鄭敬謨さんと黄晳暎さんと[粒の会」の思い出

連日、パソコンで韓国の新聞を読むことが日課になっている。懐かしい黄晳暎さんの作品が映画化されるとの記事が出ていた。
黄晳暎・황석영さんは韓国の著名な作家だが、1989年に禁止されていた訪朝をした事で、韓国政府の怒りを買い、帰国出来ないで、しばらくの間、ドイツに在住していた。漸く帰国したが「国家保安法」とやらで逮捕され4年もの刑務所生活をさせられてしまった。
鄭敬謨さんは、朝鮮戦争の休戦協定の時に通訳をした人であるが、その後、日本に亡命し、「粒」という小冊子を発行し、文筆で南北統一の意志を、日本の中で唱えていた人である。
これらの写真は、日本に黄晳謨さんの来日で講演会が行われ、親睦会をした時の写真である。この後も、別れがたくて、夕食も共にしている。誰がこんなにたくさんの写真を映して下さり送ってくださったのか、写真が沢山残っている。
嘗ては、統一の為にと色々な人たちが夢を持って、活動していた。通知が来ると、私も、仕事を放り出して参加していた。思い出の日々の記録だ。
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鄭敬謨さんと握手、お元気ですねと挨拶していたのだろう。
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背広姿は鄭敬謨さん、白いワイシャツの人が黄晳暎さん。一枚、撮りますと言われたのだろう。
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聴覚の弱い私が黄晳暎さんのお話(朝鮮語)を聞き取ろうとしていたのを写真にとられている。真ん中が鄭敬謨さん
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「祝杯・축배」の場面でしょう。在日の間では「乾杯・ 건베」とは言わなかった。
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気持ちが盛り上がり一曲歌いました。「愛しの吾子よ、何時か分かってくれるでしょう」朝鮮学校の寄宿舎に、幼い我が子を送るオモニの心情の歌、涙なしでは歌えなったが好きな歌であった。
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by pcflily | 2018-06-03 11:36 | アリランエッセー | Comments(4)  

Commented by Nimura Takeshi at 2018-06-08 19:46 x
鄭敬謨さんは「歴史の不寝番(ねずのばん)」で知っています。高価な本でしたので頁を何枚かめくって読んだだけです。確か息子さんが翻訳され、アリラン・センターにおられました。息子さんとは何回かお話をしております。貞花さまは本当にたくさんの方々をご存知ですね。言葉に偽りなく、信念を曲げずに、真直ぐに生きてこられたので多くの人々が貞花さまの心に共感したのだろうと思います。一度、貞花さまのお歌をお聞きしたいですね。
Commented by pcflily at 2018-06-08 20:53
有難うございます。鄭敬謨さんの著書を買い、署名をして頂いてる私の写真もあります。どんなに忙しくとも、通知が届くと都内迄飛んで行きました。何方が写して下さったのか、写真が沢山あります。
実を言いますと、最近の私は「終活」の第一歩として写真の整理に熱中しています。一時整理を始めて段ボールに区分けしたところで、そのままになっていました。認知症になりホームに送られた時に、写真も一緒にと息子に頼んでおいたのですが、もっと分かりやすく分類しています。それで、直ぐに黄晳暎さんの記事を見て、思い出しブログに書きました。
Commented by Nimura Takeshi at 2018-06-09 08:55 x
貞花さま、もう終活とは早すぎませんか?身辺整理はやはり早すぎます。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の如く、最期まで思いをめぐらし語り続けることこそ生きる証と思うのですが····
Commented by pcflily at 2018-06-09 12:26
早いと思われるのは、新村さんが、まだお若いからですね。
姉妹の認知症と老化をまじかに見せられて、ショックを受けました。虚弱児であったばかりでなく、三度も頭の打撲を受け入院の経験のある私にとっては切実な現実です。

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