韓国の大統領

アボジが終生の念願としていた祖国の土になるための墓地の設営と子孫の繁栄を祈ると信じて土葬に拘り、癌を告げられて帰国し医療を拒み自然死を待ち、逝ってから15年の後にオモニも逝った。日本での火葬を終え、韓国に行った時は、一族の納骨堂に納められた。
甥との話し合いで、この6月にオモニはアボジの傍で安らかに永眠できることになった。私の永眠の場所も設えられた。
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自分の年齢と体調を考え、ゆとりをもって宿所の予約をしてあった。見知らぬ人と同じ部屋で眠ることになるが、朝食付きで、日本円で3泊で4200円である。3人部屋だが初日は二人、2日目は1人、3日目は二人であった。
両親への務めを無事に果たし、翌日からは、1里の行動、ソウルの独り歩きをした。
景福宮の古宮博物館は前回時間が足りなくて、ゆっくる見られなかったので、再度訪れた。植えの写真は、朝鮮時代の和が先祖の音楽家の発明した編馨。ゆっくりと鑑賞した後に、私が訪ねた日から始まった朝鮮の放送芸術展をも見ることができた。今回は日本語で説明をして下さる方がおり、私一人の為に丁寧な説明をして下さった。十分に堪能して、外に出たら男性4人組の人が、チョナデ、すなわち大統領の住む場所を見に行こうと話しているのが聞こえた。その人たちに便乗させていただくことにした。ちょっと恥ずかしかったが、頑張った。快く一緒に行きましょうと言って下さり、写真を記念だからとカメラを預けなさいと言って何枚か、取って下さった。今までは、入ってはいけない場所であったのに、文在寅大統領が市民に開放して、2日目の場所に入ることが出来た。誰もが椅子に座って電話を持ち、大統領の椅子出記念写真を撮っていた。彼らに勧められ私も写真を撮った。有
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意義で楽しい一日であった。


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# by pcflily | 2017-07-21 21:15 | 『新日本歌人』 | Comments(0)  

憂いなく永遠の休息の地は父母と共に

169.png169.png  夢は叶うもの、夢を持つことからすべては始まる。私の生きてきた道でもある。けれども、姉妹からは誹謗され続けてきた。ある日受話器を取ると「親も親なら子も子だ、夢を食っては生きられない」と怒鳴られた。息子の淳馹が祖国統一を願う月刊雑誌『統一評論』に入社した時であった。この妹は、民族教育を受けさせたくて、朝鮮学校の寄宿舎に、息子が入った時に「鬼だ、母親の資格がない」と言った。

けれども、私の最後の願いの祖国の土地に自分の骨を埋める場所、墓が出来た。

朝鮮籍の為に自由に訪韓できなかった私だ。前回の韓国の大統領選挙の時から、日本にいても、韓国籍を取得すれば、選挙権が得られるようになった。
祖国が統一するまでは変更しないと決めてあったが、どうしても、この選挙に参加したくて国籍を変えた。

昨年の5月に「慰安婦にされたハルモニ達の水曜日の抗議」に参加した。
アボジの養子になった義兄夫婦はすでに亡くなり、長男の甥とは、アボジの葬儀以降、オモニの納骨の時に少し会ったが深く話し合う事はなかった。
昨年の5月に、韓国に来たと連絡をすると甥はホテルに会いに来てくれた。昨年は、還暦だという甥に会ったことで、思いがけないことが、次々と起きた。

オモニの骨壺に私の作品を収めたものを甥は読んだという。そして、ハルモニの骨壺には名前がないという。
一族の納骨堂に納められている骨壺は、黒曜石で出来ており始祖朴赫居世の何代目と名前と共に彫られている。日本から持って行ったオモニの骨壺は白い陶器で名前がない。自分の死後は誰のものかも分からなくなると心配してくれた。

そこで、新しく名前を入れたものを作成してくれるように頼んだ。次回私が来た時に一緒に行って、新しい骨壺と交換をして、日本から持ってきた骨壺は私が日本に持ち帰り、日本に作られている両親のお墓に納めることにした。

昨年8月に「関東大震災時朝鮮人虐殺の追悼会」が韓国で行われた。韓国での追悼会は初めてであった。
追悼会が終わり、甥に連れられ、納骨堂に行ったが、オモニの骨壺の前に鉢の巣が出来ていて、危険なので、骨壺は取り出せなかった。帰路の航空券の時間もありそのまま戻ったが、甥と長い話が出来て、思わぬ方に事が進み、私のお墓まで、作ることになった。

