朝鮮学校

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土地奪い言葉を奪い名を奪う「併合」ありて「在日」のいる   神奈川歌壇

●日本国と日本人の多くはこんな単純な事を知らない?知らない振りをしている?


十二月号原稿       9月に詠む

行政の差別と司法の擁護    (ぱっ)  (ちょん)  (ふぁ)      


東京朝鮮高校無償化裁判に

東京高裁の却下

行政の差別を司法が擁護

子供達の権利と未来を奪う

   

弱者への差別と苛めを

指南する国の子供達に

苛めは無くならない


米国に追従する

安倍首相の私利私欲の

友達政権を支える人々


アジアへの蔑視政策は

戦争責任を認めず謝罪せず

明治への回帰を続ける


日本の植民地政策の落とし子

朝鮮人として生まれた子供達

現実と向き合う日々


考えない人々の多い社会の中で

課せられた責任を認識し

自分を守る為に逃げることなく


朝鮮高校無償化除外への

裁判にしっかり向き合い

自らの意志で行動する

 

世界は社会の闇を見ない

資本の論理や権力者のエゴイズム

メデイアは真実に背を向けたまま

権力に加担する


☆朝鮮学校の無償化の差別、裁判所が却下した


☆歌集『身世打鈴』別冊より


      四月八日

 「奥さんですか?突然ですが、ご主人が亡くなられました―――」
 「どちらにおかけですか?電話番号を間違われたのじゃないでしょうか?」
  二年間別居していた夫と、子供の親として離婚だけは止めようという話し合いがまとまって、一週間の後であった。
  長男の夫には、母と弟妹との別居は考えられないことだった。二人の子供に、民族教育を受けさせたいという一念の私は、家出して上京し、就職して、母子三人の生活を支えていた。
  長い話し合いの末に二人の方針がきまり、喜んだ夫は会社の花見の席で、守り通していた禁酒を解いて花見酒を飲んだという。
その夜、急性心不全であっけなく逝ってしまった。
享年三十九歳だった。春爛漫、桜の花も満開の一九七三年四月八日、花祭りの日である。お寺の桜も満開であった。
 六年生になったばかりの息子は、大声でわめきながら頭をかきむしり、畳に頭を打ち付けていた。
あの日以来、二度と父の死について語ることもなく涙を見せたこともない。三歳下の娘は、そばで泣きじゃくっていた。      

 
☆1971年の1月真冬に朝鮮学校で学ばせようと上京したことを思い出した。私の為に、実家で建てて下さった新築の家を半年も住まないで、夫にも内緒の家出だった。朝鮮学校のある東京の町田市の住所と片道切符だけの上京であった。知人は一人もいなかった。子を生した親として子供に言葉も歴史も教えられない事が辛かった。私は日本の学校で、身の付いた事は、どんなに努力をしても、希望は叶えられない事、朝鮮人への差別だけだった。

私の子供には、絶対に私のような経験をさせられないと決心したからであった。子供に朝鮮語と歴史を学ばせようとしての上京であったが、私自身が朝鮮語も朝鮮の歴史も学ぶチャンスを与えられることになった。まだ学ぶことはあまりにも多いが、死ぬことばかり考えていた過去はきれいに消えて、毎日を穏やかに今日生きていることを感謝しながら暮らせるようになった。

あれから、40年以上過ぎてもこの日本は変わらない、変わるどころか最悪の状態になっている。それでも、学生たちは前向きに闘いを続けていることを知り感動している。




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# by pcflily | 2017-11-10 09:23 | 『新日本歌人』 | Comments(6)  

親密な米国と日本

☆明治期に米国の手を借りて、朝鮮の植民地、アジアへの侵略を進めた日本が、現在、夢よ再びと米国の忠犬になって欲望を満たそうとしている。トランプ大統領が韓国より日本に多く滞在すると、この国のマスコミは挙って、安倍首相の喜びを共にして燥いでいるようだ。昔から、遠くの親戚より近くの他人と言われているのに、この日本は、遠い他人にしがみ付いて隣国を餌にしてきた明治期の方法を目標とし,蠢いている。

