アボジの墓地    [新日本歌人』投稿歌 10月号 7月に詠む

◎無窮花に負けじと伸びている薔薇と百日紅、いつの間にかどんどん伸びて、大きくなって剪定しても、そこからもっと勢いが強くなって伸びる。私の手には負えなくなっている。右奥はオーシャンブルー。
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◎オーシャンブルー、隣家の間が狭いので、伐ることが出来ない。雨どいに絡まって、ベランダまで伸びた。ベランダで切ってかろうじて、そこより、上には伸びないようにした。無窮花や百日紅、薔薇の花は散っていく。当然のことだが。

隣家の敷地に花殻が落ちるので、申し訳ないので、道路から1メートルぐらいの場所に入り、花殻を箒で履いていたら、我が家の土地ですから、入らないでくださいと叱責された。掃除させてもらっているのですがと言ったら、再度、私の家の土地です。入らないで下さいと言った。この人は引っ越して間もなく、横長の鉢一杯に咲いたポーチュラカを切って下さいと言われて花を処分したことがあった。
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◎無窮花の紫玉 二階のベランダより高い。剪定できない大きさになってしまった。
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◎無窮花の宗旦。
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◎無窮花の玉兎。狭い場所で、高く高く伸びるので、写真に収めるのが難しい。
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◎高砂百合。野草だから強い、一本咲いたと喜んでいたのは3年ほど前かも、今年は22個も花が咲いた。
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◎昨夜、ベランダに黒いものが飛んできて、胡瓜の葉に留った。暗くてよく見えなかったが、シャッターを切った中の一枚、蝉だった。
訪ねてくる人もなく、訪ねて行く所もない私を、慰めに来たのかもしれない。
1本の胡瓜の苗を、伸びすぎたと5分の1の値が付いていて、100円で買って植えた。このベランダで一度は、よたよたになってしまったが、面倒を見てあげたら元気を取り戻して、10本以上の胡瓜を収穫できた。今日は3本が収穫を待っている。
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◎火鉢に、3本植えた高砂百合、咲いてくれた。緑の葉は、正体不明、枯れもせず、上に伸びるだけだ。生きようとしているので切れないでいる。

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◎ベランダより屋根に迄伸びて行ったカロライナジャスミンと定家葛。

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屋根にまで這い上っていくので、伐ることにした。ベランダから、精一杯の力を出し、半分ほどに切った。終わった後は身動きも出来ない程に疲れ果てた。1日がかりで半分ほどに切り落としたが、落とした蔓に絡んだ葉の量が
あまりに多くて始末が出来ない。翌日に少しずつ纏めようとしたが、蔓が硬くて、小さく切り分けることが出来ないでいる。たとえてみれば我が家の浴室を天井まで埋めても有り余る量である。

これに、凝りて南側で育っていた羽衣ジャスミンを切ることにした。これは、何年か前にベランダより上に伸び始めた時に切り落としたものだが、切っても切っても、伸びようとするので、可哀想になり網をかけてやったものだ。

ところが、鉢が巣を作っていて、私の左手の甲を蜂に刺されてしまった。鉢に刺されて3度目は死に至ると聞いていた。2度目に刺された時には、タクシーを飛ばして病院に行ったのに、三度目の今回は、両親のお墓も整備できたし、私のお墓も準備できたし、「まあ良いか」と思った。
日曜日でもあったので、そのままに、手元の虫刺されの薬を塗った。手の甲は痛いばかりではなく、熱を持ち、どんどん腫れて行った。

月曜日は、骨粗鬆症の注射の道具と薬を貰いに行く日だった。この注射は2年間続ける。しないと寝たきりになると医師に言われていたが、注射の痛さに耐えられないと断っていたのだが、認知症の妹の面倒を見ることになって、妹から長生きして守ってと言われて始めた。
現在、毎日注射をしていて、月に一度、注射道具と注射液を貰いに行っている。ついでに、蜂に刺された為の薬と塗り薬を処方して頂いた。

蜂の巣は防虫薬のスプレーをかければ良いと言われて、1本全部をかけたのに、蜂の巣は、そのまま残っていて、今度は、私の右足を、再び、鉢は刺した。蜂に刺された時の痛さは、口では言い表せない。その瞬間痛さと驚きで動転する。

この8月は、暑さと蜂に刺されたことで、私の体は、瀕死の状況が続いた。
でも、今日も、死なずに生きている。

成すべきことがある人は、その為の寿命があると言われたことがある。
まだ、私が出来る事が残っているのだろうか?



