生かされた命だから

五月号原稿

「生かされた命だから」     (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)      神奈川


虚弱児だった

未来の希望を持つことはなかった

今日も一日無事だったとの思いだけ


オモニを助けたい一心―――

相手の顔も見ぬうちに

結婚が決められた


オモニの娘だもの

その言葉に従うだけ

わが家族と彼の家族の

生きる道でもあった


二人の子を生したオモニとして

責任を全うしたい

朝鮮学校へ入れようーーー


真冬の家出は汽車賃だけの上京

自動車事故で四ヶ月の入院

後遺症で働けなくなった


病身の母として

子らの荷物にはなるまい

たった一つ、子に与えられるもの

それは「自由」しかない

十五年後の再婚


姉妹の反対の中

認知症のオモニを

ホームより連れ出して

介護した日々


独身生活を謳歌した妹

認知症とアルコール依存症と知る

老いた身を振り回される日々

パンドラの箱を開けたのは私だから


〇ヴィオラは強い花だ。年末の暮れに植えたものが冬を乗り越え4、5月頃まで咲き続ける。ヴィオラからパンジーが生まれたと言う。花も母親の方が辛抱強いと思う。

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〇今年も蕗の葉を摘んで食べている。日本では茎の方を好んで食卓に乗せる方が多いようだが、朝鮮では、葉の方を好む。焼き肉屋さんでサンチュに肉を包んで食べることは良く知られているが、我が家では、昔から春先に柔らかい蕗の葉をゆでておいしいい味噌だれを作ってご飯を包んで食べる。実家にいるときは肉も食べず朝鮮漬けも殆んど食べなかったのに、上京してからは故郷恋しさなのか朝鮮料理を、好むようになった。
高齢になるに従って、子供の頃に食べていたものが欲しくなり、横浜に越してから庭に植えた蕗を、毎年楽しんでいる。
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# by pcflily | 2017-03-29 14:35 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

朴槿恵大統領に満場一致の罷免

三月号原稿

  

汎民族週末ろうそく集会と共に   (ぱっ) (ちょん) (ふぁ)  神奈川


春の野辺に獲る

浅葱、野蒜、片栗

山の斜面の草原で這い蹲りとる蕨

藪の中の蕨は太かった


夏は川辺の水遊び

木綿の大人のパンツに

紐をつけた水着姿

アルバムに残る


下校後に勇んで出かけた

杉の落葉と枯れ枝拾い

台風の翌朝は栗拾い

重いと泣きながら帰った日も――


一つの玉石を背に

大川から運び上げて

貰った駄賃を握りしめ

駆けつけた駄菓子屋


雪の会津の我が家には

スキーも橇もなかった

オモニと闇米運びの私


思い出の欠片もない

生地の祖国朝鮮を、故郷を

恋し続けて幾十年


この夏に彷徨い続けた

光化門広場、鐘路、西大門、ソウル支庁

生中継をパソコンで凝視する


週末のろうそく集会

朴槿恵を拘束せよ、退陣せよ

世界を変えよう

1分間の消灯、3回の灯の波涛

七十七万人と共に吾も声を挙げる


☆昨年の10月から週末の土曜日は、韓国で行われているろうそく集会を見る為にパソコンとテレビをつないでいた。厳寒のソウルで、いやソウルだけではなく韓国全体で土曜日ごとに出てくる人たちに、驚愕し感動していた。

ようやく、弾劾が裁判官の全員一致で決定した。発表の日も画面から目が離せないで噛り付いていた。最後に、はっきりと「全員一致でーー」と発表された時には、飛び上がり、手をたたき一人で喜びの声を挙げた。


この前の選挙があった時に統一の日まではと、守り続けてきた朝鮮籍を捨て、韓国籍にしてまで参加した選挙の結果に、どれ程、悔しい思いをしたかしれない。何の為に、長年守っていた自分の信条を捨ててまで、選挙に参加したのかと悔やみ、韓国国民への失望を感じたりもした。やはり朴槿恵の当選には、不正があったと言う。


この度のろうそく集会を見て、私は血を流さない革命であると思った。日本軍が、素手の朝鮮人を銃剣で、また焼殺して大量虐殺をしたあの時、決して忘れられないあの日。1919年の3月1日の朝鮮独立宣言に立ち上がった朝鮮全土の朝鮮人の姿を思い出したのは、わたくし一人ではないと思う。


キンテジュン・ロムヒョン大統領が続けていた南北和解を、リミョンバッ大統領が閉じ続けていたが、パックネは、もっと酷いことを続けていた。私の胸は怒りで休まることがなかった。

それにしても往生際の悪い人間である朴槿恵である。卑怯な人間である。まだ、反省していないのだ。


けれども、少し遅きに失してはいるが、「終わり良ければすべて良し」と思う事にしよう。罷免されたのだからーーー。


韓国在住の同胞の皆さま本当にありがとうございました。

朴貞花は、心からのお礼を申し上げます。


〇どんな小さなものでも、全てのものに対して、普通の人は簡単に捨ててしまうものが、捨てられない。自分がその立場になったなら、辛いと思うからだ。命のある限り生かしてあげたいと思ってしまう。

