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ハルバート

コラム】朝鮮が日本の属国? これほど啓蒙された国もないが…(2)

3/26(木) 11:55配信

中央日報日本語版

また『The Asiatic Quarterly Review』(季刊アジア評論)に掲載された末松謙澄の韓日関係論も批判した。朝鮮が数世紀にわたり日本に朝貢し、日本の主権を認めた日本の属国だったという主張を論破した。日本が明治維新で帝国を称して中国と同等に朝鮮に優越感を見せたが、雲揚号事件(1875)による江華島(カンファド)条約で日本が帝国を称したからといってそれが朝鮮に対する従属関係を賦課するものでないことを明確に自認したと指摘した。

雲揚号事件と似た下関事件(1861)当時に攻撃された米国側は日本側の賠償金を受け、後に賠償金を戻して日本側の自衛権を認めたが、日本側は朝鮮側にそのような措置も取らなかったと付記した。

ハルバートの『韓国評論』は当時英語で流通していた韓国の見聞知識と歴史知識を積極的にレビューし、校正した。しかし韓国の状況の画期的な変化と、これによる認識の変化がない限り、根本的な限界が存在するしかなかった。これに関連し同誌1906年4月号の記事「A Visit to Seoul in 1975」(1975年のソウル訪問記)、すなわち1906年時点から約70年後の韓国を想像した未来の小説は意味深長だ。

速い京釜(キョンブ)線急行列車(釜山-大邱-大田-水原-永登浦-南大門区間)。米ニューヨークの豪華なウォルドルフホテルに似たソウルのグランドホテル。ワーグナーのオペラ「パルジファル」を公演する鍾路(チョンノ)のオペラ劇場。100万冊以上の本が並ぶ帝国図書館と国立図書館。最も模範的な大学教育で著名な極東最大3大学の帝国大学、ソウル大学、大東大学。酔っ払いが見られず犯罪の話が聞こえない敬けんな宗教文化。自分の職分に忠実で自らを愛して異邦人を歓待する友好的な人たち。もう「物質的な発達はもちろん精神的な発達でこの静かな朝の国の数千万よりもさらに啓蒙された国はなく、さらに進歩的な民族はない」と伝えた。エピローグでだ。

今年は2020年。過去に想像した未来のその年からさらに45年が過ぎた。韓国はどのような国か。韓国人はどんな人たちか。伝染病の大流行による地球の危機状況で、韓国と韓国人の賢い国内対処が注目されていて、模範的な国際協力が期待されている。新しい韓国と新しい韓国人の自覚はこれにふさわしいグローバル知識を志向する。植民地と冷戦の論理で綴られた古い韓国の知識を革新する新しいハルバートを夢見る。

ノ・グァンボム/ソウル大奎章閣韓国学研究院教授


# by pcflily | 2020-03-27 09:17 | アリランエッセー | Comments(0)  

ハルバート

コラム】朝鮮が日本の属国? これほど啓蒙された国もないが…(2)

3/26(木) 11:55配信

中央日報日本語版

また『The Asiatic Quarterly Review』(季刊アジア評論)に掲載された末松謙澄の韓日関係論も批判した。朝鮮が数世紀にわたり日本に朝貢し、日本の主権を認めた日本の属国だったという主張を論破した。日本が明治維新で帝国を称して中国と同等に朝鮮に優越感を見せたが、雲揚号事件(1875)による江華島(カンファド)条約で日本が帝国を称したからといってそれが朝鮮に対する従属関係を賦課するものでないことを明確に自認したと指摘した。

雲揚号事件と似た下関事件(1861)当時に攻撃された米国側は日本側の賠償金を受け、後に賠償金を戻して日本側の自衛権を認めたが、日本側は朝鮮側にそのような措置も取らなかったと付記した。

ハルバートの『韓国評論』は当時英語で流通していた韓国の見聞知識と歴史知識を積極的にレビューし、校正した。しかし韓国の状況の画期的な変化と、これによる認識の変化がない限り、根本的な限界が存在するしかなかった。これに関連し同誌1906年4月号の記事「A Visit to Seoul in 1975」(1975年のソウル訪問記)、すなわち1906年時点から約70年後の韓国を想像した未来の小説は意味深長だ。

速い京釜(キョンブ)線急行列車(釜山-大邱-大田-水原-永登浦-南大門区間)。米ニューヨークの豪華なウォルドルフホテルに似たソウルのグランドホテル。ワーグナーのオペラ「パルジファル」を公演する鍾路(チョンノ)のオペラ劇場。100万冊以上の本が並ぶ帝国図書館と国立図書館。最も模範的な大学教育で著名な極東最大3大学の帝国大学、ソウル大学、大東大学。酔っ払いが見られず犯罪の話が聞こえない敬けんな宗教文化。自分の職分に忠実で自らを愛して異邦人を歓待する友好的な人たち。もう「物質的な発達はもちろん精神的な発達でこの静かな朝の国の数千万よりもさらに啓蒙された国はなく、さらに進歩的な民族はない」と伝えた。エピローグでだ。

今年は2020年。過去に想像した未来のその年からさらに45年が過ぎた。韓国はどのような国か。韓国人はどんな人たちか。伝染病の大流行による地球の危機状況で、韓国と韓国人の賢い国内対処が注目されていて、模範的な国際協力が期待されている。新しい韓国と新しい韓国人の自覚はこれにふさわしいグローバル知識を志向する。植民地と冷戦の論理で綴られた古い韓国の知識を革新する新しいハルバートを夢見る。

ノ・グァンボム/ソウル大奎章閣韓国学研究院教授


# by pcflily | 2020-03-27 09:17 | アリランエッセー | Comments(0)  

悲しい酒は私の自己紹介の歌

「悲しい酒」は美空ひばりの歌なのだが、悲しいからと言って、お酒で紛らわすことは、したことがなかった。そんな余裕はなかったからだ。一人暮らしになってからは、酔ってしまっては、危険だと思い、一人で飲むことはしなかった。
高齢になってからは、就眠前の飲酒は、認知症の原因になると知って、なお、飲むことはなかった。
ところが、FBを始めてから、嫌なことがあると、飲みたいと思うようになった。我が家には、お酒の買い置きがない。
アルコールと言えば、虚弱児の、私の為に、オモニが、何時も、持ってきた朝鮮人参酒だけだ。この薬酒を飲んでしまうようになった。そうして、歌ってしまう。

かつて歌った、この歌を思い出している。
「船頭小唄」のメロデイーで歌う。

(1)生まれ チョソンの チュンチョンド
   山越え 川越え 海越えて 
   流れ流れて 横浜へ
   ふるさと なくした 枯れすすき

(2)郷里(くに)を 出る時 抱いた夢
   今じゃ遥かに 遠い夢 
   ちぎれちぎれて 飛んでった
   夢を なくした 枯れすすき

(3)広い 世界に ただ一人
   私を守って くれる人 
   きっといるわと 信じてた
   今も だあれも 来てくれぬ
   今も ちょんふぁは ひとりぽっち


# by pcflily | 2020-03-26 14:07 | アリランエッセー | Comments(0)  

悲しい酒は私の自己紹介の歌

「悲しい酒」は美空ひばりの歌なのだが、悲しいからと言って、お酒で紛らわすことは、したことがなかった。そんな余裕はなかったからだ。一人暮らしになってからは、酔ってしまっては、危険だと思い、一人で飲むことはしなかった。
高齢になってからは、就眠前の飲酒は、認知症の原因になると知って、なお、飲むことはなかった。
ところが、FBを始めてから、嫌なことがあると、飲みたいと思うようになった。我が家には、お酒の買い置きがない。
アルコールと言えば、虚弱児の、私の為に、オモニが、何時も、持ってきた朝鮮人参酒だけだ。この薬酒を飲んでしまうようになった。そうして、歌ってしまう。

かつて歌った、この歌を思い出している。
「船頭小唄」のメロデイーで歌う。

(1)生まれ チョソンの チュンチョンド
   山越え 川越え 海越えて 
   流れ流れて 横浜へ
   ふるさと なくした 枯れすすき

(2)郷里(くに)を 出る時 抱いた夢
   今じゃ遥かに 遠い夢 
   ちぎれちぎれて 飛んでった
   夢を なくした 枯れすすき

(3)広い 世界に ただ一人
   私を守って くれる人 
   きっといるわと 信じてた
   今も だあれも 来てくれぬ
   今も ちょんふぁは ひとりぽっち


# by pcflily | 2020-03-26 14:07 | アリランエッセー | Comments(0)  

「さようなら 福沢諭吉」の購読会員を募集しています。

「さようなら 福沢諭吉」の購読会員を募集しています。_f0253572_17231695.jpg

〇日陰に咲いた水仙、己の花を咲かるために、こんなに伸びました。
花瓶に挿したら、自力では立てませんでした。水仙でさえ、自分の花を咲かすために、努力し伸びたのかと思うと、胸が、一杯になりました。見習うべきと思います。



















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『さようなら福沢諭吉』
購読会員を募集しています。

年会費 1000円 年2回発行

(発行人)安川寿之輔
住所〒464-0028
名古屋市千種区東明町5-22-2
FAX(専用)052-783-2291
Ë-mail:yasukawa@starcat.ne.jp
〇プラス2000円を送金致しますと、既刊のバックナンバーを、全部、入手出来ます。

〇雁屋哲さん,杉田聡さん、前田朗さん、青木茂さん、李洋秀さん高井弘之さん等多くの人が、書いておられます。また賛同者の原稿も、掲載されます。

〇愚民を籠絡する欺術は、天皇制を確立し、財ばかりではなく命をも捧げる事を、推奨、喧伝した福沢諭吉です。明治「政府のお師匠様」と自負・自称していました。アジア諸国への蔑視と武力による侵略、女性蔑視等、とどまる事のない差別主義者です。丸山眞男による、曲解された福沢への間違った視点を多くの人が、いまもなお、持っています。
真実を知る事こそ、明るい未来への出発です。現在の安倍政権は、この明治時代の誤った政策を復活させようとしていると思います。

〇この写真にある著書のほかにも、沢山の著書がありますので、安川寿之輔さんに、直接、申し込みますと、原則2割引きになります。是非、手に取って、じっくりと、お読み下さることを願っております。新しい視点が、開かれると思います。






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  〇幅30センチ程の場所に植えた枝垂れ梅の苗木でした。この梅の木も、自分の梅としての責務を果たそうと、こんなに大きくなり、余るほどの梅の実を、実らせます。
人間は、考える葦と言われていますが、最近の、この日本の状況を見ていると、人間としての責務を、放棄して、考える事を忘れてしまったかと思ってしまいます。

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〇薔薇も、庭がないので空中に咲かせています。この寒空の中でも、今、花を開こうとしています。花木は、落ち込む私に、何時も、力を与えてくれます。

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# by pcflily | 2020-02-10 12:06 | アリランエッセー | Comments(0)  

本名を名乗る

☆「在日」の人々よ、本名を使用して下さいね。

1971年1月、汽車賃だけを持っての、家出娘じゃない、子供連れの家出オモニだった。東北の雪国、会津の山奥からであった。親に与えられた新築の檜建ての50坪の家に住み始めて、半年も、しないときだった。二人の子供を、朝鮮学校に、通わせたい一心。

東北朝鮮学校の寮に長男を寄宿生活をさせていた。妹から、子供が可哀想だ。鬼母と言われていた。この妹は、後に、息子が「統一評論社」に勤務することを知って「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴った。
その通りだと思う。だから、いまだに、親子共に、余裕のないその日暮らしをしているのだろう。
雪の舞い散る中を、捕まらないようにと気を配りながら、夜行列車に飛び乗った。無茶な事をした、世間知らずであったと、しみじみ思う。

歌集「身世打鈴」より
本名
☆スンジャ、チョンヒ,立花、梨花、理香、木村貞花たどり
つきたる本名朴貞花
☆リッカ、テイカ、と呼ばるるときに胸疼く「チョーセン」を罵声に浴びし日顕ちきて
☆振り仮名を付けし名刺を持ち歩く吾ひとりの本名宣言運動
☆陽の目見しわが本名に差別なき場もありし喜び
☆パクチョンファと振り仮名せるを差し出せばボクサダカですねと念を押さるる

☆歌集「身世打鈴」の中から、朝日新聞の一面の「折々のうた」に、大岡信さんが、この中の歌「パクチョンファと振り仮名せるを差し出せば」選び、感想を載せている。

☆一人学びの母国語に
かつて「朴」にパクと、クは小文字だよと、---
小文字のクは日本語にない
パソコンにも出ない
ハングルは漢字一つを、一字で表す
パクの漢字は何処に?

