日本人が9人、朝鮮人は私一人であった。差別しないと言っていた男性を含め8人はいつしか離れていった。残った2人で諦めずに続け、運動開始から4年目の昨年4月、町田市では東京都で始めて高齢者福祉金支給を決定し、実現した。
 一人の人間として日本人と心を通わせていくことが、必ず良い結果をもたらすと思う。子や孫たちのために、自分自身のために、いつも朝鮮人としての誇りと意識を持ち続け、隣人へ伝える努力を惜しまないことである。

 現にある法のままなる同等の権利をまずは私にください

 無年金の高齢者救済学びきて行動に入るあなたとわたし

 
 四年経て二人の運動実りたり無年金高齢者に福祉金支給決まる

 福祉金支給決定するを喜べど月額一万円の支給なり

 高齢者の福祉金支給受くる人運動続けしわれらを知らず

 強制連行のアボジと人質の母と吾に賠償なきまま六十年 『未来』 2001年・2002年

 
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 写真、福祉金支給が決定し2名の同胞が始めて申請に行った。右は約束を守ってくれた市長さん、お礼を言ってるチョゴリ姿の私に対して、笑いながら、怖い人だとーーーーー。
それは、下記のようなことがあったからである。私が「朝鮮人は、人間として見てくれないのですか?」と言ったことを覚えていたのだろう。 
 ある日、人権問題の集会があると国会議員の石毛さんから連絡があった。石毛さんは何度も色々と、力を貸して下さった。私と同じ年であることからも親しくさせていただいた。
 その会の出席者は、300人ほどであったと思う。最後に3名の質問を受けるという事になった。私はいの一番に手を挙げて、訴えた。町田市は福祉の町として知られているのに、朝鮮人は人間として見てないのですかと、福祉金支給をお願いしているのに、何年たっても答えてくれない、会ってさえくれないとーーー。
 町田市長は、その場では何を言われたか分からない、この会が終わったら、個別に会うと返事してくれた。そうして、私は市長に会うことが出来た。市長は、その場で私に、今度の選挙で当選出来たら、実現させますと約束をしてくれた。無事に当選を果たした市長は約束を守り、福祉金の実現に踏み切ってくれた。私の切った啖呵が聞いていたのかもしれない。

 福祉金支給の運動をしている時の事である。 町田市にも総連の支部があった。けれども、私は何時もよそ者として扱われた。仲間になって欲しいと言っても誰も力を貸してくれなかった。そこで、支部に行って話をすれば、本部から指示が下りてきてないと言い、本部に行けば支部から何も言ってきてない、支部に行けと言われた。
 まともに私を相手にしてくれなかったのに「朝鮮新報」の記事には町田の同胞が頑張って実現したと書かれていた。納得のいかない私は朝鮮新報社に抗議の電話をした。右下のハングルの記事は、それにこたえて、朝鮮新報社としてはここまでしか書けませんでした言って、私の事を書いた記事である。
 私たちの運動によって、朝鮮人、韓国人のほかに台湾の人も受給できることになった。そのうえ、障碍者への支給も見直された。日本の新聞には私たちの名前を書いてないので、誰の努力によって福祉金を支給されるようになったのか知らない筈だ。同胞の中でも知らない人が多いと思う。唯一、朝鮮新報に私のチマ・チョゴリ姿を見た人は何故だろうと思ったことだろう。
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by pcflily | 2014-02-18 17:02 | アリランエッセー | Comments(2)  

 孫

 その手にて高さ確かめ一歳児後ろ向きになり階段下りる

    今野寿美選          神奈川歌壇         2012年4月8日

孫がまだ歩けない時だった。初めて息子が一人で孫を連れてきた来た時であった。孫はマンションで暮らしているので、私は昔の経験から階段を上るのは出来ると登らせてみた。案の定初めての経験なのに上手に階段を登って二階についた。ところが、登りきった時に向きを変えて手で確かめてまた、向きを変えて後ろ向きになって降りることを始めた。こんな赤ん坊でもこのような知恵を使うことが出来るのは生きるための本能から危険から身を守る力を備えているのだろうかと思いびっくりした。 

 ランドセル背負い離さぬ二歳児とただ佇んでいる取り上げられず

息子の家族と買い物に出かけ、私は二歳の孫の子守をしていた。ランドセル売り場でランドセルを欲しがるので、ちょっと借りて背負わせた。ところが、何時まで経っても離そうとしない、無理に取り上げれば泣いてしまうだろうし店員さんにお願いして、ずいぶん長い間背負わせておいた。ようやく、外して帰ろうとしたが、次には勉強机の椅子に次々と座ろうとする。又店員さんにお願いして座らせてもらった。座るだけでなく、引出しを次々と開け閉てをしてゆく。八歳上の姉がいた。その姉のランドセルと勉強机に何時も、憧れを持っていたのだろうか?

 三つまで天使天才四歳は俺と言い初めつなぐ手ほどく

どんな時にでもしっかりと手を繋いでいたのに、いつの間にか、手を繋いでいても、するりと離してしまうようになった。なんにでも興味を持ち、どんなことに対しても探究心が旺盛だったのに、好き嫌いがはっきりしてきて、興味のないことには目もくれないようになってしまった。  

 六歳になったある日、孫は私に言った。「オレね男に生まれてよかったよ」どうしてと聞くと「男はね、強いから何でもできるんだよ」
 こんな小さいうちから男を意識するのかとびっくりしてしまった。息子が結婚してから18年目に生まれた子供なので、甘やかされていると思うのだが、こんなことを考えているとはーーーー。
全ては、父親が一番と思っているようでどんなことでも父親に背くことはない。初めての事はすべて父親の意見を聞く。
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。 今のところ、ハルモニの私のことは魔法が使えると思っている。
けれども、来年は一年生になるから、もう、私の手に届かない世界にどんどん行ってしまうのだろう。
 
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by pcflily | 2014-02-03 23:45 | アリランエッセー | Comments(2)