「朝日歌壇」
ブログ・私の短歌とアリランエッセーより
[朝日歌壇」 入選歌
1977年9月4日 宮柊二選
☘朝鮮の国語と歴史学べよとある日に君は言いて去りにき
1977年9月4日 前川佐美雄選
☘観光と隣人(ひと)はたやすく海越えぬ韓国はわれに果て遠き祖国
1977年11月13日
☘畑よりの強制徴用のわが父も居住許可願の外人登録をす
1977年11月20日 前川佐美雄選
☘ 逆らえず生きゆく術(すべ)と外人登録に罪人のごと指紋を押しき
李賢純作 (朝鮮民主主義人民共和国)
1977年12月第3週 宮柊二選
☘職務ゆえ許せとわれの手をとりて外人登録に指紋を押さす
1980年6月29日 近藤芳美選
☘万を越すわが同胞の集いきて光州声援の声一行の記事
★李賢純さんのこと
李賢純さんは、娘の婚家の叔父さん。写真の白磁は私に贈呈されたもの。
🌺1989年4月、東京松屋銀座店で「現代高麗青磁と絵画名作展」が開催された。
朝鮮の万寿台創作社と高麗美芸社主催(朝鮮民主主義人民共和国)であった。
その時に手に入れた写真集には、制作者の履歴も載っている。
「李賢純さんは、1938年東京に生まれる。1961年に京都市立美術大学陶芸科を出て、1965年までスエーデンの首都ストックホルムに留学、王立工芸美術大学に学ぶ傍らウプサラエケビ製陶所で作陶を始める。1966年朝鮮に帰国し、朝鮮の悠久な陶磁史の研究に取り組んだ。高麗に次ぐ李朝鉄砂や白磁の伝統的作陶技法を開発し呉須や鉄砂、辰砂などの巧みに調和された現代的文様美、乳白色無光沢釉、窯変釉、茶褐色焼締釉など独自の作風を探っている。伝統的器形を現代的美感でアレンジした花瓶,茶器、徳利、盃、急須、手鉢、人形、鳥獣など幅広く手懸けている。国宝指定の秀作もあり、ますます期待されている。」
あの頃の私たち、在日朝鮮人は南北統一を喧伝していた朝鮮を心から信頼していた。 才能のある人々、私と同年代の優秀な若者が沢山、祖国の為に働くと帰国した。皆、その日を信じていたので幸せであった。頑張ろうと―――。
李賢純さんも、信じていたからこそ帰国したのだろう。
私と生まれた年が同じなのに、何年も前に亡くなってしまわれた。
by pcflily | 2013-02-25 22:10 | 貞花の短歌『身世打鈴』