春眠 暁の夢に魘される

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七月号原稿
春眠 暁の夢に魘(うな)される          朴 貞 花      神奈川県

天皇の名にて遂行の
侵略による投獄、拷問、殺害、
植民地支配とアジア諸国への
戦争責任は問わない――

被害者の痛みは
無視のままに
過去の歴史を変質させていく
「美しい日本」

天皇は平和の使徒と
天皇家を崇め奉り
マスコミもすべからく
尊称をつけるべし

米国の
天皇制擁護の御陰様で       (一九八九年一月七日・朝日新聞、天皇制の擁護)
敗戦の混乱から救われ
日本は速やかに復興した――

すめらみことの
すめらぎのくにの
すめらぎの民の歌

いにしえより受け継がれきた
三十一文字の歌
詩情豊かに韻を踏め
字数を守るべし

人間の命を奪う
戦争も
原発も
大地震も
歌びとは型を守れ――

暁の夢にうなされ
目覚めなお鮮やかにあり
吾を責める声

☆「31文字を守るべきだ」との「歌論?」が「新日本歌人」に4度も掲載された。
「歌論?」は私の名前は書かれていないが、私に向けてのものであることは明白である。
これは、編集長が編集後記に「朴貞花の作品について選者からの推薦作品とされているので掲載したが、短歌作品としての議論が必要ではないか、忌憚のない発展的な議論の提起をしたい」に応じたたものであるからだ。(掲載したくなかったけれどの意味が含まれている)

編集長は定型短歌の作者であるが、定型よりも文字数を増やしても良い、行を分ける「行分け作品」が私の書いているものだ。行分け作品の選者が良いと言ったのにも関わらず、このようなことを言うのは越権行為で選者に対して失礼なことであると思った。
二度も、意見を述べ自分の意見が正しいと強調した人は、投稿をしていない人であり、もう一人は新会員であった。

「新日本歌人」は1945年、帝国主義、封建主義を一掃し、自由に率直に、伝統的、封建的な観念を駆逐しなければならないと創立された。
70年の間に個人名を出して、皆で叩くことがあったのかを何よりも聞きたかった。
「編集部に問う」と作品を投稿したが、この時の選者は、編集長の意向に賛同のようで、同じことを提言している。私としては傷の上に再び塩をまかれた状態になってしまった。
これを受けて編集長に友人の梅田さんが手紙を書いて下さったが、いまだになんの返事もないと言うことである。(彼は耳が遠いので会話が成り立たないということで、手紙を書いて下さった)

嘗て関川夏央に嘘も付け加えて批判されたときも、私と梅田さんは抗議の手紙を出したが、無視されたままだったが、この度も同じことが起きた。梅田悦子さんには再度お世話になってしまった、なんとお礼を言って良いかお礼の言葉が見つからない。

私は歌人でもなく詩人でもない。
うまい歌を詠もうなどとも思っていない。

一人の在日朝鮮人だ。在日朝鮮人の思いを書かずにはいられなくて書いているだけである。

 曖昧を得意とするこの国の、この会の、会員の歌人たちが、直接は言いにくいので、こんな形で追い出しにかかっているような気がする。沢山の会員がいる中に一人の駄作があったからと言って「どんな被害が起きるのか」との思いでいる。

 ある人に、この事を話したら、形を変えた陰湿な虐めだねとおっしゃった。
私は花を見ているだけで、幸せであり、これ以上なんの欲望もない筈なのに、何故、このように日本人の嫌うことをこうして、書き続けて投稿を続けているのだろう。その結果、このような石つぶてを受けているのだろう。きっと、普通の日本人の表向きだけの優しさを示されることに、嫌気がさしているからだろう。

○8個の鉢植えの胡蝶蘭が次々と花を咲かせる。冬の間に蕾が落ちてしまうので心配したが、茎はどんどん伸びて蕾をつけて花を咲かせた。
昨秋に、花の枯れて終わってしまった鉢植えを頂いたものまで花を咲かせている。1年に一度咲くはずなのにどうしてだろう。この白と紫の大輪だ。これらの花達がいなかったら、どんなにか寂しいだろう。花は心と手をかけただけの花を見せてくれる。
枝垂れ咲く白梅も実を実らせた。梅の木の花はオモニを思いださせてくれる花。寒風の中に地味な花を咲かせて間もなく散ってしまうが、後に」実を実らせて私を喜ばせてくれる。
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by pcflily | 2016-04-30 16:52 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2016-05-02 20:26 x
新日本歌人会:「平和と進歩、民主主義をめざす共同の立場から、広範な人びとの生活・感情・思想を短歌を通じて豊かに表現し、将来に発展させることを目指す」とありました。同人の方々が歌人会における突出した「思想や行動」を主張・表現する人に秩序を要求されたのでしょうか。崇高な理念を有する人々が集まっている「新日本歌人会」は、私から見ると政治意識の高い文化運動との印象です。以前、同じようなCFさんのお悩みにコメントした記憶があります。対立する同人の方々とは思えないものですから、対決ではなく、理解しあえる話し合い・討論を続けることが必要ではないでしょうか。
Commented by pcflily at 2016-05-03 22:32
コメントを有難うございます。
仰る通りと思います。けれども、私が最初から言っていることは編集後記に名指しで書かれたことです。これは私の作品を「月集」に選んだ行分け作品の選者に対する批判にもなり、申し訳ないと思いました。その後に、幹事会や総会などの話し合いの場が何度もありましたのに、その場では誰も編集長自身さえも意見を言わなかったそうです。

今年の2月19日の週刊金曜日に佐高信さんの「新・政経外科」に金時鐘さんの言葉が紹介されていました。
2008年8月号の『俳句界』の対談の時の言葉として(一部を抜粋します)
「日本人は有形にも無形にも暗黙の心的秩序を作り上げてしまっている、ですから選挙をすればいつも政権与党に評が入る。ぼくはここには、日本の叙情という問題が下地にあるといつも思っています。国民的詩と言われる俳句・短歌をやっている人たちは、美しいものだとか、これはいいと思っているものに関して共通して同じものを感じとっている。その人たちが日本の詩の絶対的多数を占めているということは、政権与党の絶対多数と重なり合っているということです。いながらにして体制側なんですね」
時鍾さんは「詩に対する期待や認識」「うちのくに」と日本ではだいぶ違うとも言っていました。
『俳句界』の対談を読みましたら、こんな言葉もありました「人間の暮らしの介在しない自然をもののあわれを秘めた美しいものとして詠むとなると、どうしても情感偏重をきたしてくる。つまり:批評:の働く場がそれだけ伝統的にといっていいほど現状容認派になって体制側を利するようにもなっていく。
なぜか、すっきりしました。

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