『あらくさ』短歌の同人誌

☆就活の為のアルバムの整理を始めたが、遅々として進まない。
中学生の多感な少女時代に、占いで、30歳まで生きられたら、儲けもんと言われた。だから、その前にこの世から消えると信じていたのに、今年の秋には80歳になる。
普通に結婚をし、現在は子供2人孫5人曾孫1人になっている。
ずっと、長生きは出来ないと信じたお陰で、「明日はないかもしれない、今を大切に」をモットーにここまで来た。こんな占いを信じて、それを口にしてきたのは、少女時代の解決されない差別感から逃れられないで、自殺を願っていたのに,その勇気を持てなかったので、占いに身を任せていたのだと思う。結果的には本当に良かったと思う。
ここまで生き延びたのは、沢山の人が私を助けてくれたのであって、自分の力で生きてこられたのではないと、常々私は話してきている。
ある日、短歌教室で受講生の一人が、朝日新聞社発行の『短歌朝日』を下さった。その中には朝日歌壇に入選していた私の詠んだ歌について書かれていたからであった。

「脳内革命」「チョコレート革命」革命の日本の空に米機の轟音
乳飲み子を抱きて集う同胞のここより他に拠りどのなくて

の2首が取り上げられていた。『あらくさ」発行人の武藤雅治さんであった。1999年の事であった。武藤さんの事を始めて知る事になった。
その後、下の写真の短歌雑誌などに私の歌について、度々、書いて下さってその
本を送って下さった。
そればかりではない。私に講演の依頼をして下さった上に、『あらくさ』に私の長い長い話を講演「在日朝鮮人の思い」として文書化して掲載して下さった。そればかりではなく、「評論」を「光としての他者」朴貞花の歌を読んで―を掲載して下さった。1頁に2段を6頁であった。私の姉妹はこれを読んで「一様に驚き、この人は本当に日本人なの」と電話をかけて来た。それほど、朝鮮人を理解した嬉しい内容であったのである。武藤さんは、色々な人、主に歌人に本を送り、帰ってきた感想文を纏めて送って下さった。姉妹にこれも送ったのだが、日本人の読後感は有難い言葉を沢山下さったのに、同胞の有名な歌人の李正子さんの感想に怒っていた。面白いものである。何故なら、要は私の話にケチをつけた否定的なものであったからである。

〇『あらくさ』と私の事を書いて掲載された月刊雑誌を送って下さった。
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〇「あらくさ」の会員たちのバスを貸し切っての「上毛の旅」に私も誘われて参加した。高句麗の里。
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〇渡来人が銅を見つけ「和同開珎」がは行された秩父にも寄った。
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〇群馬県には沢山の古墳がある。騎馬民族の住みついた所だ。



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by pcflily | 2018-07-19 17:10 | アリランエッセー | Comments(0)  

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