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2003年「朝日歌壇」 入選歌

2003年 「朝日歌壇」入選歌

2003年1月27日      佐佐木幸綱選

     朝鮮高校ラグビー部のコーチとて子が話しているテレビの中で

2003年3月3日       佐佐木幸綱選
     
     朴貞花(ぱっちょんふぁ)演じる友は日本人在日の苦を舞台に歌う
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横浜に越してきて植えた10センチ程の小さなモミジの木の苗、10年も経ずに2メートルを越した。花も咲くとは知らなかったが去年も今年も花を見せた。


☆一人暮らしをしている母親に休日も連休も顔を見せない息子に失望していた。ある日、正午からテレビ朝日を見るようにと電話があった。東京朝鮮高校がテレビに出るという事だった。テレビに映し出されているのは、朝鮮高校のラグビーをしている高校生と監督、そしてわが息子がコーチとしてともに頑張っている内容だった。「あー、そうだったのか、中学から日本の学校に行ってしまったので朝鮮学校とは繋がっていないと思っていた。息子はやっぱり朝鮮人として生きていたのだと感動し、歓喜した瞬間であった。

☆二首目の歌のこと。町田市の「非核平和都市宣言」20周年記念に市民による脚本・監督・出演の平和ミュージカルを行った。私も参加し、語りや端役をいくつか演じた。
きっかけは朝鮮学校の話から始まり朝鮮の歴史・在日朝鮮人の現状などの話をさせてもらった事から、出演を勧められたからである。脚本担当のものが、私の話した、我が家の炭鉱への強制連行、慰安婦問題・朝鮮学校の事・私の事までもを劇中に入れたので、朴貞花を演じた人がいる。
アンケートにはこれを見て町田市に朝鮮学校があるのを初めて知った、朝鮮舞踊を初めて見た、朝日新聞の私の短歌を読んでいて、どんな人かと東京や埼玉から見に来たという人もあった。
終演後、お客様を見送るために出演者は全員客席の外に出ていた。お客さんが、なかなか出て来ないので心配をしたが、それはアンケートを書いて下さっていたからだった。監督は、何度もこのような公演をしてきたが、こんなに沢山のアンケートを頂けたのは初めてであったと感激して、アンケートを一冊の小冊子にして配った。
いろんな場所に行って公演して欲しいという声が多かった。再演の希望も多かった。昼の公演を見た人に勧められたと言って見に来た人達で、夜の公演は満席であった。
脚本の内容に感動をして私は「朝日新聞」の「声」欄に投稿をした。幸いにも、私が、投稿をした文章が朝日新聞に掲載された。さすがに朝日新聞の力は大きいと感じた。この「声」欄を読んだという遠方からの観客も多かったので驚いた。

☆2002年の「朝日歌壇」に「強制連行のアボジの子なり棄民なり差別・蔑視・無視・放置の六十余年」の私の歌が三人の選者に選ばれたことにより、前から続いていた私への攻撃が益々勢いを増し酷くなった。
インターネットの2チャンネルの言葉そのままのような文章が文芸評論家として活躍している関川夏央によって月刊雑誌「NHK短歌」に掲載された。
歌友から「NHK短歌」が送られてきて「親友の私でさえ、有名な関川夏央の言説だからと信じてしまう。抗議すべきだとのアドバイスを受けた。
資料を集め、関川夏央、NHK短歌、朝日歌壇、会員として歌を発表していた「未来」にも手紙を出したが、完全に無視された。何処からも何の返答もなかった。特に失望したのは同人として会員であった「未来」にさえ無視された事だった。これをきっかけにして、「未来」から脱会した。
友人の梅田悦子さんも彼女なりの資料を集めて抗議の手紙を送信して下さったのだが同じく、無視されたままだった。
関川夏央は後に連載していたこの記事を含めたものを単行本として発行したが、何の根拠もなく書いた嘘である我が家の渡日の年を訂正していた。送った抗議文は読んでいたのである。彼の主旨は変えないで其の儘であった。

☆この歌は「週刊金曜日」に山口二郎氏により取り上げられた。「赤旗」には歌人奈良達雄氏が取り上げて書いてくださり、後に講演を依頼された。取材を受けることも多くなった。「町田市教職員組合「藍」」「タリの広場」『鳳仙花」はその後に講演を依頼された。「ふぇみん」「朝鮮新報」後に5回連載のエッセーを依頼された。「新日本歌人」に田中礼氏が反論を書いて下さった。月刊雑誌「Cooyon]発行人落合恵子「I女の新聞」、「共同通信」など取材を沢山受けた。「共同通信」の「はるかなる隣人」も単行本となった。「福島民友」に載った記事もあった。また、「ふくしまの100年」に改めて我が家の連行が記事になり、単行本になった。「あらくさ」の発行人であり、歌人である武藤雅治氏は何箇所にも文章を書いて下さり、いくつかの短歌雑誌にに掲載された、講演にも呼んで下さった。
けれども、私は、恐怖が募り短歌を作れなくなってしまい、朝日歌壇に投稿することもなくなり、一人暮らしは危険と、息子の住む横浜に引っ越しをした。しばらく、短歌とは離れることになった。
自分の心に思うことを素直に三十一文字にしただけの、一首の短歌は、私に多くの経験をさせてくれたのであった。
あれから10年過ぎ「在日七十余年」だ。現状は何も変わらず、むしろ、安倍政権になって恐怖を感じる程に悪くなっている。
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玄関前で伸び続けるモミジ、秋には紅葉する。

by pcflily | 2013-04-29 12:40 | 貞花の短歌『身世打鈴』 | Comments(0)  

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