甥の居住地はソウルだ、退職して10年ぐらいの間に墓地でなく自分の両親も含め、祖父も納骨堂に納まって頂こうと思っていたという。

けれども、私から祖父の思いや私の思い、祖国をどんなに慕い、恋していたかなどを聞いて気持ちを変えてくれた。ハルモニのお骨をハラボジの傍に、そればかりではなく、私の居場所まで作って良いという。ハラボジ、ハルモニばかりではなく、私も傍にと言ってくれたのである。
なんと、嬉しい事であろうか?甥は言葉が通じて深く話し合えたことをとても喜んでくれた。意志の疎通が出来て良かったと話してくれた。
甥は又私の作品も読むことが出来たので、メールで送り読んで貰う事が出来たことは本当に幸いであった。
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アボジとオモニの名前が彫られている墓石。裏には7人娘の名が刻まれている。
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新しく作ったオモニの骨壺オモニの名前や、蓮の花なども描かれてある。このまま、アボジと離れて納骨堂にいる筈であったが、アボジの傍に落ち着くことになった。
本当に嬉しい。
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簡素ながら祭祀を行った。

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      私の後ろの人は甥とその妻。左の人は祭祀の仕方を教える人

     
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    私が将来、安置される場所、私のお墓、蜜陽朴氏貞夏之墓。
「貞花」ではなくて、「貞夏」だ。夏は私の代の行列字だ。密陽朴氏一族の同世代は全員にこの字が使われている。本来は男子にだけつくのだが、何故か、私にはこの行列字がついている。長女の姉にもなく、次女の私にだけ使われていて、7人姉妹の誰にもこの字は使われていない。
だから、こんなに一人だけ民族心が強く、我が家の事に関わり続けることになったのかと、運命を感じてしまう。
アボジも墓石には普段使っていた「宗根」の名ではなく、族譜に載っている名前が刻まれている。
族譜に載っているのは「諱」だと思う。辞書を繙いてみると生前の実名、生前には口にすることをはばかった。朝鮮の歴代の王達もいずれも、普通に呼ばれていたものとは違うものが実名としてある。
墓碑の裏面には私の命より大切な息子の家族と娘の家族の名前が刻まれている。
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    私がここに安置されたら、毎日眺める風景。素晴らしい景色。
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晴れていたので、面白い写真が出来た。碑面に写している私が映っている。
工事の日は快晴であった。私は嬉しくて、良かったですねと言ったら、工事をしている人は、自分たちは雨の方が良い、植えた芝が枯れないようにと言われた。
「雨降って地固まる」はこの事から出来たのじゃないかと思った。
ちなみにあんなに晴れて暑かったのに、全てが終わって甥とアボジが住んでいた家に甥と休んでいる時に、土砂降りの雨が降った。甥と私は手を取りあい良かった、良かったと恵みの雨に感謝し喜びをともにした。
アボジとオモニが、私と甥に対して今日の喜びを雨を降らせることで、知らせてくれたのだと話し合った。
ソウルに戻る道筋では雨が降った後は、全くなかった。故郷のあの我が家の墓所周辺にだけあんなにたくさんの雨が降ったのであった。
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私の墓碑の裏面二人の子供の家族の名前が刻まれている。
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遠くに見える丸い土盛りには父母が眠る。手前に私が眠る。
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     右奥に見える石碑に、両親の名前が刻まれ、裏面には7人娘の名前が刻まれている。
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土地は斜面になっている。少し下段に義兄夫婦、その下段に甥の墓が出来るという。
アボジとオモニの傍にと言う私の言葉を聞いた甥がこの様に、アボジとオモニの傍に配置してくれたのであろう。
長男の喜洙の英断により、長年の私の希望、夢が実現した。喜洙よ本当に有難う。心からお礼を言います。協力してくれた次男の喜重よ有難う。
全てを任せてあったので、この様な配置になるとは、思っていなかったので、年少の私が、義兄夫婦より上段であることにびっくりもし、申し訳ないと思っている。
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奥に見える丸い土盛りのお墓私の両親のお墓。手前がアボジの養子になった義兄夫婦のお墓。この夫婦の中央に私のアボジとオモニが,合葬されている。義兄夫婦の前の石碑に子供たちの名前が刻まれている。
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坂を下ると田畑があり、遠くにはこのような景色が見える。風水説による良い土地。
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     5人の大男と、この大きなブルトーザーにより工事は完了した。
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      叶う筈がないと、言われ続けた私の希望であり夢であった。  
     今日からは、何の憂いもなく、いつ何時でも、アボジとオモニのいらっしゃる         ところに旅立てると、安堵している笑顔の貞花です。
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   無事に工事も終わり、祭祀も終わりましたので、記念写真を撮りました。
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一輪の撫子が、私達を迎えてくれた。(墓所の入口に)
オモニが咲かせてくれたのだと思う。オモニは本当に喜んで下さったのですね。
私も本当に嬉しいです。心置きなく残りの日々を生きていきます。見守って下さいね。


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# by pcflily | 2017-07-01 17:47 | アリランエッセー | Comments(2)  

悲しみは何時まで続くのか?

