人気ブログランキング | 話題のタグを見る

川崎のヘイトスピーチを止めた日2016年6月5日

川崎のヘイトスピーチを止めた日
6月5日は私の加入している「関東大震災時朝鮮人虐殺を学び追悼する会」のフイールドワークの予定された日であり、私の住む横浜南部を歩く日であったので私も学んだ結果を説明する役目があった。

けれども、今回、6月5日は川崎市が全国で初めて市長と市議会がヘイトスピーチの公園使用を禁じた日であった。
ところが、彼らは場所を替え、中原区の平和公園の傍の道路使用の許可を警察から受けた。警察は「社会公共の秩序と安全を維持する、国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・捜査―被疑者の逮捕、交通の取り締まり及び公安の維持を目的とする」と私の辞書にある。
今回、国会でも禁止されたのに、警察が許可を与えるとは私の良識では考えられない。「ヘイトスピーチを止めよう、ともに生きよう」とヘイトスピーチを止める為に出かけた前回にも驚いたことがある。警察は彼らを守るように二重三重になって私達を見張っている体制であった。

韓国の駐韓日本大使館への抗議の水曜デモに参加し、実家へ帰っても床が変わると眠れない私は6泊7日の韓国訪問で疲れ果てていた。
関東大震災時の朝鮮人虐殺を学び追悼する会の横浜南部のフイールドワークを中止し、「ヘイトスピーチを止めよう」に参加することにしたとメールが届いた。
電車に乗り慣れない上に、方向音痴の私は何度も失敗を繰り返しながらも、なんとか現地に辿り着き仲間に喜び迎えられた。照れ隠しに「迷子の迷子のちょんふぁたん」と歌ってしまった。

声を張り上げ、年寄りは傍に行けば危ないと隣の人に注意されたが、我慢できなくなり最後には彼らの傍に行き「デモ中止」と声を張り上げた。周りの人も一緒に「デモ中止」と唱和してくれた。大騒音の中で、デモ中止が知らされた。
喜びの拍手が続いた。公園に待っていた人々の所に、皆で両手をあげ歓声をあげながら戻った。
中心になって闘ってきた三浦さん在日の女性崔江以子さんと彼女の息子さんも、喜びの挨拶をして、これからも全国でヘイトスピーチが無くなるまで闘い続けることを誓い合いながら、解散した。

「関東大震災時の朝鮮人虐殺を学び追悼する会」の人達と昼食をとり、生ビールで乾杯をした。昼時にアルコールを摂取しないことにしているが、夜も一人では飲まないけれど、この喜びの乾杯の為には飲まずにはいられなかった。
その結果、不眠と疲労困憊の中での生ビールは、全身にしみわたり酔いが回り、漸く帰宅した私は這うようにして二階の寝室のベッドに横になった。

残念なことは疲れていたので、カメラを忘れ、この記念すべき「ヘイトスピーチを止めた日」の重要な写真を残せなかった。

☆後日談
6月11日のテレビの報道特集で、市民がヘイトスピーチを止めたことが放送された。
高齢者は傍に行かない方が良いと言われ、早い時間に「ヘイトスピーチをする人達」が私たちのいる平和公園に侵入したので、公園を守る人たちの中にいたのだが、我慢が出来ず彼らのいる方に私も行って「デモ中止」を叫び続けていた。デモの中止が知らされた後に、目の前の若い警官に思わず私は声をかけてしまった。「将来、偉くなった時には、こんなデモはさせないでね」と。その場面が、テレビに映っていた。編集されたものが放送されたであろうに、こんなことを言うのは私ぐらいであったのだろうか?びっくりした。
川崎のヘイトスピーチを止めた日2016年6月5日_f0253572_20161719.jpg
1232回目。
韓国の駐韓日本大使館前の水曜日の抗議集会。何時も韓国では小学生から中学生、高校生、大学生まで、外国人、一般の人々も含めて沢山の人が来ている。日本では教科書からさえ、慰安婦問題を消そうとしているが、この子たちが成人した時に、世界中が認知しているのに、当事者の日本人が何も知らないと言う事になるかもしれないと思った。

ナヌムの家
川崎のヘイトスピーチを止めた日2016年6月5日_f0253572_10190241.jpg

戦争と女性人権博物館の庭
川崎のヘイトスピーチを止めた日2016年6月5日_f0253572_10215391.jpg
戦争と女性人権博物館の少女像と
川崎のヘイトスピーチを止めた日2016年6月5日_f0253572_10211355.jpg

by pcflily | 2016-06-07 10:24 | 『新日本歌人』  

<< 一人歩きの韓国 百聞は一見に如かず 韓国へ行く >>