これは、大根の切れ端、二度目に又目を出したものだ。春になったので、伸び続けている。下のものは、ミント、残ったものを小さなお皿に入れて置いたら、新しく目を出し、また伸び続けている。

胡蝶蘭やカトレアばかりでなく私の居間はこんなものが、いつも雑多に置かれている。

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# by pcflily | 2017-03-19 17:14 | 『新日本歌人』 | Comments(2)  

短歌との出会い・韓国訪問

短歌との出会い  2010年  1月号

())白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水

七人姉妹の次女でありながら姉妹にさえ馴染めなかった位だから学校の中では一人のことが多かった。中学生の時、小学校にピアノが入った事を知り一人で見に行った。

 新任の女の先生が、覗いている私にピアノを弾きながら歌ってくれた歌は教室では習うことのない歌であった。たった一度で覚えたこの歌を私は事あるごとに口遊むようになった。

()() (いく)山河(やまかわ)越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく


 いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふ

るや                     若山牧水


東海の小島(こじま)(いそ)白砂(しらすな)にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

            

やわらかに柳あをめる北上(きたかみ)の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

                       石川 啄木

新任の先生だったので私が朝鮮人であることを知らなかった事は幸いであった。若山牧水と石川啄木のメロデイーは違うものである。

初めて見たピアノだった。そこで、一人で習えたことは忘れられない思い出となり、この歌を歌うことは私の唯一のカタルシスとなった。

後に、短歌の世界に迷い込む遠因になったのかとも思う。


☆現在入会している「新日本歌人」の会員になった時に突然のはがきが届いた原稿依頼で書いたものである。主題に合わせたものではなかったが、原稿締め切りに間もなかったので思うままに書き送った。無事に採用されて掲載された。


又、短歌の方も、「月集」に選ばれていたので本当にびっくりした。入会したばかりの頃は原稿の依頼もあったが、その後は、全くお呼びがかからなくなり、最近は、私の作品への批判が続いていた。追放されるのかとも、思ったりしていたが、この1月に、6年振りに「ミニエッセー」の依頼があった。「9条連ニュース」に私の作品が掲載された喜びで一杯なのに、今日は、同胞の月刊雑誌「イオ」から私の短歌も載せたいと電話があった。同胞の短歌の特集をするらしい。

今年は年初から、嬉しいことが続いている。


2010年1月号 1月集

韓国訪問

吾が母国韓国訪うに許可を得ることの難かり「朝鮮籍」ゆえ

朝鮮と国籍欄に記させしは日本国にて無国籍となる

統一は成さるるものと信じいて「朝鮮籍」を守り続けぬ

チョーセンと囃し立てられ下校して泣きじゃくる吾 抱きしめしオモニ

朝鮮は「朝麗しき国」なりとアボジ言えるにわれ泣き止みぬ

祖国の統一成就のわが祈り隣人は笑えど朝鮮籍守る

吾が生れし祖国なれど韓国は自由に訪ねぬることを許さず

幾度も足運ばせし領事館 韓国訪問の許可下すとぞ


☆領事の部屋に呼ばれて質問をされた。反抗する私に、彼は、許可をしないと怒るでしょうねと笑いながら言った。私は「怒りません、なかなか許可も下りないだろうと思っていたけれど、日韓友好の為にと、10年近く、日本人の団体に誘われていました。もう、断り切れなくなって、許可が下りたら行くと返事したので、皆さんに、韓国は民主化したと言っても、こんな私に許可を出さないような国ですよと報告します」と言って帰った。

帰宅したら、許可を出しますと電話が入っていたのである。


〇わが砂庭の花々、いつの間にか梅が散り始めていた。


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# by pcflily | 2017-02-25 23:01 | アリランエッセー | Comments(2)  

平和の少女像設立は続く

平和の少女像設立は続く    神奈川県 朴 貞 花


駐韓日本大使館前に設置した

一〇〇〇回目の水曜デモの

少女像

謝罪しない日本政府への

怒りであった


釜山の日本総領事館前の

少女像

「一二・二八合意」への

国民の抗議だ

挙って非難する日本

進歩派のメデイアさえもーーー


中国、米国、カナダ、

オーストリア、ドイツ等々に

設立された少女像

日本政府こそが国内に

設置すべきではないのか?


