貞花の平和ミュージカル

2002年5月   未来  20人集

一粒の麦を蒔かむと三十年の運動実るいまミュージカルに

三回の吾が講義活き脚本に在日のこと三割を占む

炭鉱の朝鮮人坑夫を演じいる若者ら歌うアリランの歌

朝鮮人坑夫を叩きのめす場面「もう止めろよ」と客席の声

在日の怒りと悲しみの声響く舞台に演じるは日本の高校生

在日の中学生舞う朝鮮舞踊を初めて見しと涙ぐむ少年

差別する我ら持たざる朝鮮の少女らの笑顔と若者の言う

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○会ったこともなく、電話と手紙で韓国からの手紙の翻訳をしてあげた人に、何故?すぐ隣に住んでいる朝鮮人には関心を持たないのかと詰問をした事で、朝鮮の歴史や、在日の事、私自身の事の話をさせてもらえた。そのうえ、公演にも参加することになった。左側は、私の講演に使った朝鮮の歴史年表や私の短歌やその他の資料を纏めて、当日の観客に配られた冊子。初めて参加したこの公演の内容に嬉しさを抑えきれなくて、朝日新聞の声欄に投稿し掲載されたもの。公演前の掲載であったので、遠く埼玉、東京、神奈川からも足を運んで下さった人が沢山いた。流石に朝日新聞は違うねと思った。頼まれたわけでもなく、書かずにいられなくなる私の病気が起きたのだった。
右側は、その日のアンケート集。監督がこんなに沢山のアンケートを頂いたのは初めての経験と喜ばれ冊子になった。当日観客に渡されたものより分厚くなった。

2002年2月3日   九条を守る会誌   朴貞花  東京(原稿を依頼され書いたもの)

各地の憲法運動~今回は町田

『LIFE IN PEACE―戦争を知らないわたしたち』

あなたが誰かにボールを投げたとする。それを受け取って投げ返してくれればキャッチボールが出来て楽しい。だが、相手がボールを受け取るどころか素知らぬふりをしてしまったらどうだろう。私は投げたボールを受け取って貰えないと思う事が度々であった。

 一月十九日の『町田っ子』出演『LIFE IN PEACE』-戦争を知らないわたしたちー』の公演に参加する事が出来たのは、私の投げたボールをきちんと受け止めてくれた人がいたからである。

韓国の新聞に載った記事の翻訳を頼まれたとき、電話と手紙ぐらいでの意思疎通しかなかった相手の本間美智子さんに対して、なぜ韓国の人に関心を持ちながら、すぐ隣に住んでいる私逹在日朝鮮人には目を向けないのかと詰問をしたのである。

 その直球のボールをしっかりと受け止め、彼女は在日朝鮮人の話を聞く会を設けて下さった。

 そして、次には『町田っ子』に私を紹介してくれたのである。

『町田っ子』のみなさんもしっかりとボールを受け止めた。脚本の中に在日朝鮮人の問題を真摯に取り入れ、演じる人もきちんと表現をしてくれた。

 脚本を書く前の段階で私は話をさせて頂き、出演者の皆さんにも話を聞いて頂ける時間を、演出の黒田雄次さんは設けて下さった。

 真っ直ぐに向き合って貰えた事を嬉しく思う数少ない経験であった。

 在日朝鮮人は、生きる為にボールを投げ続けているが、無視されているのが現状である。

 町田市に於いても市民としての税金を納め続けているのにも関わらず、高齢者への救済もなく、市の教育関係支出金は、年間約四十九億円であるが、朝鮮学校への助成金は、年間二十万円程なのである。このように不条理な事を、誰も真面目に考えようとしないでいる。

 全く関心を持とうとしない。知らなかったと言い、話してもいつのまにか逃げてしまうのだ。

 隣人である朝鮮人の問題からは逃れようとする。これは、政府の方針と全く同じである。

 ボランテイアのもてはやされている昨今であるが、ニューカマーと言われている人達にちょっと手助けをして、自己満足に浸っている人や、途上国に行き、援助をしたと言い、趣味として楽しんでいたりする。

