人間の家に人間が来てこそ幸せなのだ

猛暑が去ったと思ったら台風が来ると言う。我が家の前は直線の道路になっているので、強風の時には近所のごみ迄が、私の家に集まってくる。
オモニを我が家に引き取った時に、我が家の前にごみ迄が集まると話したら、オモニは、人間の家には人間が来るのが幸せなのだ。ゴミでも来るのは良い事なのだと~~言い聞かされた。
実家は、土木建築請負業だった。現在は、人を雇う時に試験をしたり面接をするが、手荷物を一つ持って働きたいと言って、我が家に訪ねてきたら、その日、その時から我が家の人となる。寝所と食事と仕事を与えられる。
オモニは子供たちに、いつも働いて下さる人がいるからこそ、私達も幸せに、こうして食べていけるのだと言い聞かせ、食事も、彼らに先にあげて、残ったものを私達が、食べる。御飯も汁もおかずも大盛にしてあげるのが常であった。
そのことが身についていたのか、私も、全てを大盛りにしてしまう。店をしていた時も、そのことでお客さんに喜ばれた。娘はコーヒーをカップにたっぷり入れるのはお洒落でないと言っていた。また、家を持ち独立した時にも訪ねて来た人は誰でも、部屋に招き入れてしまい、危険だと友人に、度々、注意されていた。
横浜に転居してからは、訪ねてくる人も殆どないし、近所の人も、家の中に入れて下さった人は一人だけであった。現在は嵐の時と、普段は風と陽の光と月の光だけだ。
就活をしている間に、横浜に転居する前は、色々な人が訪ねて来ていたので、本当に幸せだったのだと思うようになった。

〇女性の新聞「ふえみん」と「女の新聞」から取材を申し込まれ、我が家に来ていただいた。「ふえみん」は新聞発行の記念日の1面に掲載して下さった。
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〇「女の新聞」は、記事を掲載して下さったばかりでなく私の為に講演の場を用意して下さったばかりでなく、横浜に来てからもエッセーを書かせて下さったりした。そして、公使共にお世話になった。もうこの方も鬼籍の人になってしまった。
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〇「クーヨン」は新年号に落合恵子責任編集「女が決断するとき」として5人の女性が選ばれ、私もその一人となっていた。取材する方以外に専門の女性の写真撮影の方も一緒に来られた。
総連の「イオ」では「人生には大事なものがある」として4人の男性と女性は私だけであった。その後、京都での「統一の集い」で朴鐘鳴先生に挨拶をした時に、名前を名乗っていなかったのに、初めて会ったのに「あなたの朝日歌壇の歌を30年保管していますよ」と、会った途端に言われてビックリしたけれど、この時に一緒に取材されて掲載された方だったので分かったのであろうと、今は想像できる。
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〇朝鮮新報も何度か記事にして下さった。本当に感謝の心がわいてくる。
〇共同通信社の取材記事は、全国に渡されるらしく、各地から電話があり切り抜きを送って下さる人もいた。各新聞社の思惑で見出しの言葉が変わり、この「最後の生き証人として」は好きな部類に入る。その後、横浜に来てから書店で単行本になっていることを知り購入したが、単行本となる事に私への知らせはなかった。
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〇「AERA」からの取材の申し込みの時は驚いた。取材内容をテープに取り危険に備えたほどであった。何故、私が選ばれたのか分からなかったからだ。現在でも分からない。
〇「みんなちがってみんないい」は原稿の依頼を受けて書かせて頂いた。
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☆オモニの言葉の通りに「人間の家に人間が訪ねて来る事は幸せな事だ」を、しみじみと思いだしている。自分の意志で、極力人に会う事を避けてきたのだが、年長の友人が多いので、皆、先に逝ってしまった。人間の性善説を信じていたが、姉妹の裏切りを見てからは、ますます、人間嫌いになってしまった。本人の気が付かない私への蔑視の心が見えてしまうから、なおさらだ。「ブルータスお前もか」と最近の経験で改めて思うようになった。
八十路の坂に来たのだから、寝たきりにならないだけ有難いと思う。食品の買い出しに、10日に一度ぐらい、外出する以外は家に閉じこもり、朝夕の花の手入れで外に出るだけだ。手入れの甲斐があって猛暑の中でも無窮花、百日紅、百日草、マツバギク、ツルニチソウ、オーシャンブルー、薔薇までも、夏が一番好きなんですと言わんばかりに我家を囲んで咲き誇ってる。


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by pcflily | 2018-08-07 12:04 | アリランエッセー | Comments(0)  

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