憂いなく永遠の休息の地は父母と共に

169.png169.png  夢は叶うもの、夢を持つことからすべては始まる。私の生きてきた道でもある。けれども、姉妹からは誹謗され続けてきた。ある日受話器を取ると「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴られた。息子の淳馹が祖国統一を願う月刊雑誌『統一評論』に入社した時であった。この妹は、民族教育を受けさせたくて、朝鮮学校の寄宿舎に、息子が入った時に「鬼だ、母親の資格がない」と言った。

けれども、私の最後の願いの祖国の土地に自分の骨を埋める場所、墓が出来た。

朝鮮籍の為に自由に訪韓できなかった私だ。前回の韓国の大統領選挙の時から、日本にいても、韓国籍を取得すれば、選挙権が得られるようになった。
祖国が統一するまでは変更しないと決めてあったが、どうしても、この選挙に参加したくて国籍を変えた。

昨年の5月に「慰安婦にされたハルモニ達の水曜日の抗議」に参加した。
アボジの養子になった義兄夫婦はすでに亡くなり、長男の甥とは、アボジの葬儀以降、オモニの納骨の時に少し会ったが深く話し合う事はなかった。
昨年の5月に、韓国に来たと連絡をすると甥はホテルに会いに来てくれた。昨年は、還暦だという甥に会ったことで、思いがけないことが、次々と起きた。

オモニの骨壺に私の作品を収めたものを甥は読んだという。そして、ハルモニの骨壺には名前がないという。
一族の納骨堂に納められている骨壺は、黒曜石で出来ており始祖朴赫居世の何代目と名前と共に彫られている。日本から持って行ったオモニの骨壺は白い陶器で名前がない。自分の死後は誰のものかも分からなくなると心配してくれた。

そこで、新しく名前を入れたものを作成してくれるように頼んだ。次回私が来た時に一緒に行って、新しい骨壺と交換をして、日本から持ってきた骨壺は私が日本に持ち帰り、日本に作られている両親のお墓に納めることにした。

昨年8月に「関東大震災時朝鮮人虐殺の追悼会」が韓国で行われた。韓国での追悼会は初めてであった。
追悼会が終わり、甥に連れられ、納骨堂に行ったが、オモニの骨壺の前に鉢の巣が出来ていて、危険なので、骨壺は取り出せなかった。帰路の航空券の時間もありそのまま戻ったが、甥と長い話が出来て、思わぬ方に事が進み、私のお墓まで、作ることになった。

甥の居住地はソウルだ、退職して10年ぐらいの間に墓地でなく自分の両親も含め、祖父も納骨堂に納まって頂こうと思っていたという。

けれども、私から祖父の思いや私の思い、祖国をどんなに慕い、恋していたかなどを聞いて気持ちを変えてくれた。ハルモニのお骨をハラボジの傍に、そればかりではなく、私の居場所まで作って良いという。ハラボジ、ハルモニばかりではなく、私も傍にと言ってくれたのである。
なんと、嬉しい事であろうか?甥は言葉が通じて深く話し合えたことをとても喜んでくれた。意志の疎通が出来て良かったと話してくれた。
甥は又私の作品も読むことが出来たので、メールで送り読んで貰う事が出来たことは本当に幸いであった。
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アボジとオモニの名前が彫られている墓石。裏には7人娘の名が刻まれている。
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新しく作ったオモニの骨壺オモニの名前や、蓮の花なども描かれてある。このまま、アボジと離れて納骨堂にいる筈であったが、アボジの傍に落ち着くことになった。
本当に嬉しい。
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簡素ながら祭祀を行った。

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      私の後ろの人は甥とその妻。左の人は祭祀の仕方を教える人

