靖国合祀反対集会

☆8月11日、都内で朝鮮人の靖国合祀を反対し合祀を取り消せと、集会を行った。今年も、韓国から何人も遺族が来日して、合祀取消の願いを訴えた。会場には通路まで一杯の参加者でうずまった。
パネリストには韓国から権赫泰さん、吉田裕さん、高橋哲也さん、司会は内海愛子さん。いずれ劣らぬ論客で、私の胸を打ち改めて考える事が多かった。
何故、靖国神社は、嫌だと言うのに、こうして合祀を取り消さないのか、摩訶不思議な事を続けているのだろうか?子供に聞いても、間違っていると答えるであろう理の通らないことを続けている。
À級戦犯をも合祀しておいた靖国神社に首相や国会議員が大勢押しかけて参拝を続けている。国を挙げて、戦争神社に参拝をするのは、再び戦争をしたいという願望の為なのだろうと思ってしまう。
猛暑の中を出かけたが、気持ちは恐ろしさに寒気を覚えた。夕方からは今年も、靖国の闇に灯りをと、靖国合祀反対、安倍は止めろ、戦争反対、平和を守ろうと明かりを掲げてデモ行進をした。例年のごとく、街宣車が騒ぎ立てていたが今年は猛暑の為か昨年よりは少なかった。
韓国から来日した若者も参加した。ノー合祀・ノーハプサとこの闘いに参加するために来日した。若者の参加は嬉しいが、世代を超えて「ノー合祀」の闘いを続けなければならないとは、悔しさが募る。日本という国は、何故?こんなことを何時までもさせるのか?理性がないのか?良心が無いのか?どこまで図々しいのであろうかと考えた。
〇靖国に囚われている我が同胞に花を捧げたい。
f0253572_19581547.jpg
f0253572_20014807.jpg
f0253572_20074250.jpg
f0253572_20043296.jpg
f0253572_19531219.jpg
f0253572_20385609.jpg
f0253572_20370368.jpg
f0253572_20344520.jpg

f0253572_21152397.jpg


[PR]

# by pcflily | 2018-08-19 20:40 | アリランエッセー | Comments(0)  

忘れられない人 広瀬禮子さん

☆翁長知事がお亡くなりになった。パソコンを弄っていたら、いきなりこのニュースが飛び込んできた。驚いて、震えが止まらず、合掌を続けるばかりであった。
長い事闘い続けたのに、良い結果を見ずに逝ってしまわれた。どんなにか心残りであったろうか?私は、直ぐに尹伊桑さんを思い出した。私の歌集『身世打鈴』のエッセー集に、少しだけ書いてある。
【ドイツに住む作曲家の尹伊桑氏は愛する祖国に拉致されるという数奇な運命をたどり、祖国に住むことを断念し、それでもなお祖国への思いやみがたく、音楽を通して祖国統一に挺身している】そうして、38℃線で南北統一音楽祭を開きたいと行動していたが、とうとう願いを
実現できずに亡くなられてしまった。
人間として、真剣に真面目に生きる人は、何故、苦しみ続けそ早世するのだろうかと思う。

30歳迄生きられたら儲けもんと言われた私のような無力な人間が80歳迄、こうして、無為徒食をしているのにである。明日を夢見ず、一日一日を無事に過ごすだけで生きて来た。そんな意志の弱い向上心のない私の傍に色々な人があらわれて助けて下さった。

広瀬禮子さんも、そうであった。朝日歌壇に投稿した短歌を読んだと取材を申し込まれた。

五十五年の分断あれど両首脳車内に語る一つ母国語
中傷の病みたるソウル放送に母国語うれし終夜聞き継ぐ
「アリラン」は統一の曲金大中迎うる宴に尹伊桑編む

金正日総書記と金大中大統領の握手と抱擁があった時である。電話で取材の申し込みがあって、町田まで来て下さったのが最初の出会いで会あった。二度目は、講演を頼まれて、横浜まで出向いた時である。お話をさせて下さったばかりでなく、皆さんとの食事会もあった。
三度目に会ったのは、横浜で行われていた「朝・日交流展」に私が作品を出展していた時である。その後は、長い年月の間、無力な私を支えて下さった。

