<   2013年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

 

カサブランカ 『身世打鈴』より

f0253572_2129593.jpg 

現在の家に住むようになって咲かせたカサブランカ。花の数が少ない。


カサブランカ

植え込みし球根一つが咲かせたる十二の大輪カサブランカ揺るる

白百合の大輪咲けり名の如き純白なれば白を愛しみて

水やれば水を吸い上げ夕顔の花はゆるりと吾をみつむる

f0253572_21273070.jpg

      

現在はどこに行っても、花屋さんがあり、あらゆる花があふれ咲いている。福島県の会津で育った私にとっての思い出の花の一つはカタクリの花だ。近くで簡単に手に入る花であったが、その名を知ったのは、大人になってからだ。我が家で働いていた張さん(将来は医者になると本ばかり読んでいた)の病身のお姉さんが、カタクリの花で、朝鮮の少女・未婚の女性が一本に編んだ三つ編みの裾に赤いテンギをつける姿の人形を作ってくれた。それは花の根を顔にし、葉を三つ編みにしたものであった。
もう一つは山百合の花、馬や牛を飼っている家の叔父さんが飼料にする草を取ってくる。そこに山百合の花もあった。わが家では手に入らない花だった。初めて見たときの感動は忘れられない。中学生になって英語を習い始めた。同級生の一人が自分は薔薇のローズになるからと、私にも花を決めて英語で呼び合うことを提案してきた。私は迷わず、白百合にすると決めた、百合はリリーだった。山百合は真っ白ではなかったが。
私の娘は、幼い時から赤よりもピンクを好んだ。ピンクの百合があればよいのにと思っていた時、笹百合はピンクと知り喜んだりした。ある日、町の花屋さんで真っ白なカサブランカを見つけたときは本当に驚いた。願えばこうして叶うものなのかと思った程だ。球根を植えて育てたら十二個の花を咲かせてくれた。自分の為には冷房をかけたことはない私であったのに、花のカサブランカの為にエアコンのスイッチを入れていた。ハンカチ一つを買おうと思う時でも百合の模様を探し、食器を買うときも、セーターを買おうとするときも百合の柄を探してしまう。
息子の結婚式の時の花は、カサブランカと決めた。新しい花だったので、高価だったが迷うことはなかった。新婦のお色直しのチマ・チョゴリはは真紅であったので純白のカサブランカは良く似合っていた。
朝鮮民族は白衣民族と言われるほど白を好むと知った時には、白の洋服を買い求めるようになっていた。本当に単純な人間だと思いながら――――。あることを思い始めて決めたら変えることが出来ない。融通が利かない性質は七十の坂を越えても変わらないようだ。
[PR]

by pcflily | 2013-05-27 22:34 | 貞花の短歌『身世打鈴』 | Comments(3)  

明るい日本 歌集「身世打鈴」より

 「明るい日本」

「カスミアパー」金相喜(きんさんひ)さんの悲憤の声 底なしの沼に吾を沈めゆく

汝が身には母も妻も娘もおらぬとや元陸軍少尉板垣参議院議員

前身は「特高」という奥野元法相昔とった杵柄で「慰安婦」叩く

「慰安婦」は商行為だと宣う人を支え続ける「明るい日本」

日の丸を阿片の商標と思わせて張火口に日本軍阿片を作る

張火口の民は雑草を食材にすケシ栽培の強制命令に
 
20年前の歌なのだけれど、いまだに「慰安婦」問題は何も解決していない。朝鮮を侵略したばかりでなく中国にまで入り込んで阿片を作るために農地を取り上げていた。農民は雑草を食べていたのだ。歴史を知れば知るほど当時の日本のあくどさに驚かされる。