     
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    私が将来、安置される場所、私のお墓、蜜陽朴氏貞夏之墓。
「貞花」ではなくて、「貞夏」だ。夏は私の代の行列字だ。密陽朴氏一族の同世代は全員にこの字が使われている。本来は男子にだけつくのだが、何故か、私にはこの行列字がついている。長女の姉にもなく、次女の私にだけ使われていて、7人姉妹の誰にもこの字は使われていない。
だから、こんなに一人だけ民族心が強く、我が家の事に関わり続けることになったのかと、運命を感じてしまう。
アボジも墓石には普段使っていた「宗根」の名ではなく、族譜に載っている名前が刻まれている。
族譜に載っているのは「諱」だと思う。辞書を繙いてみると生前の実名、生前には口にすることをはばかった。朝鮮の歴代の王達もいずれも、普通に呼ばれていたものとは違うものが実名としてある。
墓碑の裏面には私の命より大切な息子の家族と娘の家族の名前が刻まれている。
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    私がここに安置されたら、毎日眺める風景。素晴らしい景色。
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晴れていたので、面白い写真が出来た。碑面に写している私が映っている。
工事の日は快晴であった。私は嬉しくて、良かったですねと言ったら、工事をしている人は、自分たちは雨の方が良い、植えた芝が枯れないようにと言われた。
「雨降って地固まる」はこの事から出来たのじゃないかと思った。
ちなみにあんなに晴れて暑かったのに、全てが終わって甥とアボジが住んでいた家に甥と休んでいる時に、土砂降りの雨が降った。甥と私は手を取りあい良かった、良かったと恵みの雨に感謝し喜びをともにした。
アボジとオモニが、私と甥に対して今日の喜びを雨を降らせることで、知らせてくれたのだと話し合った。
ソウルに戻る道筋では雨が降った後は、全くなかった。故郷のあの我が家の墓所周辺にだけあんなにたくさんの雨が降ったのであった。
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私の墓碑の裏面二人の子供の家族の名前が刻まれている。
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遠くに見える丸い土盛りには父母が眠る。手前に私が眠る。
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     右奥に見える石碑に、両親の名前が刻まれ、裏面には7人娘の名前が刻まれている。
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土地は斜面になっている。少し下段に義兄夫婦、その下段に甥の墓が出来るという。
アボジとオモニの傍にと言う私の言葉を聞いた甥がこの様に、アボジとオモニの傍に配置してくれたのであろう。
長男の喜洙の英断により、長年の私の希望、夢が実現した。喜洙よ本当に有難う。心からお礼を言います。協力してくれた次男の喜重よ有難う。
全てを任せてあったので、この様な配置になるとは、思っていなかったので、年少の私が、義兄夫婦より上段であることにびっくりもし、申し訳ないと思っている。
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奥に見える丸い土盛りのお墓私の両親のお墓。手前がアボジの養子になった義兄夫婦のお墓。この夫婦の中央に私のアボジとオモニが,合葬されている。義兄夫婦の前の石碑に子供たちの名前が刻まれている。
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坂を下ると田畑があり、遠くにはこのような景色が見える。風水説による良い土地。
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     5人の大男と、この大きなブルトーザーにより工事は完了した。
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      叶う筈がないと、言われ続けた私の希望であり夢であった。  
     今日からは、何の憂いもなく、いつ何時でも、アボジとオモニのいらっしゃる         ところに旅立てると、安堵している笑顔の貞花です。
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   無事に工事も終わり、祭祀も終わりましたので、記念写真を撮りました。
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一輪の撫子が、私達を迎えてくれた。(墓所の入口に)
オモニが咲かせてくれたのだと思う。オモニは本当に喜んで下さったのですね。
私も本当に嬉しいです。心置きなく残りの日々を生きていきます。見守って下さいね。


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by pcflily | 2017-07-01 17:47 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2017-07-03 21:14 x
貞花 さま お久しぶりにブログを拝見しました。故国にご帰還だったのですね。「族譜」に記載されたお名前など幽玄な世界を見ているような内容です。「密陽朴氏貞夏之墓」と記された墓石の前のお写真など、貞花さまの長年の夢が叶ったのですね。おめでとうございます。私とは対極の自分の国家・民族観をお持ちの貞花さまだからこそ、貧困や差別をはねのけ、生きることへの強い信念と祖国への熱い愛がこのような素晴らしい形での夢の実現となったのではと拝察いたします。ただ、貞花さまの詩歌・随筆のファンとしては幾分複雑な思いでおります。「死出の旅路の準備が整った」などとは決して仰らないで下さい。未だ、差別で苦悩・呻吟している人々のためにも詠い書き続けて下さい。辛辣で妥協を許さない言葉で語っていただきたいと思っております。季節柄ご自愛ください。
Commented by pcflily at 2017-07-05 13:47
コメントを有難うございます。
私は、朝鮮籍を守っていた為に、自由な訪韓が出来ないでおりました。他の姉妹は、何度も、訪韓し、甥とも何度も会っています。甥の家に、何度も宿泊もしています。2度も語学留学をした妹もおり、日本に留学をしていた甥の二人の子供とも連携を取っておりました。妹の娘は甥の家を宿所にして、学校に通っていました。
きっと、私は朝鮮籍の為に警戒され、近づかないようにしていたようです。昨年の2度の出会いで、甥はいろいろなことを知り、理解できたようです。
その為に、アボジのお墓を守ることを決心し、オモニのお骨も、アボジの傍に移してくれました。そればかりでなく、私のお墓を父母の傍に作ることを許してくれました。本当に有難いことです。この喜びは言葉には出来ません。

ところが、これを知った姉妹に総スカンを食う事になりました。現在、私の電話は、何遍かけても一切、受け付けない作戦を取られています。共に、喜んでくれると、信じていたので、あまりにも、驚いて言葉が出ません。

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