朝鮮大学の講師になった日

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☆1995年12月、57歳の時だった。朝日歌壇で私の歌を読んでいると、朝鮮大学の權載玉先生の依頼があった。「短歌」について話をした。特別講師との名がついていた。大学生の前で話すほどの知識はないと断っていたが、近藤芳美先生に相談したら、行きなさいと言われて引き受けた。今、考えると冷や汗が出る。

小学生や中学生の時に学校代表で独唱や遊戯をさせられ、村の若者の演芸祭にも、引っ張り出されて青年達の中に混じり一人子供の私が踊った経験がある。高校生の時には私への苛めで、弁論大会や会長選挙に担ぎだされた。あにはからんや弁論大会では、優勝してしまった。生徒会会長は落選したので彼女達を大いに喜ばせた。嫌でも、断る力が私にはなかったのだが、それらの事が私に舞台度胸を付けたのだろう。

学生の前で、短歌は、写生、生を写す、自分の生き方を表現するものだと話した記憶だけが残っている。知らぬが仏、若気の至り(若くもなかったが)だと思う。
權載玉先生は学生達の感想文の原稿をそのままで送って下さった。歌集を上梓する前だったので、「教壇」としてその日の事も詠まれてる。

ありのまま吾の歌の出会い語るとき瞬きもせず朝大生20人
どうしても行けなかった大学の教壇に立ち歌との出会いを語る
先生の講義に泣き氏は初めてと吾の手を取りて涙零せり
朝大生の感想文に涙落つあふるるほどに想い伝わりいて

權載玉先生は学生達の感想文を原稿用紙のままで送って下さり、私の宝物になった。その中に、現在の一番の願望は何ですか?の質問に、即答で「祖国統一です」と答えたことに驚いたと言う。オモニとしての別の答えをすると考えていたと言う。即答であった事にも驚いたと書かれていた。朝鮮大学で学んでいる自分達でさえ「祖国統一」とは答えられないとのことだった。
講義の後には学生に連れて行かれて食事を共にして、長い談話の時間を過ごした。又学生との別れを待っていたように、權載玉先生は、帰宅しようとする私を、喫茶店に案内して下さって楽しい談話の時間を取って下さった。

この日曜日の6月3日の朝日歌壇と神奈川新聞に私の短歌が入選している、おめでとうと、友人が電話を下さった。。朝日歌壇は10年以上投稿をしていなかった。この度の私の投稿歌は選者には理解できないと思っていたのに、選んで下さった選者に感謝している。人生にはこんな事もあるのだ。実は友人の権星子さんを勇気づけたくて投稿したのだが、幸運にも入選したので彼女も元気になる事と思う。
權載玉先生や私の講義を聞いた学生の誰かが読んでくれたであろうか?私の事を記憶しているだろうか?

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by pcflily | 2018-06-04 18:52 | アリランエッセー | Comments(3)  

Commented by Nimura Takeshi at 2018-06-08 19:47 x
朝日歌壇の入選おめでとうございます。たいへん申し訳ありませんが、まだ、作品を拝見しておりません。詩歌というジャンルで貞花さまの言葉による感情や意思の芸術的表現が読者に大きな感動を与えたということだと思います。これまでの作品で状況描写が貞花さまならではというものがたくさんありますね。作品を拝見してからまたコメントさせていただきます。取り急ぎ お祝いの言葉まで 入選お喜び申し上げます。
Commented by pcflily at 2018-06-08 20:27
コメントを有難うございます。正確には2003年の1月と3月に「朝日歌壇」に入選したのが最後です。この入選歌に対してもも、2チャンネルで悪口の種にされていましたので、投稿もしなくなり歌も詠めなくなっていました。だから、正確に言えば15年振りの投稿であり入選です。友人の権星子さんからのプレゼントかと思っています。
Commented by pcflily at 2018-06-08 20:38
書き忘れましたが、「朝日歌壇」の入選歌は、新村さんのコメントに、自然に口から出た物を書いた短歌です。「神奈川歌壇」の入選歌は、孫の事を詠んだ歌です。昔、出し忘れてあったらしい書いてある葉書を見つけたので、そのままに投稿したものです。今、テレビで赤ちゃんや小さな子供のすごい力を発揮しているものを放送していましたが、子どもの能力は想像を超えてますね。

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