f0253572_16404278.jpg

「ナヌムの家のハルモニの彫像
f0253572_16433362.jpg

わが家の「ゴールドハニー」今年の花は少なかったが、私のオモニへの母の日のプレゼントには溢れる程の花を咲かせてくれて、例年の様に無事に送ることが出来た

韓国にハルモニ達の「水曜デモ」に、共に参加する為に行って来た。誘ってくれたのは「憲法ー9条世界へ未来へ連絡会」。歴史を学び言葉を学び、毎年韓国まで出向いていたという。
「ナヌムの家」で、案内と説明をして下さった女性は北海道出身の日本人で、現在、韓国に住みアルバイトをしながら、このボランティアをしている。色々な人達がボランティアで「ナヌムの家」のハルモニ達を支えていた。「慰安婦」として性奴隷とされて長い間苦しんできた女性の人権を守るために立ち上がった人々が、この世界から戦争をなくすことが、女性の人権を守ることであると結集して「戦争と女性の人権博物館」を作り上げた。
政府の支援もなく、企業の支援もなく、国民の募金で博物館を建設するのは大変なことである。その奇跡の始まりを日本軍「慰安婦」被害者のハルモニ達が生活支援金を貯めたお金を寄付金として出して下さった事で開けて下さったという。この寄付金が基金となり募金活動が行われ、建設されたという。募金と人々の良心の結晶で建設されたものだ。この「戦争と女性の人権博物館」を案内してくれた女性は、在日の人であった。父親の反対を押し切り韓国に住み、案内役を引き受けている。まだ未婚の女性であった。
「水曜デモ」においては日本人の若い女性が司会役を務めていた。立派に、韓国語と日本語を使い分けて一生懸命にその任務を果たしていた。国籍を問わず、老若男女が集まり日本大使館に向かって、抗議の声を上げた。毎週の水曜日に開かれる」「水曜デモ」は今年で、22年目になり、1073回目だ。
日本政府は、いまだに公式謝罪も、法的賠償もしない。日本の態度に、米国や欧州連合でさえ、異議を決議している。アメリカでは「慰安婦」の碑も建立された。にも拘らず、日本の政治家の妄言は今日もテレビや新聞を賑わせている。この国に良心はあるのだろうか?
[PR]

by pcflily | 2013-05-20 17:16 | 貞花の短歌『身世打鈴』 | Comments(2)  

咲く命一つなり

      咲く命一つなり
f0253572_16302295.jpg

    「朝鮮を無窮花の園と呼ぶという統一の花の咲く日のあらむ」を友人の須藤英子さんが掛け軸にして下さった。「毎日新聞書道展」に出展するためであった。普通は歌の作者の名前は入れないのだけれど、私の思いを考えて「朴貞花」と入れたそうである。私の為に改めて書いたものを届けて下さった。ある日、その掛け軸に虹がかかっていた。部屋の中の軸に何故、虹がかかったのだろう。カメラで写したのであるが、今でも不思議に思う虹である。

 「咲く命一つなり萩も朝顔も」と墨痕も鮮やかに書いて下さった。百貨店の薩摩焼宗家十四代沈壽官展での沈壽官氏である。
 今年は秀吉の朝鮮侵略から四百年である。父の強制連行から日本に住むことになった私。差別される痛みから朝鮮と父母の歴史に興味を持つようになった。父の祖に朝鮮史の中の三代音楽家の一人がいたことも驚きであったが、母方の先祖が秀吉の朝鮮侵略時に日本人から帰化した朝鮮人であったことはもっと驚きであった。古代から朝鮮半島から日本列島に渡来した人々が多数あり、明治以降の植民地政策で渡日した朝鮮人は、一九四五年の八月十五日現在で二百十万はいたという。秀吉の侵略戦争で日本に連行されてきた陶工が残した萩焼からの萩と秋の季語としての萩、むくげ園とも呼ばれた朝鮮の国花であるむくげを古くは朝顔と呼んだという。いうまでもなく沈壽官初代も連行されてきた陶工である。一句に込められたメッセージをしっかりと心にうけた。
 池袋の東京芸術劇場へ、その足で向かった。ドイツに住む作曲家の「尹伊桑管弦楽作品の夕べ」の席に座る喜びのためであった。彼は、愛する祖国に拉致されるという数奇な運命をたどり、祖国に住むことを断念し、それでもなお祖国への思いやみがたく、音楽を通して祖国統一に挺身している。
 何処の地に住もうとも、人は皆、命を燃やして生きている。私は何の技も持ち合わせていないが、隣人を愛し祖国の統一を願う心は誰にも負けない。咲く命一つなり、さあ、今日も明日もたゆみなく精一杯生きて行こう。     (一九九二年十一月)

☆このエッセーを書いて二十年近くなる。この歌を詠んだのはそれよりも昔だ。あの時代は、誰もが統一の日は来ると信じていた。誰もが一生懸命に、その人なりに動いて頑張っていた。何故、こんなに長い間、朝鮮は分断のままにいなければならないのか?
歴史を紐解いていると、すべて、大国アメリカが覇権を握っているためだと思うようになった。表と裏の顔が違うのだ。その言いなりになっているのが韓国と日本なのであろう。戦争を出来る国へと突き進もうとしている安倍政権を選挙で選んだのは日本人であり、朴槿恵を選挙で選んだのも韓国人である。何を考えているのか、私には、全く理解が出来ない。
[PR]

by pcflily | 2013-05-03 17:10 | 『身世打鈴』エッセー | Comments(2)