☆アジア侵略の日本軍の性奴隷になって、苦しめられた女性に対してのまともな謝罪も賠償しない中で、ハルモニが、また、亡くなってしまった。今年だけで、6人目である。申し出た239人の女性の中で、生きていらっしゃる方は34人になってしまった。日本政府は彼女たちの死を待って、死亡の知らせを聞いて祝杯でもあげているのだろうか?世界記録遺産の登録も、保留になってしまった。これは、日本と韓国だけの問題ではでない、韓国、中国、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダ、東ティモールの8か国の市民団体が、2700点以上の資料を申請したと言う。日本は、ユネスコへの負担金を分担金を払わずに反対を続けた。圧力をかけて反対していた。良心のかけらもない。他人の不幸を踏み台にして利益を得るのがこの国のかたちなのか?と聞いてみたい。安倍の言い続けている「美しい日本」は天皇を中心にした嘗ての「国体」なのだ。国民は全て神の天皇の為に捧げる、心も、命もだ。その為に、戦争の出来る国へとまっしぐらに進んでいる。東南アジアを支配しようと餌を撒いているようだ。すでに世界最強の軍備力を持っていると言う。この自民党を支持しているのは、若者が多いのだと言う。何をか言わんや。

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十一月号原稿     8月に詠む   

   

親密な米国と日本 

              

日清戦争・日露戦争

真珠湾奇襲攻撃まで

仕掛けたのは日本だ


1905年の

桂・タフト協定で

米国と手を組んだ日本

朝鮮を植民地にした


    1945年8月

敗戦国日本への

厳罰が米国の立場だった


援助していた

反共の蒋介石が敗れたことに

危機感を抱いた米国


アジアの共産化を防ぐ為に

サンフランシスコ条約で

日本の罪業を問わなかった米国


戦争責任を問わず

日本を冷戦体制の砦にーー

昭和天皇は沖縄を

米国の基地に差し出した


1935年の国際連盟と

1963年の国際連合で

韓国併合を不法無効と判定した

   

アジア侵略を奨励した

吉田松陰を尊敬する安倍晋三

侵略の謝罪・反省なく

明治への回帰を模索する



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# by pcflily | 2017-11-03 20:52 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

本家より贈られた100年以上前の古書等を、どうしたら良いのか?

1980年、朝鮮籍でも、一度だけ訪韓出来る「母国訪問墓参団」に参加した。本家の伯父さんは、私に大切な本だから、必ず返しなさいとの言葉を添えて、下の写真の木版刷りの古書を貸して下さった。中の文章は全て漢文であった。漢文は勉強していなかったが、漢字なので丹念に文字を追って読み込み、先祖の書いたものであり、アボジの誇る新羅の始祖からの歴史であること、朝鮮時代に活躍した音楽家の言等が書いてある事を知ることが出来た。
その後、韓国に帰国して亡くなった私のアボジの葬儀の為に1999年、二度目の訪韓をした。
その時はすでにアボジのたった一人の兄である伯父さんは亡くなっていて会う事は出来なかった。この伯父さんの長男である私にとってのお兄さんにこの古書をお返しすると差し出したら、持ち帰ってもっと勉強しなさいと仰って、再び私はこの古書を貸して頂くことになった。私は朝鮮籍の為に、自由に韓国に行けなかった時代だった。母方、即ちオモニの血縁の方たちの家を巡り、観光もさせて頂くことになった。その時、一緒に行った妹が荷物になるから、自分が真っすぐ日本に帰るので、この本は、持って行ってあげると言うので、素直に任せた。
ところが、この妹は、日本に帰ってから、いくら言っても私にこの本を戻してくれなかった。
2014年にオモニが亡くなり葬儀の時に姉妹が集まり、姉妹全員の説得で漸く古書は私の手元に戻った。15年間も、妹が離さなかったのだった。オモニの納骨の為に訪韓した時に、本家のお兄さんに遅くなりましたがお返ししますと渡そうとしたら、この本は貞花に贈るよと仰った。その上、納骨の為の祭祀が終わった朴一族の納骨堂の前で、姉妹に向かって、「この古書は貞花に自分が贈った、貞花の本にした」と宣言して下さった。
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2017年、5月に本家のお兄さんは90歳で亡くなってしまい、6月に訪韓した時には会う事は叶わなかった。この時に、私は考えた。あんなにも大切だと言っておられたのに、何故?、私に下さったのだろうと思うようになった。朝鮮は男性中心の社会である。そのうえ、私は日本に住んでいる、本当に価値あるものなら、このまま、私が持っていても良いのだろうか?あんなにお元気であったお兄さんが急に亡くなられた事で心配になった。、私も今年は79歳になる。
6月にオモニのお骨をアボジのお墓に埋葬をし、私のお墓を作って、ソウルの古宮博物館に行って聞いてみた。調べて頂けるのかと。その古書を見せてもらえれば、専門家に見て頂けるとの返事を頂いた。
そこで、9月の訪韓の時に持って行った。古宮博物館では、国立中央図書館の古書専門家にお願いして判定して頂けるように手筈を整えて下さった。早速「国立中央図書館」を訪ねた。木版刷りのこの古書が、韓国内で現存しているのは「国立中央図書館」を含めて6か所だけであり、各大学で保管されていると言う。そして、3冊そろっているのは、4か所だけであった。私の所有している本は全3冊の完全本であるという事が分かった。古書専門家のお話では、この本を所持していた家なら、相当の由緒ある名家であった筈だともおっしゃった。筆での手書きの「族譜」が沢山あった話をすると、国の貴重な遺産であるから国の方で保管したいとのことであった。お兄さんの妻であった伯母さんは90歳に近い方である。息子はすでに先に亡くなっていて、この家での一人暮らしをしていらっしゃる。甥に頼んで、古書を大切に保存しておいて下さるように頼んだが、寒さに弱いので冬には訪韓出来ないので、来年の春まで待つしかないが、私の年齢と体調を考えると心配になる。わが蜜陽朴姓の家系は、男児が少ないようだ。
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木版刷りの本は100年以上も前の本であることが分かった。この手描きの「族譜」はそれ以上前のものになると思われる。
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古宮博物館では、このようにして展示されていた。

