編集部に問う

「新日本歌人 投稿歌」  三月号原稿

編集部に問う             朴(ぱっ) 貞(ちょん) 花(ふぁ)    神奈川県

嘗て「NHK短歌」に著名人
関川夏央は
「朝日歌壇」の三者共選の
朴貞花の歌は嘘だと―――

2チャンネルに早速
朴貞花は嘘つきだ――
「NHK歌壇」「未来」「朝日歌壇」に
資料と書信を送るも無視された恐怖。

「新日本歌人」に             (2003年8月号 短歌時評「前衛短歌」考)
田中礼さんの反論が載り
入会を薦められ
唯一の救い・拠り所となった

[新日本歌人』入会を友人に勧め、 
恐怖で歌が詠めなくなった私が
入会出来たのは五年後――

過去を水に流す優しい人々
御上の戦争責任を問わず
加害責任は曖昧のままに

地震国日本に
原発を五十基以上
福島に原発事故だ

怒りを抑えられなかった
抒情に浸るだけで良い筈はない――
歴史の真実を具体を伝えたい

名指しで俎上に載せ
捌き続けてきたのでしょうか?
異端・朝鮮人の朴貞花を
追放する作戦でしょうか?

☆2014年6月号に、「月集」に選ばれた私の作品に、選者からの推薦作品とされているので掲載したが、議論が必要ではないかと、編集長が「あとがき」に書いた。
その後1年以上の間これについて、誰も意見を出す人はいなかった。
私は、私ばかりでなく選者に対しても無礼なことと思った。意見の言える場所がないので作品で答えたが、私の意図は通じなかったようだった。
この編集長の言葉が出た後には、私の作品は無視されている状態であった。私の被害妄想かも知れないが、誰もが空気を読んだのであろうと感じた。
 
1年3か月の後に、投稿もしない人が意見を述べる考察とやらが掲載され翌月にも似たようなものが掲載された。そこに私は悪意を感じてしまい、上記の作品を投稿した。

入会しているこの「新日本歌人」を私は信頼していた。何か月も前に出来上がっていた作品を投稿しないでいたが、出せずにいたのだが、会誌が創設されてから70年になる。個人名を出して糾弾したことがあったのかと言いたくなったのだ。

拉致問題で在日が苦しめられたときに私の朝日歌壇への投稿作品に対して、著名人の関川夏央に批判されたことが思い出されたのだ。
私の作品を認めて下さり応援して下さった選者に対して、迷惑をかけることになるのかとも思った。脱会するにしても言うべきことは言って脱会しようと決意した。反応はどうなるのかわ分からない。
その結果を見るまでは投稿をを続けることにした。

☆ある人が一つのことを成し遂げるのには「チバン・カバン・カンバン」が必要なのだと言っていた。出身地・金・著名であることの後ろ盾が必要だと。そうなのかもしれないと思った。
昨日、川崎からヘイトスピーチを失くそう。大阪のようにヘイトスピーチ抑止条例を成立させようとの集会に出席した。

私の息子は横浜は国際都市だからあまり外国人だと言ってもあまり気にしないと言っていた。
けれども、その中身は全く違っていた。

関川夏央の言葉が「2チャンネル」に流され、短歌も詠めなくなった私は、一人暮らしは危険であると30年余を暮らした土地と家を捨て、横浜に移住して12年になる。選挙権のない私には、暮らしに直結する現政権に対する私の意思表示は出来ない。何年もの間選挙があるたびに、選挙率の低さに腹を立てていた。

けれど、昨年は市内で行われる安倍政権は許さない集会があると知った時には一人で出かけていた。
何もできないがデモに参加することで自分の意志を行動に表したかった。見知らぬ人々の中で、一緒に声を挙げながらも、虚しさが募るばかりであった。たまたま隣の女性と話すことになり、朝鮮人が選挙権がないことも知らないのであった。3万人が集まった日もあったが、私達在日朝鮮人に選挙権がないことをどれだけの人が知っているのだろうかと思っていた。

新聞で川崎のハルモニ達が街に出て声を挙げて、ヘイトスピーチに抗議している姿に感動した。
昨日の川崎のハルモニ達と繋がっている三浦知人さんの話を聞いて、ハルモニ達が街へ出て声を挙げられたのは、朝鮮人と近隣の日本人の「70年のつながり」があった為であることを知った。
70年間の積み重ねがあって初めて出来たことであったのだ。

何もない、見知らぬ土地でお金もない著名でもない、たった一人の無力な老女が抗い続けている姿の私であることを再認識した。私の出来る限界は目に見えている。唯一の慰めである「新日本歌人」でのささやかな歌作りも危ういものになってきた。このようにブログを書き続けていても読む人もなく、むなしい独り言の自己満足でしかないのだ。

両親が私の為に建てて下さった50坪の一戸建てを半年も住まずに家出をして、現在に至る。
上京した時から、家の束縛から解放されて、自分の意志で生きると決めた時から、本名の名刺を作り、「本名宣言運動」を始めた。その頃は本名で読んで欲しいとの思いで自分の名刺を渡していた。

現在は、朝鮮人のことを知って欲しいと思い、ブログ名を印刷した名刺を渡して「ブログをーーー」と言っているが、殆どの人が読んでいないようだ。コメントがないのは読んでいないからだと思っている。

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○一番親しい友人でもある孫である。
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by pcflily | 2016-01-24 12:24 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2016-01-24 18:55 x
CFさまの創作活動のスピードについていけずコメントがなかなかできませんでした。お許しください。立て板に水の如く、言葉を操れるCFさまの作品にいい加減な意見を述べることは出来ません。熟考のうえコメントを書いてみますが、納得のいかないものばかりでした。自分の能力のなさを嘆いております。「恨」を見据えて生き抜くことが在日の生き方と主張される尹健次先生の言葉の重みを測りながらCFさまのブログ作品に正面から向かおうと自分を鼓舞しております。寒さが厳しいです。ご自愛ください。
Commented by pcflily at 2016-01-25 20:20
お久し振りです。ご病気なのかと心配をしておりました。お元気であったことで安心しました。長い間、お付き合いいただいた事だけでも、感謝しています。
息子や娘に言われたとおりに病的に感受性が強く、正義感が強いことの成させる技でしょうか?
嘗て、ある友人に言われたことがあります。私と付き合うのは疲れるとーーー。
昨日は今年初めて梅が咲き、バラが厳寒の中を一輪咲きました。私の花占いはいつも当たります。
お元気であったことを知り、嬉しいです。

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