◎朴を、誰もが、パクという。
これに逆らい、学校はガクコウじゃなく、ガッコウとするのと同じく発音するのだと説明をする。

◎私の名刺には、ハングルとローマ字の表記をしている。また、日本語が上手ですねと言われることが、度々であったので、下記の私の短歌を記入している。

☆土地奪い言葉を奪い名を奪う「併合」ありて「在日」いる

ちなみに、日本語が、上手ですねと言われるのが、嫌だったと、息子も名前の一字を変えている。「一」を、朝鮮語では、同じ読みの「イル」となる「馹」にした。あまり使われていない字なので、相手は困るようだ。「日」は「金正日」の「日」があるので、使えなかったと言う。親子は、似るのかもしれない。

◎朝鮮学校は、反日教育をしていると、言われるが、私の様に、孤立生活が少ないせいか、差別に対して意外と無頓着で、民族心も、そんなに強くないと、高貴高齢者の私は思う。

◎少なくとも、本名を使って欲しい。仕事上、仕方がないと言うが、そんなことを言ってる場合じゃないと思うのだ。

◎著名人、スポーツ選手、芸能人、近隣に、朝鮮人の名前があふれるほどに、沢山あることで、朝鮮人がいることも、当たり前に感じ、違和感を感じなくなるのでは、ないのかと思うのだが、如何なものであろうか?

◎老い先短い私の願いがある。朝鮮人の存在に、違和感を感じないように、全ての人が本名を、名乗ることで、この日本が住みよい国になる事。
それは、松の木があり、梅の木があり、無窮花があり、桜があり、コスモスがあり、菜の花がありと、多様なものがあってこそ、楽しい生活が出来ることに繋がるのだ。人間も、色々な国の人が近隣に住んでいることを、違和感なく受け入れる社会になって欲しいと、常々、考えているのだ。そのためには、一人一人の自覚があってこそ、実現できるのだと思う。

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# by pcflily | 2020-01-13 13:49 | アリランエッセー | Comments(0)  

本名を名乗る

☆「在日」の人々よ、本名を使用して下さいね。

1971年1月、汽車賃だけを持っての、家出娘じゃない、子供連れの家出オモニだった。東北の雪国、会津の山奥からであった。親に与えられた新築の檜建ての50坪の家に住み始めて、半年も、しないときだった。二人の子供を、朝鮮学校に、通わせたい一心。

東北朝鮮学校の寮に長男を寄宿生活をさせていた。妹から、子供が可哀想だ。鬼母と言われていた。この妹は、後に、息子が「統一評論社」に勤務することを知って「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴った。
その通りだと思う。だから、いまだに、親子共に、余裕のないその日暮らしをしているのだろう。
雪の舞い散る中を、捕まらないようにと気を配りながら、夜行列車に飛び乗った。無茶な事をした、世間知らずであったと、しみじみ思う。

歌集「身世打鈴」より
本名
☆スンジャ、チョンヒ,立花、梨花、理香、木村貞花たどり
つきたる本名朴貞花
☆リッカ、テイカ、と呼ばるるときに胸疼く「チョーセン」を罵声に浴びし日顕ちきて
☆振り仮名を付けし名刺を持ち歩く吾ひとりの本名宣言運動
☆陽の目見しわが本名に差別なき場もありし喜び
☆パクチョンファと振り仮名せるを差し出せばボクサダカですねと念を押さるる

☆歌集「身世打鈴」の中から、朝日新聞の一面の「折々のうた」に、大岡信さんが、この中の歌「パクチョンファと振り仮名せるを差し出せば」選び、感想を載せている。

☆一人学びの母国語に
かつて「朴」にパクと、クは小文字だよと、---
小文字のクは日本語にない
パソコンにも出ない
ハングルは漢字一つを、一字で表す
パクの漢字は何処に?

◎朴を、誰もが、パクという。
これに逆らい、学校はガクコウじゃなく、ガッコウとするのと同じく発音するのだと説明をする。

◎私の名刺には、ハングルとローマ字の表記をしている。また、日本語が上手ですねと言われることが、度々であったので、下記の私の短歌を記入している。

☆土地奪い言葉を奪い名を奪う「併合」ありて「在日」いる

ちなみに、日本語が、上手ですねと言われるのが、嫌だったと、息子も名前の一字を変えている。「一」を、朝鮮語では、同じ読みの「イル」となる「馹」にした。あまり使われていない字なので、相手は困るようだ。「日」は「金正日」の「日」があるので、使えなかったと言う。親子は、似るのかもしれない。

◎朝鮮学校は、反日教育をしていると、言われるが、私の様に、孤立生活が少ないせいか、差別に対して意外と無頓着で、民族心も、そんなに強くないと、高貴高齢者の私は思う。

◎少なくとも、本名を使って欲しい。仕事上、仕方がないと言うが、そんなことを言ってる場合じゃないと思うのだ。

◎著名人、スポーツ選手、芸能人、近隣に、朝鮮人の名前があふれるほどに、沢山あることで、朝鮮人がいることも、当たり前に感じ、違和感を感じなくなるのでは、ないのかと思うのだが、如何なものであろうか?

◎老い先短い私の願いがある。朝鮮人の存在に、違和感を感じないように、全ての人が本名を、名乗ることで、この日本が住みよい国になる事。
それは、松の木があり、梅の木があり、無窮花があり、桜があり、コスモスがあり、菜の花がありと、多様なものがあってこそ、楽しい生活が出来ることに繋がるのだ。人間も、色々な国の人が近隣に住んでいることを、違和感なく受け入れる社会になって欲しいと、常々、考えているのだ。そのためには、一人一人の自覚があってこそ、実現できるのだと思う。

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# by pcflily | 2020-01-13 13:49 | アリランエッセー | Comments(0)  

奪われた「文化財」

      

★略奪された「文化財」   一月号 二〇一三年   (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)

        先祖の墓には決して手を付けない

        、朝鮮の伝統的慣習を無視して墓は破壊され続けた―



総督府の主導の元に

「内地」では許可しない

陵墓の発掘を

「韓国併合」前から始めた


百済王陵の大古墳

高句麗壁画古墳・楽浪遺跡

伽耶古墳・高麗王陵 

発掘、濫掘、盗掘、搬出した


資力と知力と名声に恵まれた

小倉武之助の

植民地侵略に乗った

電気事業の大成功


韓国の返還要求を拒否した      (日韓条約成立の時)

東京国立博物館の

「小倉コレクション」は

古代から朝鮮王朝まで


「死の商人」と呼ばれた

武器商の大倉喜八郎

景福宮東宮の「資善堂」を

自邸に移築した


蒐集品の私設美術館         (大倉集古館)

庭園には

十数点の朝鮮の石塔と

高麗王朝の多層石塔二基 

  

イタリアは

持ち出したすべてを原状回復し

植民地主義の清算をしたという


連合国総司令部の

返還命令を無視した

略奪朝鮮文化財の六万余点

未だに故郷に還れない

 

(高麗青磁・副葬品・石像・石橙・石塔・石仏・石碑・書画・骨董品)


☆私の宝物。

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〇上の2個は、共和国で、作られた、娘の修学旅行のお土産。

〇下の左は、韓国産。骨董店で。右は、共和国産、お土産に頂いた。

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〇金賢純さんは、1938年、日本で生まれ、京都市立美術大学陶芸家を卒業、スエーデン首都ストックホルム王立美術大学に学ぶ傍ら,作陶をはじめ、1966年、朝鮮民主主義人民共和国に帰国し、高麗に次ぐ李朝鉄砂や白磁の伝統作陶技法を開発した。国宝指定の秀作もあり、ますます期待される。1989年の現代高麗青磁と絵画名作展を見に行った時の部厚いパンフレットには、もっと詳しく紹介されている人である。李賢純さんの作品。娘の婚家の伯父さんである。娘の婚家から贈呈された白磁。

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〇実家から贈られた刺繍の密林の絵。樹木には、、ハングルで、白頭山、三千里などの語彙が入っている詩がある。
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〇晴れた11月の或る日の、東の窓から見えた日の出。
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☆韓国で、素晴らしい伽耶の遺物が発掘された。深く深く地中に潜んでいたのであろう。日本の濫掘、盗掘に合わずに残っていたことを本当に嬉しく思い、6年前に、怒り、悲しみ、涙を流しながら詠んだ作品を思い出した。



# by pcflily | 2019-12-02 16:38 | アリランエッセー | Comments(0)  

この国の体質は

十二月号        2019年

この国の体質は?           (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川

連日の報道に

韓国非難続ける

己の非道を知らない人々――


この国は植民地支配の罪と

戦争による加害責任の

清算を全うしていない 

            1965年・日韓基本条約

国策の朝鮮侵略

独立国朝鮮を支配する為の

日清・日露戦争の殺戮 

            1894年・1904年

朝鮮で盗賊と化した日本人

王家の墳墓を暴き続け

高麗青磁までを収集した   高麗青磁は一般の人の眼に触れられないものだった


伊藤博文は

朝鮮王朝の書籍、青磁、白磁、古書等

文化財ごっそり皇室に献上した


憲兵と軍隊を引き連れて

朝鮮全土の遺跡を               高句麗、百済、新羅時代

濫掘し略奪した日本の学者達          東大を含む各大学所蔵


小倉武之助のコレクション

朝鮮の盗掘品、略奪品まで

国立博物館は所蔵、展示する


天皇の御為と

日の丸と旭日旗掲げ

流した膨大な血、今も歌う

「君が代は千代に八千代にーー」        1998年国旗国歌法制化


福沢諭吉の天皇制による

民の洗脳奨励は功を奏し

「令和」に酔い痴れる


〇FBを初めて、間もなく、蜜陽朴家の沢山ある中での同じ派の人との連携が出来たのは、1か月も経たない時であった。

また、公的な支援を受けないで、韓国と日本の人たちが、力を集結して作り上げた「植民地歴史博物館」の職員の人とも会うことになった。まもなく、下の写真にある写真を彼が送って下さった「植民地歴史博物館」の日本語版である。ソウル駅から歩いても行けるほどの近さなので、訪韓した時には、是非、参観して欲しい。

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〇これは、開館を喜んだ私が鶴を折って、作った統一旗と축・祝の文字。写真なので、小さいが実際の大きさは,縦38cm横30cmのものである。不器用な私は疲れ果て、写真を写すことを忘れ、訪韓の時もカメラを持って行かなっかった。受付のカウンターに飾って下さったのに~~~。青い折り紙を提供して下さった町内の婦人会の人達が、出来上がりを見たいと言うのに、見せられなかった、ガイドブックと共にこの写真も、ようやく届いた。1年ぶりに見る事になり、見せることが出来て本当に、良かった。
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〇共生ラウンジのフエスタでの年に一度の行事で「ハングル体験教室」で、今年も参加、一人で奮闘した。嫌韓騒ぎの中なので、心配でもあったが、私の「ハングル体験教室」は大盛況であった。昨年はチョゴリも、もっと沢山持っていき、朝鮮の風土を表す絵やこけしなども沢山展示したが、今年は、息子がラグビーに、関わっていたので、協力を得られず、残念であった。
こんな場所でも、差別感を味わった。いつもの事だが、今年は、絵手紙と、水彩画と私のハングルを知る、体験講座が同じ場所で行われたが、今年も、椅子が足りなかった。私が立ったままで話すか、体験者が立ったままの場合も何度かあった。相手の2組は、全く、体験者がいないので椅子は、空いているのに、使わせてくれない。入口の案内の表示も二人のものが良く見えるようになっている。私は、空いていた左上に、小さなものを、ようやくつけることが出来たのであった。でも、熱心に私の話を目を輝かせて聞いてくれた中・高生の事を思うと、来年も参加しようと思うのである。

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〇雪をかぶった富士、3分ほど歩けば見えるが、うまくカメラに納まっていない。
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# by pcflily | 2019-11-23 23:20 | アリランエッセー | Comments(0)  

李容洙さんと出会った日

〇夕食を共にして。
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慰安婦にあらず李容洙と憤怒は今女性人権の闘士を生みき


元「慰安婦」と呼ぶは悲しき「慰安婦にされた女性」と吾も意義唱える


慰安婦にされしハルモニわれもまた己晒して歴史認識問う


「十億円で最終的不可逆的解決とは許せない」

2016年


十億円とは米国から買うと決めた

オスプレイ17機の三千六百億円

1機、二百十一億円の二十分の一にも満たない 

 

血涙のハルモニ達が

名乗り出た神聖な勇気

名乗り出られない

生死不明の数多の女性がいる


米国の対中政策

日・米・韓軍事一体化の

強化に与した政治的合意は

被害者への残酷な人権蹂躙・侮辱だ


少女像を守る老若男女

厳寒の昼夜を徹して守る若者

世界の彼方此方で抗議が続いている

十二月八日の合意は撤回すべきだ


八月号     二〇一五年      

李容洙さん

     

日本人将兵の輪姦と拷問の

後遺症に苦しむ

李容洙さん


五十八歳で大学入学

大学院まで進み

国際法・歴史を学んだ


初見の私達に

話題は尽きない

「儀軌」返還に尽くした

慧門さんとの会話に繋がった


訪日と訪米の証言

闘い続けた幾十年

先に逝ったハルモニ達の

恨をも抱きつつ――


今年も訪米の李容洙さん

その願いも、会見も、

国内の歴史学者の意見も、

完全無視の安倍首相


スローガンを連呼していた

ヒットラーの姿にダブる

安倍首相の詭弁


「米国合同会議での演説」

七日後の首相への警告状

日・米・欧の歴史家

百八十七名の集団声明が熱い


植民地支配と

侵略の歴史を直視せよ

日本軍の性奴隷の強制を認め

謝罪し責任を取れ

世界の声は日本に届くのか?


