関東大震災時朝鮮人虐殺の「さいたまフィールドワーク」

関東大震災時朝鮮人大虐殺の現地を歩く「さいたまフィールドワーク」
○挿し木して三年目の紫陽花が大木になり紫陽花の時節は過ぎていたのに、立派な花を咲かせてくれた。ゼラニュウムと月見草と合わせて大量に持っていき何カ所ものお墓に捧げた。
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写真は埼玉に住む妹も参加したので、カメラを預けて撮ってもらったもの。
○現地で殺害された事実を説明する○○さん左、右の方は10代続く農家の当主、当時の書面の実物を見せて下さった。
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善良な方であったのでこうして、当時の書類を公開されたのだと思う。日本人にとって、都合が悪いと廃棄されなかったことを感謝する。
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村人が殺害した朝鮮人の墓を村人が建てた。
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by pcflily | 2016-07-03 10:14 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2016-07-06 21:44 x
埼玉の犠牲者追悼式、ご参加の記録ですね。現地の方々が語り継いでいるのは千葉八千代市の追悼式でも同じでした。今から40年前、日本史の教師「児玉健次先生」が、1923年関東大震災での朝鮮人虐殺事件を生徒に話してくれました。うまく言葉が話せない日本人も殺されたとのことでした。私の同世代の人々で6000人以上もの朝鮮の方々が虐殺されたこの事件を知っている者は少ないと思います。日本政府も一貫して隠蔽を続けているのですから。子供や孫たちに伝えていかねばと思っております。CFさまの行動に敬意です。
Commented by pcflily at 2016-07-07 22:52
有難うございました。
明日の命が分からないので、一貫して、どんなに小さなことであろうともその時に出来ることを、一つでもやりたいと思ってきました。
けれども、単純な私の生き方は姉妹まで離れていく結果を招きました。40年前に学生さんだったのですね、年の差を感じます。
学校で関東大震災時の朝鮮人虐殺について学んだ記憶はありません。町田市に来てから、本や講演会で学びました。亡くなってしまいましたが、琴秉洞先生の講演を聞いた時には、食事をご一緒しながら語り合い、私の『身世打鈴』も読んで下さっています。
テレビでイギリスの報告書の、イラク戦争は誤りだ、アメリカ追従は誤りだと言っています。
アメリカが、変わることはないだろうけど、少しホッとしています。

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