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差別語について

驚くほどの速さで今年も12月になってしまった。

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私も会員になっているいる『新日本歌人』は前月の20日以降に翌月号が届く。

昨年の12月号に「北鮮」と言う言葉を使った作品がいくつも掲載されていた。作者本人にとっては何

の抵抗もない言葉であろうが、一言一句を大切に吟味して歌に詠む込む人が使うとはーーーー。

私の胸が痛み始めた。日本人は私達朝鮮人への差別語であることを知らないのかもしれないと思うよ

うになった。そこで、新日本歌人の編集部に、資料を添えて手紙を送った。

けれども、全く音沙汰がなかった。一年を過ぎた現在でも、編集部からは返事がない。

近藤芳美先生の教室で知り合った梅田さんに、この内容を話し、彼女は編集部の一人に伝達をして下

さった。そのいきさつも話して下さったのだが、編集部からは全く音沙汰がなかったのである。

私は、堪忍袋の緒を切った状態になり、10月号に掲載された「透明人間にされた私」を投稿した。


幸いにも、私の作品を誠意を込めて読んで下さる選者であった為に「選のあとで」に取り上げて下さり、励まされた。


「選のあとで」「民主的団体の編集部」は 無視し放置し 未だに音沙汰無しだ

朴さんの作品のいくつかは、一首独立の立て前をとる短歌形式からははみ出ているかもしれないが、内容上無視できないと思い、あえて選歌した。

何を無視されたかといえば、明治期に国策で造語された差別語ーー「北鮮」「半島」など聞くたびに「肺腑が煮えくりかえる」「朝鮮人全員の思い」である。

問題の第二点は次の歌に歌われている。

朝鮮学校への 「行政の差別を司法が擁護」 痛恨の極みのわが思いを 詩情がないと切り捨てる

「痛恨の極み」が「詩情がない」と切り捨てられたのは、プロレタリア短歌が批判されたのを想起させるが、しかしプロレタリア短歌と朴短歌は同じではない。

プロレタリア短歌は実感がとぼしいスローガン短歌だと言われているが(これとても再吟味が必要である)、朴さんの短歌は民族差別のきざみこまれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう。

文字数批判の投稿文 古来の三十一文字を守れと 寄らば大樹・編集長の下

文字数の多さ批判して「古来の三十一文字」を守れという意見に対して、朴さんは不満を述べている。行分け作歌は定型を基準として作歌しているのがほとんどだが、しかし定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している点に注目すべきであろう。


この12月号に、下記の梅田悦子さんの投稿文が掲載された。

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「北鮮」、「北朝鮮」についての一私見      梅田悦子

一九一〇年の韓国併合により「大韓帝国」は「朝鮮」という日本の一地域となりました。植民地「朝鮮」の始まりでした。併合の条約発布の日、日本は勅令をもって「大韓帝国」の国号を廃止して、「朝鮮」と改めました。独立国家の「大韓帝国」から、日本の植民地としての「朝鮮」の誕生でした。各地で強い抵抗運動がおこり、「大韓」や「韓」の語は当時抵抗のシンボルとみなされ、「朝鮮」の呼称の強制がなされました。条約公布の翌日には『大韓民報』は『民報』へ、『大韓新聞』は『漢陽新聞』へと新聞名の変更が行われました。「韓人」が「鮮人」となり、「日韓」は「日鮮」となり、「鮮」の語が植民地政策の進展につれて定着していきました。

韓国併合の祝宴で、初代朝鮮総督・寺内正毅が「小早川 加藤 小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらん」と秀吉の朝鮮侵略に参加した武将たちを忍んだ歌を詠んでいます。日本にとって、韓国併合は、秀吉の「朝鮮征伐」と同じなのです。このような過酷な植民地支配によって、日本人の間で朝鮮民族を見下す目線が急速に広がりました。

「北鮮」という言葉は、韓国併合以降に、日本人が朝鮮北部を指して広く使うようになった言葉で、今の朝鮮民主主義人民共和国を指す言葉ではありません。日本の植民地支配と切り離せない植民地用語です。

一九九一年、広島市で開かれた「国連と軍縮シンポジウム」で、明石康・国連軍縮担当事務次長が、朝鮮民主主義人民共和国の国名を「北鮮」と紹介し、その場で聴衆から「差別語で不適切だ」と批判されました。明石氏に差別的意図がなく、単なる略称として使用したとしても、受け手は略称としてではなく、社会的な文脈の中で理解することになります。「鮮人」などと同じ文脈において、「北鮮」という言葉を差別語として受けとめるわけです。差別表現は、話し手の差別意識の有無の問題ではなく、表現内容の差別性の客観的評価(社会的文脈)で判断すべき問題です。