ドイツは歴史に刻まれた

ナチスの非道を

永遠に語り継ぐ


国連人権委員は性奴隷と、

米国で慰安婦問題の対日謝罪要求決議

世界の声を無視する日本


少女達を蹂躙の戦争犯罪

日本軍の罪業の忘却を謀る

日本政府を

全世界が凝視している


「謝罪の手紙を書くことは

毛頭考えない」と断言の

安倍首相の支持者は共犯者だ

この国の良心が見えない


少女像設立は続く

女性の人権侵害は許されない

この地球上の

人間に良心の尽きることはない



☆昨年の10月末から、気にかけていた独身生活を謳歌していた妹の様子を見に行ったことから、認知症になり詐欺の被害まで受けていたことで、その解決の為に飛び回っていた。

妹の入院生活が始まり、余裕が出来た時に、何時も、私の作品を読んで下さっている9条連の木瀬さんに作品を送った。

私の入院もあり、久し振りの事であった。毎度のことであるが何の許可も受けないで、一方的に送っている。何時もなら、「新日本歌人」に掲載された後のものを送っていたのだが、妹の面倒を見る為に郡山市へ行かなければならないこともあり、また何事かが起きる前にと思い、未掲載のものまで送ってしまった。新日本歌人に送る原稿は3か月前だ。締め切りは20日なのだが、2月初旬に5月号までが出来上がっていたので送ってしまっていた。

作品をメールで送ったら、すぐに返信があり「9条連ニュース」に掲載したいとの連絡が入った。そうして9条連の毎月一回発行の「9条連ュース」に掲載された。

4月号としての作品で1月に仕上げ、編集部にすでに送付してあった。「新日本歌人」に電話をすると、電話を受けて下さった方が、「良い」と言って下さった。1日も早い方が良いと思う内容であった。

今日、「9条連ニュース」が届いた。掲載されていた。私の聞き違いであったのか、3月になると思っていたのに2月に掲載されたのだ。本当に、嬉しい。

「新日本歌人」の場合には全てが載ることは少ないのだが、全文を掲載して下さっているのだから、喜びは倍加する。

この作品を仕上げた後に、韓国でもアメリカでも設立されるというニュースを韓国の新聞の記事で読んだ。アメリカでの設立は、今回のものは、今迄で一番大きな都市に設置されるという事であった。


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# by pcflily | 2017-02-22 14:36 | アリランエッセー | Comments(3)  

私の啄木

はたらけど

はたらけど(なお)わが生活楽にならざり

ぢっと手を見る


日本の敗戦時に、炭鉱から逃げ出し山奥に隠れ住んでいた我が家は帰国が叶わなかった。

父は林道工事の下請けを始めたが、我が家の暮らしは火の車だった。仕事を任せてくれた人が搾取していた事実が、彼の急死で判明した。

母は、闇米、養豚、密造酒と仕事を探してきた。「女は弱しされど母は強し」であった。

母と共に行動した私は読み書きの担当でもあった。私の結婚は21歳、家業を手伝う事と、読み書きが出来る事の条件で探した相手とは見合いもしない儘に結婚は決められた。        

七人兄弟の長男である彼は家族を支える為に、私は家業を支える為であった。けれども、私達の生活が楽になることは全くなかった。


新しき明日の来るを信ずといふ

自分の言葉に

嘘はなけれど—――――


朝鮮の統一を願い、今もなお信じ続けている私にとって、心から同感し胸を熱くさせる大切な歌である。


こころよく(われ)にはたらく仕事あれ

それを仕遂げて

死なむと(おも)


一度で良い、納得の出来る仕事をしたいという夢を七十八歳の現在も抱き続けている。

啄木がどん底の生活の中で詠んだ歌は、その日の糧を得る為に業種を選べなかった私に真っすぐ届く。

啄木が、短く苦しい生涯の中から、生みだした歌は、自分を抑え泣くことで耐えて生きてきた私の胸に真っ直ぐに届き慰められ忘れられない歌になっている。

啄木の歌は、既得権者の牛耳る社会が続く限り、愛唱されていくと思う。

啄木が、早世しなかったなら、悲しい歌でなく、力強い社会詠の歌を数多く遺し、短歌の世界も現在とは違っていたと思っている。


〇アボジの生家、私の本家で見せて頂いた「族譜」。これは、朝鮮時代に偉人が出たのでその人が1世(日本では1代)となり、私は17世だ。

新羅の初代王朴赫居世が1世で子供が8人いたという、その長男の子孫が「蜜陽朴家」と呼ばれる。私は61世となる。歴史的にどれだけ信憑性があるのか分からないが、朝鮮人は信じている。本家のお兄さんは、誇りを持っていて私に一生懸命に如何に由緒ある家であるのかを語って聞かせて下さった。古書がたくさんあって、これを納めている部屋がある。この1月に、90歳で亡くなられた。。あの貴重な本はどうなるのであろうかと気にかかる

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〇現代の「族譜」。これは第一巻、始祖朴赫居世から載せてあり、この一巻で5キロぐらいあり、8冊もある。毎年、人間は婚姻もあり生死もるので、更新される。
私のアボジの養子になった人はすでに亡くなってしまったので、現在は、甥が守っている。
古いものだと言ったが新品そのものであった。沢山あると言うので頂いてきた。
因みに、朴槿恵は末子の8男の系統という。


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# by pcflily | 2017-02-17 17:11 | アリランエッセー | Comments(2)