関東大震災時の子供達の作文を読む

 関東大震災朝鮮人虐殺追悼会で子供達の作文を読み学んでいる。
一部の抜粋 言葉が方言なのであろうか、理解しにくいところが多く作文力もあまりよくないと思ったが内容は伝わり、気の弱い私にとっては、とても辛い時間になっている。

南吉田小。
6年(女)
三日はおしるごろからきんぢよのひとたちはかたなおもったりやりおもったりてつぼうをもったりしてなにおするのだろうとおもっていますとほりのうちのほうから一人の人おつれてわあわあといって中村橋の上へきました その一人の人はちょうせんぢんでした。ちょうせんぢんお橋の上でおおぜいの人たちがかたなできったり てっぼうでぶったり やりでつついたりしていました。しまいには川の中へほおりこんでしまいました。
南吉田小6年(女)
其の夜は御飯も食べずに寝てしまいました。明日の朝になると朝鮮人が来るとのうわさがはじまった。僕は赤いきれをまいて竹やりを持てばんをしていましたが朝鮮は一人もきません 其の日の夜になると合言葉やら時の聲をあげるやらおおさわぎ出した それもすんで五日ばかりたってかんずめや米豆などを採りに行きました。途中でしたいをたくさんみました。
南吉田小
それから少し立て中村橋のところへ行くと大勢居るから行ってみると鮮人がぶたれていた こんどは川の中へ投げこんだ するとおよいだ日本委員がどんどん追いかけて来て両岸から一人づつ飛び込んでとび口で頭をつつとしたらとうとう死んでしまった。其れから家へかえって見た すると鮮人がころされて居るといふのでみに行ったらあたまを十箇所ぐらい切られていた
又くびの所が一寸ぐらいで落ちる 僕は家へ帰ろうとすると地震であったのでびっくらして家へ早く行からとしたらたほれてしまった
寿小 高等科一年(女)
とうとう朝鮮人はこなかった。そのあした、朝鮮人がころだれているというので、私は行ちやんと二人でみにいった。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによって見た。するとあたまは」われて血みどりになって、しゃつは血でそまっていた。皆んなはたけの棒で頭をつっついて「にくらしいやつだ、こいつがいうべあばれたやつだ」とさもにくにくしげにつばきをひきかけていったしまった。

☆朝鮮人に間違われ、殺されそうになって危うく助かった大人・根津正志さんが書いている。
この九月一日の朝、『朝日新聞』をみると、「震災時の朝鮮人虐殺・軍が農家に下請けさせた」という記事がある。政府は民衆の不平や反感を朝鮮人などに向けて、労せずして治安を維持しようとした。

昨日は4回目であったが、子供が作文を書いたのは地震があってから何か月もたってからだが、朝鮮人が悪い事をするからといった流言が嘘であったことを、子供達は、誰も知らない。
大人が先生が、朝鮮人に対する流言はッ間違いであったこと話さなかったのだ。口をを閉ざしていたのである。

それにしても、作文を読んでいると人間の性悪説を思い出す。小学生や高等学校の思いを読んで、こんなにも普通の人達が残酷になれるのだと~~~~~。

付和雷同する日本人の特質であると書いている人もいた。かつて朝日新聞で読んだことがある、歴史こぼれ話のような記事を思い出した。
開港した日本や朝鮮に米艦が来た時船内を見せた時に、日本人は誰もが武器に興味を持ち、朝鮮人は誰もが書物に興味を持った。その違いに驚いたという米国人の話があった。
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暗い話だったのできれいな花で慰められたい。
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by pcflily | 2015-12-03 23:55 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2015-12-07 20:35 x
千葉県八千代市で行われた慰霊祭にここ二年ほど参加しています。習志野連隊から各村に「配布」された朝鮮人が村人によって無残に虐殺された史実が語り継がれています。村人には朝鮮人に対し何の恨みもなかったはずなのに無残にも殺された無辜の人々の魂の安らぐ場所はなかったのでしょうか。心ある人々が碑を作り、本を書いて語り継いでいます。日本の歴史で学ばなければならない大切なことだと思います。かつて私は一度だけ「児玉健次」先生(高教組、参議院議員)の日本史の講義を受けたことがあります。そのときに児玉先生は関東大震災での「朝鮮人虐殺事件」を話して下さいました。たった一度だけの一時間足らずの授業が未だに忘れることが出来ません。熱意ある教師の授業でした。
Commented by pcflily at 2015-12-08 10:05
コメントを有難うございます。
今年の関東大震災時神奈川追悼会に千葉で朝鮮人虐殺の追悼会をなさっている方も参加され、食事会の時に私の前の席におられ、お話をしました。千葉からきて下さった私の友人と話されたとのことで、話しかけてくださいました。
傷つきたくないとなるべく人間関係を津倉ないようにしてきましたが、オモニにおいていかれてしまってから、人恋しさが湧いてきた様で、少しずつ出かけるようにしています。
一昨日は、神奈川の教育委員会が副読本を溶解処分にしたことを訴えている会に参加しました。神奈川新聞の石橋学さんの講演もありました。
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