十月号原稿


アボジの墓地              (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)     


国を奪った日本に

己の骨を埋めない

生地は聖地


終生のアボジの意志

鞭で酷使された炭鉱生活を

口にしなかった憤怒

ひたすら帰国を願い続けた


子孫繁栄祈願の墓地と

土葬の願いを果たす

アボジは民族心を

行動で示した


養子夫婦の早世

アボジの心情は

孫に伝わっておらず

「納骨堂に移そうとしていた」


韓国籍を得て訪韓の私

甥との二度の出会いに

在日朝鮮人の慟哭の望郷を告げる


「お墓を守ります」

甥の英断に、閏月五月二日

納骨堂のオモニは

アボジの傍に移送された


そのかたえに私の墓碑も――

父祖伝来の地に

墓碑に刻まれた

    蜜陽朴氏の貞夏乃墓

    族譜に載る私の諱の貞夏

 

      族譜(朝鮮の一族の系譜、家譜)

     諱(生前の実名、生前には口にすることを憚った)

    

  父祖の地に父母のかたえに永眠の床設えき墓碑の輝く










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# by pcflily | 2017-08-26 11:19 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

好きな色

九月号原稿 (6月詠む)


好きな色 

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好きな色はグリーン

皆に知られていた

頂いた贈り物は

いずれもグリーン


生地も成長の地も

緑一杯の山村ゆえか

緑に魅入られていた


抵抗の意志の色と知り

ますます好きになって

帽子も洋服も

カーテンも絨毯もグリーン


ふと気が付けば

日記帳も洋服もコートも

いつの間にか

ブルーになっていた


ブルー一色の

南北朝鮮の統一旗

南北の選手が一緒に

行進した日の感激――


統一旗の行進を

直に見たくて

思いを抑えられなくて

アジア大会に参加した


シンボルカラーはブルーの

文在寅大統領の誕生

南北和解の兆しが見える


トレードマークの

グリーンの帽子二十七年を越す

ブルーの帽子を探そう

統一旗の色だ


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◎大統領の官邸・青瓦台の前の道路は長年、通行規制されていた。
文在寅大統領により市民に開放され、その初日に私は訪れたのだった。
景福宮の夜間開放もされた。ソウルの夜の散策スポットとして人気の場所となることであろう。
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◎古宮博物館の展示物。旧ちゅの生活を実感できる。

◎朝鮮王朝実録は1392年7月~1863年12月までの各王代の事績を編纂した古書。編纂は国王の死後に編纂した、全てを事実に即して残すためだったという。清書本一部と活字本3部を作製して、4史庫に文置した。

秀吉の朝鮮侵略により焼失した。日本の朝鮮植民地侵略時には東京大学に略奪し持ち込んでいたが、関東大震災朝鮮人虐殺時に焼失した。
その後何度か再制作している。

日本では李朝実録と呼ぶが、「李朝・李氏朝鮮」とは、朝鮮を独立国と認めないで、天皇家に付属する一介の李氏の王家だという事を意味する。日本側の造語。



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# by pcflily | 2017-07-30 22:48 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

花と友と

           七月号原稿(4月に詠む)

花と友と

            

しだれ梅の白い花びら

黄色の蒲公英は破顔一笑

春の訪れに紅梅も


桜色の羽衣ジャスミンに

先駆けて咲き盛る

黄色いカロライナジャスミン

塀からベランダまで


金雀枝は花壇をはみ出し

連翹と春の喜びを競う

春は黄色で溢れる


外出嫌いの私の友

最後の一輪が散るまで

語り合う狭庭の花達


独り居の居間を陣取る

胡蝶蘭の鉢十六個

温室もないのに

毎年花を見せてくれた


病を得た妹の為に

飛び回る去年今年

胡蝶蘭は一輪も咲かない


胡蝶蘭が届いた

日比イチさんからだ

昨年の退院の日にも

届いた宅急便


パック入りのお粥

魚と肉とジュースの缶詰

お菓子と果物と手紙

「益者三友」に涙ーー


☆極端に自分の名前が出ることを嫌う日比さんだった。この作品が出てからでは騙したことになると思い、送稿してからすぐに電話をしたら、絶交だと言われてビックリし、このブログにも載せないでいた。けれども、或いは照れだったのかもしれないと思うようになった。絶交されなかった。そればかりではなく、妹の為に苦労したことを知って、慰労したいと熱海のホテルに一泊の招待をして下さった。本当に有難い友達である。