# by pcflily | 2019-11-14 14:33 | アリランエッセー | Comments(0)  

ウリアボジ・私の父

☆秋の抜けるような青空、赤く熟れた柿、私のアボジの思い出だ。「朝鮮の秋の空はこんなものじゃない、もっと高く青い空だ、もっと高く澄んでいる空だ」と呪文のように言っていた。「朝鮮の柿は美味しい」とも。アボジの故郷恋しさの気持ちがこんな言葉になっていたのだろうと思う。

終の棲家と決めた現在の家に住むようになったから、アボジの木として柿の木を植え、オモニの木として梅の木を植えた。梅は厳寒に耐えて、春一番に実を付ける。オモニの姿と重なる。15年も過ぎたのに、柿の実は一個も実ってくれない。でも、今年も、二人の友人がリンゴと共に、柿を送って下さった。手作りの干し柿も入っていた。果物が何よりも、好きなので、瞬く間に食べてしまう、残り少なくなったので、今日からは少しセーブしよう。

上京したばかりの頃は、なれない環境で、睡眠もとれず食欲もなかった。果物で生きていると言われる程食べた、伊予柑は、香水をつけたかと言われたほど食べた。

アボジの事、オモニの事、自分のかつての生活が思い出されてならない。


ウリアボジ  私の父     (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)

船艙に閉じ込められて玄界灘をアボジ越えたり一九四十年

残虐な強制労働の報復を恐れて爆殺されし同胞のアイゴー

炭鉱より逃亡の父山間(やまあい)の会津に住みて半世紀過ぐ

今もなお語らぬアボジの炭鉱の日々映画「三たびの海峡」に見る

強制連行の叔父の遺体も坑道に閉じ込めしまま三池炭鉱閉づ

談合にはずされ顔面蒼白の父の代筆震えつつ書く

談合に外され続けし吾が父の落札価格赤字の仕事

工事現場父に付き添い巡りたり出面帳持ち中学生の吾

畑よりの強制連行のわが父も居住許可願の外人登録をす

七人の()あれど「表札に本名は(ちょん)(ふぁ)一人」とアボジの憂う

寡黙なるアボジの植栽 子に孫に無窮(むぐん)(ふぁ)咲き継ぐ夏の真昼を

朝鮮を無窮花の園と呼ぶという統一の花咲く日のあらむ

百年を越したる先祖の文集のなお新しき朝鮮本に

父の祖を(じょっ)()に辿れば紀元前五十七年新羅始祖王

父祖の古書ひもときゆけば朝鮮の楽聖朴蘭渓の一族の裔 

始祖新羅王朝鮮実録に載る朴蘭渓父の誇る族譜とは

亡国の民なる日にもわが父の誇り支えしか「両班(やんばん)」ということ

両班(やんばん)の子孫たること支えとし日本に生きしわがアボジかも

七人の子あれど娘「()(らん)朴家(ばっか)」継げる養子父は迎えぬ

民族の風習守れば朝鮮五百年アボジの誇る儒教の国

「火葬になどされてたまるか」と土葬なす母国に帰る吾がアボジかも

足萎えのアボジの繰り言「韓国の土になりたし祖国の土に」

両班の裔なるだけが生きがいかアボジ帰国すと七人の娘あるに

「両班」の姓を守りて土葬する身なりと帰国を望む八十五歳

村田喜代子書きたる「龍秘御天歌」にアボジの儒教精神土葬を知る

妻と子と孫と曾孫と五十人置きてアボジは祖国・母国・故郷へ

七十年連れ添いし妻と別れゆき両班の姓守るアボジ帰国す

その妻と生き別れして帰国せしアボジ今年は結婚七十周年

日本の土を再び踏まぬこと決めて土葬の待つ祖国に帰るアボジ

土葬望み帰国のアボジ生きながら黄泉(よみ)の父母と語りいるらむ

帰国せる父思うとき唇に出る「空手来(こんすれぬん)空手去(こんすごよ)」朝鮮民謡の

故里の土に還る帰国せる父住む(ちゅん)(ちょん)()古代文化展甲府にて)

忠清道木、水、鉄と豊かにて世界最古の金属活字成す(1234年)

現存の世界最古の金属活字本「佛祖直指心體要節パリにある不思議

七五一年刷られし木版本「無垢浄光大陀羅尼経」則天文字の鮮やけく

強制連行されたることの憤怒未だ証言拒みアボジは逝けり

土葬願い秋に木の葉は散るものとアボジは逝けり医療拒みて

絹のパジ・チョゴリ・トゥルマギ纏うアボジ米と路銀持たさるる

麻布に総身くまなく包まれぬ邪気入らぬように骨の崩れぬように

寿衣まとうアボジの遺体はすきまなく麻布に巻かれ物体となる

春逝きしアボジは吾に韓国の世界文化遺産の花の旅さす

アボジ逝くこの夏「ふくしまの百年」の写真入りの記事わが家の連行


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〇居間から見えた夜明けの空。

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〇金容洙オモニとの夕食の日。
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〇少女像と共に。金容洙オモニの若かりし日。
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〇こんなかわいい少女像もある。
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# by pcflily | 2019-11-11 14:13 | アリランエッセー | Comments(0)  

南区文化祭 区民創作展に参加  朴の花・ウリオモニ

☆八十路坂に入ったので、老人クラブに入った。展示会があるので、どうですかと案内書が届いた。なんとなく読んでみたら、短歌も良いとある。電話をしたら、展示場所があればと、あまり良い返事が来なかったが、入庫の日に行ったら、大きいので駄目と言われた。掛け軸の方は受理された。たくさんの作品に興味を持ち、全部を見て回った。盆栽の柿の木には,実がなっているのでびっくりした。我が家の柿は15年間、一個も実らなかったのに~~。盆栽のグループは好きなものを一個プレゼントしていた。私は白い撫子を頂いた。花を見ることが出来るか楽しみが一つ増えた。

帰ろうとしたらボード二個の後ろがそっくり空いていたので、私の作品を貼らせて下さった。これは、韓国で生まれたという須藤英子さんが、私のの短歌をいつも、筆で書いて下さっていたものだ。彼女は日本女子大で、書道の教師をしていた。私の短歌を書にして「毎日書道展」に出品していた。もうすでに、天上の人になってしまった。展示会が終わって初めて気が付いたのだが、老人会は、沢山の参加者の中での一部でしかなかった。展示品すべてが高齢者の作品だと思っていたのに~~。


朴の花          (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)

望郷

老いたりと或る日つぶやきその夜より祖国を恋いて惚けたる父

異国の日々深く刻みし相貌の老いたる父母は祖国に発ちぬ

よろよろと地に足つかぬ身をかがめ父母は手を取り母国に向かう

無窮花とコスモス月見草鳳仙花 故郷の花庭にあふるる


差別に耐えて

七人の女児育て上げしウリオモニ差別に耐えて艶やかに老ゆ

父母の子の同じ血筋の七姉妹四十路越えれば異邦人なる

日本に七人姉妹 本名の表札われ一人なりアボジの憂う


頬染めて

頬染めて八十路のオモニ言いいずる金英喜と己が名書く練習すると

長生きして良かったとウリオモニ朝日歌壇賞受けしを聞きて

子の書きし処女作のこと朝日に載りオモニの涙を電話が伝える

 

ウリオモニ 私の母      (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)

「歴史発見」に韓国の伯父映りオモニの(おや)日本人

秀吉の朝鮮侵略の反逆者日本人沙也加の裔なるオモニ

その父の名と長女なりと記される(じよっ)()オモニはあ

(こっ)輿(かま)に揺られ嫁ぎし十三歳オモニの記憶の白梅の花

炭鉱のアボジの逃亡予防とて幼子連れて玄界灘を

すり減りしオモニの爪に一生(ひとよ)見え発破の穴掘りトロッコを押す

生みし子の臍の緒 手ずから切り離しその日よりまた洗濯を次ぐ

夫の姓継げる男子儲けむと身籠り生みし七人の女児

闇米を背に飛び降りて倒れたり雪降りしきる駅のホームに

三度目は呼び止められて背負いたる米も糀も没収されにき

密造酒取り締らむと駆け付けし署員の前に甕たたき割る

密造酒・闇米・養豚・タバコ巻 子は飢えさせずとオモニの覚悟

一点の染みも消さむと煮沸する白きは白くとオモニの洗濯

辛きこと忘るることのたくみにしてオモニは人の善意数うる

吾が会える人ごとに深々とお辞儀するこの子を頼むと八十路のオモニ

諦めること覚えて大人への切符手にせよとオモニの諭す

頬染めて八十路のオモニ本名の「(きん)(よん)()練習

己が手で「外登」更新に署名する八十路のオモニ手の震えいる

十五人目の孫朝大を卒業するチマ・チョゴリのオモニに白木蓮は

子育てを終えし娘七人を引き連れオモニの海外旅行

一生一度母娘八人の目的地 祖国にあらず台湾なりき

呼び寄せし今宵のオモニの身世打鈴釜山より常磐炭鉱に来し日まで

たちまちに八十路のオモニの面変る吾を生みし朝鮮の日々を語るに

文盲のオモニの病みて読み聞かす吾の歌集「身世打鈴」

忘れいし或る日の苦痛の蘇る一首の歌に紡ぎ出されて

枕ふたつ並べて語る母と吾の回想のつづまりは密造酒のこと

夜半覚めてオモニの手をまさぐれば任せておけと寝言に言えり

引き戻す術はあらざり老いしるきオモニの布団に朝明けを待つ

少女期に逝きし父母への甘えかも夕べのオモニは駄々っ子になる

日めくりをはぎつつオモニは悲しみを空に放ちて童女にかえる

童女なるオモニの意識蘇る二十二番目の曾孫抱くとき

降りやまぬ雪にふるさとも埋もれいむオモニと歌う「()(ひゃん)(そる)

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〇なぜか一番良い場所に展示されることになったた。読んで下さる人もおられる。
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〇千里馬の国の夜明けを信じたり吾子につけたる明希という名 朴貞花
統一がこんなに長く、達成できないとは夢にも思わなかった。
必ず統一すると信じていた。

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〇柿が100個も実をつけたと言う。驚いた。
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〇こんなに小さいままで撫子が咲くだろうか?毎朝のコーヒータイムのカップと目の前に置く時計、テレビの音を聞くスピーカー。
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# by pcflily | 2019-11-08 18:48 | アリランエッセー | Comments(0)  

独り学びの母国語にーー

十一月号原稿


独り学びの母国語にーー         (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    神奈川

 

かつて「朴」にパクと

クは小文字だよとーー

小文字クの発音は日本語にない


「ハングル」は文字の名       

「ひらがな語」はない

「ハングル語」もない


正式名は朝鮮語

「ハングル」は

科学的、合理的、機能的と

世界の学者の認定


母音は「()()()」の意

子音は発音記号ともなり、

表音文字なれど

漢字一字を一字で表記


促音と撥音から

始まる単語はない

故に「ハングル」は

一字で表記しない


発見、発展、発表の促音「っ」     

歓迎、感銘、観念の撥音「ん」     (後続音の種類により発音が変わる)

三つの発音の違いを表記する


大根をタイコンといった

オモニを嘲笑していた人々

何も知らなかった私

朝鮮語は語頭が清音だった


言葉を生業(なりわい)の人達

間違いに気づかないのか?