六月号原稿

あの日の大和魂は引き継がれて       (ぱっ) (ちょん) (ふぁ ) 

    

西洋帆船に乗せてもらうと       (1811年)

朝鮮人は書物、琉球人は地球儀、

アイヌ人は無欲、

日本人は滑稽なほど武器に興味を持った 

  

大政奉還後の明治時代         (1867年)(                

農民一揆、士族の反乱、

年ごとに数十件から百件を越した


台湾出兵、朝鮮侵略、     (1874年・1875年)

日清戦争、日露戦争      (1894年・1904年)

日本の国民は熱狂の万歳

勝利は大量殺人の結果だ


朝鮮の皇后を虐殺       (1895年)

軍艦、銃砲、銃剣を駆使した

恫喝の「韓国併合」      (1910年)


朝鮮の独立宣言の三月一日   (1919年)

立ち上がった素手の民衆に

日本軍は銃剣と焼殺と――

無差別虐殺の果てに鎮圧 

            

日本を襲った関東大震災    (1923年)                         

官憲の流言蜚語に

民衆は朝鮮人を虐殺

歓喜の万歳――


征韓論の

吉田松陰を慕う

安倍晋三首相は声高に言う

「日本を取り戻す」


「桂・タフト会談」の成果を想う 米国従順の安倍政権に

「万が一」日本を狙う米韓の演習あらば如何にせむ安倍首相

この国の戦争責任果たす日のあれよと願う吾の住む地なり

アジア侵略勧めし伊藤博文の高額紙幣にこの国の(かお)映す



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# by pcflily | 2017-06-12 15:09 | アリランエッセー | Comments(2)  

花は私の友達

たちつぼすみれ
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スズラン
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季節外れの高砂百合
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白いエニシダ
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ベランダまで伸びて咲き盛るカロライナジャスミン
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君子蘭
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空中で咲く薔薇
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ゼラニューム
、ふらんすでは薔薇の代わりにこの花を香水の原料とするという
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チューリップ
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横浜の戦争展で、買い求め7年目にようやく咲いたわがままな薔薇でした
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開いたらこんな素敵な色でした、待っていて良かった。
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この家に越した時に植えた薔薇、13年目の初夏です。
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強いバラでした、13年先咲き続けている。名前はゴールドハニーです。
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漸く、私の胡蝶蘭も花を見せ始めました。
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この時期のこの時期の私のひそかな楽しみ。
薔薇やゼラニュームを沐浴剤にすること、春眠暁を覚えずともいうけれど、普段の不眠症が止むときになる。
オモニが生きていた時には、薔薇を花籠に一杯にして送っていた。

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# by pcflily | 2017-05-01 19:36 | アリランエッセー | Comments(2)  

丁寧に生きる日々

他人は笑うけれども、花との会話が私にとっては一番楽しくて、何時までも飽きずに手入れをしている。最近は,草の勢いが強くて、毎日の朝夕の仕事になっている。
他人から見れば雑草と見えるけれども、、誰にも振り返ってもらえなくとも、一生懸命に、花を咲かせて、その命を全うさせる姿がいとおしい。
誰にも振り返ってもらえないけれども、私も毎日毎日を精一杯に、丁寧に生きるように心掛けている。こんな小さな家で、何をしたのか目には見えないが、一日を忙しく動き回っていて、何かしらをしている自分の姿を、花に見るからなお愛おしい。
今年の冬は、妹の病の為に家を留守にしている方が多かったので、胡蝶蘭の面倒を見られずに寒さで、蕾が落ちて花にならないのを悲しんでいた。そんな私の為に友人の日々イチさんが胡蝶蘭の鉢植えを送って下さった。嬉しくてうれしくて作品に書いたら、絶交だと言われてしまった。彼女が、何故、絶交だと言って、怒ったのか未だにその心を理解できないでいる。
朝鮮人の私と仲良くしていることを他人に知られたくなかったのだろうか?
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〇カロライナジャスミン
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〇花韮
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〇ヴィオラ
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〇ムスカリ
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〇紅梅
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〇金雀枝
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〇送られてきた胡蝶蘭
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〇富士山

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# by pcflily | 2017-04-30 23:35 | アリランエッセー | Comments(2)