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或る日の韓国語教室にて

或る日の韓国語教室にて

私は朝鮮で生まれた一世であるが、まだ2歳にもなっていないときに渡日した。母語は日本語である。朝鮮人と言われながら、朝鮮の言葉も歴史も地理もほとんど学ぶ機会はなかった。
子供が成長し、親の家から解放されてから、少しずつ、書籍や講演会などで覚えることが出来た。
まだ、日本に朝鮮人がいたのかと言われたことがきっかけで、朝日交流の為の会等に参加するようになった。朝鮮語を教えるようになったことも、国際交流会に参加していたことから無力ながら、私でお役にたつならと始めるようになった。テレビや書籍が主な私の学ぶ基になった。日本語が母語であるので微妙な発音の違いを音に出せないことがある。現在は殆んどの朝鮮語を学ぶ本にはCDが付いているのでそれを聞いて頂くことにしている。

 近くの地区センターで4回コースの韓国語教室があるのを知り、韓国で生まれ育った人で、とても優秀な人であると、地区センタ-の職員さんに聞いて、私も申し込んだ。韓国に留学する勇気もないので、韓国語が母語である人の言語を聞きたいと思ったからである。
 一言も聞き漏らすまいと、講義に聞き入っていた私は、初日からショックを受けた。私が細々ではあるが、何年もかかって学んだ朝鮮語の母音の読み方が、私が身に付けたものと、違っていたのである。

 (1)   가   が      濁音だ
(2)    다   だ      濁音だ
  (3)    바   ば      濁音だ
 (4)    자   ざ      濁音だ
 (5)    짜   じゃ     濁音だ

○朝鮮語は、単語の最初の音は濁らない。だから、この音が頭にきた時には濁音にならないのに、その説明は、ない儘に濁音であると言って教えているのだ。 
      
〇上記の説明に納得がいかないので説明を求めたら自分が現地で聞いていたことを、教えているのだと言う。他の受講生がそれ以上の質問は止めてくれと、私の質問は遮られてしまった。

(1)から(4)までは、語中は濁音になり語頭は清音になるのだと、私は、しっかりと覚えていたのだ。
語頭になった時に微妙な濁音になることがあるが、日本語を母語とする者にとっては、その音を見分けるのは至難の業と思っていた。だが、この韓国出身の女姓講師は濁音であると、頑として言い張るのだった。

それならば、漬物のキムチはギムチとなり、人名の金(キン)さんはギン(銀)さんとなってしまう。

(4)の(자)はチャ・ジャと言うのが私の覚えていることだった。韓国からくる最近の若い歌手などはしっかりと「アリガトウゴザイマス」と言えるが、かつては殆んどの人が「アリガトゴジャイマス」と言っていた。
それは(ざ)の文字がないからと説明されてきたものだ。けれどもこの講師は(じゃ)でなく(ざ)であると言い張った。ならば「自己・자기・チャギであるのに、ザギ」となり、女性の名前に沢山使われている「子・자・ジャ」であるのに「子・ザ」になってしまう。

一例をあげると、英子さんはヨンジャ・よんじゃと呼ばれてきているのに、ヨンザ・よんざさんになってしまう。
また、明子さんはミョンジャ・みょんじゃと呼ばれてきたのに、ミョンザ・みょんざさんになってしまう。

私の持っているどの本も、辞書・電子辞書もザとはなっていないんですがと言っても、そんなことは関係ないと言って、全く話を聞き入れてくれない。

(5)の짜は(じゃ)だと仮名をふって教えた。この音は(っちゃ・ッチャ)と振り仮名を付けるべきだというのが私の考えだが、講師も受講生も、私の質問を受け入れてくれなかった。「漢字」を「漢子」と書いて説明している講師だが、日本に来て10年になるという。地区センターから信頼されてハングル講座を開講させてもらっていた女性だ。

〇ある友人に「愛しき人に贈る行進曲」の楽譜付歌詞のプリントを頂いたが、朝鮮語を学んだ人が書いたのだろうと思うが、「나가자/ナガジャ」が「ナガザ」となっていた。現在の韓国では、「자・ジャ」を「ザ」と教えているのだろうか?言語が変わってきてしまっているのだろうか?気になって仕方がない。私の持っている何冊もの朝鮮・韓国語の本も辞書も廃棄するべきなのだろうか?

どんなに真面目に頑張っても、在日の私の教えるハングルは信頼されず、(私の教室は閉鎖され)韓国から来た講師の方が信頼されるのだという事を知った寂しい暮れの出来事であった。

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黒い雲間から出てきた月(出た出た月が、まあるいまあるいまんまるい盆のよな月がーーー)居間から見た月、居間からは、朝は太陽が昇るのを見ることが出来、寝室からは夕日の沈む様子を見ることが出来る。このひとときを持てる幸せを感謝している日々である。春は蕗の薹を夕餉の膳に載せ、軽く一杯、蓬を摘み蓬うどん、蓬団子を楽しむ。庭の片隅の小さな空き地に移植したもので、一人の暮らしにはあまるほどである。四季折々の花木を植え、それらの手入れに余念がない、この小さな空間で、花いっぱい、夢いっぱいの暮らしを営めることが、嬉しい。

by pcflily | 2014-01-05 14:12 | アリランエッセー  

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