チマ・チョゴリで街中を歩ける日は来るだろうか?

 朝鮮では還暦を迎えると「寿衣」を整える。オモニの教えで私も必ず来る日の為に「寿衣」を整えた。布団の上下、枕、下着、路銀を入れる巾着等々まで一式が入っている。旅立つのは、姉妹の中では私が一番早いと思った。何時も控えめに暮らしてきたので最後は少し華やかにと思ったので白絹の上に重ね着る華やかな結婚式の時に着る「環衣」まで準備をした。「環衣」迄整えるのが正式なものであると教えられたからである。還暦を過ぎ17年もの間、毎年その他のチマ・チョゴリと一緒に虫干しをするのが習慣となっている。

オモニの遺品を整理するために実家に行ったときに、オモニのチマ・チョゴリが何枚もあった。オモニのチマ・チョゴリに関心を寄せる姉妹はいなかった。一番小さな家に住んでいる私が、全部持ってきた。オモニが支払いの困難な時にも娘たちと、お揃いで作ったチマ・チョゴリ。幸せだったあの日の思い出のチマ・チョゴリなのだ。見捨てることは出来なかった。
去年は手入れできずに残ったものは一番古いものであった。

私はクリーニングを殆ど自分でする。朝鮮語で洋緞(ヤンダン)というのは絹地に刺繍をしたものである。さすがに自分では洗えないと思ったので、クリーニング店に出そうと思ったのだが忙しさに紛れてそのままになっていた。今年はそのチマ・チョゴリを着ることもないのに勿体ないと思い始め、思い切って自分でやってみたら驚くほど上手に、きれいに仕上がった。何時も思うことだが人間は幾つになっても新しい発見が出来るものと嬉しさが込み上げた。

朝鮮の風習と言っていたオモニの言葉を守って、寿衣を整えたが私で終わってしまった。この風習を引き継ぐ娘は7人の娘の中で姉と私の二人だけで終わってしまった。
チマ・チョゴリを日本で仕立てることが出来るようになってから、祝い事があるたびにオモニと七人娘、孫娘たちまで新調した。
チマ・チョゴリは洋服のようにそれぞれの体を採寸して新調する。次々と新しい素材が生まれ流行も変わる。日常生活では殆ど着用する機会がないのに、皆で新調した。

「総連」が華やかに活躍していた頃には、結婚式や同胞の集まりが度々あって、女性たちは、チマ・チョゴリ姿で出席したものであった。チマ・チョゴリを纏い、小田急線に載って新宿界隈を歩いたものであった。
小泉首相が訪朝して、拉致問題が明るみになり、朝鮮学校のチマ・チョゴリの制服まで廃止された。現在の日本の状況の中では、さすがに怖くて私も街中をチマ・チョゴリ姿では歩けなくなってしまった。
今年の「関東大震災時の虐殺された朝鮮人の追悼会」では、白衣のチマ・チョゴリを来たのだが、現地で着替えた。こんなことは初めてのことであった。
横浜に越してから、「統一のための海外コリアン国際大会」に参加する為に、京都に行った時は、新幹線をチマ・チョゴリ姿での往復を果たしたのだが、「関東大震災」のことを学ぶ仲間に入ってから、人間?日本人?の怖さを感じるようになったからである。
 この日本の街を、横浜の街を、新宿の通りを、チマ・チョゴリ姿で歩ける日が果たして来るであろうか?その日は真の共生が出来た日になる筈だが前途は暗い。

○写真の左は洋緞(やんだん)、オモニはグリーンだった。私は同じ材質で黒地にピンクの花の刺繍であった。
右のオモニが水色を選んだ時には私は白を選んだが表のバラの刺繍時はスパンコールがついていて淡いピンクなので純白にはなっていない、純白が欲しかったのに残念。このようにオモニと娘や孫たちが同じ材質で、それぞれに好みの色を選んでお祝いがあるたびに新調して楽しんだ。同じものを何度も着用することはあまりないので、何着ものチマチョゴリがタンスの中で眠っている。本当に勿体ない。将来、老人ホームに入った時にはチマ・チョゴリで過ごすのだと、私は常日ごろ言っていたのだが、どんな人がいるか分からないもの、危険だなーと、最近は思い始めている。

自分の手でクリーニングが出来てあまりに良く出来たので、カメラに収めた。
実物はもっと爽やかで目も覚めるような美しい色合いなのに、私のカメラと私の映し方が良くないようで、本当の色が出てないのが残念だ。
朝鮮の空は、もっと高く美しいと言っていたアボジの言葉が思い出される。

チマ・チョゴリは鮮やかな色が多いのは、朝鮮の空が高く澄んでいるからかとも思っていたが、いつも他国から侵略をされることが多かったので、明日はどうなるか分からないので、今を、今日を、精一杯明るく美しくとの思うからであると言っている人がいた。「今日を精一杯」という心が小さな国であるにも関わらず、文化も言葉も文字も失わずに、生き延びることが出来たのかも知れない。
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○嬉しいことに、今年も胡蝶蘭が蕾をたくさんつけ花を開き始めた。他の鉢も全部健やかに蕾を見せ始めている。
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by pcflily | 2015-12-08 22:58 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi  Nimura at 2015-12-13 07:06 x
清楚なチマ・チョゴリと蘭の花が素敵です。先祖から伝えられている伝統の衣装、そして言葉と文化。異境の地での「自分自身の存在」をどう捉えたら良いのか、日々、悩んでいらっしゃるのでしょうか。甘い私の認識を許していただけるなら、私自身は日本人を意識したことはありません。「日本の伝統」、「日本の文化」と声高に言われると暗い時代の「神道国家」を連想してしまうからです。戦後の反省無く「伝統」、「文化」を語ることに拒否感があるのだと思います。文化や伝統を利用した、利用されたことに不幸な私の日本人観があります。民族を意識するほどに過酷な状況に立たされたことがない、能天気な日本人かもしれません。お恥ずかしい話です。寒さが厳しくなるようです。ご自愛下さい。
Commented by pcflily at 2015-12-13 11:54
有難うございます。
「民族を意識する程の過酷な状況に立たされたことがない」
「言い得て妙」の言葉がすぐに浮かびました。
在日朝鮮人に対して日本国が、差別をしなかったなら(あり得ないことだと最近は強く感じています)この国に在日と呼ばれる人はもっと少数になっていたと思います。
古代の渡来人のように、日本に馴染んでゆき日本人として生きていたと思います。
私自身も、何故?自分に対して学校の先生さえ意地悪をするのかを考えたことが、自分の出自を、朝鮮人を、知ろうとする出発点でした。それでも日本の民俗は日本人よりも大好きで大切に思っております。
人間が怖いものだから、花との会話で、寂しさを紛らわせています。

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