不思議な朝鮮語を使う

誰も嘲笑しないーー


☆下線の部分は選者により、削除された。この作品を書く動機になったのは、オモニの事を思い出したからだ。学校で言葉を覚える時にはメモをしたり本を何度も読むだろう。文字も知らない、教える人もいない見知らぬ他国で、必要に迫られてようやく覚えたのであろうに、周りの人はせせら笑うのだった。何も知らず、何も言えなかった私。

一人で母国語を学ぶ過程で朝鮮語は語頭が清音であることを知った。

知識ある日本人が、言いにくいと言って日本式に発音する時に、私はいつも、オモニの事を思い出す。そうして、朴を、パクじゃない、パッと訂正する。チョンファと呼んでと話す。せめて、半分だけでも、きちんと読んで,詠んで呼んで欲しいと思うのだ。言いにくいからと、パクさんなどと呼ばれると、創氏改名を思い出してしまう。そんなことを言っていると、世間を狭くすると言われたことがある。私は、広い世間に出ようなどとは、思っていないと返事をする。

◎台風一過の翌朝。
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◎台風にめげず咲いたオーシャンブルー。強い花。
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◎何故か全く動かない黒い蝶。生まれたばかりなのだろうか?
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◎台風の翌朝のベランダのオーシャンブルーー。
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◎百日紅。
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◎彼岸花。
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◎台風一過の夜の月。
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# by pcflily | 2019-11-02 20:46 | アリランエッセー | Comments(0)  

武力威嚇行使の「韓国併合」

十月号原稿

武力威嚇行使の「韓国併合」

              

木戸孝允の言               (維新三傑の一人・吉田松陰門弟)

「朝鮮に罪を鳴らして

その土(国土)を攻撃、

神州(日本)之威を伸長せん」

                   

「江華島」に軍艦で乗り込み         (1875年)        

大砲で威嚇、上陸し民家焼き払い、

銃砲、楽器等を略奪


脅しの不平等条約

「日朝修好条約」は               (1876年)

治外法権、日本の通貨使用

輸出入品の関税免除


金、米持ち出し、食料買い占め

田畑、山を取り上げ

王宮を占領

夜襲の「明成皇后殺害」               (1895年)

 

東学農民義兵達

全土で「抗日闘争」

日本軍は三光作戦で

村ぐるみ抹殺、殲滅


憲兵隊で威嚇の伊藤博文          (1905年)

外交権を奪う「第二次日韓条約」   

反対の大臣引きずり出し

拒否の国王の国璽奪い――


朝鮮に二十八の監獄作り     (1908年)              

義兵を検挙、拷問、虐殺

日本陸軍の巡回と監視の中

「韓国併合」                  (1910年)


過去は消せない

真実の歴史認識と

戦争責任の直視こそ

未来の希望に繋がる


☆朝鮮の方達に、35年間も迷惑をかけました。殆どの人たちが、話す言葉だ。

こう言われたの時に、私はいつも違和感を感じてきた。1950年の「韓国強制併合」の事を言っているのは解るのだが、事実は、併合以降の事それだけではない。


併合以前から、あまりにも酷いことを、日本は、どれだけ強行していたか分からないのだ。500年以上続いた朝鮮を「大韓帝国」と国名を変えてまで、中立を宣言した独立国に対して、武力をもって、悪事の限りを続けた挙句に強制併合した。

朝鮮は、遅れていたと皆が言うけれども、近代化にいろいろと、努力をしている。

電車を走らせたのは、アジアで一番早かったしソウルの街の整備もしている。日本よりも早かった。外国語を学習させるために学校を作り、教師も外国から招聘した。米国から来たハルバートは高宗に協力したが、その教師の一人であった。

1910年以前の悪行は余り考えようとしない人たちに訴えたいと思い、この作品を書いたのだが、選者には汲み取って貰えず、下線のある処は削除されている。

作品の形が大切と言うのだろう。

人間に例えれば、どんなに良心的で善良な人でも、美男、美女でなければ相手にしないという事なのだろうか。

「本当のものを歌え、、恐ろしいものを歌え小器用な上手な歌人など幾らいたって仕方ないんだ。本当に恐ろしいものを歌え」

「戦争は終わっていない。こんな見せかけの平和など指一本でひっくり返る」

これは、尊敬する近藤先生の言葉である。


☆今年の8月も、「平和の灯を、ヤスクニの闇へ」のキャンドル行動に参加した。

錚々たるパネリストの講演と、「親族を無断で、靖国に合祀された遺族の方々」の胸の痛む訴えを聞く。

靖国は、いつまでこんなことを続けるつもりなのだろう。戦争の反省も謝罪もしていないということは、この靖国に、国の議員が参ったり、首相としての安倍がタマグシリョウとかと、ごまかしておかしなことをしていることで、証明されるのだ。

幼児でさえ間違ったことをした時には、謝ることを知っている。この国の治世・知性は、どうなっているのだろう。若い世代が、安倍政権に、一票を投じたと聞いて驚いた。世界の中でも、名だたる教育制度を持っていると聞かされたことがあるが、天皇を神と思わせる教育が浸透しているのだろうか?


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# by pcflily | 2019-09-27 21:16 | アリランエッセー | Comments(0)  

独り暮らしの日々に

猛暑にもめげずに、花を見せて私を慰めてくれたわがさ庭の花々。その中でも、雨期に咲くはずの、紫陽花の「墨田の花火」迄咲いてくれた。嬉しかった。寂しい私を慰めてくれようとしたのだろう。
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〇桃栗三年柿八年というのに、15年経ったのに、今年も柿の実は、青いうちに全部落ちてしまった。一度も、一個も、食べられるまでには育たない。私が、大人になるまで、暮らした会津は柿の名産地であったので、思い出の柿の木を植えたのに、なんと意地悪な柿の木なのだろうかと思う。


9月号


独り暮らしの日々に        (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)     

今年、初めて

開花する筈だった薔薇

花はなく枝は折られた


終の住処と決め

暮らし始めて間もなく

裏門が外されていた


裏門前の空き地に

植え続けた花は8年間

抜かれ続けた


八重咲きの無窮花

隣家に花びら散ると

伐らされ、枯れ果てた


許可を受け植えた花々

すべて抜き取られた

交番前も、公園も


前触れもなく

裏門の通路を塞いで

ゴミ置き場にーー


度々の反故、吾の提案        (関東大震災時朝鮮人虐殺神奈川追悼会)

何故かと質せど、答えず

吾の退会後に実施してるという


些細な事、愚痴だと

他人(ひと)はいうけれど

()(かみ)り、脱亜入欧の

精神が今も尚、続いているーー


# by pcflily | 2019-09-15 19:07 | アリランエッセー | Comments(0)  

オモニの祖は日本人

◎夜明けの空、雲が多くて朝日が見えない。
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八月号原稿


(きん)(ちゅん)(そん)沙也(さや)()(さと)()鹿(ろっ)(どん)        (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    神奈川 


従弟と尋ねた友鹿同

金忠善・沙也加は降倭         (降倭・朝鮮に帰属した日本人)

オモニの祖              (オモニ・金英喜)



朝鮮の先進文化慕い

鉄砲の技術伝授

賜姓名金忠善 位階正二品       (朝鮮実録・承政院日記)


戦国時代百年の日本

文治国家二百年の

朝鮮を侵略


老若男女子供迄            (地獄絵図と・従軍僧日記)

殺戮強奪焼き討ち鼻削ぎ

奴隷に売るローラー作戦


学者、陶工、技師           (世界最古の印刷物現存)

書籍、印刷機等の数多の略奪      

「江戸文化の礎となった」


秀吉の野望に七年

大名、武士、農、漁、町民

動員三十万


検地、年貢,賦役、徴兵に

厭戦の逃亡

「降倭」は」数千人          (史書にあり)



日帝の抹殺策正し

皇国史観捨て

真実の歴史認識を願う       (韓・日の教科書に)          

韓・日友好に挺身の金在徳氏      (金在徳氏・十四代)


☆8月号の『新日本歌人』が届いた。今月の作品はオモニの先祖の日本人、ゆえに私も日本人の血を引いていることを言いたかったのだが、その思いは選者には届いていないようだ。私にとって大切な内容はこれでは、読者に届かない。なぜ、削除したのだろう。

日本の朝鮮侵略により心優しい人が、朝鮮に帰化したのだ。その後の明治の政権が犯した2度目の朝鮮侵略の植民地化のときは日本人に裏切り者と言われ、より酷い仕打ちを受けて一番辛かった。また、この事実を嘘だと日本人の学者が発表をして取り消そうと画策したりした。私のオモニと同世代の金在徳氏は真実を守り通したと話している。NHKの放送で、この内容の話が「歴史発見」で放映され、オモニの弟が、画面に出ていた。私は、この事実を初めての訪韓のときに、この叔父さんから直接、聞いていた。オモニはこの弟ともう一人の妹の3人きょうだいであった。既に3人とも,現世の人ではない。


日本人の勝手な2度の朝鮮侵略により奔流されて困難を極めた人生を生きなければならなかった私のような人がどれだけいるか分からない。この2度の朝鮮侵略による二重の被害を私は受けていることになる。日本に自分の意志で来たのではないことは確かなのだが、そのことを考えてくれる人はいないのだ。本来なら、日本人より、救いの手を伸べてくれて優しくしてくれてもよいはずだと、常々私は思っているのだが、まともに人間として扱われることは少ない。不幸であって当たり前であり、私が少しでも幸せになるための手助けはしようとしないのだ。

上からの目線、私は情をかけましたよ、感謝しなさいというのが殆どの人の態度である。

朝・日の両方の血を引き継いでいればこそ、日本が、侵略の事実を認めて謝罪し、賠償をして、一日も早く、友好関係を結んで仲良くなって欲しいのが、私の本当の願いであることを誰も理解できない。理解しようとはしないのだ。


☆今月は漸く6首が採用されたが、今月の作品は私も日本人の血を引いていることを言いたかったのだが、その思いは選者には届いていないようだ。花鳥風月や身辺の歌は8首も採られることが多い。こんな中で、独り相撲をしているようで、自分がみじめになる。現在の政治状況でこの新日本歌人の会員が、やはり古来の伝統を引き継いだ抒情的な短歌観だけで良いのかと思うのだがこの根本の体質は、他人の痛みには我関せずの国民性なのだろうか。

◎花の為に、ベランダにかけてある網に、もぐりこんだ揚羽蝶。下からでは遠いし、上からでは、蝶の姿がはっきり分からないかもしれない。実は3匹の揚羽蝶が

この網から出ようとしてもがいていた。網に入るときにはどのようにして入ったのだろうか?

ブログにその時々の思いを書くのを唯一の楽しみにしていたのに、新品を買ってから、二年を過ぎただけなのに、完全に故障したとかで、部品を入れ替えてもらったのだが、思うように使えない。文書はすべて消えてしまった。幸いなことに、ブログに載せたものは呼び出すことができるシステムになっているということであった。ここに掲載したものは残っているということである。それだけでも有難い、良かったとホッとしている。

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# by pcflily | 2019-07-21 16:37 | アリランエッセー | Comments(0)  

悲しみに暮れている私

七月号原稿

悲しみに暮れている私         (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    宮田哲夫選 


アジア蔑視、女性蔑視

民衆蔑視を主導の

「福沢諭吉」が一万円の顔


「渋沢栄一」は

第一銀行の支店を

1878年、釜山に開設

元山にも仁川にも漢城にも


貸出金は高利貸しを育て

朝鮮の山野、田畑を

日本人の所有とさせた


巨利を得た山口太平衛

輸出税を免れようと

「日本刀を彼らの面前に突き出して大喝一番」

したと誇らしげに話した


米穀と綿製品の買い占め

金銀の吸収に努めた

渋沢の顔を紙幣に載せーー


略奪品を運ぶ為に、

戦争時の利便の為に、

鉄道を敷いたーー


朝鮮侵略の鼓吹者

福沢諭吉の言を実践躬行の

「渋沢栄一」


明治の栄光を思うのか

命令に従う大和人か

元号「令和」と

「渋沢栄一」にはしゃぐ人々

 

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# by pcflily | 2019-06-24 08:04 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

奇怪な現実に戸惑う

六月号原稿         選者  奈良達雄 

奇っ怪な現実に戸惑う         (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)    神奈川


ニューヨーク州

柳寛順の3・1独立運動を

人権記念日とした


少女像を建立の

カリフォルニア州

性奴隷被害に

「功労賞」を送った


天皇家を崇め奉り

軍隊を持たない国――

戦犯旗の旭日旗を閃かせる


あの戦争の

『日の丸』を守り続ける

ドイツとイタリアは

国旗も変えた


ロシア革命を恐れ

シベリア出兵強行

抑留者の悲劇だけを語る


米国に真珠湾攻撃

世界唯一の被爆国と

被害だけを訴える


歴史の真実を

過去の過ちの真相を

隠蔽し忘却する日本


搾取と侵略の

「明治」の回帰に

歴史改竄のアベ首相

追従し擁護する輩ばかり



☆6月号の選者は、奈良達雄さんだった。選のあとにを読んで、私はびっくりしてしまった。この驚きは、言葉では表せない。

◎朴さんの作品を読むと、日本の支配者たちが過去の侵略戦争や植民地支配に心からの反省がないことを痛感させられる。今日の日韓関係をぎくしゃくさせている最大の原因もそこにある。