〇横浜での講演会を終えて、役員の人達との記念撮影、チマ・チョゴリの私の右側に広瀬さん、ずっと優しかった
f0253572_15083341.jpg
〇右、最初の取材された記事。左、横浜に越してからの私のエッセー記事
f0253572_15100633.jpg
〇朝・日友好展の打ち上げの宴で、誘われて一緒に歌った。私の左側は広瀬禮子さん、右側は国会議員の清水澄子さん。広瀬さんは、共和国・北朝鮮に行った時に、金日成主席と同じテーブルで、食事をし、歌も歌った事を話して下さり、次回は私を連れて行くと仰っていたのに、彼女も清水さんも鬼籍の人になってしまった
f0253572_15070163.jpg
〇。広瀬さんに、朝・日友好展の会場での即詠の歌をと言われてビックリしたが、私の歌に対する彼女の返歌と共に、彼女は筆を執り二人の歌を書いて会場に展示した。広瀬さんは、知識が豊富で、筆が立つばかりではなく、短歌、エッセー、詩などをたくさん遺している。
f0253572_15061763.jpg
〇毎回、短歌の即泳を要求し、ご自分で書いて展示した。
f0253572_15075140.jpg
f0253572_15040121.jpg
。〇写真を写した方が送って下さって、このような写真が沢山ある。古い写真の整理を始めたが、送って下さった方の事を思うと捨てる事も出来ず、どうして良いかわからなくなる。





[PR]

# by pcflily | 2018-08-10 17:21 | アリランエッセー | Comments(0)  

人間の家に人間が来てこそ幸せなのだ

猛暑が去ったと思ったら台風が来ると言う。我が家の前は直線の道路になっているので、強風の時には近所のごみ迄が、私の家に集まってくる。
オモニを我が家に引き取った時に、我が家の前にごみ迄が集まると話したら、オモニは、人間の家には人間が来るのが幸せなのだ。ゴミでも来るのは良い事なのだと~~言い聞かされた。
実家は、土木建築請負業だった。現在は、人を雇う時に試験をしたり面接をするが、手荷物を一つ持って働きたいと言って、我が家に訪ねてきたら、その日、その時から我が家の人となる。寝所と食事と仕事を与えられる。
オモニは子供たちに、いつも働いて下さる人がいるからこそ、私達も幸せに、こうして食べていけるのだと言い聞かせ、食事も、彼らに先にあげて、残ったものを私達が、食べる。御飯も汁もおかずも大盛にしてあげるのが常であった。
そのことが身についていたのか、私も、全てを大盛りにしてしまう。店をしていた時も、そのことでお客さんに喜ばれた。娘はコーヒーをカップにたっぷり入れるのはお洒落でないと言っていた。また、家を持ち独立した時にも訪ねて来た人は誰でも、部屋に招き入れてしまい、危険だと友人に、度々、注意されていた。
横浜に転居してからは、訪ねてくる人も殆どないし、近所の人も、家の中に入れて下さった人は一人だけであった。現在は嵐の時と、普段は風と陽の光と月の光だけだ。
就活をしている間に、横浜に転居する前は、色々な人が訪ねて来ていたので、本当に幸せだったのだと思うようになった。

〇女性の新聞「ふえみん」と「女の新聞」から取材を申し込まれ、我が家に来ていただいた。「ふえみん」は新聞発行の記念日の1面に掲載して下さった。
f0253572_10592425.jpg
〇「女の新聞」は、記事を掲載して下さったばかりでなく私の為に講演の場を用意して下さったばかりでなく、横浜に来てからもエッセーを書かせて下さったりした。そして、公使共にお世話になった。もうこの方も鬼籍の人になってしまった。
f0253572_10240074.jpg
f0253572_10290874.jpg
〇「クーヨン」は新年号に落合恵子責任編集「女が決断するとき」として5人の女性が選ばれ、私もその一人となっていた。取材する方以外に専門の女性の写真撮影の方も一緒に来られた。
総連の「イオ」では「人生には大事なものがある」として4人の男性と女性は私だけであった。その後、京都での「統一の集い」で朴鐘鳴先生に挨拶をした時に、名前を名乗っていなかったのに、初めて会ったのに「あなたの朝日歌壇の歌を30年保管していますよ」と、会った途端に言われてビックリしたけれど、この時に一緒に取材されて掲載された方だったので分かったのであろうと、今は想像できる。
f0253572_10571448.jpg
〇朝鮮新報も何度か記事にして下さった。本当に感謝の心がわいてくる。
〇共同通信社の取材記事は、全国に渡されるらしく、各地から電話があり切り抜きを送って下さる人もいた。各新聞社の思惑で見出しの言葉が変わり、この「最後の生き証人として」は好きな部類に入る。その後、横浜に来てから書店で単行本になっていることを知り購入したが、単行本となる事に私への知らせはなかった。
f0253572_10271235.jpg
〇「AERA」からの取材の申し込みの時は驚いた。取材内容をテープに取り危険に備えたほどであった。何故、私が選ばれたのか分からなかったからだ。現在でも分からない。
〇「みんなちがってみんないい」は原稿の依頼を受けて書かせて頂いた。
f0253572_10254373.jpg
f0253572_17233013.jpg