足もとで起きている問題、小泉首相の自衛隊合法化への改憲や靖国公式参拝などに危機感も持たず、むしろ今までに無い高支持率という。そして、米国のアフガンの空爆に率先して駆け付けさせるのである。

 近隣諸国と共有できる近・現代の歴史認識を持ち、世界に誇れる「戦争放棄の平和憲法」を守る意思を明確に持ち、闘い続けることこそ何よりも大切なことである筈だ。

 日本国憲法、九条「戦争放棄」の精神を日本が、日本人が守りぬくことこそ、すべてに優先して為すべき事であろう。


2003年3月1日  朝鮮新報  それぞれの四季  朴貞花 8原稿を依頼された) 

「LIFE IN PEACE」

 2月1日から町田市は、非核平和都市を宣言して20周年の記念のイベントを展開している。初日にわたしの参加しているグループによる「LIFE IN PEACEこの街が好き」の公演があった。これは町田市在住の市民による脚本・演出・出演の平和ミュージカルである。朝鮮人・被ばく者・普通のサラリーマンの家族が、日常生活の中で、出会った差別等に触れながら平和と幸せについて考えるというもの。長い台詞と歌と踊りで構成され、素人とは思えない熱演で観客に大きな感動を与えた。

「戦争中、日本人は朝鮮人を強制的に何十万も連れて来たのよ」町田に朝鮮人が住んでいるのは、昔、日本が武力で朝鮮を植民地にしたからなの。戦争が終わったとき、日本には二百数十万もの朝鮮人がいたのよ」「朝鮮学校には国が1円の助成金も出してくれないの」「日本が過去をきちんと反省すべきだよ」チマ・チョゴリを着て歩くのは、朝鮮人の私がここに居ますよという合図なの」

「目立たないように隠れて生きることは、透明人間にしてしまう事なの」などの台詞があり、朝鮮学校や「慰安婦」のことも取り上げた。

朝鮮人のことを日本人が脚本に取り入れ、演じてくれたのである。老若男女約60人のグループの中で朝鮮人は私だけだった。

 昨年の「平壌宣言」以降のテレビ・新聞・雑誌によるバッシングの中で、このような事が出来たのは、一人の人間としてお互いに強い信頼を持つ事ができたからであり、一朝一夕には成し得ないことと思う。 同胞の中だけでなく、日本人とも本音で話し合うことも大切だ。  


2003年3月3日      朝日新聞  佐佐木幸綱選


(ぱっ)(ちょん)(ふぁ)演じる友は日本人在日の苦を舞台に歌う   朴貞花



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○この平和ミュージカルには3回参加した。3度目は2003年1月、そうしてこの年の5月には現在の居住地に越してきたので参加できなくなってしまった。監督は、何時も突然、私に一人で語れと命を下す人であった。原稿を見ても良いからと。でもこの最後の日には、前日に寝ないで書いた原稿を持ったままで語り、原稿を見ることを忘れていた。一言も間違わずに出来たので、我ながら不思議な経験であった。

2003年3月   未来     朴貞花


盗るよりも盗られし国の民なると耐えて来りしに「拉致」のこと


チマ・チョゴリ切り裂かれたる記憶あり街には出でず若きオモニの


児童への危害恐れて休校にせよと声あぐる若きオモニら


爆破すると朝鮮学校に電話あり警備するとパトカー巡る


北の地に待つ子等のこと思いつつ時雨の夜道を会合に急ぐ


2003年4月  未来    朴貞花


朝・日の架け橋たらむと日本人に一人交わる市民ミュージカル


「拉致られる」という造語あり読み合わせするたび胃痛始まる


三度目の市民ミュージカル拉致事件取り入れられて吾の身の細る


日本人の中に一人交わりて脚本の中の差別に向かう


○この写真、国際交流会、歴史の会など何時も一人で日本人の中にいた。真ん中のチマ・チョゴリの女の子は両親が教師の育成の為の留学生。両親以外に韓国語で話せるのは私だけだったので懐いてくれた。可愛いおばあちゃん、粋なおばあちゃんと素敵な渾名で呼んでくれた。後に帰国したこのこの両親は町田の朝鮮学校へ届けてと分厚い韓国語の辞書を送って下さった。韓国から来た留学生や日本人を朝鮮学校へ連れて行き、朝鮮学校を理解して下さいとお願いするのが常であった。

