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2011서웉国際老人文化藝術祭

☆2011年10月25日から27日にかけて、韓国に行こうとの誘いの通知が届いた。8年前に、浅草で突然司会を頼まれた高齢者日本NGO会議からだった。海外に行くことを何度誘われても出かける気持ちは起きなかった。「朝鮮籍」であると海外に自由には行けない。韓国なのだからと、何度も言われて仕方なく、もしも、許可が出たなら行くと返事をした。横浜の領事館に申請に行くと領事館の部屋に一人、呼び出された。北に親族もいないのに何故韓国籍にしないかと言う。私は、現在の韓国政府を信じないからだ。統一する迄待っていると言った。しばらくの間、会話をした後に「私が許可を下ろさなければ怒るだろうね」と言う。私は「いいえむしろ有難いと思います。私は豊かな生活をしていないので経費もかなり掛かるので、行きたくないけど、韓国と日本の親睦の為の会だからと何度も誘われて、断り切れずに行ってみようかと思っただけです。でも、日本人のこの親睦会に、はっきりと話します。「韓国は民主化されたと言っても、私のような何の力もない人間にさえ訪韓の許可をしない国である」と報告します」と言って帰ってきた。自宅から、近いので、30分もかからないで家に着いた。我が家に帰ってきたら、、留守電に許可が下りたとあった。これも、決して忘れられない経験である。

〇訪韓しての最初の日の夕食は、韓国側からの招待の歓迎で豪勢な晩餐会、記念撮影をし、豪勢な料理に舌鼓を打った。
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〇韓国側の女性が民謡を歌い、踊りだす人も出て来た。朝鮮民族は古来から、歌舞を好むと中国の古い本に出ている。民族の血が騒ぎ、私も踊りだした。
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〇踊るだけでは収まらず、歌も歌ってしまった。
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〇翌26日は韓国全土から集まった人々で一杯の大会場で芸能祭が開かれている会場に行った。日本から参加した人は20名に満たなかったが、壇上で半纏を着て鉢巻をして漁師さんの格好にし、日本の民謡に合わせて、エンヤコラと掛け声をかける単純な踊りと、朝鮮の童謡の우리나라 꼭(私の国の花、無窮花)を歌った。メロデイーも歌詞も単純で簡単なものを朝鮮語で歌うと言う。驚くほど日本語的な発音なので私はびっくりして、ついそうではないなどと意見を言ってしまった。そうして、代表として挨拶をさせらることになってしまった。本日、参加した人は普段は遠く離れて暮らしています。日本の全国から集まって韓国に来ました旨の話をして最後は韓国式の挨拶をしたので、参加者に喜ばれた
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〇次の26日は、観光バスで見学をしたが、韓国側の役員の方が案内をしてくださり、豪勢な昼食もご馳走して下さった。
その上に夕食にも招待された。韓国の人は本当に懐が広いと言うか、太っ腹である。ピンクの衣装の人は韓国の人、実は私は日本人ではないのですと話して打ち解けた。
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〇私の左は日本側の代表、右が韓国側の代表、その隣の人は日本に来た時の元代表。ここに立つ前に韓国側の人が言い争いをしていた。通訳が(観光バスのガイドさん)いるのに何を言うのかと現在の会長と事務局長が双方とも譲らない様であった。後で分かった事だが、事務局長が私を通訳にすると言っていたとのことだった。結局、私がここに立たされ通訳を仰せつかった。韓国側は、来年は日本でやるようにと提案しているのに、日本側は出来ないと断り続けていた。最後に日本側の代表は、日本に帰ってから相談をして、返事をするとの事で収まった。
この後に、韓国側の人は皆で、バスに乗るところまで送って下さった。私の通訳をあんなに反対していた韓国側の会長は、店を出てから、バスの中に入るまで、手を掴んで離さずに最後のあいさつの通訳をするよう言った。この時は私が通訳することを反対していたことを知ったので、断ったのに手を放さないので、言われる儘になってしまった。
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〇参加証として立派な盾が送られた。ずっしりと重い盾だ。
2011서울国際老人文化芸術祭 参如記念碑「日本高齢者NGO会議 上坪陽」

私は会員でもないし日本人でもないのに、飛行場でこの盾を私に持って行けと言う。いくら断っても持って行けと言う。私が貰わないなら、捨てると言わんばかりだった。韓国側にあんなに心を込めた接待を受けていながら、一体、どういうことなのか?捨てられてしまっては申し訳ないと、預かったが、この時には日本の会はもう、壊れていたのだろう。その後、何の音沙汰もなく、解散されたようだった。
韓国の人たちは、どんなにか、がっかりした事だろうと思う。今でも、胸が痛む。
会長の黄仁漢様はじめ会員の皆様、申し訳ありません。名刺も頂いてないので、お礼のお手紙も差し上げられませんでした。
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by pcflily | 2018-07-09 17:54 | アリランエッセー | Comments(5)  

