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2000年「朝日歌壇入選歌」

2000年「朝日歌壇」入選歌

2000年2月27日      近藤芳美選
 
     アトリエに膝立て語りき俊さんは灰燼の平壌を涙ぐみつつ

 
  評 かつて訪れたことのある平壌は朝鮮戦争の後の灰燼の街であった。その思い出を、涙ぐみながら語ってくれたことがある。第一首。「原爆の図」の画家丸木俊さんの死をかなしむ歌。作者は朝鮮国籍のひとり。「アトリエに膝立て語りき」の具体が心を伝える。


2000年6月4日        近藤芳美選

     母国語を忘れし慰安婦のチョンおばさんチマ・チョゴリ贈られアリラン謡う


2000年7月16日       近藤芳美選

     五十五年の分断あれど両首脳車内に語る一つ母国語

  評  平壌を訪れた金大統領を待ち受けて金正日総書記が手を握る。五十五年の分断の後、という思い を同じ民族の血を分け合いながらどれほどの人々が待ったのであろうか。第一首。在日朝鮮籍のひとりの歌。


2000年8月6日        馬場あき子選    近藤芳美選

  ☆   中傷の止みたるソウル放送に母国語うれし終夜聞き継ぐ

  評   北朝鮮と韓国の情況融和の中で思う故国への愛。眠れぬ感動の終夜であったろう。


2000年9月3日        近藤芳美選

       「アリラン」は統一の曲金大中迎える宴に尹伊桑編む


2000年12月10日      佐佐木幸綱選     近藤芳美選

   ☆   離別せる夫の電話の声震え五十六年目の「故郷訪問」を告ぐ

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     朝鮮大学に在籍していた娘の修学旅行は朝鮮民主主義人民共和国。父のいない私の子供はおばさんたちに可愛がられた。6人のおばさんに天女の刺繍の絵を買ってこさせた。私には青磁の小さな花瓶であった。持たせたお金が足りなかったのだろう。わが家には再婚した夫がプレゼントしてくれた天女の絵がある。ホームのオモニの部屋に、何故か、娘の修学旅行の時の天女の刺繍の絵が飾ってあった。


☆  2000年は朝鮮民族にとっての喜びの年であった。分断の悲しみから解放されると信じた。けれども、あれから、13年経っても、あの2000年よりも、悪い状況だ。一体、誰が、操作しているのだろうか?私の歌を選んでくださった選者の近藤芳美先生、馬場あき子先生もともに喜んで下さったのに。
近藤芳美先生は私の喜びをも短歌にして下さった。『未来に』に掲載され、歌集『岐路」にも載せて下さった。

   朴貞花よろこび隠さぬ電話あり夏告げて平壌の放映一と日    近藤芳美 詠む      
         
   
     

by pcflily | 2013-04-20 13:30 | 貞花の短歌『身世打鈴』  

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