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現代の「族譜」だ。百科事典のように分厚く重い本になっている。毎年、このように新しく発刊されていると言う。甥は重いから止めた方が良いと言ったが、新しいものが毎年出版されると言うので持ち帰った。

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国立中央図書館の前で、広く大きかった

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手前の本は「国立中央図書館」で下さった「族譜」について研究したものを纏めた本で、2017年6月23日に出版された大判の100ページもの立派な本に仕上がっている。私にプレゼントして下さった。ぜひ本家の古書を見せて欲しいと仰った。。左側の本はチョゲ寺でいただいた本。この寺に行く途中で見知らぬ人に声をかけられ、一緒に行き、昼食までご馳走になった。右上の本は、チョゲ寺を出て、帰る途中にあった家の塀が、昔風であったので寄ってみたら、朝鮮王朝の「高宗」の育った家であった。中をひと通り見て帰ろうとしたら、出口近くで「詩画展」」が催されていた。それを見ていた時に話しかけられた映画監督の黄明伝さんから、そこで売られていた「詩画集」をプレゼントされた。2017年9月16日発行の125ページの新刊。それぞれの詩にそれぞれ別の人が絵を描いている。三冊も頂いた本を、どこまで読みこなせるか心もとない。
6時にホテルに甥が迎えに来て夕食をご馳走してくれる事になっていたので、5時に、ここを出る心算と映画監督の黄明伝さんといろいろ話し合った時に話してあった。5時ですよと黄明伝さんに声をかけられ、外に出たら、5分も経たないうちに、おばさんと、甥に声をかけられた。驚いてしまう事ばかりであった。、徒歩30分も先の私の宿所のホテルで会う約束をしていたのに、あの広いソウルの人が沢山いる場所で、甥とばったり会ったことに驚いた。この様なことを、度々経験するので、殆どが良い事であるので、私は、アボジとオモニが、或いは神様が守って下さると信じてしまうのだ。
だって、私自身は何の取り柄もない人間だもの。見栄えのするような美人でもないし80歳近い老女なのに、何故、多くのの人達に、こんなに嬉しい事柄をしていただけるのか、不思議でならない。全てはアボジとオモニと神の思し召しだと思えば納得出来るのだ。
そういえば、2014年にオモニの納骨の為に訪韓した時には、ソウルの景福宮の前で前田憲二さんにばったり会った。「東学党」の映画を撮影しているところを取材されていたのだった。彼に最後に会ったのは1999年だ。私の歌集「身世打鈴」を読んだと仰って、会いたいと映画監督の前田憲二さんに呼ばれた。未知の辛さんと李さんの希望であったと仰った。その時に、ご一緒にお食事をした時以来、日本では一度も会ったことがなかったのでびっくりしたのであった。