南北の和解が進む中でも、「だまされるな、核は放棄しないだろう、日本の経済支援を期待しているのだろう」などというマスコミの朝鮮パッシングは続いています。朝鮮半島分断の責任は大いに日本にあるということが、意識の隅にでもあれば、そんなパッシングは出ないはずです。

三八度線は、半島北部は関東軍が、中・南部は大本営が対米戦に備えて引いた分割線でした。そしてそれは、日本の武装解除にあたって、米ソの担当地域を分けるための軍事的分界線とされました。南北分断は朝鮮戦争により起こった事ですが、日本の植民地支配が無ければ起きえなかったことでもあります。したがって、南北和解の動きに対し、日本は、その実現ために協力する歴史的責任があります。しかし、日本政府は真逆の動きをしています。マスコミの報道もこの歴史的責任については言及していません。

あまり深く考えずに、「北鮮」を国名として使うことと、南北融和を冷ややかに見る眼はどこか繋がっているような気がします。そこには、現状認識や歴史認識の甘さが見え隠れします。

日本の新聞が「北朝鮮」と書くようになったのは、拉致問題の後からです。それ以前の新聞は「朝鮮民主主義人民共和国 以下北朝鮮」と書いていました。今はそんな但し書きもなく、「北朝鮮」と表記しています。ひどいときには「北」と書くときもあります。二〇〇三年に、朝鮮の『労働新聞』は「北朝鮮」と呼称し始めた『朝日新聞』を名指しして「わが共和国の国号を歪曲する」と批判しています。昔からの蔑視感情と拉致問題による「反北朝鮮」の世論などが絡み合い、朝鮮民主主義人民共和国には何を言ってかまわないという認識が広まってしまったのです。『赤旗』でさえ「北朝鮮」と書くこの国名表記は一般的になっています。

朝鮮民主主義人民共和国を略すなら「朝鮮」か「共和国」ではないでしょうか。北という文字は朝鮮民主主義人民共和国という国名の中にはありません。この「北朝鮮」表記に関しては「(朝鮮民主主義人民共和国の略称としては)「北朝鮮」か「共和国」にすべきでしょう」『差別語・不快語』(にんげん出版)と「北朝鮮」を容認する差別語解説本もあります。マスコミもほとんど全部と言っていいほど「北朝鮮」表記です。ですから、『新日本歌人』の投稿歌のなかにも「北朝鮮」表記は散見されます。私もこの問題を調べるまでは差別語という認識がなく、何度か「北朝鮮」表記を使いました。しかし、この言葉で不快になる人がいると知ってしまったからには、今後は使わないようにします。

先日、『「北鮮」も「北朝鮮」も使わない短歌を詠まん墨黒々と』という歌を、反省をこめて本誌に投稿しました。

文章を書くのが苦手な上に不勉強な私がこの投稿文を書く後押しをしてくれたのは、朴貞花さんの「透明人間にされた私」(『新日本歌人』行わけ作品・二〇一八年一〇月号)です。

「鮮人と言われたら

 肺腑が煮えくり返る」

 金石範氏の言葉だ」

(在日朝鮮籍作家「火山島」)

  この言葉は

朝鮮人全員の思いだ

「北鮮」「半島」もー

明治期の国策で

造語された差別語を

今なお使い続ける人々

 「選のあとに」に選者の宮田さんが「朴さんの短歌は民族差別の刻み込まれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう」と書いていますが私も同感です。刻み込まれた実感は詩情を生み出しています。「定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している」も同感です。朴さんの歌は定型には収まり切れないエネルギーがあり、そこが彼女の歌の魅力になっています。

 「鮮人と言われたら肺腑が煮えくり返る」のは朝鮮人全員の思いであるのに、今なお私たちはその言葉を使い続けているのです。侵略という国策で造語された言葉を傷つく人がいるのも知らずに歌に詠みこんでいるのです。

 福沢諭吉は「武力をもって朝鮮を保護し、文明国へ誘導しなければならない」といい、憲政の神様と言われた犬養毅は「世界で一番卑しい朝鮮」といい、新渡戸稲造は「政治的に無力で、経済的にも自立できず、知識欲もない朝鮮民族のような女性的で薄弱な国民」と言いました。明治の日本をリードしたこれら思想家の朝鮮蔑視は国民の中に浸透してゆき、朝鮮侵略の強力な推進力となったのです。

 「今なお使い続ける人々」という告発は痛烈です。侵略戦争への反省も戦争責任追及もほとんどしないまま来てしまった日本人への告発でもあります。

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by pcflily | 2018-12-02 07:16 | アリランエッセー | Comments(1)  

Commented by pcflily at 2018-12-09 21:53
写真の入れ方が分からなくなって、、あたらいい写真がここに入らない。

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