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○市民大学で知り合った方たちと歴史愛好会を作った。その会で、町田市の「わいわい祭り」に参加した。私の提案を受け入れてくれて「朝鮮歌舞団」の公演もさせてもらった。町田市で朝鮮人の舞踊を一般市民に見せるのは20年ぶりぐらいだった。祭りと公演のビラを支部に頼んだのだが、隣家の同胞の家にも配られていなかった。見に来てくれた同胞は5名に満たなかった苦い思い出もある。)

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2003年5月   未来    朴貞花
 

時雨るるなか励む老若男女六十名平和ミュージカル公演の近し

みず・みずと言う子に与えず逝かしめし広島の母老いしを演ず

この町に米機の墜落三人の姉妹の命奪いしもミュージカルに

市民が書き出演・演出のミュージカル朴貞花演じる若き母親

戦争を止めよと歌う舞台なり非核平和都市宣言二十周年

拉致されし人に流せる涙はあり強制連行の過去は忘るる

北朝鮮バッシング続けるマスコミの成果か少女のチマ裂かれたり

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○「アジアの舞踊」と題して、相模原の1000名以上収容のグリーンホールをいっぱいにした。右上の人と協力したがどうしているだろうか?左下の写真は、別の国際交流の時に日・朝の若者を集めて話し合いをさせる企画を建てたが、総連の支部にお願いをしても、組織の言いなりにならない私の申し出は、支部からは本部から言われてないと言われ、本部に行けば支部から申し出がないと言って断られた。仕方がないので私の息子や甥や姪に声をかけた。そんな苦境に立たされた私の為に歌手の近藤日佐子さんが、無償で友情出演して下さった。語りも上手な人でる。 今月月の7月31日(金)13時から日暮里サニーホールでの敗戦70年、9条連結成20年の「安倍政権の9条破壊を許さないのオープニングに出演される。
シュウカツの為の写真整理をしていると、世間知らずの私が人間を信じて一生懸命に動いていた頃の懐かしい場面がが沢山思い出される。

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by pcflily | 2015-07-04 17:46 | アリランエッセー | Comments(2)  

Commented by Takeshi Nimura at 2015-07-07 20:16 x
町田時代のCFさまの活動は多くの人々に感動を与えたのでしょうね。林えいだい氏の「清算されない昭和」という写真集を何度も何度も見ています。見るたびに新しい発見をします。「漂泊の民」の苦難の歴史をいかに今の若い日本人に伝えたらよいのか考えながらです。CFさまのように演劇やミュージカルで人に優しく(易しく)「大切な事実」伝えられたらと思います。重大な問題を軽く扱うのではなく、真実を伝えるための芸術的手法です。文字だけでは伝わらない情念を伝えるのです。短歌も同じではないでしょうか。「朴貞花演じる友は日本人在日の苦を舞台に歌う」、この歌の放つ不思議な光を私も浴びています。
Commented by pcflily at 2015-07-08 22:28
有難うございます。
記憶の全てを失くしたオモニをホームから連れて来た時に、私の家でオモニがもとに戻ったのは、私のおしゃべりと昔の写真とビデオテープでした。私の事さえ分からなかったオモニが、娘7人の顔と名前を言えるまでに回復しました。
その経験から、自分自身の為に、写真を整理しています。アルバムに整理するまでは出来ないので、それぞれを箱に分類しました。
写真を見ながら忘れていたことも沢山思い出しました。朝鮮の統一の日まで1つでも出来ることをしようと、夢を持ち、信じていた懐かしい日々です。

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