オモニから送られてくる品物のように、こまごまと心のこもった食料も度々、送って下さるのもこの人である。

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◎紅梅、大きな梅を沢山実らせる。この家に越してから小さな苗を植えた。切っても切っても育つ。

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◎カロライナジャスミン、これも小さな苗をい一本植えただけなのに二階のベランダまで伸びて、今年は屋根に向かって伸びるので、私の手では剪定できずに困っている。
壁に張り付いているのは、定家葛、香りのある白い花も咲く。
その左の木は紅葉、5センチぐらいの苗を裏の空き地で見つけ植えたもの。これも切っても切っても伸びる。狭い敷地にあれもこれも小さな苗を植えて、現在は手に負えないでいる。無窮花、薔薇等々も。
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◎送って頂いた胡蝶蘭が終わるころ、我が家の胡蝶蘭も咲き始めた。
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◎挿し木をして3年目の紫陽花、「隅田の花火」すてきな色と容だ。



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# by pcflily | 2017-07-30 20:47 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

韓国の大統領

八月号原稿


韓国の大統領 

            

長期軍事独裁の朴正煕

財閥育て励んだ

私利私欲の蓄財は計り知れない


朴正煕の莫大な蓄財制作の大統領

光州の民を銃で虐殺した全斗煥

全斗煥を兄と慕った朴槿恵


日米への追従

国民篭絡の朴槿恵

大統領在職中の

蓄財は四十六億円という


朴槿恵は大統領の娘だった

文在寅は行商人の息子

両親は北からの避難民だ


朴正煕の長期独裁は

文在寅を投獄し軍隊にーーー

除隊後の復学も

就職も許されなかった


独学の弁護士・文在寅

盧武鉉と労働者を守る人権弁護士

貧しい人々に自己を捧げた


厳寒の中で

ともしび集会に一七〇〇萬人

国民と立ち上がった

文在寅大統領の誕生


真の民主主義を願う

非暴力のともしび集会は世界の手本

文在寅の願いは

「誰もが幸せになるべきだ」


文在寅大統領の誕生を待ち焦がれたる幾年月ぞ



☆アボジが終生の念願としていた祖国の土になるための墓地の設営と子孫の繁栄を祈ると信じて土葬に拘り、癌を告げられて帰国し医療を拒み自然死を待ち、逝ってから15年の後にオモニも逝った。日本での火葬を終え、韓国に行った時は、一族の納骨堂に納められた。
甥との話し合いで、この6月にオモニはアボジの傍で安らかに永眠できることになった。私の永眠の場所も設えられた。
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自分の年齢と体調を考え、ゆとりをもって宿所の予約をしてあった。見知らぬ人と同じ部屋で眠ることになるが、朝食付きで、日本円で3泊で4200円である。3人部屋だが初日は二人、2日目は私一人、3日目は二人であった。得をした気分だった。
両親への務めを無事に果たし、翌日からは、一人での行動、楽しみにしていたソウルの独り歩きをした。
景福宮の古宮博物館は前回来た時は、時間が足りなくて、ゆっくる見られなかったので、再度訪れた。上の写真は、朝鮮時代の我が先祖の音楽家の発明した編馨。
ゆっくりと鑑賞した後に、私が訪ねた日から始まった朝鮮の包装芸術展をも見ることができた。今回は日本語で説明をして下さる方がおり、私一人の為に丁寧な説明をして下さった。十分に堪能して、外に出たら男性4人組の人が、チョナデ・青瓦台即ち大統領の住む場所を見に行こうと話しているのが聞こえた。その人たちに便乗させて頂くことにした。ちょっと恥ずかしかったが、頑張って声をかけたのは私である。地方からソウル観光に来た人たちであった。快く一緒に行きましょうと言って下さり、写真を撮ってあげる、記念だからと私のカメラを預けなさいと言って何枚か、取って下さった。今までは、入ってはいけない場所であったのに、文在寅大統領が市民に開放した日から、2日目であった場所に入ることが出来た。誰もが椅子に座って電話を持ち、大統領の椅子で記念写真を撮っていた。彼らに勧められ私も写真を撮った。
有意義で楽しい一日を過ごした。
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案内をしてくれた人と。