ニューヨーク州

柳寛順の3・1独立運動を

人権記念日とした


「朝鮮のジャンヌダルク」とうたわれ、十六歳で拷問による獄死を遂げた柳寛順をたたえる歌。事実だけでなく、例えば朴さんの心からの呼びかけなどを詠ってほしかった。

◎ 名古屋大学名誉教授安川寿之輔氏からの手紙によると、朴貞花さんの「近代日本の「賢者」福沢諭吉を読む」と「福沢諭吉の公言」(ともに『新日本歌人』に掲載)に共感し、日本帝国主義の戦争犯罪・植民地支配犯罪を告発する「在日歌人・朴貞花歌集」の編集・出版を応援したいとある。協会としても名誉なことであり、援助を検討してほしいものである。


◎10センチ程の枝を挿し木したら、五年もたたないのに一階の部屋の高さにまで成長して葉を茂らせ、部屋から、外が見えない状態になったヤマアジサイ。
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〇うまく映せてないが、ドクダミと深山金鳳花が仲良くなって不思議な花を咲かせた。ドクダミは一重なのに八重咲きの姿形の花だ、共生の花の姿だ。
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〇雪の下の花とブライダルベール。いずれも強い花だ。
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# by pcflily | 2019-06-20 15:20 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

金福童さん、天上界へ

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五月号原稿

金福童さん、天上界へ          (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川

従わねば家族に

害を与えると脅迫された

十四歳の金福童さん


日帝は戦場を引きずり回した

兵士の性奴隷の幾年月

過酷な記憶は決して消えない


駐韓日本大使館前の

「水曜デモ」

病む日も継続参加

謝罪も賠償もなく逝ったーー


女性人権賞の賞金の全額

紛争地帯の

子供と女性の為の

基金とした           (東日本大地震の被害者への基金もしている)


日本の行政と司法の

差別に苦しむ朝鮮学校を

車椅子の身で尋ね、励まし

奨学金を寄金


九十二歳で癌手術

五日後に

引き止められても

雨の中の一人デモ


人権擁護の闘士となった

金福童さんの心は

国境を越えた

追悼式は世界各国で


弔慰金全てが

彼女の遺志により

女性、人権、平和団体等の

十一か所に寄金される


☆金福童さんには、何度もお会いしている。別れの時の法要と頬ずりも忘れられない。写真がすべて消えてしまった。パソコンにすべて入れてあったのに、パソコンが故障したからだ。本当に残念だ。

☆おかしいと思っていたら、私のパソコンは故障していた。

何年もの間、書き溜めておいた文章も詩歌も写真も、全て消えてしまったのだ。自分の不手際の為に、思うように動かないのかとばかり思っていたのに~~~。

前回に買い換えた時には、今まで使っていた、パソコンに入っていたものが、其の儘、そっくり移動出来たのに、どんなに悔やんでも、覆水盆に返らずだ。

花木の手入れの為に、力仕事の出来る友人がが欲しいと、年長の親友と話していたが、毎日、老齢化が進んで行くことを考えると、パソコンの得意な友人のほうが重要性を持つねとの話になった。

☆昨日の19日にこのブログを書いたのだが、偶然、韓国の新聞「ハンギョレ」に、「第2回金ボクトン平和賞」受賞者、コソボ紛争の性暴力を初めて証言した被害サバイバーのバスフィエ・ぐっとマン氏が受賞者として韓国を訪れた記事が掲載されていた。

女性人権闘士家としての金福童さんの遺志が、このように生きているのである


# by pcflily | 2019-06-19 17:13 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

「3・1運動独立運動」100周年に 投稿4月号作品

                   

四月号原稿

「3・1独立運動」100周年に    (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川


「朝鮮人は書物、琉球人は地球儀、  1811年   ロシア海軍のゴロウニン

アイヌ人は無欲、欲しがらない

日本人は滑稽なほど武器に興味を持った   磯田道史の「古今 をちこち」             

日本人の兵備への関心は突出していた 

                    

明治の侵略政策の要に潜入盗測     

朝鮮に忍び込み

朝鮮の精密な地図を作った           1872年

不平等条約の

「日朝修好条約」から             1876年


世界に類がない

公使の皇后・閔妃虐殺

明治の意図的な「征韓」政略

朝鮮に二十八の監獄作り、           1908年   

民族独立に立ち上がった

人々を獄死させた


王宮を日本軍が包囲し

銃で恫喝の「韓国併合」            1910年

米、金、古書、陵墓を破壊

全てを略奪した


朝鮮人の独立への意志、

3・1独立運動は               1919年

誰一人武器を持たなかった


日本軍は「三光作戦」

例外なく発砲、銃剣と放火で

虐殺し、鎮圧した


日本軍の無軌道、ヘイトスピーチにー

かいま見える明治への回帰

ドラマ「いだてん」は

ヒトラーのオリンピックをー


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# by pcflily | 2019-05-18 09:50 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

生きる意味 『新日本歌人』3月号 投稿作品


  生きる意味      (ぱっ)(ちょん)(ふぁ)     神奈川


あの青い空の月

あの輝きは

己の光でないという


人も独りでは輝けない

いずれも雲に覆われて

隠されもする


わが苫屋の窓

東に真っ赤な朝日

西の燃える夕陽

白雪の富士山


折々の草花

身辺の叙景歌

叙情豊かに詠みたい


既得権者の暴政妄言暴虐

悲しみ傷つき苦難の

人間と地球


詠う事の根底は

人間の「個」であり

「怒り」であるべきだ

師の言葉を反芻する


善意を信じ

未来を信じ

真実をひたすら

今日も追い求める


この広い地球上で

会えるだろうかーー

ひとつの心の人に


☆『新日本歌人』に既定の会費を払う事により毎月、投稿する権利が出来る。けれども、取捨選択は、選者に任される。

作者が、どんなに心を込めても、選者にその心が届かなければ削除される。あまりにも、選者に私の意が届かない事が多すぎるので、失望する。選者に、選者としての力量があるという事は誰が決めるのかは分からないが、今回も、私の意志は届かなかったのか?届いていたにも拘らず、皮肉を言われたのかは、選者にしか分からない。

この作品の「選のあとに」で「素敵な抒情歌届けて下さい」と書かれていた。私の意図は、そんな甘い事ではなかったのである。


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# by pcflily | 2019-05-12 16:14 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

町田に住んで33年の思い

〇喜怒哀楽分かち合いたる星子さん身罷りしこと宜えぬ日々
〇呆けたるごと君思うベル鳴りて会話楽しむ事のあるかと

療養中であったが、いつも明るく前向きで私が励まされていた。昨年は、毎日のように電話で話し合い、南北の和解を喜び合い、平和協定の成る日まで頑張って生きていようと話し合っていた。我が家のばらのゴールドハニーとピースは今、真っ盛りだ。昨年は、この薔薇を一杯摘んで花籠にして送ったのに、送る事も出来ない。
人間は誰でも別れて旅立つことは、承知している筈だが、何の遠慮もなく話し合い、意見の一致を見ることの出来る人は少ない。
2ヵ月が過ぎて、漸く終活の整理に入ることが出来た。忘れていたものが出てきて、真面目に一生懸命であった事を、愛おしく思える。
町田に住んでいた時に学んでいた市民大学のレポート集の中にあった。16年前も今も同じことを考えているのだ。。

