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ミンクのコートの裏地交換の繕いをしました。

オモニがハヌルナラへ行ってしまってから、もともと虚弱であったが、すぐに日常生活に困るほどに体調を崩すようになった。年末からの不調は年初も続いている。
身動きが出来なくてベッドに1日中横になっている程ではないが、芳しくない。暖房の中でも体の芯に寒さを感じている間に、役に立ったのが実家の遺品整理に行ったときに放置されていたミンクのコートであった。

実家のあった福島県の会津は雪国であったので、オモニも姉妹も毛皮のコートを持っていた。私はオオカミの毛皮を持っている。また、娘が婚家から贈られたミンクのロングコートを着る時がないと私に送ってくれた。そんなわけで、二枚もあるのだけれども、甥が残されたものはみんな、ブルトーザーで家ごと処理すると言うので、勿体ない、何方かに差し上げても良いと思って持ち帰った。

けれども横浜は暖地なので、毛皮はいらないと断られ貰い手がなかった。これが今回の長引いた風邪の時に大いに私の体に役立った。暖房をかけていても寒気があったのにこれを羽織ると体の芯から温まるのだった。
ところが、そのうちに裏地の綻びが酷くなってきた。糸も古くなるとこんなにも弱くなることを実感した。このまま捨てるのには忍びなくて私の「お得意のダメモト」で裏地を替えることにした。生地はやはり実家から持ち込んだものが、沢山ある。

姉は洋裁を習ったことがあり、縫物、編み物が大好きな人で、私の娘時代の洋服は殆ど、姉の手造りであった。いつ買い求めたものであるのか分からないが、新しい生地がたくさんあった。あるいは認知症になってしまって、買い集めていたのかもしれない。いずれにしても、どこかで役に立てれば良いと、塵にはしたくないので、我が家に持ちこんでしまった。

実を言うと私は縫物などは全く出来ない人間である。高校の時に、浴衣と袷の着物を学校に提出したが、近くに住んでいた中学時代の先生に教えて下さいとお願いに行ったら、殆ど先生が縫い上げてしまった。結婚してからも夫のワイシャツのボタンをつけるのをオモニに頼んだ。あのボタンを見るだけで震えが来て、触ることなどとても出来なかったからである。
編み物は好きであった。夫や子供や姪の為に自分の手で編んだものをプレゼントすることは何度かあった。そんな私がミンクのコートの裏地交換を始めた。古くなってほつれてきた生地を丁寧に取り除き、それを型紙にして新しい生地を裁断した。

ミシンは横浜に引っ越しをするときに処分してしまったので、すべて手縫いだ。この何日間は考えることはこの事だけであった。表が毛皮のためか裏の生地のカットが思ったより複雑になっていた。
洋裁道具も揃っていない中で、悪戦苦闘したが、漸く完成して試着してみたら、意外と体にぴったりと出来上がっていた。オモニや私の姉妹が、このことを知ったらどんなにか驚くだろうかと、一人でに笑いが込み上げてきた。
オモニはいつものように「貞花はなんでもやればできる子なんだよ」とほめてくれたと思う。
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○1月25日の昇る赤い月
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○枝垂れ梅も咲き始めました
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by pcflily | 2016-01-28 17:18 | アリランエッセー  

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