☆オモニの言葉の通りに「人間の家に人間が訪ねて来る事は幸せな事だ」を、しみじみと思いだしている。自分の意志で、極力人に会う事を避けてきたのだが、年長の友人が多いので、皆、先に逝ってしまった。人間の性善説を信じていたが、姉妹の裏切りを見てからは、ますます、人間嫌いになってしまった。本人の気が付かない私への蔑視の心が見えてしまうから、なおさらだ。「ブルータスお前もか」と最近の経験で改めて思うようになった。
八十路の坂に来たのだから、寝たきりにならないだけ有難いと思う。食品の買い出しに、10日に一度ぐらい、外出する以外は家に閉じこもり、朝夕の花の手入れで外に出るだけだ。手入れの甲斐があって猛暑の中でも無窮花、百日紅、百日草、マツバギク、ツルニチソウ、オーシャンブルー、薔薇までも、夏が一番好きなんですと言わんばかりに我家を囲んで咲き誇ってる。


[PR]

# by pcflily | 2018-08-07 12:04 | アリランエッセー | Comments(0)  

「米韓軍事演習の中止決定」

f0253572_12122736.jpg
f0253572_12150894.jpg
f0253572_12111331.jpg
f0253572_12093821.jpg
f0253572_12212918.jpg

九月号原稿  (6月詠)


米韓軍事演習の中止決定                                     朴 (ちょん) (ふぁ)       

待ちに待ち続けた

米韓軍事演習の中止

銃を突きつけて挑発の

覇権国の米国だった


核大国のアメリカに

世界は追従して来た

被爆国日本が忠犬の体たらく


戦争屋の

既得権層を撥ね退けた

トランプ大統領に

賛辞を伝えたい


「南北統一チーム

南北の共同入場

統一旗とアリランの使用」と

嬉しい報道が届く


米朝会談は両首脳の署名

七十年の冷戦解消

北東アジア平和への転換だ


朝鮮は終始一貫

軍事的威嚇中止を要求してきた

トランプ大統領は

朝鮮の安全を約束した


「ここに辿り着く道は遠かった」

金正恩委員長の言葉に

滂沱の涙を流した私


幾十年を闘い苦悶の

南北、在日、世界の同胞

鬼籍の同胞も胸を熱くした筈だ

真の平和の訪れを祈る



[PR]

# by pcflily | 2018-08-01 12:25 | アリランエッセー | Comments(0)  

『もう一人の力道山」李淳馹一族の出版記念祝賀会

毎朝、目覚めて一番の楽しみはパソコンで韓国の新聞を読むことだ。昨日は、力道山の事が、載っていた。その内容は、私の息子が北朝鮮迄行き調べて書いた渾身の力道山のノンフィクションの内容そのものの様であった。

力道山について息子の李淳馹が『もう一人の力道山』として出版したのは、1996年4月だった。小学館の21世紀国際ノンフィクション大賞に応募し、最後の5作品に残ったが副賞さえもらえなかった。再度の応募の朝鮮学校のラグビー選手についての『青き闘球部』も最後の5作品に残ったが、受賞は叶わなかった。息子は、自分の作品の力量不足だと言ったが、私には、そのように思えなかった。息子が応募した時だけ、2名の副賞が選ばれなかったからである。私の知っている限り、副賞がなかったのは息子が応募した時のこの二度だけである。事情は分からないが私の息子は、その後、ノンフィクションに挑戦することをやめてしまった。

それでも、「もう一人の力道山は、小学館で単行本として出版することになった。
小学館の編集部では、原稿を見るまで信じなかったそうであるが、著名な船戸与一さんが「解説」を書いて下さった。「新たなノンフィクション文学の誕生である」と締めくくって下さった。
ところが,内容は良いが【「半島」「半島人」の差別表現あると、関係団体が抗議、第5刷から指摘部分を「韓国・朝鮮人」「在日朝鮮・韓国人」へ改め、巻末で謝罪文を掲載。【「差別語不快語・にんげん出版」より】ことほど左様に理解をしている人たちである筈の人でさえ、事実とかけ離れている。
後に「もう一人の力道山」は文庫本も出版されている。