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チョゲ寺に行くときに声を掛けられ、昼食をご馳走して下さった方、お名前を聞くことも忘れて、話に花を咲かせて時間の過ぎるのを忘れてしまい、慌てて時間だとさよならをしてしまった。私の紫のリュックを持っていらっしゃる。すぐに甘えてしまう私でした。
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        お寺の花達です、全部蓮なのか、水に咲くにも種類が沢山あることを知った。
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# by pcflily | 2017-11-01 21:27 | アリランエッセー | Comments(2)  

無窮花を剪定しました

駐韓日本大使館前の水曜デモに、参加するために訪韓した。9月19日より2泊3日の工程だが、私は、その後に5日間を一人で韓国で過ごした。文在寅大統領になってから、「景福宮」に夜間でも自由に入れるようになったので夜の景福宮へ。シャッターを押してとお願いした人は日本に留学した家族連れだったらしく、日本から来られたのですねと。
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ふと空を見上げると月がぽっかりと浮かんでいた。夜間の「景福宮」に喜び、連れの人との会話に花を咲かせていたので、誰も雲間の月には気が付かなかったようだ。                      
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月を入れて欲しいと頼んだが、無理ですと私に記念だからこれでいでしょうと映してくれた。
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無窮花、紫玉。終の棲家と決めたこの家に越した時に植えた。無窮花・紫玉。13年経て大木になったが、今年は剪定した。二階のベランダより高くなり、花が風で飛び、隣家にも及ぶ。塀もないので50センチほど入り花を片付けけていたら、「我が家の土地だから、入るな」と二度も言われた。
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西向きのこの場所で、夏の暑さを和らげてくれていた無窮花。蔓薔薇の黄色のゴールドハニーが無窮花に負けじと絡まりながら伸び続けていた。今は薔薇の木がこの場所を陣取っている。この薔薇が無窮花に絡まっているので、尚、作業に手間取った。
薔薇の花までなくすことは出来なかったから―――。
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か弱い老女?がこの大木と格闘した10月でした。下の写真の幹は、どうしても最後まで頑張れずに、息子に手助けを頼んだ。息子の曰く「他人の手を借りるまでの趣味は止めた方が良い」と。
友人との会話を思い出す。男が欲しいね、花を育てる時に、力仕事を喜んで手伝ってくれる人を。私にはもう一つ、頼みたい事はがある。
それはパソコンの事を細かく教えてくれる人だーーーー。
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この夏まで我が家の前を覆っていた無窮花とカロライナジャスミン、オーシャンブルーもきれいになくなってしまった。否、なくしてしまった。老いることをそれほど悲しんでいるわけではないが、好きな花を次々と処分しなくてはならないのが、辛い日々だ。
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居室のベランダに、私を慰める取りが来てくれた。何枚も写真を撮っているのに何時までもいてくれた。有難う。
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# by pcflily | 2017-10-22 11:27 | アリランエッセー | Comments(2)  

アボジの墓地    [新日本歌人』投稿歌 10月号 7月に詠む

◎無窮花に負けじと伸びている薔薇と百日紅、いつの間にかどんどん伸びて、大きくなって剪定しても、そこからもっと勢いが強くなって伸びる。私の手には負えなくなっている。右奥はオーシャンブルー。
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◎オーシャンブルー、隣家の間が狭いので、伐ることが出来ない。雨どいに絡まって、ベランダまで伸びた。ベランダで切ってかろうじて、そこより、上には伸びないようにした。無窮花や百日紅、薔薇の花は散っていく。当然のことだが。