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後ろの建物は青瓦台
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大統領の執務机
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途中での民家
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写真を撮りお茶までごちそうして下さった人達
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帰る日を水曜日にしてあった。この水曜日デモに参加するためだ。今回も一人で参加してきた。このハングルは(忘れようとしても忘れられるだろうか?)
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参加者は行くたびに驚くほどに増えてきている。この度はドイツから団体での参加者もいらっしゃった。韓国内の地方からも大勢参加している。小学生も大勢いるのだ。
世界中が注視しているのに、日本は逃げ切るつもりなのか。
アメリカでさえ今月八か所目の少女像が設立された。
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# by pcflily | 2017-07-21 21:15 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

憂いなく永遠の休息の地は父母と共に

169.png169.png  夢は叶うもの、夢を持つことからすべては始まる。私の生きてきた道でもある。けれども、姉妹からは誹謗され続けてきた。ある日受話器を取ると「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴られた。息子の淳馹が祖国統一を願う月刊雑誌『統一評論』に入社した時であった。この妹は、民族教育を受けさせたくて、朝鮮学校の寄宿舎に、息子が入った時に「鬼だ、母親の資格がない」と言った。

けれども、私の最後の願いの祖国の土地に自分の骨を埋める場所、墓が出来た。

朝鮮籍の為に自由に訪韓できなかった私だ。前回の韓国の大統領選挙の時から、日本にいても、韓国籍を取得すれば、選挙権が得られるようになった。
祖国が統一するまでは変更しないと決めてあったが、どうしても、この選挙に参加したくて国籍を変えた。

昨年の5月に「慰安婦にされたハルモニ達の水曜日の抗議」に参加した。
アボジの養子になった義兄夫婦はすでに亡くなり、長男の甥とは、アボジの葬儀以降、オモニの納骨の時に少し会ったが深く話し合う事はなかった。
昨年の5月に、韓国に来たと連絡をすると甥はホテルに会いに来てくれた。昨年は、還暦だという甥に会ったことで、思いがけないことが、次々と起きた。

オモニの骨壺に私の作品を収めたものを甥は読んだという。そして、ハルモニの骨壺には名前がないという。
一族の納骨堂に納められている骨壺は、黒曜石で出来ており始祖朴赫居世の何代目と名前と共に彫られている。日本から持って行ったオモニの骨壺は白い陶器で名前がない。自分の死後は誰のものかも分からなくなると心配してくれた。

そこで、新しく名前を入れたものを作成してくれるように頼んだ。次回私が来た時に一緒に行って、新しい骨壺と交換をして、日本から持ってきた骨壺は私が日本に持ち帰り、日本に作られている両親のお墓に納めることにした。

昨年8月に「関東大震災時朝鮮人虐殺の追悼会」が韓国で行われた。韓国での追悼会は初めてであった。
追悼会が終わり、甥に連れられ、納骨堂に行ったが、オモニの骨壺の前に鉢の巣が出来ていて、危険なので、骨壺は取り出せなかった。帰路の航空券の時間もありそのまま戻ったが、甥と長い話が出来て、思わぬ方に事が進み、私のお墓まで、作ることになった。

甥の居住地はソウルだ、退職して10年ぐらいの間に墓地でなく自分の両親も含め、祖父も納骨堂に納まって頂こうと思っていたという。

けれども、私から祖父の思いや私の思い、祖国をどんなに慕い、恋していたかなどを聞いて気持ちを変えてくれた。ハルモニのお骨をハラボジの傍に、そればかりではなく、私の居場所まで作って良いという。ハラボジ、ハルモニばかりではなく、私も傍にと言ってくれたのである。
なんと、嬉しい事であろうか?甥は言葉が通じて深く話し合えたことをとても喜んでくれた。意志の疎通が出来て良かったと話してくれた。
甥は又私の作品も読むことが出来たので、メールで送り読んで貰う事が出来たことは本当に幸いであった。
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アボジとオモニの名前が彫られている墓石。裏には7人娘の名が刻まれている。
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新しく作ったオモニの骨壺オモニの名前や、蓮の花なども描かれてある。このまま、アボジと離れて納骨堂にいる筈であったが、アボジの傍に落ち着くことになった。
本当に嬉しい。
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簡素ながら祭祀を行った。