小学館の出版記念会に『世界』の責任者であった安井良介さんから手紙が届き、小学館から出版記念会の招待状が送られてきたけれど、その日に四国で講演が決まっているので、欠席せざるを得ないとの事だった。そうして、シクラメンの鉢植えがお祝いにと届いた。そればかりでなく別便で手紙も届いた。その後には自著の『自画像の描けない日本』を何冊か送って下さった。「もう一人の力道山」の著者としての息子の李淳馹の新聞記事があったと、お母様に似てらっしゃいますねと添え書きをして送って下さったりした。安井さんの手紙は、巻紙に筆で書かれたものであった。安井さんから頂いた手紙は何時も、巻紙に筆で書かれていた。

〇安井さんから贈られてきた『自画像の描けない日本』
f0253572_13494948.jpg

〇安井さんから贈られてきたシンビジュームの鉢植え。花にはご自分の手でお名前がかかれた札が付いていた。その頃のシンビジュームは高価な花であった。
f0253572_16041691.jpg
私の一族が集い、出版記念祝賀会を開き喜びを共にした。私は七人姉妹なのでその結婚式や甥や姪の結婚式などで集う事が多く、最後はカラオケで遊んだが、この日はカラオケの事などは忘れて、朝鮮の未来について遅くまで話し合い盛り上がった。
f0253572_16201353.jpg
〇応募した時の審査員の中に活字にするなと言った人がいたが、若い編集部の人達がせめて2000部だけでも良いから本にしたいと企画し、許可を貰うための書類が上部に行くほど部数が増えて、何万部もにまでなった。表紙は写真のように見えるが油絵で、最初は画家がそんな無名の人のものなど描かせるなと言ったけれど、兎に角読んでから決めて下さいと編集部の人が話して、読んだ後にその画家の態度がすっかり変わって真剣に描いた良い物が出来上がった。背表紙の顔まで別に書いて下さり、その絵を息子にプレゼントして下さった等と、この本が出来るまでの色々な裏話を説明したので、祝賀会は大いに盛り上がった。
f0253572_16004444.jpg
〇左は私の朝日歌壇賞を頂いた私の為に娘が花束を贈ってくれている。
〇右は朝日歌壇賞と、安井さんからの手紙について説明している妹達。
f0253572_16084663.jpg
〇下段、安井さんの手紙を読んでいる私。書道の師範を取ったと言っていた妹が安井さんからの手紙を読むと言って、読み始めたのにあまりにも達筆な草書なので、読めないと言いおりてしまったので、私が読むことになって読んでいる。
f0253572_16072623.jpg
〇安井さんの手紙にはこの「朝銀東京信用組合」の後援会の集いで話をした私の事をはっきりと覚えていると書かれていた朝日歌壇の私の歌も注目して読んでいたとのことであった。でも、この日に会った私が朝日歌壇で見る朴貞花と同じ人間とは知らなかったとのことだ。
朝銀東京の後援会の集いで、講演をなさった安井さんのお話の内容に感動をして、私はお礼が言いたくて、晩餐会の時に安江さんの所に行きお礼の言葉を言って戻るつもりであったのに安井さんが座りなさいと引き留めて下さって、しばらくお話をした。朝銀の支店長などが挨拶に次々と来たのに、私を引き留めて下さった。今、考えると不思議だが、或いはチマ・チョゴリ姿のお陰かも知れないと思うようになった。歌舞を公演する専門家以外ではチマ・チョゴリ姿は何時ものように少なかった。朝銀東京信用組合女性後援会の集いであったので、参加者は女性が多く800名ほどであった。
f0253572_13510112.jpg
f0253572_16124834.jpg
〇上の写真は同じテーブルの人達、左は朝鮮高校の校長の奥さん、漢方の医師の奥さん、町田支部の専任職員文局長朝鮮新報の配達をしていた。
f0253572_16150341.jpg
〇下の左は安井さんから、花を贈られた後に、お礼の手紙も書けずにいた時に知らせが届き講演会に出席した時に紹介された人、「世界」に匿名で韓国の様子を知らせて来た手紙が掲載されていた作者。李御寧さんは韓国の文化部長を歴人し、『縮み志向の日本人』や『ふろしき文化のポストモダン』いう本も出版した。安江さんに紹介されてお会いした記念に撮った写真の一枚が送られてきた。そして、左は、当日の「朝鮮新報」から派遣された記者、我が家の嫁さん。
f0253572_16213428.jpg
〇今年も月見草が星降りし如く、裏庭に沢山咲きました。居間に持ち込んでも咲く。
f0253572_14142050.jpg
〇壁を這い上がる定家葛の花を咲かせるために日が当たるように、無窮花の枝を横に倒したのに枝を伸ばし、花をつけてくれた。強い花だ。
f0253572_14124482.jpg

[PR]

# by pcflily | 2018-07-25 18:15 | アリランエッセー | Comments(0)