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2001年「朝日歌壇」入選歌

2001年「朝日歌壇」  入選歌

2001年3月11日      近藤芳美選

     吾が歌の刻字されたる陶板も売られて丸木美術館支える会

  評   丸木美術家を支える会で作者の歌を刻む陶板も売られているのを知る。朴貞花は在日朝鮮人のひとり。

2001年5月6日       近藤芳美選

      加害者の子と被害者の子のわれら共に戦争を語り五人のみの会

2001年12月9日       近藤芳美選

      路上ライブの若者二人駆けつけて空爆中止を歌う井之頭公園

2001年12月9日       馬場あき子選

      象が蟻踏みつぶすがごとアフガンに空爆続けるアメリカの正義

2001年7月8日        近藤芳美選

      
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           オモニに会いに行く。田園風景が続き、白い木蓮と桜が共に咲いていた。道はどこまでも続き終わりが見えない。一人でひたすら歩き続けた。


☆「 30歳まで生きられたら儲けもん」と言われたことが忘れられない。女の厄年と言われる30代に入って、間もなく、プロパンガスが漏れていることに気が付かずに、火をつけて顔の全面にに火傷をした。その頃の田舎では、傷には味噌か醤油をつけるのが当たり前の時代だった。外遊びの嫌いな私は活字を追うのが好きであった。何でも目の前に活字があれば読んでいたので、その瞬間、火傷は冷やすのが一番であることを思い出し、夢中になって、冷やし続けた。これが功を奏したのかも知れない。また、医師になりたての若い担当医の努力があって、完全治癒した。その後は、生きていることへの感謝の気持ちを持ち続けることになった。明日かも知れない自分の命の終末を考えると今日と言う日の大切さを思い、無駄には過ごせないと何時も思い続けるようになった。今の自分に出来ることを、精一杯しなければと思い続けた。こうして生き続けさせて下さる하느님に何らかのお礼をしたいという気持ちを持ち続けている。嘘を言わない。自分の利益の為に迎合しない。私の小さな力でも、誰かに喜んで頂けることをしたい。
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オモニに会いに行った日の道の辺の花たち。人が見るも良し見ずとも良しと、精一杯咲いている。あやかりたい。     

by pcflily | 2013-04-21 12:40 | 貞花の短歌『身世打鈴』  

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