隣家の敷地に花殻が落ちるので、申し訳ないので、道路から1メートルぐらいの場所に入り、花殻を箒で履いていたら、我が家の土地ですから、入らないでくださいと叱責された。掃除させてもらっているのですがと言ったら、再度、私の家の土地です。入らないで下さいと言った。この人は引っ越して間もなく、横長の鉢一杯に咲いたポーチュラカを切って下さいと言われて花を処分したことがあった。
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◎無窮花の紫玉 二階のベランダより高い。剪定できない大きさになってしまった。
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◎無窮花の宗旦。
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◎無窮花の玉兎。狭い場所で、高く高く伸びるので、写真に収めるのが難しい。
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◎高砂百合。野草だから強い、一本咲いたと喜んでいたのは3年ほど前かも、今年は22個も花が咲いた。
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◎昨夜、ベランダに黒いものが飛んできて、胡瓜の葉に留った。暗くてよく見えなかったが、シャッターを切った中の一枚、蝉だった。
訪ねてくる人もなく、訪ねて行く所もない私を、慰めに来たのかもしれない。
1本の胡瓜の苗を、伸びすぎたと5分の1の値が付いていて、100円で買って植えた。このベランダで一度は、よたよたになってしまったが、面倒を見てあげたら元気を取り戻して、10本以上の胡瓜を収穫できた。今日は3本が収穫を待っている。
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◎火鉢に、3本植えた高砂百合、咲いてくれた。緑の葉は、正体不明、枯れもせず、上に伸びるだけだ。生きようとしているので切れないでいる。

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◎ベランダより屋根に迄伸びて行ったカロライナジャスミンと定家葛。

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屋根にまで這い上っていくので、伐ることにした。ベランダから、精一杯の力を出し、半分ほどに切った。終わった後は身動きも出来ない程に疲れ果てた。1日がかりで半分ほどに切り落としたが、落とした蔓に絡んだ葉の量が
あまりに多くて始末が出来ない。翌日に少しずつ纏めようとしたが、蔓が硬くて、小さく切り分けることが出来ないでいる。たとえてみれば我が家の浴室を天井まで埋めても有り余る量である。

これに、凝りて南側で育っていた羽衣ジャスミンを切ることにした。これは、何年か前にベランダより上に伸び始めた時に切り落としたものだが、切っても切っても、伸びようとするので、可哀想になり網をかけてやったものだ。

ところが、鉢が巣を作っていて、私の左手の甲を蜂に刺されてしまった。鉢に刺されて3度目は死に至ると聞いていた。2度目に刺された時には、タクシーを飛ばして病院に行ったのに、三度目の今回は、両親のお墓も整備できたし、私のお墓も準備できたし、「まあ良いか」と思った。
日曜日でもあったので、そのままに、手元の虫刺されの薬を塗った。手の甲は痛いばかりではなく、熱を持ち、どんどん腫れて行った。

月曜日は、骨粗鬆症の注射の道具と薬を貰いに行く日だった。この注射は2年間続ける。しないと寝たきりになると医師に言われていたが、注射の痛さに耐えられないと断っていたのだが、認知症の妹の面倒を見ることになって、妹から長生きして守ってと言われて始めた。
現在、毎日注射をしていて、月に一度、注射道具と注射液を貰いに行っている。ついでに、蜂に刺された為の薬と塗り薬を処方して頂いた。

蜂の巣は防虫薬のスプレーをかければ良いと言われて、1本全部をかけたのに、蜂の巣は、そのまま残っていて、今度は、私の右足を、再び、鉢は刺した。蜂に刺された時の痛さは、口では言い表せない。その瞬間痛さと驚きで動転する。

この8月は、暑さと蜂に刺されたことで、私の体は、瀕死の状況が続いた。
でも、今日も、死なずに生きている。

成すべきことがある人は、その為の寿命があると言われたことがある。
まだ、私が出来る事が残っているのだろうか?



十月号原稿


アボジの墓地              (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)     


国を奪った日本に

己の骨を埋めない

生地は聖地

終生のアボジの意志


鞭で酷使された炭鉱生活を

口にしなかった憤怒

ひたすら帰国を願い続けた


子孫繁栄祈願の墓地と

土葬の願いを果たす

アボジは民族心を

行動で示した


養子夫婦の早世

アボジの心情は

孫に伝わっておらず

「納骨堂に移そうとしていた」


韓国籍を得て訪韓の私

甥との二度の出会いに

在日朝鮮人の慟哭の望郷を告げる


「お墓を守ります」

甥の英断に、閏月五月二日

納骨堂のオモニは

アボジの傍に移送された

そのかたえに私の墓碑も


父祖伝来の地に

墓碑に刻まれた

    蜜陽朴氏の貞夏乃墓

    族譜に載る私の諱の貞夏

 

       族譜(朝鮮の一族の系譜、家譜)

      諱(生前の実名、生前には口にすることを憚った)

    

  父祖の地に父母のかたえに永眠の床設えき墓碑の輝く










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# by pcflily | 2017-08-26 11:19 | 『新日本歌人』 | Comments(2)