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      私の後ろの人は甥とその妻。左の人は祭祀の仕方を教える人

     
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    私が将来、安置される場所、私のお墓、蜜陽朴氏貞夏之墓。
「貞花」ではなくて、「貞夏」だ。夏は私の代の行列字だ。密陽朴氏一族の同世代は全員にこの字が使われている。本来は男子にだけつくのだが、何故か、私にはこの行列字がついている。長女の姉にもなく、次女の私にだけ使われていて、7人姉妹の誰にもこの字は使われていない。
だから、こんなに一人だけ民族心が強く、我が家の事に関わり続けることになったのかと、運命を感じてしまう。
アボジも墓石には普段使っていた「宗根」の名ではなく、族譜に載っている名前が刻まれている。
族譜に載っているのは「諱」だと思う。辞書を繙いてみると生前の実名、生前には口にすることをはばかった。朝鮮の歴代の王達もいずれも、普通に呼ばれていたものとは違うものが実名としてある。
墓碑の裏面には私の命より大切な息子の家族と娘の家族の名前が刻まれている。
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    私がここに安置されたら、毎日眺める風景。素晴らしい景色。
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晴れていたので、面白い写真が出来た。碑面に写している私が映っている。
工事の日は快晴であった。私は嬉しくて、良かったですねと言ったら、工事をしている人は、自分たちは雨の方が良い、植えた芝が枯れないようにと言われた。
「雨降って地固まる」はこの事から出来たのじゃないかと思った。
ちなみにあんなに晴れて暑かったのに、全てが終わって甥とアボジが住んでいた家に甥と休んでいる時に、土砂降りの雨が降った。甥と私は手を取りあい良かった、良かったと恵みの雨に感謝し喜びをともにした。
アボジとオモニが、私と甥に対して今日の喜びを雨を降らせることで、知らせてくれたのだと話し合った。
ソウルに戻る道筋では雨が降った後は、全くなかった。故郷のあの我が家の墓所周辺にだけあんなにたくさんの雨が降ったのであった。
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私の墓碑の裏面二人の子供の家族の名前が刻まれている。
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遠くに見える丸い土盛りには父母が眠る。手前に私が眠る。
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     右奥に見える石碑に、両親の名前が刻まれ、裏面には7人娘の名前が刻まれている。
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土地は斜面になっている。少し下段に義兄夫婦、その下段に甥の墓が出来るという。
アボジとオモニの傍にと言う私の言葉を聞いた甥がこの様に、アボジとオモニの傍に配置してくれたのであろう。
長男の喜洙の英断により、長年の私の希望、夢が実現した。喜洙よ本当に有難う。心からお礼を言います。協力してくれた次男の喜重よ有難う。
全てを任せてあったので、この様な配置になるとは、思っていなかったので、年少の私が、義兄夫婦より上段であることにびっくりもし、申し訳ないと思っている。
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奥に見える丸い土盛りのお墓私の両親のお墓。手前がアボジの養子になった義兄夫婦のお墓。この夫婦の中央に私のアボジとオモニが,合葬されている。義兄夫婦の前の石碑に子供たちの名前が刻まれている。
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坂を下ると田畑があり、遠くにはこのような景色が見える。風水説による良い土地。
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     5人の大男と、この大きなブルトーザーにより工事は完了した。
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      叶う筈がないと、言われ続けた私の希望であり夢であった。  
     今日からは、何の憂いもなく、いつ何時でも、アボジとオモニのいらっしゃる         ところに旅立てると、安堵している笑顔の貞花です。
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   無事に工事も終わり、祭祀も終わりましたので、記念写真を撮りました。
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一輪の撫子が、私達を迎えてくれた。(墓所の入口に)
オモニが咲かせてくれたのだと思う。オモニは本当に喜んで下さったのですね。
私も本当に嬉しいです。心置きなく残りの日々を生きていきます。見守って下さいね。


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# by pcflily | 2017-07-01 17:47 | アリランエッセー | Comments(2)