Commented by Takeshi Nimura at 2018-07-12 20:36 x
貞花さま 先日は暖かいお言葉ありがとうございます。在日のみなさまとの共存の難しさを身に染みております。
最初の訪韓のお話、確か2011年は東日本大震災の年ですね。当時朝鮮籍で韓国に行かれたのは大変勇気のいることだったのではないでしょうか。物事の価値判断の基準がはっきりし、阿諛追従を寄せ付けない貞花さまだからこそ為しえたことです、素晴らしいです。
私の尊敬する朝鮮籍の林白言氏は、一度、韓国領事館でビザ発行の手続きをしようと試みます。領事館員の態度が悪かったのか「自分の国に帰るのになぜこのような面倒な手続きが必要なのか」と怒って以後、韓国への渡航を諦めたとお聞きしております。日本に残り、一度も祖国の土を踏むことが出来なかった方々のことを思うと胸が痛みます。林さんの奥様「申昌子」さんは、49歳でガンで亡くなります(彼女は生前、一度も祖国の土を踏んでおられません)。その時、夫の林さんは「大雪山系はきょうも吹雪か。妻が帰国する。木枯らしよ、玄界灘を避けて吹け」とエッセーに記しています。何とも切ない言葉です・・・・
Commented by pcflily at 2018-07-13 10:22
コメントを有難うございます。
私の一番嫌いな事は無視されることです。また、長年、相手が意識しない事でも、感じてしまいます。日常的に?差別を受け続けると、過敏に反応します。これは朝鮮人に限った事ではないと思います。
だからこそ、何時でも、心を込めて話し、接することに務めています。行きずりの人に対してもです。コメントの返事も、気が付いたら、時間の許す限り早く答える様に努力しています。それが相手に対する誠意だと思うからです。
今回のブログへのご返事が「在日」との共存の難しさと仰るのは私には理解できませんでした。この前にある「アジア高齢者文化祭」はお読みになりませんでしたか?
韓国側から贈られた日本側の会長の名前入りの盾を私に持って行けと言う事が理解できないでいますが、その考えが、共存が難しいと思われたのでしょうか?
Commented by pcflily at 2018-07-13 10:37
自分の意志ではなく、日本に住み続ける事になってしまい、一度も故郷の土を踏むことなく黄泉の世界に行ってしまった数多くの同胞とアボジとオモニに今年の南北板門店会談と朝米会談を見せたかったと思い、涙が流れました。
我欲を捨て、全てを祖国統一をと願い行動した人々を知っているからです。協力をして下さった日本人も大勢います。
裏切られ続けたけれど、まだまだ、先は見えないけれど信じて待ち続けるだけです。
Commented by Takeshi Nimura at 2018-07-13 16:47 x
貞花さま ご指摘の件ですが、文字だけで相手に自分の考えを伝えることはとても難しいことだと思いました。私が「在日」という言葉で物事をひとくくりにして表現しようとしたのが、間違いでした。お許しください。貞花さまの行為について批判したのではありません。林さんと貞花さまとでは「差別」の捉え方が違っていて、「在日」ということばでひとまとめに出来ないということの認識不足です。人が違えば捉え方や意見が異なることは自明の理です。差別に関する私自身の受け取り方が適切でなかったのだと反省しております。
貞花さまのご説明にある「アジア高齢者文化祭」と「高齢者日本NGO会議」との関係、経緯などについて、私は実はいまひとつよく呑み込めておりませんでした。貞花さまが在日朝鮮人代表なのか、日本人代表なのか、そして韓国渡航のビザ発給のお話でした。この文章の作者である貞花さまは読者に何を伝えようとしたのか、自分なりに推量でコメント書かせていただきました。こちらも貞花さまがご説明された難しい経緯や成り行き、そして結果についての理解が不足しておりました。
貞花さまの作品を拝見し、自分なりに解釈してご意見を申し上げようと思っております。考察が足りなければご批判を受けますので、慎重に言葉を選びますがきっと私の甘さが残っているのでしょう、ご不快なお気持ちになられましたことお詫びします。また、コメントがないのは貞花さまの作品を無視しているわけではありません。コメント作成に時間を要したり、見落とすこともございます。どうかこちらもお詫び申し上げます。
Commented by pcflily at 2018-07-13 22:17
こんなに早いコメントへのご返事を有難うございます。
林さんと私の領事館への態度は殆ど同じだと思います。むしろ、私の方が強く怒りの言葉を言っています。誘って下さった日本人へ「韓国の民主化はこの程度であると話す」と、半ば脅しの様な捨て台詞を残して帰ってきたのです。
差し上げた私の名刺の「端の会・はなの会」の「端」に込めた思いは、朝鮮語の一つのハナで一から始める、小さな端くれだけれど、こんな未熟な私でも誠実に生きている姿を見せる事によって、たった一人の人が朝鮮人を理解して下さったなら、次の人に伝達して下さり次々とハナが繋がり将来は大きな輪に、それは大きな和になり平和の花、統一の花が咲くようにとの願いを込めています。決して媚を売らないで,真っすぐにです。
今回のブログは、その成果であったのか、日本人が誘って下さり「日本人の会に朝鮮人の貞花」が参加しました。私は日本人でないので、日本人の代表になるわけはないでしょう。私を信じて下さった日本人が誘って下さったから、参加する事になっただけです。
現在、写真を整理している私に新村さんがアドバイスして下さいましたように、写真と人々との関係、経緯を「貞花の想い出」として書いただけです。書いているうちに「盾」の事を思い出し書きました。慎重な言葉を選んでという程難しい事は言ってないと思います。

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