ブログ「私の短歌とアリランエッセー」
歌集 『身世打鈴』より
☆写真は、現在の横浜の家に住むようになって咲かせたカサブランカ。花の数が少ない。
🌺カサブランカ
☘植え込みし球根一つが咲かせたる十二の大輪カサブランカ揺るる
☘白百合の大輪咲けり名の如き純白なれば白を愛しみて
☘水やれば水を吸い上げ夕顔の花はゆるりと吾をみつむる
☆現在はどこに行っても、花屋さんがあり、あらゆる花があふれ咲いている。福島県の会津で育った私にとっての思い出の花の一つはカタクリの花だ。近くで簡単に手に入る花であったが、その名を知ったのは、大人になってからだ。我が家で働いていた張さん・長谷川さんと呼んでいたが、将来は医者になると本ばかり読んでいる人だった。
ある時、この趙さんの従弟である青年が訪ねて来て、しばらく、我が家で働いていたが、密航してきたと言うことで、同じ場所に落ち着いていられないと、又、どこかに行ってしまったが、自殺をしたとの連絡が入った。密航者として、逃げ回るのに、疲れてしまったのであろう。
張さんの病身のお姉さんもいた。このお姉さんは、カタクリの花で、朝鮮の少女・未婚の女性が一本に編んだ三つ編みの裾に赤いテンギをつける姿の人形を作ってくれた。それは花の根を顔にし、葉を三つ編みにしたものであった。
もう一つの思い出の花は山百合の花、馬や牛を飼っている家の叔父さんが飼料にする草を取ってくる。そこに山百合の花もあった。わが家では手に入らない花だった。初めて見たときの感動は忘れられない。
中学生になって英語を習い始めた時であった。同級生の一人が自分は薔薇のローズになるからと、私にも花を決めて英語で呼び合うことを提案してきた。私は迷わず、白百合にすると決めた、百合はリリーだった。山百合は真っ白ではなかったがーーー
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私の娘は、幼い時から赤よりもピンクを好んだ。ピンクの百合があれば良いのにと思っていた時、笹百合はピンクと知り喜んだりした。ある日、町の花屋さんで真っ白なカサブランカを見つけたときは本当に驚いた。願えばこうして叶うものなのかと思った程だ。球根を植えて育てたら十二個の花を咲かせてくれた。自分の為には冷房をかけたことはない私であったのに、花のカサブランカの為にエアコンのスイッチを入れていた。
ハンカチ一つを買おうと思う時でも百合の模様を探し、食器を買うときも、セーターを買おうとするときも百合の柄を探してしまう。
息子の結婚式の時の花は、カサブランカと決めた。新しい花だったので、高価だったが迷うことはなかった。新婦のお色直しのチマ・チョゴリはは真紅であったので純白のカサブランカは良く似合っていた。
朝鮮民族は白衣民族と言われるほど白を好むと知った時には、白の洋服を買い求めるようになっていた。本当に単純な人間だと思いながら――――。あることを思い始めて決めたら変えることが出来ない。融通が利かない性質は七十の坂を越えても変わらないようだ。
☘2021年3月26日に気が付きました。八十の坂を超えても変わらない貞花でした。
◎いつの間にかわが瓦礫の花園に、住み着いている高砂百合です。強い花で、増えてゆきます。二回まで伸びる時もある高砂百合なんです。
◎高砂百合。