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オモニの糸巻

☆子供を朝鮮学校へ通わせたくて上京したのは、1971年。両親が九州へ旅行に行っている時であった。外出先から帰宅した時には一番先に玄関に飛び出してくる貞花がいつまでも姿をを見せなかったので、どうしたのかと姉に聞いてもなかなか返事をしなかったという。事実を聞いた時にはどんなに驚いたか分からないと、後に何度も言われた。
それでも、間もなくオモニは私の所に来ることを、楽しむようになった。午前中に家事をこなし、午後は町の散策を楽しんでいた。近所の商店街の人達とも親しくなり、しばらく上京しないと、何時、来られるのですかと聞かれる程になった。
そんなオモニが還暦を過ぎてからは、今回が最後かもしれないと言うようになっていた。11歳の時には両親に先立たれていたオモニは、寿命の短い家系だから長くは生きられないと言うのが口癖であった。学校には1日も言ってないオモニは仕事をすることだけが生きがいであった。
けれども、オモニはその後も何年も私の為に上京してくれた。10個を覚えれば数字が分かるようになると、嫌がるオモニに数字を覚えて貰ったのがその頃であった。チラシを見て練習したら、そんなにかからないで覚えてしまった。オモニに趣味を持って楽しんでもらおうと折り紙などを勧めたが、遊びには関心が持てず長続きしなかった。そんなオモニが自分の名前を書く練習をしたいと自分から言い出したのは80歳を過ぎてからであった。田舎に帰った時に、自分で医院の予約帳に名前を書けるようになって良かったと喜んでいた。
92歳のオモニを我が家に呼び寄せた時に、手を動かして貰おうと、糸を探したが撒いてない糸はなかなか見つからなかった。あちこち探して漸く見つけたが、黒と白だけであった。かつては小枝を削って心棒にしたが、割箸でするようになっていた。長さを12センチほどに切り、2種類のきれいな布を巻く。それに糸を巻きつけていく。昔、織物をしたのであろうか?織物をする時の糸の巻き方であり、私には真似の出来ないことである。娘も孫も結婚する時には、色々な色の糸を巻いたものを、記念にとオモニは糸を巻いて持たせていた。
○田舎にいる時に巻いてもらって残っていた黄色。白と黒は横浜にきてから巻いてもらった糸。上は巻かないままに残された白糸が2、黒糸1。
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by pcflily | 2014-09-04 23:47 | アリランエッセー  

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