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オリンピックの話題で思い出すこと。


韓国の英雄が語った歴史と現実 孫基禎の無念晴らした黄永祚―五輪あのとき

5/6(水) 7:47配信

時事通信

 日本オリンピック委員会(JOC)の記録に残る日本の歴代入賞者。1936年ベルリン五輪男子マラソンの金メダリストに、孫基禎の名がある。韓国が日本の統治下にある時代だった。

 92年。バルセロナのスタジアムで孫は韓国の黄永祚がトップでゴールする姿に、目頭を熱くする。日本の記者に過去を多くは語らなかったが、黄が代弁するように胸を張った。

 「(孫さんが)日本の旗をつけて勝ったことに韓国の人たちは悔しい思いをしてきた。韓国の旗の下で勝てて幸せです」
 日本の森下広一に競り勝った展開にも、韓国の人々は留飲を下げた。

 だが、公式会見を終え、韓国人記者に囲まれた黄はもう一つの現実を語った。苦しい場面で思い浮かべたのは、貧しかった暮らしだという。

 当時、五輪の商業化は選手のプロ化や報奨金の加熱にも広がり、JOCもこの年から報奨金制度を導入している。

 特に前回五輪を開催した韓国はスポーツでも強国の仲間入りを目指し、黄には韓国陸連や企業から1億円近いボーナスが贈られたと伝えられた。

 そして黄は日本選手の名も口にした。自転車から転向してマラソンを目指したのは「86年ソウル・アジア大会で中山竹通選手を見てあこがれたから」だと。その中山も4位に抑えての栄冠だったが、黄は「恩人」への敬意を忘れなかった。

 民族の歴史を背負い、無念を晴らした達成感とともに、22歳の青年の顔にのぞいたのは、目の前の生活、地域や民間レベルでの日韓関係といった、時代の現実でもあった。大会後、黄の故郷・江原道と森下の故郷・鳥取県は健闘をたたえ合い、2年後に友好提携を交わす。 



by pcflily | 2020-05-06 09:16 | アリランエッセー  

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