人気ブログランキング | 話題のタグを見る

夢 『身世打鈴』より

 夢

押捺を拒否せし五年あざ笑い更新せし登録書に指紋くっきり     
          馬場あき子選  1990年11月25日 朝日歌壇入選   

外人登録書のカード一枚に小さき吾管理されいて孫悟空を思えり  
          佐佐木幸綱選  1990年11月25日 朝日歌壇入選 

「今度こそ門は開くぞ」と歓喜せしに文牧師の逮捕悲しく悔しき    
          佐佐木幸綱選  1989年5月21日  朝日歌壇入選


白馬岳の頂きに立ついつの日か白頭山と漢拏山に吾は登らむ 
       

枕辺に地図を広げてとこに入る統一朝鮮の夢を見たくて         nhk短歌大会入選

 
☆総連側では、悪法でも法は守るものと指紋押捺を拒否することを応援しなかった。拒否運動は韓国政府が始めは応援していたのに、日本政府と政治決着とかをして、拒否をしていた人たちは、宙に浮いてしまった。
私の場合は民団に加盟していたわけではなかったので、たった一人の拒否であり発表をすることもなかった。
何でも、一人で考えて、思いつくと行動に移していた。実家と実家の家族、婚家の束縛から解放されたからである。あまりにも自分の意志を押さえつけていたから、その反動かも知れない。
 将来に希望を持つことも出来なく、自殺をする勇気もなかった中学生の時に思いついたことが、英語の授業で私は生まされたと表現をすることを知った時だ。私の生命は両親のものであるのだから、両親の言いなり、生きるべきだと思った。親の言いなりに、親の望む結婚をしたが、子供が生まれて、子供は私が責任を持って守らなくてはならないと思うようになった。そうして家出をしてしまった。オモニを悲しませた家出であったが、後に、オモニは家出をして良かったよと褒めてくれた。あのまま、実家にいたら良いことはなかったよとーー。
 
 夢 『身世打鈴』より_f0253572_21593394.jpg

漢拏山には未だに行けずにいるが、白頭山には、中国まわりで登ることが出来た。忘れられない嬉しい思い出だ。2002年8月12日のことである。

by pcflily | 2014-01-10 21:29 | 貞花の短歌『身世打鈴』  

<< 白頭山へ登る 世の常  『身世打鈴』より >>