会いたい人。60年前の手紙の差し出し人。

会いたいなあ、あの人に~~。という歌があった。終活の中で見つかった古い手紙。
会いたいと切実に思う。どんな人であるのか、生存しているのか?封筒が無いので名前が分からない。便箋も古びた三枚の手紙だけ、他の人の手紙の封筒の中に入っていた。差し出し人の名前もなく、差し出し日の年月日もない。文面を読むと私の名前がはっきりと出ているので私宛の手紙であることは間違いない。又、昔の家庭内で呼ばれていた名前も書いてある。
彼は男性で9頭身であるらしい。また、私の送った手紙への返信であることも内容からすると、確かであり、東京から福島の会津の実家にいた私に送った手紙である。
高校生の頃から、男性の名前で私宛の手紙が届くと、家族が先に読んで、その後に私に渡されるのが、常であった。そんな手紙の為に叱られるので、差し出し人が見つかった時には、友人を連れて彼を呼び出し怒りをぶっつけ、友人に、あんな風に言っては、彼が余りにも可哀想だと言われた事もあった。
そんな生活の中で、この手紙を現在まで、保存しておいたのは、何故だろうかと気になってしまった。中学時代から、家業の事務関係の仕事をさせられていた。
相手は、我が家に働きに来ていた人であることは間違いない。家業は土木建築請負業であったので、不特定多数の人が、我が家を尋ねて来ると、その人は家族になり食事をし、寝泊まりして仕事をする。何十人どころか、何百人もの人が出入りしていた。
最初に手紙の主が、東京から投函している物に対して、私が返事を出したようだ。それとも、私のアボジか義兄に言われて、手紙を書かされたものへの返事であったのだろうか?北朝鮮には帰国しないともかいてある。
少なくとも、結婚前であることは確かだ。60年も過ぎたので時効だと思うので、手紙をここに載せてみた。書いた人なら分かるだろうと思うので、その頃の写真も載せました。
どうぞ、何方か、この手紙を下さった方に逢わせてて下さい。
ヒント、福島県会津・喜多方出身、現在80代、在日朝鮮人、福島県南会津郡江川村湯の上小野下の「木村組」で働いたことがある人。
◎横浜が今日の午後、瞬く間に雪で真っ白になった。会津の冬を思い出した。だから、この手紙の事も書こうとしたようだ。
〇今日の雪景色
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〇達筆である
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〇残念ながら、読んでみると甘い恋文の匂いはしない。

御変わりないらしいので何依り 急ぎ用が出来て會津に行って二、三日今日はなつかしの東京に舞いもどって参りました

君も元気らしいがなんだか調子が悪いとは同情の至り たった今帰ったばかりで早速に返事を書いています 此の誠意汲みとって欲しい点です 

此の頃は寒いので自炊ちっとも面白くない 朝の御飯を炊くのが一番辛い 本当は君が来たら洗濯物から御飯炊き全部を一日でも良いから働かして上げたいと思って、 どうせ貞花君 俺のエプロン姿が見たくて食べたい方ではないらしいから

近いうちに仕事の関係で横浜に移りたいと思ってるのだが移ったら通知しますから

末永く交際して下さいます様に 

朝鮮帰国の件につきましては、私と致しましても?が沢山あり

夢多き青春を氷と酷暑にわざわざ好んで行く事もないではないかと存じおる次第

或いは貞花君と思想的には一致しないかもしれないが所詮生きて行くと云う限り自分に本位に考へたいと思います、と言ったところで大した中身を持ってる訳でないが本当の個人主義に成り切れたら上等、でも案外、弱い所が有って、我ながら困る時もあります 申請は母が周囲の人と同調してやっただけで別段に深い意味はないと思います 其の様なことはどっちでもいいけど

東京なんてちっとも言い所なんて有りはしない、どうせ生きるなら 人の多い方が便利 憧れて上京する人達に僕の」涙ぐましい日常を見せて上げたい 時計が主人の眠を誤魔化すのか僕が怠けるのか三十分も寝坊した時の活躍振りをお目にかけたい、其の様な時の昼飯前の一時は此の五尺八寸 十九貫を支える我が健全なる胃袋の状態は察して余り有るものです

ただいなかでは味わうことの出来ないのは土曜日の夜更かしと日曜日の解放感は板金に値する

◎書いた本人が読んだら、この手紙を読めば、きっと思い出すと思うので~~~。

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◎自分のチマ・チョゴリはまだ持ってなかったが、オモニのチマチョゴリを借りて、朝鮮の乙女は黒髪を一本に編んで赤いテンギを付けるとのオモニのお話の通りに装った姿で写真に残した。長い髪であるので高校生だった時であることが分かる。
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◎高校卒業後は髪を短くした。
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by pcflily | 2018-01-22 16:44 | アリランエッセー | Comments(1)  

Commented by pcflily at 2018-01-31 16:14
現実から、逃避したくなったのだろう。こんな昔の、生死も不明で名前も顔も覚えてない人の事について、書いてしまったなあと、ちょっと後悔している。
削除してしまえば良いかとも思ったが、或いは、偶然と偶然が重なって、この人の現状を知ることが出来るかも知れないと、儚い夢を持ち続けることにした。
「駄目で元々」が私のポリシーだもの。

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