透明人間にされた私

十月号原稿

透明人間にされた私      (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)

「鮮人と言われたら

肺腑が煮えくりかえる」

金石範氏の言葉だ

(在日朝鮮籍作家「火山島」大佛次郎賞・毎日芸術賞)


この言葉は

朝鮮人全員の思いだ

「北鮮」「半島」も――


明治期に国策で

造語された差別語を

今もなお使い続ける人々


知らぬ人もいるかと

編集部に資料と手紙を送った

会誌に説明文載せるかと


「民主的団体の編集部」は

無視し放置し

未だに音沙汰無しだ


朝鮮学校への

「行政の差別を司法が擁護」

痛恨の極みのわが思いを

詩情がないと切り捨てる


文字数批判の投稿文

古来の三十一(みそひと)文字(もじ)を守れと

寄らば大樹・編集長の下に


知りたくない聞きたくない

見たくないと

透明人間にされた私


在日の傷み悲しみ余所(よそ)事か信じ続けし「新日本歌人」


☆自分は絶対に朝鮮人を差別しないと言った人がいた。町田市に住んでいた時に受講した「市民大学」の仲間たちと「在日コリアンを考える会」を作って、会員の話し合いをしていた時である。何時ものように、朝鮮人は私だけであった。他の会員からそんな事はないと言われていた。彼は、次の会合の時に又家内と話し合った。自分達はクリスチャンである、朝鮮人を差別しない人間であると言っていた。そんな彼が町田市に朝鮮学校がある事さえ知らないでいた。

別することはしないという人は関心さえも持たない事だ と認識した出来事であった。その後「朝鮮人の無年金の高齢者の為に年金を」という活動を始めた。年金を支払う権利もなく、高齢になった人たちである。中国からの帰国者には、特例を作って支給されていた。4年かかったが、東京都内で、初めて町田市は、月額1万円という少額ではあるが支給する事になった。私達の運動が実ったのだが、10人いた仲間はいつの間にかいなくなり、最後に残ったのは私と沖縄出身の元高校教員の二人だけになっていた。最後まで行動を共にして下さった沖縄出身のこの方は、ある飲食店で、沖縄出身の人に会った時に沖縄のどこかと聞かれて出身地の島の名前を言ったら「なんだ、島か」と言われたという。


実現のきっかけになったのは、4年の間には、沢山の人に協力のお願いをしていたのだが、その中でも、一番親身に対応して下さっていた国会議員の石毛えい子さんが人権問題の集会があることを教えて下さったので、一人で、その集会に出席をした。最後に3人だけの質問を受けるという司会者の言葉に「いの一番」に手を挙げた。そうして人権の町として知られた町田市であるのに、朝鮮人は人間じゃないのですか?と市長に意見を言った。集会が終わってから話しましょうとの返事を貰い、二人で話し合って、次回の選挙が近い時期であったので、選挙に当選して、もう一度市長になった時には実現するとの約束を貰う事が出来た。

そうして朝鮮人韓国人台湾人が受給できる事に制定された。制定されて、初めて手続きをする人を連れて、挨拶に行った時であった、市長の開口一番の言葉は「あなたは怖い人だ」であった。


この日本の中に巣食っている、朝鮮人に対する差別の心は何処までも、根が深いようである。当方が、へいこらし続けているとある時期まで、続くが、相手の奥に潜む事を安心して正直に話せば、開き直り怒る。こんなに優しくしてやっているのに、一人前の口をきくなという事だろう。


〇私の瓦礫の空き地に咲いている花たち。一般に雑草と呼ばれる花々だ。でも、一つ一つよく見ると、いずれも、本当にきれいな花を咲かせ種を実らせ、花を咲かせてくれる。人間も同じだし、この世界の全てのものが、精一杯生きている事が分かる。だから、私はどんな小さなものに対しても、自分の身の事を考え優しく接するように努めている。だから、今日まで生かされていると信じているからだ。


上から、蛍草,露草とも。金雀枝の一種、葉が三角形だ姫紫苑、無窮花。
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by pcflily | 2018-09-16 17:21 | アリランエッセー | Comments(0)  

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