悲しき八十路坂

二月号原稿        (2017年11月詠む)

悲しき八十路坂       神奈川      (ぱっ) (ちょん) 


三十迄生きられたら

儲けものだよ

信じ続けて八十路坂


十代の少女に

酷い予告をしたとは思う

「今」しかない

今を生きる事に努めた


未来を思い描けず

明日に夢を馳せることなく

今だけを見つめ続けた


思い至った事に

躊躇なく行動する

明日はないかもしれない――


自分の力で

生きてきたのではない

誰かが助けてくれたから

今日も生きている


短い命だもの

我欲を捨て一筋に

清く正しく美しく


八十路坂に青天の霹靂

姉妹の欲望渦巻く泥沼

漸く逃げ切った


醜い姿を見ずに逝った

アボジとオモニ

私の唯一の救いだ


☆悲しくて悲しくて悲嘆のどん底に落ちている私を慰めようと、日比イチさんが送って下ったお菓子と果物と缶ビール。何時もの事だが、母親が娘に送る宝箱の様なプレゼント。お礼の言葉が見つからない。

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☆隣人に差し上げた折り鶴蘭。枯死寸前でいたので一個だけ譲り受け仕立て直した。どんどん増えていくので、よろしかったらと、差し上げていたのだが、私の自己満足であって、相手にとっては迷惑千万であった事に気が付いた一件であった。
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☆指の長さ位のものを仕入れて育てたサンセベリアとポトス2種。これもいくらでも増えるが、玄関にも置き場がなくなり、胡蝶蘭の鉢も居間に置いてあるので、居間が狭くなるばかりだ。
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☆息子と娘を保育園に預けて、同胞の金融機関「朝銀」に勤務していた頃。
実家を出て働かなければならなくなった時期があった時に、同胞のもとで働きたいと、娘時代に働いた経験のある「朝銀」に申し込んだら、新卒の受験者と共に試験を受けて合格したら雇うと言われた。子持ちの女性で、受験して勤務を始めたのは後にも先にも私だけであった。頑張りすぎる無理な生活の為に、新聞が読めない程に視力が落ちた。
誰にも言われていないのに、拘っていたのは何故だろう。結局これが、私の苦節の始まりであった。


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☆娘と私の誕生日は、旧暦で言うと同じ8月5日で明け方に生まれたことも同じである。オモニは何度も「干支が寅であるが、明け方に生まれたから、大人しいのだよ」と、私に言い聞かせていた。旧暦の8月5日には記念写真を撮るのが常であったが、この写真を写して貰った日には、息子は仙台にあった東北朝鮮学校の寄宿舎生活をしていた。三歳下の妹は、私に向かって、小学性を寄宿舎に入れるとは許せない、鬼だと怒った。その後に、この三歳下の妹は、私の息子が朝鮮の統一を願う月刊雑誌『統一評論』に入社した時には「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴った。また、私の息子に対して、日本人と結婚したら許さないと言ったのに、男の子は授からず娘二人なのだが、二人とも日本人と結婚させている。二人とも親族を呼んでの結婚式もしないままだ。

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by pcflily | 2017-12-10 11:15 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2017-12-16 15:04 x
一生涯を振り返るには貞花さまはまだまだ若すぎるのではありませんか。苦しく辛い日々を詠うのは作家の大切なモチベーションです。ご苦労された時代に何を求めて、何を忌避して、何のために生きようとしたのか、詠み手には記載された詩句から表現されなかった感情や思考のプロセスを想像します。・・・・共和国、総連、朝鮮語、朝鮮人学校、韓国の独裁・軍治政権、韓国の民主化・・・・戦後の一時期、共和国は一定の進歩を遂げ朝鮮の方ばかりでなく日本人からも輝いて見えました。抗日解放戦線の勇士たちが建国した立派な社会主義国家として仰ぎ見ていました。貞花さまの思いが日本人とは比較にならないほど熱いことはとてもよく解ります。ご姉妹との確執、差別の中でのご苦労などは私が申し上げるような類のものではないのでしょう。作品から静かに心穏やかに、花を愛で生きていきたいという貞花さまのお気持ちが伝わります。されどそうはならなかった言い知れぬ憤りや悔恨の一端も見えます。歌を詠むことで少しでも心安らぐとしたら芸術の持つ力でしょう。お子様の写真が可愛らしいです。貞花さまのご苦労が無に帰さぬようお祈りしております。
Commented by pcflily at 2017-12-16 18:14
有難うございます。昔から、喜怒哀楽を感じやすかったのかもしれません。解消方法は一人で歌を口ずさむ事と、日記を書く事でしたが、妹に見つかり虐められて、その後は嫁ぐまで、日記も書かなくなった事を思い出します。
横浜に来てからは歌を歌うことも忘れていました。最近、この苦しさから逃れようと、キーボードを弾きながら思い出の歌を歌い始めました。音符を見て弾ける訳でなく、好きな歌を歌いながら、その音を探して弾くのですが、指をあまり動かさなくて済み、楽に弾けるのは「影を慕いて」です。
何度も歌っている間に、私の為に作られた歌かと思う程に、私の生きて来た過去と現在に、ぴったり合っています。
人の一生とは、このような物かとも思っています。

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