町田市民大学 HATS 「町田郷土史2」 
2003年後期 受講生レポート集
町田に住んで33年の思い   (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)
 ようやく、受講資格を得た2003年度「町田の郷土史」であったのに、体調を崩して欠席が多かったのが、残念であり、また皆様に申し訳ないと思う。
それでも、第6回の浜田弘明先生の「軍都相模原の形成と町田」の講義を聞くことが出来たのは幸いなことであった。出来る事ならこの講義をもう一度聞きたいと思う。
冷静に事実を淡々とお話なさるのを聞いて感動した。
 広辞苑の「歴史」を紐解いてみると
1、 人類社会の過去における変貌、興亡の有様。また、その記録。
2、 物事の現在に至る来歴。と記されている。
町田市の郷土史、まして町田の土地に刻まれた「戦争」の郷土史に在日朝鮮・韓国人のことが取り上げられていないことを、情けなく思ったことであった。
 93年度の「町田市民史学」から始まり、町田市民大学HATSでは何度も勉強させて頂いたが、市民として長いこと生活している在日コリアンについて関心がないのか、気が付かないのか取り上げられない事が多い。
「町田の考古・考現学講座」を受講した時は、対象日本史年表が資料として渡されたのだが、朝鮮と表記すべきところを「鮮」となっていた。これは、朝鮮の朝は朝廷(皇室)の朝と同じであるから、不敬であるという思想から来ている。差別語である。高句麗、百済も表記せず、国連に加盟している朝鮮民主主義人民共和国の記入もなかった。
町田の土地に刻まれた「戦争」には、在日朝鮮・韓国人は忘れてはならないことと私は思うのだが、間違っているのだろうか?
在日朝鮮人運動史研究家の平林久枝氏の聞き書きによると、韓国慶尚南道出身のTさんは次のように話している。
わたしの故郷は釜山からそう遠くない農村で、生家は小作農だった。小作料は、収量の半分を取られていた。家族は父母と、私と妹の四人だった。父が強制的に連れて行かれたのは一九三九年だったと思う。
家族四人が田んぼへ出て、両親が仕事をしていた。そこへ突然、黒い帽子をかぶりあごひもをかけて剣を下げた巡査がやってきた。その姿が強く印象に残っている。
父を縄でしばって無理やりに連れて行った。それもただ縛るのではなくて、ちゃんばらや西部劇でやる投げ縄で父の首に縄をかけて、その縄で後ろ手に縛って引きずるように父を連れて行ってしまった。そのまま父は日本へ、現在の相模原へ軍事基地(日本陸軍のもの)を作る為に連れてこられた。
父が働かされた場所は、東京都と神奈川県の境になっている「さかい川」の東京都側で、当時の堺村の山林を崩して戦車道路を作ることだった。
一年後に母は、父を頼って私と妹をつれて日本にきた。当時の堺村には朝鮮人の飯場があり、四千人が住んでいた。
多摩丘陵の山林を切り開いて戦車道路を作るのが主な仕事だった。父達の労働はすべて手仕事だった。スコップや鶴嘴を使って土を掘り、すくい、モッコを二人で担いで土を運んだ。その作業現場には剣を下げた憲兵が見張っていて、一言でも文句を言えば、剣で切り付けたり腹を突っついたりして、朝鮮人に怪我をさせること等なんとも思わない様子だった。
わたしは怪我をさせられた人を何人も見ている。道路が出来たのは1944年、私は11歳になっていた。飯場暮らしの独身者は食料が少なくて空腹を我慢できずに、夜になると食料に融通のきく所帯持ちのところに忍んできてジャガイモなどを食べて帰ったが、そんなことでも見つかれば往復ビンタだった。(以下省略)
浜田先生の講義でも良く分かるが、日本最大の大規模な軍都相模原に隣接する町田市に戦中・戦後、大勢の朝鮮人がこのような悲惨な状態で暮らしていたことは、疑問の余地がないだろう。
現在の「こどものくに」には、弾薬庫があった。ここでも、1000人近くの朝鮮人が働かされていたという。旧国鉄原町田駅からは行幸道路も作られている。
町田の土地に刻まれた『戦争』及び、町田市の郷土史に」在日朝鮮・韓国人の足跡・事績が、ない筈はないのである。
 朝鮮を植民地にしてからの日本に、朝鮮人は労働力として移住してきている。本人の意思の有無にかかわらず、この事実は確固としたものである。
現在も、朝鮮・韓国人と呼ばれて町田市に住む人々がいる。両国の歴史に奔流され、取り残されてしまった人々である。彼らは声を挙げる場さえ持たない。
日本の植民地政策で思いだすのも悍ましい体験をさせられた。そして、その後、半世紀も過ぎているというのに、未だに無視・放置されているのはどういうことであろうか?
町田に暮らすようになって、私は33年になる。喜怒哀楽に揺れる熱い血の通っているあなたと同じ人間です。透明人間にしないで下さい。私を隣人として見て下さいと言い続けてきた。この私の悲痛な声が何人に届いただろうか?
町田市には朝鮮学校がある。町田に朝鮮学校があるという事は、其の由って来る原因がある。朝鮮を植民地にした事、そして戦争を遂行するために朝鮮人を労働力として連れてきたことである。
けれども、朝鮮学校の為にと言う補助金は一円も出していない。私立学校として年間一人の生徒に5000円を出しているだけだ。
朝鮮・韓国人も市民税、都民税、国税も納めている。介護保険料も払っている。市民としての義務は果たしているのである。何故、その恩恵は受けられないのだろうか?日本の各地の地方自治体は、独自に朝鮮学校に助成金を出しているところもある。
福祉の街として名をはせた町田市は、朝鮮人にはその福祉の心を届けていない。
私の父は、1940年福島県の常磐炭鉱に連れてこられて働かされた。そこへ、私達母子は命令により渡日した。家族がいれば簡単に逃げられないと思った為の人質であった。
日本の敗戦により私達は漸く自由の身になった。母が身重であったために船に乗れず、そのまま日本に住み着くことになった。こうして、私は日本の学校に通ったが、どんなに努力をしても認められることはなく、むしろ満点を取った事で、先生に「朝鮮人は先生にも看護婦にもなれないんだよ」と笑いものにされた。
結婚して母親になったとき、可愛いわが子には、差別される悲しみを経験させたくないと、家族の反対を押し切って上京し、一人で二人の子供を、朝鮮学校に通わせた。
けれども、朝鮮学校に対する差別があり、経済的に苦しい思いをした。一時は、三つの仕事を掛け持ちした。四時間の睡眠時間が確保されれば不足は無いのにと思ったものだが、女は弱しされど母は強しと、無事乗り越えた。
私の祖国朝鮮は、アメリカとソ連の冷戦の生贄になり南北に分断されてしまっている。
日本の敗戦後、私達は国籍を選ぶ権利も、他の市民権も全く与えられずに放り出されてしまった。そして、朝鮮人を管理する外国人登録の国籍欄に「朝鮮」と記載された。いわば記号だ。北も南もなく、皆、朝鮮人である。私が朝鮮人ですというと、殆どの人が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と結びつける。これは誤解である。
現在日本に定住する在日朝鮮・韓国人は朝鮮から来た人とその子孫である。誰もが皆「朝鮮人」だった。南と北に分ければ9割が南の出身である。我が家も、ソウルより南に位置する忠清北道から来ている。
朝鮮の分断後、韓国国籍を習得した人が「在日韓国人」であり、変更していない人が「在日朝鮮人」と呼ばれているのである。
「朝鮮」とは民族名であり、「朝鮮」という国は現存していないのである。
1965年にアメリカの意向により日本と韓国の政府は両国民の反対を押さえ付けて「日韓条約」に調印した。日本は朝鮮の南半分だけを正式に国として認めた。
そして、朝鮮の北半分とは未だに国交を樹立していない。他の国を植民地にした宗主国が半世紀以上も断絶ししたままでいるのは世界に例がないという。即ち日本だけである。
世界でもアメリカに次ぐ国が、米もない貧しい国と言いながら、人口が2000万程の国を恐ろしいと騒ぎ立てているのは何故なのか?私には理解できない。
韓国籍の方が、日本で暮らす場合には軋轢が少なく暮らしやすいので、韓国籍に変える人が増えて来た。むしろ、現在は韓国籍の方が多いという。
 けれども、私は、誰もが同じく朝鮮人と言われ続け、最初に「朝鮮」と記入された国籍を変えないでいる。「朝鮮」と呼ばれた国は500年である。紀元前にも「朝鮮」と呼ばれることがあった。意固地だと言われたりするが、私は『朝鮮籍』を守っている。
南北に分断された祖国の半分だけを意味する「韓国」に変えるつもりにはなれない。その為に自分の生まれた場所であり母国と慕う場所に自由に往来出来ないでいる。日本人や他の国の人が楽しく自由に往来しているにも関わらずである。この事を知らない人も多いと思う。自由な国、韓国という印象が強いと思うが、これが現実である。
この現実、日常生活に入ってくる日本人とは違う境遇や差別に日々向き合っている為に「戦争」に無関心ではいられない。
町田市と相模原市の堺にある境川(高座(たかくら)川と呼ばれていた)を散歩していたら、案内の看板が立っていた。金森、金目、秦野は渡来人の氏名に関係がある地名。因みに「たかくら」は高倉、高句麗に通じるという。ここ相模の国、武蔵の国一帯は、かつて高句麗からの渡来人が多く住んでいたという。
朝鮮学校は高ヶ坂にあるが、生粋の町田の人間だという方に言われた。高ヶ坂(こうがさか)ではない。高ヶ坂(こがさか)と「こう」と伸ばさずに「こ」と短く言うのだと言われた。
朝鮮語も「高」の場合「こ」と言うのである。高句麗はコクリョと読む。朝鮮語を勉強したことがある人はご存知と思うが、朝鮮語は長音が少ない。コーヒーは「コピ」ユニークはユニク。ポーズはポズ。
そこで、私は「成瀬」まで朝鮮語で結びついてしまう。「ナルダ」は飛ぶ。「セ」は鳥で「飛ぶ鳥」「あすか」になってしまう。ちょっと穿ち過ぎかも?古代史の本の読みすぎかもしれない。
 
相模、武蔵は朝鮮語から来ているという。
ヒントは、(から)(むし)。朝鮮では、現在でもモシと言う。
(から)から来たモシでカラモシ、カラムシとなったと我が家にある古い日本語の辞書に載っている。
モシガミ(モシ上)ムサガミ、サガミ・相模。モシシモ(モシ下)ムシシモ、ムシシ、ムサシ・武蔵。
富士山はかつて火の山と呼ばれた。古代史の本に出ている。朝鮮語で火はプル、山はサンで、プルサンがプチサン、プジサン、富士山となった次第である。
朝鮮語の1はイル、7はチル、8はパル。日本語になるとイチ、シチ、ハチとルがチに変わる。
「だるまさんがころんだ」という遊びがある。コロオンダは、現在もそのまま使われている「歩いてくる」という朝鮮語である。この遊びに転ぶ場面はない。
だるまさんは歩けない筈だが、この遊びには歩く場面が出てくる。この様な事は数え上げればきりがない。
日本文化のルーツは、中国文化をイメージする人が多い。朝鮮を中国文化の経由地であるだけと考える人も多い。けれども、朝鮮からの渡来人はその文物・文化を使いこなし、独自に発展させた人々である。文物・文化だけを運んできたのではない。文物・文化を使いこなせる人々が渡来して、文物・文化と共に日本に住み着いたのである。
朝鮮と日本は古代から現代まで、地理的にも近く、歴史的に切るに切れない深い繋がりがある。
朝鮮側からすれば、全く理解できない身勝手な秀吉の朝鮮侵略。この時、人口の3分の1の人々(兵士ではない、老人、女、子供まで)が、ローラー作戦で殺戮された。この秀吉の朝鮮侵略と、これも日本の身勝手な明治以降の植民地政策が、両国を引き裂いていると思われるが、2000年の間の朝・日間の関係では友好的であった時期が長い。
日本にとって一番争いのなかった期間、260年続いた江戸時代。鎖国をしていたと言われているが、朝鮮国と正式な国交を結んでいたのである。「朝鮮通信使」のことは今更私の説明は必要と思われないが、知らない人は調べてみて欲しい。
国家の争いは、政権を持つ者の欲望から来ている。それにより、犠牲となるのは善良な民衆であり、特に女、子供、老人である。私達は正しい歴史を知る事により、理解を深めることが出来るのではないだろうか?
金田一春彦氏の言葉を抜粋して記してみよう。
「言語学の立場から朝・日両国関係を見ると、日本語の「は」と「が」に当たる朝鮮語、相手によって語尾の「です、ます」部分が変化する敬語、擬態語や文法の順序など「他のどこにもないくらいそっくり」です。古代の高句麗、百済語などが明らかになれば、両国の関係はより明確になる。朝鮮と言うのは民族名で、「朝鮮民族」と言って来た。「韓国」民族とは言わない。昔から朝鮮語と言っておりましたし、朝鮮と言って親しみこそすれ、馬鹿にしたり、北だけを指すという気持ちは全然ない。朝鮮独自の文化に安堵感を覚える。朝鮮の民族衣装チマ・チョゴリは「世界で最も上品で優雅な民族衣装である」
日本語に(はな)から(物事の初めの意がある)という言葉がある。朝鮮語の(はな)から来ている。
分断祖国の統一と世界の心が一つになって、お互いを認め合い共生する事を願い、わたしは「端の会」を作った。ハナは朝鮮語で「一」である。「一人」である。「一」から「一人」へ、ハナからハナへ、私からあなたへ、あなたからあの人へ、次々と繋がってゆき、最後に大きなハナ、一つに成る。共生の幸せの花になる。
物事はすべて夢を持つことから始まる。千里の道も一歩から、こんな小さなハナだが、始めている。続けている。
図書館で長いこと絵本の読み聞かせの仲間の一人として参加して来た。いろんな会に参加して心を伝えてきた。二月七日に市民フォーラムで行われる、part4 life in peace「平和に生きる子守歌」の公演がある。これは、脚本も出演も町田市民によるオリジナルミュージカルで、この一員として参加している。Part3は、昨年の21日に市民ホールで公演され市民の好評を得た。
町田市の核廃絶平和都市宣言20周年記念のイベントとして認められ、市からの後援も受ける事が出来た。私は、part1から参加している。ここでも多くの友を得た。
歩みは遅くとも、たとえ、一粒の麦でしかないであろうとも、隣人の日本人を信じ続ける。人間を信じる事で、朝鮮人の私を隣人として扱ってもらえることを信じて歩いてゆくつもりだ。
「知る事から和解と真の共生がある」これが私のモットーである。

# by pcflily | 2019-05-10 23:49 | アリランエッセー | Comments(0)  

安川寿之輔さんの千葉県松戸市での講演の案内

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隠遁生活の私に今年は、楽しい信頼できる人との出会いが続く。
健康な時には、3度しか会ってないのに、何事も通じ合う、心の通じ合う信頼関係が続いていた友人の権星子さん、癌を患っている事を知り、名古屋まで会いに行って来た。励まされて帰ってきた。介護している息子さんの姿に感動して来た。
権星子さんの生きざまをしっかり見て来たのだと思った。
私が、オモニの身代わりと思っている梅の花も元気なきれいな姿を見せている。
帰宅してから、九州の玉井史太郎さんの、仲立ちにより、安川寿之輔さんと直接の連絡を取ることが出来る事になった。上に案内状を示してあるが、千葉県の松戸市で講演をなさるとのことだ。千葉県の松戸市にの近隣にお住まいの方は、是非参加して頂きたいと思う。今月の2月22日、会費は500円、松戸駅西口から徒歩7分です。
ほくとビル4階会議室です。福沢諭吉への間違った観点を、見つけた有能な方です。
素晴らしいお話をが聞けると思う。是非、是非、時間を作って参加して欲しいと思います。日本の歴史観と、真実の世界が大きく変わる事を受け合います。

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〇梅の木の後ろは隣家、枝垂れ梅なのに土地に余裕がないので剪定して、この姿。
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〇名古屋に行く日の天気予報は雪であったが、朝から晴天。
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〇星子さんは87歳、私は80歳、同胞で私の作品を読んで下さる唯一の友の歌人。

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〇白色の金雀枝、野草でいつの間にか住み着いた。
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〇黄色の金雀枝、私の家の周りに咲き盛る強い花、勝手に住み着いた押しかけ花。
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# by pcflily | 2019-02-20 15:13 | アリランエッセー | Comments(2)  

韓国最高裁の判決に思う

二月号原稿

  韓国最高裁の判決に想う   (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   神奈川


「言霊の幸ふ国」とは

自己利益の為に

言葉を弄び、他者を痛めつける国?


「朝鮮半島出身労働者」と

良心なき安倍首相

銃と軍事力での強奪を恥じない


個人の請求権は「消滅していない」が、

権利は行使出来ないと

弁明は矛盾の河野外相


敗戦を終戦、武装解除と言う

己の拉致強奪の過去は鎖し

他国の拉致を喧伝する


炭鉱に連行されたアボジの

逃亡予防の人質であった

オモニと一歳の私


日本国の罪業の

生き証人の一人

謝罪、賠償なく

蔑視、放置の幾十年


日本刀を愛で

仇討ちが主題の「忠臣蔵」

十二月に華やぐ


朝鮮の伝承物語

「春香伝」「沈清伝」

いずれも一筋の愛―――


『新日本歌人』2月号が届いた。Ⅰ月号の選者と同じ女性だ。年齢も選者の中では若いので、話が通じると思った。

ところが、この2月号を開いてみて私は言葉が出ない程に驚いた。

この度も、私の大切に思う内容の言葉の下線を引いた部分をすっぽりと削除してしまったのである。


『新日本歌人』には、毎月、しっかりとした同感できる立派な内容の評論を書いて下さっているイギリス在住の渡辺幸一さんが、いらっしゃる。この方は、今月号に「なぜジャパンタイムスは批判されたのか」として、安倍首相の発した言葉に対して書かれている。

事程作用に、大切な問題であるのに、選者は切り捨ててしまった。

彼女はこの評論を読んで、何を感じるだろうか?


敗戦を終戦、武装解除という言葉のまやかしを私は衝いているのに削除した。知識がないのかの?同感出来なかったのか?

又「忠臣蔵」を好む日本人への宜うことの出来ない思いを書いた部分をも削除した。読者はなぜ?朝鮮の物語の事を書いたのかを理解できないだろう。選者は訳の分からない作品に仕上げる事で、私、朴貞花を貶める作戦なのではないかと想像してしまう。


〇居間の窓から、朝日が見える。晴れる日は、朝日が昇る状態で分かる。朝日が姿を見せる寸前の藍色の空の色は瞬く間に薄れてゆく。顔を見せた太陽はカメラを向けられない程に強い光になり、映らない。そして、周りの藍色の空は薄く変色してしまう。

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# by pcflily | 2019-02-01 13:31 | 『身世打鈴』エッセー | Comments(2)  

余命が気になる

『新日本歌人』の1月号が暮れに届いた。この選者は、現在の選者の中ではただ一人の女性の選者であり、70代とのことで親しみを持って電話で話す事もあったので、理解力のある選者と思っていた。

けれども、作品のタイトルは、一番言いたい事、大切な事として付けるのに、タイトルの内容の入っている3連を(下線の部分)すっぽりと抜いてしまった。タイトルも作品の1部である。

「余命が気になる」ようになったのは、80歳になったことで、漸く子離れをして、まだ、私の命が残されているのなら、学びたい事、経験をしたい思いが初めて私に出てきたからである。

長年の私達の夢、南北朝鮮の和解も進んできたからである。そのことを、この選者は読み取れなかったのだろう?後半の3連全部を没にしてしまった。

☆2017年12月号の私の「行政の差別と司法の擁護」も「行政の差別を司法が擁護」の文言を選者は詩情がないと切り捨てた。(この時に、今回の女性の選者に電話で私の思いを話している)


2018年の10月号に「透明人間にされた私」のタイトルの作品で「痛恨の極みのわが思いを詩情がないと切り捨てる」と詠んで抗議をしている。


読者は何故?このタイトルなのかと理解できなかったと思う。形が整っていないから、字数が多いからと切り捨てたのなら、人間に例えれば、美男美女なら認める、障害のある人は認めないという事になると思う。実質的な中身はどうであろうと~~、もっと言わせてもらえば悪人であろうと美形であれば良いという事になる。


一月号原稿

余命が気になる        ぱっ ちょん ふぁ     神奈川


三十迄生き延びたら

儲けもんの筈だった

いつの間にか八十歳


この世に生きる命は

父母からの賜物

父母に従うだけだった


母となり

子の未来を守ると

父母に背いて家出


目覚めの床で

今日を生きていけるかーー

夜のベッドで

今日も生きられたーー


ひたすら祖国と

吾子を思い、走り続け

乗り越えた幾年月


人生は練習時間がない

毎日が初めての経験

そして、今日が一番若い日


一泊千百円のゲストハウスと     

格安航空券をパソコンで探し

韓国の父母の墓参りと博物館巡り


八十路の子離れは

知識欲と行動欲に駆られる

南北和解も嬉しくて。

余命が気になる


☆いつの間にか、新年2019年1月8日になっている。あまりにも、早い日々が続いている。昨年から、「終活」とやらを始めたが、全く仕上げは見えずに、毎日毎日、時間に追われている。

自分が如何に色々な事を学ぼうとし、また、関わって来たのかを、膨大な資料を見て、、改めて感慨を覚える。そしてえ、純粋だった過去の自分に対して愛おしさを覚え、捨てることが出来ない。

 

☆例年の如くに、息子の家族、娘の家族が新年のあいさつに来た。今年は娘の孫と嫁が新入りしたので、総勢12人だ。私は、80歳にして、曾孫を見る事になった。曾孫を見ても、80歳であることに実感がわかない。他人事の様だった。この様に、老いた事を自覚出来ないままに、人間は生き延びてきたのだろう。

私は、いつも男女の差別に反対であるが、女性は子を産むことが出来る、この素晴らしい能力を使わないのはあまりにも勿体ない、愛しあった二人が結婚できなかった場合でも、子どもを産むべきだと言っていた。

私のオモニは22番目の曾孫が、私の5番目の孫であった。その後も甥や姪が結婚をしているので、もっと増えているが、未婚の子もいるので、我が家の姿を見ても、人口が減っている事が分かる。


〇庭の花の水仙全部は、部屋の中の花瓶に納められ、外には、火鉢に植えた小さな花ばかりだ。

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新年の夕陽は写せなかったので夕陽をカメラに納めた。

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# by pcflily | 2019-01-08 15:46 | アリランエッセー | Comments(0)  

修学旅行生の土産物を没収した日本国

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十二月号原稿 


高校生の土産物を没収した日本の実態とは?

               (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)   

烏はカーカーと

鳩はポッ、ポッと鳴く

日本人は日本語で話す


朝鮮人は朝鮮語を話したい

その基本的な事の為に

朝鮮学校は作られた


朝鮮人は、そして私も、日本に、

自由意思で来たのではない

日本の植民地政策の結果だ


米国の覇権と,利権は 

朝鮮を分断させ

朝鮮人の帰国を阻んだ


分断に日本の罪責がある

謝罪を込めた待遇もなく

朝鮮人への法的排斥を続ける


祖国に修学旅行をした

高校生の土産物を

没収した日本国


拉致問題、北の核脅威ばかりを喧伝 

 (米国は休戦協定違反の核を韓国に配備した)

宗主国の支配地との国交断絶は

世界で唯一、日本だけだ


アジアの平和を招く 

南北の和解に反旗を翻し(分断の利益甘受ける為)

軍事費計上は過去最大の

5兆3千億円超という


☆信頼している友人が入院中で、時々電話を下さるのでいつも、励まされていたのに、病状が芳しくなかったのだ。長い事、声を聴くことが出来なかった。唯一の意思の疎通が出来る同胞女性の友人である。誰も信じられないと鬱の状態が続いて、ブログを書く気持ちにもなれないでいた。彼女の声を聴くと、私はもっと努力をしようと言う気持ちになるのであった。大切な人、権星子さんが今日電話を下さった。嬉しくて、しっかりしなくてはと思うことが出来た。思いがけない事に、今日も又、日比さんからの母の愛のように心のこもった贈り物が届いた。8歳年長の彼女は、娘に送るつもりで送って下さるという。本当に有難い人である。今年ももう残り少ないというより、三時間ぐらいしか残っていない。

「終わり良ければすべて良し」と言うから、今年も私にとっては、本当に良い一年であったとしみじみと思う事が出来る幸せな2018年の大晦日の夜になった。


# by pcflily | 2018-12-31 18:32 | アリランエッセー | Comments(0)  

1348回の水曜集会なり

この12月5日の1364回目の水曜デーの日に、性奴隷被害者のキムスンオクさんが逝去された。12月5日は性奴隷被害者の公式謝罪と賠償を求める駐韓日本大使館前で行われている水曜デーの日だ。韓国政府に登録された240人は生存者が、わずかに26人になってしまった。

日本の公式謝罪と賠償を求めて、運動の先頭に立って闘って来たキンスンオクさんは、病を得て入院していた病院でなくなってしまった。

日本は、どこまでしらを切り逃げ続けるのだろうか?

世界記録遺産に登録しようとした記録関連文献は2744件だ。ユネスコ小委員会は「唯一で代替え不可能な資料である」と評価した。韓国、日本、中国等7か国の民間団体が集まって、世界記録遺産登録の決定を促す集会をした。日本は2017年にユネスコの分担金の先送りをした。日本の圧力と反対で手続きを止められているからである。


十一月号原稿  (二〇一八年八月詠)

1348回の水曜集会なり  (ぱっ) (ちょん) (ふぁ) 

  

日本軍慰安婦問題解決をと

39度の猛暑のソウルに

1348回目の水曜集会


「私が証拠だ」と名乗り出た

金学順さん

八月十四日はメモリアルデー

国家記念日となった


「日本軍の性奴隷」を

「日韓合意」を口実に

解決したと拒否する日本


慰安婦問題

在日へのヘイトスピーチ

沖縄住民への基地被害等

人権無視の国――


国連人種撤廃委員会の

度重なる解決要望と叱責に

無視を続ける日本国


日本軍の性奴隷だった

人類普遍の女性人権問題と

世界が謝罪と賠償を求めている


安倍政権を支える半数は女性かもーー

日本のMe Tooも進まない

あいまいと忖度の国らしい


沈黙せず正義を取り返そうと

コンゴ・イラクからも参加した

世界連帯集会

1348回目の水曜集会

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# by pcflily | 2018-12-10 15:24 | アリランエッセー | Comments(0)  

権星子さんの短歌

☆夫の急死で短歌を詠むようになったのは1973年、上京して三年目の12月であった。初めて詠んだ短歌が「朝日歌壇」に入選したことから、気の向いた時に投稿するだけだった。「朝日歌壇」に入選した事で、未知の人であった権星子さんから手紙が届き知り合う事になった。

実際に会えたのは三度だけである。けれども、私にとっては無二の親友となった。共に喜び共に泣ける人である。

権星子さんは私よりも早い時期から「朝日歌壇」の入選者として知られた人であった。近藤芳美先生の「無名者の歌」にも権星子さんの短歌は採り上げられている。

「楡」という短歌誌の会員でもあった。その一部を今回送って下さった。同感する歌が続いている。私のこのブログを読んで下さる人はいるのかいないのか、コメントが全くないので、分からないが、権星子さんの歌を読んで欲しいと思って、ほんの一部を抜き書きであるがこのブログに載せた。まだまだ沢山あるのに、書ききれない。

彼女は現在、病と闘っている。七歳年長なので私の記憶にない植民地時代の生活も経験して、確かな記憶として残っている。

今年の文在寅大統領と金正恩委員長の会談の時は電話で楽しいい会話を続けて過ごした。朝米会談の時も喜びを分かちあったのに、最近は声を聴くこともまれになってしまったので、私の心は沈むばかりだ。

権 星 子さんの短歌

傷跡 (初期作品) 19719

貧しさに耐え易く身を馴らされて花散らす雨に屑鉄を積む

底ごもる苛立ちに花をむしりつつ不意に来る死を拒まぬかとも

たどたどと朝鮮のうたそらんじて吾が知らぬ祖国愛おしむこころよ

母国語を書かず話さぬ吾が支えうたの幾つは夫も知らざる

夜をしげく飲み帰る夫かわれになき豊かなる匂い身に漂わせ

風花        197111月号

みいくさと疑わざりし少女期よ雪深き峡に炭を運びて

引綱の肩に食い入る峠越え生木の杖の香にむせびにき

風花は頬をやさしく伝い落ちてふくらみ初めし乳房濡らしき

 汗拭ういとまさえなく積み終えて駐車禁止の区間のがるる

好奇の眼浴びつつ心すでに萎え白バイに鎧うポリスに従きて

力こめて縛りし故紙も幾屯か肩にいかつき肉育ちいる

錆色の花        19721

「ソンミの芽はすでに朝鮮にありし」と侵略の惨朝日紙は明らかに載す

「殺される側」たりしは二十年前いまチュチェの朝鮮の子らは豊かに肥る

手の甲の腫れ引かぬまま入荷せし故紙幾百キロにに縄かけてゆく

数枚の千円紙幣に不況見すトラック一車の労賃にして

休耕の谷帰化菊群生し浮遊塵被りて錆色に咲く

醜くも諍えば顔をそむけつつ夕餉の卓に子らは食み居り

「楡」にのりし吾が歌に父は悪役と指摘せる次子のこころ恐れき

いのち燃ゆ        19724

異国語たる日本語にて思考する虚しさに捉われしことも幾たび

幾個所の基地の備えは北を向く吾が祖国をも標的となし

主体思想かかげたゆまぬ民なりき化粧せぬおとめの清しき職場

ハンピラァの力走見したかぶりも阻まれし逢いも淡あわと過ぐ

日本の風土に紛れふたつ()に生き継ぐ日々の根付かぬ理由
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 白頭山尋ぬる道野辺の阿弥陀仏連れていけとう声聞こえたり
権星子さんの病状の回復を祈りつつ—――。
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私の狭庭のバラ達。右は、強いゴールドハニ大輪ののピース。
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ピース.
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.ピース、蕾のころはピンクだが、黄色になる。
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。ゴールドハニーは、繁殖力がある。どんどん増える。
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。裏門前の空き地に植えた水仙もさきました。
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ゴールドハニーとピース、競って伸びている。もっと濃い色なのだが、私の映し方では?
高く伸びているので、カメラを空に向けていて陽の光が強く入りすぎなのだろう。

# by pcflily | 2018-12-04 20:23 | アリランエッセー | Comments(0)  

差別語について

驚くほどの速さで今年も12月になってしまった。

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私も会員になっているいる『新日本歌人』は前月の20日以降に翌月号が届く。

昨年の12月号に「北鮮」と言う言葉を使った作品がいくつも掲載されていた。作者本人にとっては何

の抵抗もない言葉であろうが、一言一句を大切に吟味して歌に詠む込む人が使うとはーーーー。

私の胸が痛み始めた。日本人は私達朝鮮人への差別語であることを知らないのかもしれないと思うよ

うになった。そこで、新日本歌人の編集部に、資料を添えて手紙を送った。

けれども、全く音沙汰がなかった。一年を過ぎた現在でも、編集部からは返事がない。

近藤芳美先生の教室で知り合った梅田さんに、この内容を話し、彼女は編集部の一人に伝達をして下

さった。そのいきさつも話して下さったのだが、編集部からは全く音沙汰がなかったのである。

私は、堪忍袋の緒を切った状態になり、10月号に掲載された「透明人間にされた私」を投稿した。


幸いにも、私の作品を誠意を込めて読んで下さる選者であった為に「選のあとで」に取り上げて下さり、励まされた。


「選のあとで」「民主的団体の編集部」は 無視し放置し 未だに音沙汰無しだ

朴さんの作品のいくつかは、一首独立の立て前をとる短歌形式からははみ出ているかもしれないが、内容上無視できないと思い、あえて選歌した。

何を無視されたかといえば、明治期に国策で造語された差別語ーー「北鮮」「半島」など聞くたびに「肺腑が煮えくりかえる」「朝鮮人全員の思い」である。

問題の第二点は次の歌に歌われている。

朝鮮学校への 「行政の差別を司法が擁護」 痛恨の極みのわが思いを 詩情がないと切り捨てる

「痛恨の極み」が「詩情がない」と切り捨てられたのは、プロレタリア短歌が批判されたのを想起させるが、しかしプロレタリア短歌と朴短歌は同じではない。

プロレタリア短歌は実感がとぼしいスローガン短歌だと言われているが(これとても再吟味が必要である)、朴さんの短歌は民族差別のきざみこまれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう。

文字数批判の投稿文 古来の三十一文字を守れと 寄らば大樹・編集長の下

文字数の多さ批判して「古来の三十一文字」を守れという意見に対して、朴さんは不満を述べている。行分け作歌は定型を基準として作歌しているのがほとんどだが、しかし定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している点に注目すべきであろう。


この12月号に、下記の梅田悦子さんの投稿文が掲載された。

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「北鮮」、「北朝鮮」についての一私見      梅田悦子

一九一〇年の韓国併合により「大韓帝国」は「朝鮮」という日本の一地域となりました。植民地「朝鮮」の始まりでした。併合の条約発布の日、日本は勅令をもって「大韓帝国」の国号を廃止して、「朝鮮」と改めました。独立国家の「大韓帝国」から、日本の植民地としての「朝鮮」の誕生でした。各地で強い抵抗運動がおこり、「大韓」や「韓」の語は当時抵抗のシンボルとみなされ、「朝鮮」の呼称の強制がなされました。条約公布の翌日には『大韓民報』は『民報』へ、『大韓新聞』は『漢陽新聞』へと新聞名の変更が行われました。「韓人」が「鮮人」となり、「日韓」は「日鮮」となり、「鮮」の語が植民地政策の進展につれて定着していきました。

韓国併合の祝宴で、初代朝鮮総督・寺内正毅が「小早川 加藤 小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらん」と秀吉の朝鮮侵略に参加した武将たちを忍んだ歌を詠んでいます。日本にとって、韓国併合は、秀吉の「朝鮮征伐」と同じなのです。このような過酷な植民地支配によって、日本人の間で朝鮮民族を見下す目線が急速に広がりました。

「北鮮」という言葉は、韓国併合以降に、日本人が朝鮮北部を指して広く使うようになった言葉で、今の朝鮮民主主義人民共和国を指す言葉ではありません。日本の植民地支配と切り離せない植民地用語です。

一九九一年、広島市で開かれた「国連と軍縮シンポジウム」で、明石康・国連軍縮担当事務次長が、朝鮮民主主義人民共和国の国名を「北鮮」と紹介し、その場で聴衆から「差別語で不適切だ」と批判されました。明石氏に差別的意図がなく、単なる略称として使用したとしても、受け手は略称としてではなく、社会的な文脈の中で理解することになります。「鮮人」などと同じ文脈において、「北鮮」という言葉を差別語として受けとめるわけです。差別表現は、話し手の差別意識の有無の問題ではなく、表現内容の差別性の客観的評価(社会的文脈)で判断すべき問題です。

南北の和解が進む中でも、「だまされるな、核は放棄しないだろう、日本の経済支援を期待しているのだろう」などというマスコミの朝鮮パッシングは続いています。朝鮮半島分断の責任は大いに日本にあるということが、意識の隅にでもあれば、そんなパッシングは出ないはずです。

三八度線は、半島北部は関東軍が、中・南部は大本営が対米戦に備えて引いた分割線でした。そしてそれは、日本の武装解除にあたって、米ソの担当地域を分けるための軍事的分界線とされました。南北分断は朝鮮戦争により起こった事ですが、日本の植民地支配が無ければ起きえなかったことでもあります。したがって、南北和解の動きに対し、日本は、その実現ために協力する歴史的責任があります。しかし、日本政府は真逆の動きをしています。マスコミの報道もこの歴史的責任については言及していません。

あまり深く考えずに、「北鮮」を国名として使うことと、南北融和を冷ややかに見る眼はどこか繋がっているような気がします。そこには、現状認識や歴史認識の甘さが見え隠れします。

日本の新聞が「北朝鮮」と書くようになったのは、拉致問題の後からです。それ以前の新聞は「朝鮮民主主義人民共和国 以下北朝鮮」と書いていました。今はそんな但し書きもなく、「北朝鮮」と表記しています。ひどいときには「北」と書くときもあります。二〇〇三年に、朝鮮の『労働新聞』は「北朝鮮」と呼称し始めた『朝日新聞』を名指しして「わが共和国の国号を歪曲する」と批判しています。昔からの蔑視感情と拉致問題による「反北朝鮮」の世論などが絡み合い、朝鮮民主主義人民共和国には何を言ってかまわないという認識が広まってしまったのです。『赤旗』でさえ「北朝鮮」と書くこの国名表記は一般的になっています。

朝鮮民主主義人民共和国を略すなら「朝鮮」か「共和国」ではないでしょうか。北という文字は朝鮮民主主義人民共和国という国名の中にはありません。この「北朝鮮」表記に関しては「(朝鮮民主主義人民共和国の略称としては)「北朝鮮」か「共和国」にすべきでしょう」『差別語・不快語』(にんげん出版)と「北朝鮮」を容認する差別語解説本もあります。マスコミもほとんど全部と言っていいほど「北朝鮮」表記です。ですから、『新日本歌人』の投稿歌のなかにも「北朝鮮」表記は散見されます。私もこの問題を調べるまでは差別語という認識がなく、何度か「北朝鮮」表記を使いました。しかし、この言葉で不快になる人がいると知ってしまったからには、今後は使わないようにします。

先日、『「北鮮」も「北朝鮮」も使わない短歌を詠まん墨黒々と』という歌を、反省をこめて本誌に投稿しました。

文章を書くのが苦手な上に不勉強な私がこの投稿文を書く後押しをしてくれたのは、朴貞花さんの「透明人間にされた私」(『新日本歌人』行わけ作品・二〇一八年一〇月号)です。

「鮮人と言われたら

 肺腑が煮えくり返る」

 金石範氏の言葉だ」

(在日朝鮮籍作家「火山島」)

  この言葉は

朝鮮人全員の思いだ

「北鮮」「半島」もー

明治期の国策で

造語された差別語を

今なお使い続ける人々

 「選のあとに」に選者の宮田さんが「朴さんの短歌は民族差別の刻み込まれた実感がある。その実感と詩情との関係も再考してみる必要があろう」と書いていますが私も同感です。刻み込まれた実感は詩情を生み出しています。「定型に従うのではなく、批判的に扱って破調している」も同感です。朴さんの歌は定型には収まり切れないエネルギーがあり、そこが彼女の歌の魅力になっています。

 「鮮人と言われたら肺腑が煮えくり返る」のは朝鮮人全員の思いであるのに、今なお私たちはその言葉を使い続けているのです。侵略という国策で造語された言葉を傷つく人がいるのも知らずに歌に詠みこんでいるのです。

 福沢諭吉は「武力をもって朝鮮を保護し、文明国へ誘導しなければならない」といい、憲政の神様と言われた犬養毅は「世界で一番卑しい朝鮮」といい、新渡戸稲造は「政治的に無力で、経済的にも自立できず、知識欲もない朝鮮民族のような女性的で薄弱な国民」と言いました。明治の日本をリードしたこれら思想家の朝鮮蔑視は国民の中に浸透してゆき、朝鮮侵略の強力な推進力となったのです。

 「今なお使い続ける人々」という告発は痛烈です。侵略戦争への反省も戦争責任追及もほとんどしないまま来てしまった日本人への告発でもあります。

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# by pcflily | 2018-12-02 07:16 | アリランエッセー | Comments(1)  

共生ラウンジの輪を広げよう

☆10月25日の近くの中学校の文化祭に参加して、チマ・チョゴリやいつもは家の中で鎮座している人形やタンスの中で眠っているものを、沢山持ち出して展示したが、終えてから、虫干しをしたり、細かなものまでを整理していたら、1日が瞬く間に過ぎてしまった。10月の訪韓の前から決まっていた講演会の他に、決められていた行
事に参加する事になっているなっている事があった。それは、11月11日、日曜日に開催される多文化共生ラウンジのまつりの「みんなのわっフエスタ」に「ハングルを学ぶコーナー」を作る事であった。まだ仕舞い込んでない人形や小物も展示した。男女老若を問わず希望者が多く盛況であったのに場所が狭くて諦めて帰る人も多かった。三度目に漸く、話を聞けた女性は、まだ30代の様だった。中学生は韓国の歌が好きで、言葉を覚えて、原語で歌いたいと言っていた。これは男女を問わずであった。私の知らない歌手の名前や歌を教えてくれた。高齢の男性は、同じドラマを5回も見たと言っていた。現在の政治状況などは、全く関係なく親近感を持っている事が良く分かりほっとした。何年振りかで日本でちま・チョゴリで過ごし、帰路は心配であったが、バスで帰りバスの中では好意的に話しかけてくれる人もいて嬉しかった。
孫の為に買ってきたハングルの勉強に使うこれらの物が、初めてハングルに接する人の為に説明するのに役に立ち成果与えられた場所が狭かったのは残念であった。
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☆翌日からは、毎月、投稿している作品の締め切りを忘れるほど熱心に片づけをしていた。ふと思い出してビックリしたが、集中できない儘に作歌を始めた。それでも、作品の投稿の締め切りになんとか間に合わせることが出来てほっとした。

ところが、今度は、私の病気ともいえる、部屋の模様替えを始めてしまった。家具迄を一人で動かすので、夜になると体中が痛む。でも、気のすむまでやり続ける。子供たちには病気だと言われていた。手伝ってと言えば、小言が返って来るだけなので、言えない。引き出しの中までは、まだ整理出来てないが漸く手を止める事が出来た。
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〇いつの間にか、蔓薔薇のピース・平和も開き始めていた。
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〇これも蔓薔薇のゴールドハニー、忙しくて面倒を見なくとも秋にも咲いてくれた。
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〇伐っても伐っても新しい枝が出る南天、今年も実の大方は鳥が摘まんで行った。
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〇忍冬・金銀花も、伐っても伐っても伸び続けるのは南天と同じ。花が素晴らしい。
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〇寝室からの沈む夕陽、私のカメラでは真の姿を見せられないけどーーー。
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# by pcflily | 2018-11-25 15:56 | アリランエッセー | Comments(0)